3 裏切りは突然に
「この辺りは、見た通り畑だね。二人分収穫できればいいから、広げる気はないって言ってたかな」
「こっちは放牧地と馬小屋。馬は……今は三頭だったかな。おじい様が馬好きなんだ」
「あそこには、おばあ様の花が置いてあったはず。天候や気温に合わせて、あの建物の中に鉢を移動させるそうだよ」
ジークベルトの説明を聞きながら、二人で外を歩く。
クラウス様がついてこようとしたけれど、「邪魔です。あとにしてください」とジークベルトが追い払っていた。
リッカ様とアダルフレヒト様は、孫の気持ちを汲んだのか、二人で行ってきなさいと言ってくれた。
彼の祖父母の土地には、二階建ての民家が1つ。こちらはお二人の住居だ。
民家の前に、畑、放牧地と馬小屋。それから、小さな建物がぽつぽつと。
小屋のようなそれには、色々な道具が入っていたり、リッカ様が育てた花がおいてあったりするそうだ。
「で、この先が……。ある程度は整備されてる森、かな……?」
開けた場所のはじっこまで辿り着くと、彼がその先を指し示す。
「ある程度?」
「まっすぐ行くと、小さな洞窟があるんだ。そこまでは人が通れるよう整備されてるし、危ないものもなかったと思う。それより先は進まないほうがいい」
「洞窟……」
「行ってみるかい? 洞窟まで行って引き返すなら、今の格好でも大丈夫なはずだよ」
こくこくと首を縦に振る。
頷く私を見て、彼は「だよね」と、少し呆れたように、でも嬉しそうに笑っていた。
今の私は、ワンピースの上に軽く上着を羽織り、足元は歩きやすく丈夫な靴に守られている。
動きやすい服装の方がいいと聞いていたから、到着後に着替えたのだ。
コルセットもつけていないから、かなり過ごしやすい。
私が10歳以下の頃だったら、いくら動きやすい服装と言われても、ここまでラフな姿で外に出れば、嫌な顔をする人もいたと思う。
記憶を取り戻してからの6年でこの国も変化し、コルセットで身体をきつく締める機会は減った。
ほかの下着も、日本で女子高生をやっていたときの形に近づいている。
服装だけでなく、仕事や学問といった面でも女性の立ち位置が変化しつつあり、次の世代は男女が同じように学校に通えるようになるのかもしれない……なんて、考えていたりする。
***
意気揚々と森に足を踏み入れ、小川や洞窟を見せてもらい、満足したら来た道を戻る。
途中、ぽつぽつと雨が降ってきて、あっという間にどしゃぶりになってしまった。
ジークベルトの懐で守られていた私ですら、彼の祖父母の家に着くころには、あらゆる場所から水がたれていた。
彼の方は、水もしたたるいい男とか言ってる場合じゃないぐらいにずぶ濡れだ。
二人揃って玄関のドアをくぐる。待ち構えていた侍女が身体を拭いてくれた。シャワーもすぐに浴びられるそうだ。
でも、ここはラティウス家やシュナイフォード家のお屋敷じゃなくて、あくまでちょっと大きめの民家。浴室は1つしかない。
婚約者とはいえ、私たちは一緒にシャワーを浴びるような仲じゃないわけで……。
互いに「そちらが先に入るべき」と言い合い、無駄な時間を使ってしまった。
こちらとしては、私を庇ったぶん、たくさん濡れている彼が先だと思ったんだけど……。
最終的には、リッカ様たちにも「アイナさんが先に」と言われてしまい、従うしかなかった。
侍女に助けられながらも、手早くシャワーと着替えを済ませる。
髪は濡れたまま浴室を出て、ジークベルトと交代した。
……なんだろう、入れ替わりとはいえ、彼と同じ浴室を使うって、なんだかむずむずする。
髪が乾く頃、ジークベルトが私の部屋にやってきて、リッカ様が昼食を用意していると教えてくれた。
すぐに1階へおりる。ご夫妻とクラウス様が盛り付けや配膳を行っていた。
慌てて私も加わると、リッカ様に配膳の腕を褒められ、嬉しいけれど、公爵家の娘としてはあまりよくないのかもしれない……と、勝手に落ち込んでしまった。
テーブルに並ぶのは、野菜たっぷりのスープ、温野菜のサラダ、自家製パン、お肉がメインの料理など。
ほとんどの野菜は、庭でとれたものだそうだ。
私の目には、祖父母と孫たちが一緒にご飯を食べる、穏やかな光景が映っている。
こうして見ると普通のおじいちゃんおばあちゃんと孫だけど、ここにいるのは、国王の妹、シュナイフォード家の先代当主、王族男子二人、公爵家の娘……という、たいていの人は即座に逃げ出すであろうメンバーだ。
婚約者の祖父母に挨拶をしに来たつもりでもあったから、印象が悪くならないよう、公爵家のお嬢さんらしくふるまおうと決めていた。
だから、食事をとるときも上品になるよう気を付けていたし、ジークベルトのことだって様付けで呼んでいた。
うまく「公爵令嬢」をやれていると思っていたのに、食事が済んだ頃、アダルフレヒト様からこんな言葉が飛び出した。
「……アイナさん。無理に『様』をつけなくてもいい」
「……え? えっと……」
「ジークベルトのことだよ。普段は『ジーク』と呼んでいるのだろう?」
「…………!」
お二人の前ではジークベルト様と呼んでいたはずだ。どうしてその呼び方を知られているのだろう。
困ってしまって、隣に座るジークベルトに視線を送る。
「さっき帰ってきたとき、思いっきり『ジーク』って呼んでたね」
そういえばそうだったかもしれない。
どちらが先にシャワーを浴びるかで揉めたから、気が緩んでジークと呼んでいた気がする。
バレてしまったものは仕方ない。でも、どうしよう。王族男子に雑な態度をとる、馴れ馴れしい女だと思われていたら……。
「幼い頃、僕のほうからアイナにお願いしたんです。ジークと呼んで欲しい、敬語もいらないと」
私の焦りを感じ取ったのか、ジークベルトがはっきりとした口調で話す。
「王族の僕が言い出したことですから、アイナはなにも悪くありません。むしろ、彼女は僕のわがままを聞いてくれたのであって……」
彼の口から、私を庇う言葉が紡がれていく。
実際、ほとんど彼の言う通りなんだけど……私を守ろうとしてくれたことが、嬉しかった。
孫の言葉に耳を傾けていたアダルフレヒト様が、もう我慢できないといった様子で笑いだす。
「おじい様。そうやって笑うぐらいなら、最初からあんな指摘しないで欲しいのですが?」
「ああ、悪かったよ。ジークベルト。……お前はやはり、リッカの孫だな」
アダルフレヒト様は、愛おしそうに目を細め、慈愛に満ちた表情でジークベルトを見つめていた。
彼は、本当に家族に愛されているんだろう。大切な人が、他の誰かにも大事にされているって、嬉しいな。
そんな風に思っていると、
「……食事は済みましたので、そろそろ部屋で休みます」
「え?」
「あー……俺も」
「え? え?」
どこか冷たい声をしたジークベルトが、すっと立ち上がる。クラウス様も彼に続いた。
慌てる私。立ち上がったまま、じっと私を見るジークベルト。素早く退室するクラウス様。
アダルフレヒト様は相変わらず愛おしそうに孫を見つめ、その隣に座るリッカ様は恥ずかしそうにしている。
そんな状況の中、ジークベルトが口を開こうとしたところで――
「若い頃のリッカも、孫のお前と同じことをした。婚約すらしていなかったのに、『リッカと呼びなさい』と言われたときは肝が冷えたものだよ」
アダルフレヒト様の声が重なり、ジークベルトは小さく「ごめん」とだけ言い残して、早歩きで離れていった。
ダイニングに残されたのは、婚約者の祖父母と私の三人のみ。
お二人のことが嫌いなわけじゃないけれど、正直、ちょっと居づらい。
孫二人……特にジークベルトは、どうして私をおいてどこかへ行ってしまったんだろう。
どうしたものかと思っていると、リッカ様から声がかかる。
「……アイナさん。少し、昔話を聞いてくれる?」
「は、はい!」
反射的にそう答えれば、ご夫妻による「昔話」が始まった。
それは、無愛想だけど優しい貴族の男性と、わがままを言って周囲を振り回すお姫様の物語で……。
かなり早い段階でそれぞれの名前も出てきて、明らかにアダルフレヒト様とリッカ様が若い頃の話だった。
10歳にも満たない頃から婚約・結婚までの流れを聞かされ、終わったかと思えば今度は結婚後の話が始まり……。
ようやく解放された頃には、数時間が経過していた。




