3 見守る気持ちとハーブティー
別荘へ行くことが決まってから、1週間ほどが経過した。
あっという間に準備が進み、出発直前の朝を迎えている。
大きな荷物は事前に運び込んであるから、馬車に持ち込むのはバッグ1つだ。
この1週間のあいだに、心の準備をしたつもりだった。
そう、大好きなあの人と、次の一歩を踏み出す覚悟を決めたのだ。
決めたはず……だった。
このあと、ラティウス邸で合流し、シュナイフォード家の馬車で移動することになっている。
迎えを待つ私の前には、幼い頃から私のそばにいる侍女・アンジェがいれた紅茶がおいてあった。
そういえば、砂糖はまだいれてなかった。一人で茶器に向き合う私は、角砂糖を1つ、紅茶にいれた。
今ではおなじみになったこの茶葉は、12歳のとき、ジークベルトがプレゼントしてくれたものだ。
あの日から、彼は同じものを定期的に贈ってくれる。
カップを手に取り、顔に近付けた。ふわりと届く甘い香りは、6年前から変わらない。
あの頃、私たちの身長は同じくらいで、身体つきだって似たようなものだった。
それが今じゃ、彼のほうが頭一個分ぐらい大きくて、身体の作りだって異なる。
それぞれの見た目も、私の気持ちも、昔とは違うんだ。きっと、これからも形を変えていくんだろう。
変わるといえば、関係だって…………。
「っ……!」
この旅行を機に、私たちの関係が変わるかもしれない。
16歳のときに彼が言った「1年半後」は、ちょうど今ぐらい。
だから、別荘でお互いの気持ちを伝え合ったりするのかなと予想している。
そのときをずっと待っていたはずなのに、そこに「大人の男女が二人きりでお泊まり」という要素が足されたために、その先まで考えてしまって……もうダメだった。
「……アイナ様?」
ぽとん。ぽとん。
カップをソーサーに戻した私は、すごい勢いで角砂糖を追加し始めた。一種の逃避行動なのかもしれない。
見かねたアンジェがとめてくれたときには、角砂糖が山盛りになっていた。
「新しいものを用意しますね」
「……はい」
せっかく思い出の茶葉を使ってもらったのに、なんてことをしてしまったんだろう。
しゅんとする私にアンジェが微笑みかけ、この場から離れていく。
パニックを起こした理由はわかっている。
大人の男女。二人でお泊まり。これから起こることを受け入れ、覚悟もできている! と思っていたけれど、覚悟なんてできていなかったんだ。
もちろん、ジークベルトのことが嫌なわけじゃない。
自分の気持ちが見えていなかった時期もあるけれど、今は、私はあの人のことが大好きで、隣にいることを望んでいるんだって、ちゃんとわかってる。
でも……ううん、だからこそ。本当に大好きだから、緊張するのかもしれない。
「うう……」
私はどうしたらいいんだろう。
ジークベルトと二人で過ごす時間が楽しみで、待ち遠しくて仕方がない。
でも、二人きりになったらなにが起こるのかわからなくて。
嫌じゃないのに、心臓がばくばく音とたてて、どうしようもない。
逃げたいけど、逃げたくない。
じゃあどうするって、落ち着かなくても、一緒に別荘へ行くしかないだろう。
ぺち、と軽く自分の頬を叩く。
私はジークベルトのことが好きで、彼も私に愛情を向けてくれる。
私たちはこの世界基準だと、成人済みの婚約者同士。そんな二人の関係が進展したって、なにも問題ないのだ。
「アイナ様」
そうしていると、いつの間にか戻ってきていたアンジェが、新しいカップを私の前におく。
「これは……」
「カモミールを使ったハーブティーです」
「カモミール……」
たしか、カモミールには心身を落ち着かせる作用がある。
きっと彼女は、様子のおかしい私を気遣って、この一杯を用意してくれたんだろう。
「ありがとう」
カップを手に取り、優しい香りのそれをゆっくりと口に含んだ。
「……おいしい」
ほう、と小さなため息がもれる。たった一杯のお茶が、私の心を包み込んでくれた。そんな気がした。
ハーブの効能もあるのかもしれない。
でも、私の心を落ち着かせたのは、身近な誰かが自分に向けてくれた気持ちなんじゃないかなって。そう思えた。
時計を見れば、いつジークベルトが来てもおかしくない時間になっていた。
もう大丈夫と言い切ることはできない。けれど、なんとかなる気がした。
間もなく、別の使用人がやってきて、シュナイフォード家の馬車が到着したと教えてくれた。
すぐに行きます、と答えてから、もう一口だけ、ハーブティーを口に含む。
軽く舌で転がしてから飲み込んだら、カップを置いて立ち上がる。
「いってきます」
「いってらっしゃいませ、アイナ様」




