4 その一言はお預けで
一国の姫で、長女だけど、末っ子。
この国では、王になれるのは男性のみ。
お姫様は国王になれないけれど、結婚して得た家族は王族扱いになるし、直系の男児は数代先まで王位継承権も与えられる。
さらに、容姿も可愛らしいとなれば、縁談なんてうっとうしいぐらいに舞い込んでくる。
それが、リッカ・フォルテア・シュナイフォード様が若い頃に置かれていた状況だ。
リッカ様は、幼い頃には既に、自分には姫としての責任があることを理解していた。
けれど10歳前後で婚約する気にはなれず。今だけ、と自分に言い聞かせて、婚約者を作らずに過ごしていたそうだ。
14歳の頃、他国の王子との婚約話が浮上したことをきっかけに、もう逃げないと決める。
でも、名前もわからないある人の存在が、リッカ様の心に引っかかっていた。
12歳の頃から2年ほど、リッカ様のもとに、差出人不明の贈り物が届き続けていた。
……といっても、本当に差出人不明の物が、お姫様まで届くはずもなく。
リッカ様ご本人には伏せられていただけで、一部の人は贈り主を知っていたそうだ。
その謎の人物こそが、シュナイフォード侯爵家の次期当主・アダルフレヒト様だった。
2歳年上のアダルフレヒト様は、リッカ様の幼馴染でもあった。
名乗りもせずプレゼントをおくり始めた頃には既に、リッカ様への恋心に気が付いていたとか。
けれど、自分の立場や当時のリッカ様の姿勢を理由にして、想いを伝えないまま過ごしていた。
その後、色々あって王子との婚約はなかったことになり、謎のプレゼントの贈り主も発覚。
それでも自分の気持ちを言葉にせず、ただの幼馴染としてふるまおうとするアダルフレヒト様に、リッカ様はこう言ったそうだ。
「思うところがあるなら、言葉にしていただけないとなにもわかりません! そちらは色々おくりつけて、伝えた気になって、満足しているのかもしれません。でも、私には、なにも……。あなたの本当の気持ちなんて……なにも伝わっていないんです」
苦しそうにぽろぽろと涙をこぼすリッカ様を見て、アダルフレヒト様は自分の気持ちを伝えようと決意。
元々は、寡黙で感情を表に出すのも下手な人だったのに、気がつけば、好きだという感情が言葉にも表情にも表れるタイプになっていたそうだ。
そこから更に色々あって、お二人は婚約、結婚。子供にも孫にも恵まれ、今に至る。
…………ここまでの話をもっと詳しくしたものが前半戦で、結婚してからのことや家族の話、互いの好きなところを聞かされ続けたのが後半戦。
数時間にわかって拘束された私は、よろよろと自分の部屋に向かっていた。
嫌な話じゃなかった。むしろ素敵なお話だったはずなのに、疲労感がものすごい。
こうなると知っていて婚約者を置き去りにしたジークベルトには、文句の1つでも言いたいぐらいだ。
うん、もう言っちゃおう。「なんで自分だけ逃げたの!」って軽く責めておこう。
ジークベルトがいるはずの部屋の前に立ち、ノックをしようと構え、動きを止めた。
このタイミングで、お二人の話を思い出したのだ。
――言葉にしないと、わからないこともある。
リッカ様はそう言っていた。
お二人とは状況が違うけれど、私も同じように感じることがある。
私はジークベルトのことが好きで、彼もおそらく私のことが好きだ。
でも、気持ちを言葉にしない限り、「おそらく」「きっと」みたいな曖昧な認識から抜け出せない。
このぼんやりとした不安をなくしたいなら、一度でもいいから、気持ちを確かめ合ったほうがいいんだろう。
恥ずかしいし、なんだか悔しいし……ちょっと怖いから、できれば彼のほうから好きだと言って欲しい。
でも、相手に望んでばかりもわがままな気がする。
思えば、ジークベルトはずっと前から、表情や行動で私への想いを示していた。
今度は、私から一歩踏み出す番なのかもしれない。
意を決し、名乗りつつしっかり扉を叩く。
すぐに「どうぞ」と返事があったから、遠慮せず中に入った。
ジークベルトは本を持ち、ソファに腰掛けている。
私が部屋に入ったことを確認すると、彼は本をテーブルに置いて立ち上がり、ベッドに座り直した。
「アイナ、君はそ」
「失礼します」
「っ……!?」
これから話す内容を考えると、なるべく近い方がいい気がしたから、彼の隣に腰をおろした。
本人の許可はもらっていない。二人きりなんだし、少し勝手をするぐらい大丈夫なはず。
並んでベッドに座った状態で、彼のほうへ身体を向ける。ジークベルトは、顔を赤くしていた。
何故か戸惑っている彼には悪いけど、勢いにのって自分の気持ちを伝えてしまおう。
「あのね、ジーク。リッカ様とアダルフレヒト様のお話を聞いて思ったんだけど」
「え、あ、うん」
「お二人みたいに、私も自分の気持ちを言葉にして伝えたいと思ったの。言わなきゃ伝わらないって、私も思うから」
「そっか。うん、言わなきゃ伝わらない……うん」
「だから、今から言うね」
「えっ。アイナ、ちょっ、まっ…………」
「ジーク。私、あなたのことが……!」
好きです。
そう伝えるはずだったのに。
「アイナ、待って。今はやめよう。今は本当にやめよう。君の言いたいことや考えはわかったけど、今はやめよう。今はダメだ。今はよくない」
ひどく動揺した彼が、必死に目を逸らしながら今はダメだと繰り返すから、なにも言えなくなってしまった。
勇気を出したのに、この態度。
不満に思い、わざと拗ねた声を出して「なんでダメなの?」と聞けば「こっちの事情だから気にしないで」「ごめん」と返された。
……よくわからないけど、とにかく、今この場所で「好き」と伝えるのはよくないそうだ。
勢いをそがれ、タイミングも失ってしまった私は、なにも言えないまま残りの時間を過ごすことになる。
好きだと伝えることはできなかったけれど、リッカ様たちのおうちに二泊するあいだ、色々なことをして楽しんだ。
私が実際に見る機会は少なかったけど、ジークベルトも乗馬をたしなんでいたりする。
アダルフレヒト様の馬に乗る彼をじいっと見つめていたら、「君も乗ってみるかい?」と声をかけてくれた。当然、頷きを返す。
頷いた時の私は、優雅に二人乗りする場面を思い浮かべていた。
でも、現実はそう上手くいかないもので。
ジークベルトの補助があってもなかなか馬に乗れず、疲れる私。
ようやく乗れた私に指示を出し終えたら、彼は手綱を引いて歩く係となった。
すごく楽しかったし、ジークベルトには感謝しているんだけど、思っていたものとはちょっと違った。
庭から森へ向かって、小川が流れている。
小さな魚を発見。近くで見ることにした。
隣に立つ彼が「落ちないように気を付けてね」と言ってくれたから、「大丈夫だよ」と笑って返す。
二人でのんびりと川を眺めていると、背後から声をかけられる。驚いて体勢を崩した私を庇い、ジークベルトが川に落下。
川辺でおろおろする私に向かって、安心させるようにジークベルトが微笑む。
「君が無事なら構わないよ。……クラウス兄さんは、あとで僕の部屋に来るように」
全身ずぶ濡れだからもうどうでもいいのか、彼は下半身を水につけたまま座っている。
クラウス様も、この状況で茶化すことはできなかったようで、「はい……」と答えていた。
髪からぽたぽたと水をたらし、乱暴な座り方をして、クラウス様を睨みつける荒っぽい姿に、ちょっとドキっとしたのは秘密だ。
***
リッカ様とアダルフレヒト様にお礼を言ってから、馬車に乗り込む。
行きと同じぐらいの時間をかけ、ラティウス邸に到着した。
帰りもジークベルトと一緒だったけど、結局、移動中も気持ちを伝えることはできなかった。
少し寂しい気持ちのまま馬車をおり、楽しかったね、なんて軽く言葉をかわす。
お別れの雰囲気になった頃、彼は考え込む様子を見せてから、ゆっくりと口を開いた。
「……アイナ。あのときは、邪魔をしてごめん。せっかく勇気を出してくれたのに。僕も、自分の気持ちを君に伝えたいと思ってる」
「ジーク……。じゃあ」
「でも、君に伝えて、同じ気持ちを返してもらえたら……色々と手につかなくなりそうなんだ。会えない寂しさも増すと思う。勝手を言ってるとわかってる。でも、もし許してもらえるのなら、もう少し時間をくれないかな」
「……もう少しって?」
「えっと……1年半ぐらい?」
「いちねんはん……」
彼の言う「もう少し」は思ったより長かった。
この国の学園は4年制で、今は3年生の夏。1年と半年経つころ、ジークベルトは学園を卒業する。つまり、卒業するまで待ってて、ってことなんだろう。
1年以上待つことに、少しも不安がないと言えば嘘になってしまう。
でも、この人のことだから、なにか考えがあるのだろう。
それに、私のほうがずっと長く、この人を待たせていた自覚もある。
なら、私の返事は――
「……わかった。その時が来たと思えたら、ちゃんと聞かせてね」
「アイナ……。ありがとう」
それ以降も、彼は月に一度は帰省し、私に顔を見せてくれた。
それを20回近く繰り返した頃には、学園を卒業するときが近づいていた。




