2 彼も彼女も可愛い末っ子
あっという間に夏がやってきて、ジークベルトも夏季休暇に突入した。
この国の夏は、日本に比べれば過ごしやすい。
でも、暑いものは暑いから、馬車の中は結構つらかったりする。
今回も……ジークベルトと一緒に彼の祖父母の家に向かうときも、最初は暑くて大変だった。
それが、出発から三日目の今日、
「……涼しくなってきた?」
なんとなく、空気がひんやりしてきた。
「この辺りは標高が高いからね」
「そっか」
「羽織るものもあるから、寒かったら言うんだよ」
「うん。ありがとう」
そんなやり取りをした数時間後には、目的地に到着した。
先に馬車をおりたジークベルトが、私に手を差し出す。すっかり大きくなったそれに自分の手を重ね、彼に続く。
「気温が全然違う。夏は過ごしやすそう」
山の中に来ただけのことはある。
隣に立つジークベルトは、私を見守って…………いなかった。
彼は明後日の方向を見て、顔を引きつらせている。
「なんでクラウス兄さんが……」
「え? クラウス様?」
「あー……。ほら、あそこ」
「あ、本当だ……」
ジークベルトが指さした先を見る。
そこには、二階建ての民家と、少し離れた場所に立つ男性――クラウス様の姿があった。
嫌そうな顔をするジークベルトに続き、民家に向かう。
民家は木造二階建て。どこか懐かしさを感じさせる作りだ。
ジークベルトの祖父母は、ここに住んでいるのだろう。
二人で使うには大きすぎるぐらいだけど、親族用の部屋があるなら納得だ。
正面まで行くと、クラウス様が片手をあげた。手の行先は、ジークベルトの頭だった。
「よく来たな、ジー坊」
「その呼び方はやめてください。……で、クラウス兄さんはどうしてここに?」
「どうしてって、ここは俺の祖父母の家でもあるんだぞ? 用事があって来てるんだ」
「……本当は?」
「生意気な坊やの邪魔をしに」
楽し気に笑うこの男性は、クラウス・シュナイフォード様。
ジークベルトの従兄で、年齢は……たしか、6つ上の22歳。
クラウス様は、ジークベルトのお父さんの弟の長男。
ジークベルト・シュナイフォードという男児が生まれてくるまでは、シュナイフォード家の跡継ぎになる可能性が高かった人だ。
190センチはありそうな長身に、黒い瞳。
ジークベルトと同じく、髪は茶色。
牛乳たっぷりのミルクティーみたいな、落ち着いた色を持つジークベルトとは違って、クラウス様はオレンジ等の柑橘類を思わせる、活発な雰囲気のある茶色だ。
社交の場でクラウス様を見かけたときは、キリっとしていてかっこよかった。
……今は完全に末っ子をいじるお兄さんモードだけど。
普段は穏やかで余裕のあるジークベルトも、クラウス様の前では少年にしか見えない。
にやにやと楽しそうなクラウス様と、機嫌の悪い子犬や子猫のようなジークベルト。
その姿は、まるで――
「ジークベルト坊や……」
「アイナまで……。兄さん、彼女の前で坊や呼ばわりはやめてください。大体、もうそんな年じゃ……」
ジークベルトの抗議とほぼ同じタイミングで、民家のドアが開く。
「いらっしゃい、ジークベルト!」
家から飛び出してくるなり、老婦人がジークベルトに抱き着いた。挨拶のハグと言った方が正しいんだろう。
一歩下がった位置で、老紳士が優しく微笑んでいる。
この二人が、現国王の妹・リッカ様と、シュナイフォード家の先代当主であるアダルフレヒト様だ。
お祝いの場などで二人に会ったときは、上品で落ち着いているけれど、厳しさや近寄りがたい雰囲気もある人……といった印象を抱いた。
でも、16歳の孫を歓迎する姿は、普通のおじいちゃんとおばあちゃんで…………。
「大きくなったわねえ。顔つきもずいぶん大人っぽくなって……。若い頃のレヒトにそっくり」
「優しい目元は君似だよ、リッカ」
「そうかしら? あなた似だと思うけれど」
孫を真ん中に挟み、「ここはあなたに似てて素敵」と盛り上がり始める老夫婦。
……普通のおじいちゃんおばあちゃんと呼んでいいのかどうか、よくわからなくなってきた。
ジークベルトは「ごめん。しばらく待っていれば終わるから……」と言いながら、遠くを見ている。
彼が祖父母を苦手とする理由が、少しわかった気がした。
***
玄関先での手厚い歓迎のあと、それぞれ客室に案内された。
ラティウス家の侍女は、身支度等が終わったら下がらせる。
正直、わたし一人でも大丈夫だと思うけど……公爵家の人間としてそうはいかないようで、一緒に来てもらったのだ。
自分だけになった空間で、ベッドに腰掛けて部屋を見渡した。
シングルベッド、一人掛けのソファ、小さなテーブル、書きものにも使えそうな机……。
そういった家具を置いたら、空きはあまりないぐらいの個室だ。
公爵令嬢として見れば小さくて質素な部屋かもしれないけど、元日本の女子高生的には、広すぎず狭すぎず、落ち着いて過ごせる空間。
窓から外を眺めれば、のんびりと過ごす馬や、小さな畑が見えた。
森のようなエリアに向かって小川が流れているのもわかる。
疲れただろうからまずは休憩。案内はそのあと……という話だったんだけど、窓から見える光景が気になって、外に出たくなってきた。
リッカ様たちが気遣ってくれたのに、早く早くとせがむのも気が引ける。
……でも、ジークベルトから話を聞くぐらいなら、構わないかな。
廊下に出て、隣の部屋、ジークベルトがいるはずの客室をノックする。
こちらが名乗る前に「どうぞ」と返ってきた。彼の声はいつもより低く、不機嫌そうだ。
お邪魔だったかなと思いつつ、控えめにドアを開けた。
ベッド、ソファ、机……。客室の作りはほとんど変わらないみたいだ。
「なにか用ですか? からかいに来たなら帰ってください。僕だってもういい年なんですから、いちいちあなたの相手をするつもり……は……」
ベッドに腰掛け、こちらを見ることもしないジークベルト。拗ねたような顔をして、手足も雑に投げ出している。
私に視線を向けたかと思えば、数秒の硬直ののち、すっと姿勢を正した。
「ごめん。クラウス兄さんかと思ったんだ。……アイナ、どうしたんだい?」
優しい彼に、嘘はないと思う。
でも、私の前では優しく穏やかなこの人も、同年代の男性や親族の前では、普通の男の子だったり、末っ子だったりするわけで……。
「ちょっとわかったかも……」
「なにが?」
「あなたが年上の親族に可愛がられる理由……」
16歳となった彼は、落ち着いていてかっこいい、大人の男性にも見える。
そう成長した今でも、従兄につんとする彼の姿を可愛らしいと思えた。
普段は柔らかい雰囲気なのに、少しからかうとぷんぷん怒る末っ子になるんじゃあ、いじりたくなるのも理解できる。
「ふふ、坊や……」
自分の好きな人が、親族にも好かれている。
坊や扱いされた彼は不服かもしれないけど、私は嬉しいし、そういった面ももっと知りたいなと感じる。
微笑ましく思っていると、
「……一応言っておくと、君とお兄さんの関係も、似たようなものだからね」
「えっ……」
いい笑顔でこんなことを言われてしまった。
言われてみると、私もお兄様に対しては「ぷんぷん怒る末っ子」のような気がしてきた。
でも、別に可愛くはないし……と悩む私を見た彼は、ふっと笑みをこぼす。
「とりあえず、そんなところに立っていないで、中においで。入って大丈夫だから」
「う、うん……」
部屋に入れば、ソファに座るよう促された。
「なにか用があったのかな? ……もちろん、用なんてなくても大丈夫だけどね」
「えっと……」
外の様子が気になるから、話を聞かせて欲しい。
その他にも、アダルフレヒト様やリッカ様、従兄のクラウス様についても、話せることがあれば色々教えて欲しい。
そんなことを伝えてみた。
彼は少し考えてから立ち上がり、窓に向かう。
私も続くと、特に気になるものはどれか確認してくれた。
「そうだな……。君も元気みたいだし、話しながら外を案内するよ」
「! ありがとう!」




