5 涙も、気持ちも、ぽろぽろと
「ここが……シュナイフォード家の別荘……」
目的地に到着した私は、目の前の建物をじいっと見上げていた。
シュナイフォード家は元から名家なうえに、今は王族の血も流れている。
そんな家の別荘ともなれば、貴族の所有物だとしか思えない作りなのだろうと勝手に思っていた。
でも、私の瞳に映るそれは、意外にも素朴な佇まいをしていた。
素朴といっても、予想していたほど豪華じゃないってだけで、十分に立派だ。
「ようこそ、アイナ・ラティウスさん」
私に向かって、ジークベルトが恭しく手を差し出してくる。
お手をどうぞ、なんて付け加えてきたものだから、なんだかおかしくて、くすくすと笑ってしまった。
彼の手を取り、一緒に別荘に入る。
玄関、廊下の順に進んでいくと、リビングに辿り着いた。
大きめの一軒家といった具合だろうか。
ジークベルトによると、一階にはリビングや浴室といった生活に使う機能、二階にはベッドルームがいくつかあるそうだ。
両親、二人のお姉さん、彼の五人で来たこともあるらしいから、二人で使うには広すぎるぐらいかもしれない。
そして、内装。
貴族や王族が住む場所は、どうしても内装がごてごてしがちだ。
好みというよりは、そういった身分の人間として、ある程度は豪華に見せる必要があるんだろう。
わかっていても、日本の庶民だった感覚もある私は馴染みにくかったりする。
でも、ジークベルトが連れてきてくれた、この別荘は。
「すてき……」
思わず、そんな言葉がこぼれ出た。
私の隣で、「よかった」と彼が笑う。
リビングにある家具は木製で、クッションやカーテン、装飾品のほとんどが水色と白で統一されている。
あたたかな雰囲気だけど、爽やかさもある。
洗練されているのにとても落ちつく、すてきな空間だった。
「……あなたがここを選んでくれたの?」
「僕たちには、ここがいいと思ってね」
「……! うん!」
シュナイフォード家ともなれば、別荘は他にもあったはずだ。それこそ、もっと豪華なところも。
けれど、彼はここを選んでくれた。二人で落ち着いて過ごせる、この場所を。
本人の趣向も関係しているんだろうけど、私の好みに合わせてくれたのかな、なんて考えて、すごく嬉しくなってしまった。
「シュナイフォード家の人なら、この別荘を好きに使えるんだよ」
「じゃあ、私がアイナ・ラティウス・シュナイフォードになったら、好きなときに使っていいんだ?」
「もちろん!」
私の言葉に、ジークベルトの黒い瞳がキラキラと輝いた。彼の表情を見て、自分が恥ずかしいことを言ったと気が付いた。
この国では、嫁入り、または婿入りした場合も元の姓が残る。
私の場合は、シュナイフォード家に嫁いだら、フルネームはアイナ・ラティウス・シュナイフォードとなる。
だから、さっきの私の言葉は、ジークベルト・シュナイフォードとの結婚を前提にしていたわけで……。
「っ……!」
どこかにいっていたはずの緊張が、戻ってきてしまった。
そうだ……。私たちはこの場所で気持ちを伝え合って、その先の、あれそれも……!
「アイナ、君に見せたいものだあるんだ」
俯く私の腕をジークベルトが掴んだ。一番大きな窓の前まで進むと、いたずらっぽく笑う。
「カーテンを開けてごらん」
別荘の窓から海が見えるのだと、事前に教えられていた。
カーテンがしまっているのは、きっと、カーテンと一緒に風景が開けたときの感動を、私に与えるためだろう。
ジークベルトには悪いけど、これから起こるあれそれのことで心が忙しくて、風景になんて集中できそうにない。
それでも、彼に言われるまま、両手を使ってカーテンを開いた。
「……!」
瞬間、ぶわっと広がった光景に、なんの言葉も出なかった。
カーテンを開いた先は、ウッドデッキに繋がっていた。
椅子もおいてあるから、風を感じながら休むこともできるだろう。
ウッドデッキの端には階段があるようで、そのまま庭に出られる作りになっていた。
そして、庭の先。
そこにあったのは、視界いっぱいに広がる、真っ白な砂浜と、青い海。
この世界でアイナとして暮らすようになって、もう8年。
スマートフォンやテレビがない生活も、当たり前のものになっていた。
それなのに、この光景を見て、「テレビで見たことがある」と思ってしまった。
あの頃は、海辺の別荘で大切な人と過ごすなんて、画面越しに見る別の世界でしかなかった。
でも、今は。私自身が、「アイナ」が、大好きな人と一緒に、この場所に立っている。
「アイナ?」
雫が頬をつたい、ぱた、とおっこちた。
記憶を取り戻してからの数年は、ここは異世界であると感じていたし、周りの人も、別の世界の住人のように見えていた。
でも、今の私の中には、どっちが「現実」で、どっちが「異世界」なのか。そんな垣根は存在しない。
どちらの世界も、どちらの人々も、大切で、愛おしいと思える「現実」だ。
それを、私に教えてくれた人。
こんなにもすてきな場所に連れてきてくれた人。
とても明るくて、きれいな視界をくれた人。
手が届くほど近くにいるその人は、少し慌てているようだった。
私がはらはらと涙をこぼしはじめたせいだろう。
彼の黒い瞳は心配げに揺れている。
思えば、この人はいつだってそうだった。
7歳や8歳の頃も、婚約してからも。
前世の記憶を取り戻し、そっけない態度をとってしまったときだって。
離ればなれだった4年間も、何度も何度も会いに来てくれた。
ずっとずっと、いつだって。こうやって私を見守って、そばにいてくれた。
この人が変わらない気持ちを向け続けてくれたから、今、私はここにいる。
彼に向けたい気持ち。してあげたいこと。して欲しいこと。
そんなの、言い尽くせないほどたくさんあるけれど。
「ねえ、ジーク。私、あなたのことが大好き。あなたごと、たくさんのものを好きになりたい。今みたいな気持ちを、もっとたくさん、一緒に知りたい」
私は、ジークベルトのそばで、もっとたくさんの「好き」を知りたい。……一緒に、知っていきたい。
大好きなものが増えれば、ずっとここにいたいって気持ちも、きっと、今より強くなる。
好きだって気持ちも、誰かを大切に思える心も、彼がそばにいてくれるなら、育んでいける。
私の言葉を聞いた彼は、ちょっと驚いたような顔をしたあと、困ったように微笑んだ。
私に向かって手を伸ばし、優しく抱きしめて、小さく息をはく。
「……先に言われちゃったな」
「あっ……。ごめんなさい……。その時が来るまで待つって約束だったのに」
「いや、いいんだ。僕も、ここで伝えようと思ってたから」
彼の腕に、少しだけ力が込められた。深呼吸しているような音が聞こえる。
それから、そっと身体を離すと、大きな手のひらで、私の両手を包み込んだ。
「アイナ。僕も、君のことが大好きだ。小さい頃から、ずっと。まだ幼かった君も、今の君も……すごく、すてきだと思う」
「ジーク……。っ……う、ふえっ……」
両想いだって、わかってた。
わかっていたはずなのに、好きだとはっきり言葉にされた途端、ぶわっと涙があふれてくる。
しゃくりあげながらも、必死に「すき」「ありがとう」「だいすき」と言葉にすれば、もう一度、ぎゅっと抱きしめられた。
互いに軽装だからか、あたたかさや感触が、これまでよりずっと鮮明に伝わってくる。
それがまた私の涙腺を刺激してしまい、もうどうしようもない。
気がつけば、私はジークベルトの胸にすがりついて、彼のシャツを濡らしながら泣いていた。
シャツも肌もべしょべしょになっているのに、ジークベルトは私を離さなかった。
「じーく……だいすきぃ……」
「僕もだよ」
「すきぃ……」
「うん、うん……」




