4 あなたとなら
「お待たせ、アイナ」
「う、うん」
ラティウス邸に到着したジークベルトが馬車を降りる。
今日の彼は、白いワイシャツと黒いスラックスを身に着けただけの、シンプルな格好をしていた。
こういった格好は、前世でも普通に見かけた。なのに、どうしてこうも違うんだろう。
特徴のあるデザインでもないのに、彼が着ると、このままでも雑誌の表紙を飾れそうに思えてくる。
大好きな人だから、余計にかっこよく見える部分もあると思う。
けど、婚約者の私は、いろいろな人が彼の容姿を褒めていることを知っている。
ジークベルト・シュナイフォードという人は、私以外の人から見ても素敵な男性なのだ。
顔だけじゃなくて、スタイルもいい。
この国の男性は、日本人より背が高い傾向にある。ジークベルトはその中でも長身とされるほうで、すらっとしている。
細身に見えるけど、足が長いからそう感じるだけで、実際にはしっかりと筋肉がついているし、各パーツは男性のそれだ。
素肌なんてほとんど見たことはないけれど、軽く触れ合ったとき、そう感じた。
顔もスタイルもよくて、雰囲気は上品で。私を映す黒い瞳には、たっぷりの愛情が宿っている。
本当にかっこいい人って、無地のシャツを着ただけでも絵になるんだなあ、なんて、ちょっと悔しくなってしまった。
対する私は、水色と白を基調にしたワンピースを身にまとっていた。丈は、膝の少し下。
可愛くて動きやすく、自分に似合うと思ったものを選んだつもりだったけれど、ごくごくシンプルな格好をした彼に、敗北したような気がした。
ジークベルトならなにを着てもかっこよくなるのかもしれない。
「……アイナ?」
目の前の彼が、軽く首を傾げる。ジークベルトは私に向かって手を差し出していた。
慌てて自分のそれを重ねれば、彼は嬉しそうに
「それじゃあ、行こうか」
と私の手を引いた。
「ジークベルト様、娘をよろしくお願いします」
「アイナ、いってらっしゃい」
馬車に乗りこむ直前、両親がジークベルトに向かって頭を下げる。
こうして見送ってもらえること、両親が私たちを気にかけてくれることは嬉しい。
でも、男性と二人で出かけるところにこの対応は、ちょっと恥ずかしかったりもする。
「……あの、お兄様は」
見送りの場に、2つ上の兄の姿はなかった。
お泊まり旅行の話を知ったとき、お兄様はひどくショックを受けたような、それでいて、どこかほっとしたような、なんとも言えない顔をして黙り込んだ。
私はてっきり、「行かないでくれ……!」と泣き落としでもされると思っていた。何も言われないと違和感がある。
「アルトは……。無事に帰ってきてくれれば、それでいいと言っていたよ」
「無事にって……。ジークベルト様が一緒なんですから、大丈夫ですよ」
「……ああ、そうだな」
家族と話すあいだ、ジークベルトはじっと待っていてくれた。
「いってきます。お父様、お母様。……お兄様も」
二人揃って馬車に乗りこみ、両親と、屋敷のどこかにいるお兄様に向かってそう言った。
今日は、まだ一度も兄の姿を見ていない。
寂しい気持ちもあるけれど、過保護なあの人のことだから、顔を合わせたらなんと言い出すかわからない。
きっと、お兄様なりに考えて、自分にできる形で妹を送り出しているんだろう。
***
今回使う馬車は、座席が向かい合っている仕様で、四人程度ならゆったり過ごせる大きさだった。
この幅なら、並んで座ってもいいし、向かいに座ってそれぞれくつろいだっていい。
ジークベルトが席につく。どこに座るべきか考えていると、
「アイナ」
彼が自分の隣をぽんぽん、と軽く叩いた。並んで座りたいってことだろう。
そうだと理解できたのに、なにを考えたのか、私は反対の席に腰を落ち着けてしまう。
「えっ……。あ……」
婚約者に無視される形となり、ジークベルトの笑顔がかたまる。
それから徐々に視線が下がっていき、最終的には、とても悲しそうに肩を落としていた。
これから一緒にお出かけをする、私の大切な人。この人に、こんな顔をさせたいわけじゃなかった。
「じょ、冗談! 冗談だから!」
こちらもすっかり慌ててしまい、ばたばたと移動し、彼の隣に座り直す。
ジークベルトは大きくを息を吐き、私の肩を掴んで引き寄せて、ぴったりとくっついてこう言った。
「僕の隣じゃ嫌なのかと思った……」
「そんなことない! その……ちょっと意地悪してみようと思っただけで……」
「……そっか」
私からも体重を預けると、彼はようやく安心したようだった。
***
「少し時間がかかるから、寝ていて大丈夫だよ」
「うん」
出発してすぐに、そんな会話をした。それから結構な時間が経ったけど、私は眠れずにいた。やっぱり緊張しているんだろう。
ただ乗っているだけというのも暇だから、ジークベルトとお話でもしたいところだけど、彼はすやすやと眠っていた。
どうしたものかと考え、彼の寝顔を眺めてみることにした。
見るだけなら、気持ちよさそうに眠るこの人を、起こさずに済むだろう。
目を閉じていて、口はちょっとだけあいている。
ちょっと間抜けな姿なのに、ジークベルトだと可愛く見える。
男性として成長した彼も、こうしているとちっちゃい子供みたいだ。
寝顔は幼く見えるって、本当なんだなと感じる。
……そういえば、この人が本格的に眠り込むところを見るのは、初めてかもしれない。
16歳のときもこうして馬車で移動したけれど、彼はいつ見ても起きていた。
あの頃よりも距離が縮まって、無防備な姿を晒してもいいって思えるぐらいには、安心してもらえたのかな。
そう思うと、なんだか嬉しかった。
寝息をたてるジークベルトを見ていたら、こちらまで眠くなってきた。
到着までまだまだ時間がかかりそうだし、一緒に寝てしまおう。彼にぶつからないよう少し距離をとり、目を閉じた。
「ん……?」
「目が覚めたみたいだね」
「ジーク……」
あれから、どのくらいの時間が経ったんだろう。
ゆっくりと目をあけると、先に起きていたジークベルトが、もう少しで着くと教えてくれた。
まだ眠気が残っているけれど、到着が近いなら起きていたい。ジークベルトとも話せるし。
「そういえば、私、あなたの寝顔を見たのは初めてだったかも……」
「……ごめん」
「……? どうして謝るの?」
「本当は、起きていようと思ってたんだ。けど……」
「……けど?」
「実は、昨夜はあまり眠れなくてね。馬車に乗ったら、振動が心地よくて、つい……」
そう話す彼は、心底申し訳なさそうな顔をしていた。
いつだかに、ジークベルトが自分は寝つきがいいのだと話していた。
寝つきがよければ、それだけ睡眠時間を確保しやすくなる。この人は、休息を取る能力まで高いのかと感心したことを覚えている。
その彼が、昨夜は眠れなかったそうだ。
「……もしかして、緊張して眠れなかった、とか?」
「……うん」
彼は、少し恥ずかしそうに頷く。
「そっか……。私だけじゃなかったんだ」
「アイナ?」
私はずっと、彼は緊張なんてせず、余裕でこの日を迎えたんだと思っていた。
けれど、違った。この人だって、私と同じなんだ。それがわかって、すごく安心した。
隣に座るジークベルトに、ぽすん、と身体を預けてみる。
ついでに頬をすり寄せてみれば、大好きな人のぬくもりが広がった。
彼は少し驚いているようだったけど、そうやって驚く姿も、緊張して眠れなかったと話すところも、ちょっと口を開けて眠る姿も、ぜんぶが好きだと思える。
もしも、これから滞在する別荘で、彼が今より先へ進むことを望むのなら。
私は、この人に応えたい。
私と同じ18歳で、私と同じように緊張もする、この人に。




