10 ジーク視点 温もりに触れる
今日は、アイナが学園見学にやってくる日だ。
せっかくなら喜んでもらいたくて、学園の近くに住む従姉・リーフェ姉さんに下見に付き合ってもらった。
本当なら別の日に済ませておきたかったけど、リーフェ姉さんもアイナに会いたいと言うし、自由に出入りできるわけじゃないから仕方ない。
「……ここでしたら、無難かつ、喜んでもらえそうだなと。紅茶にも満足していただけると思います」
「やっぱり……! じゃあ、アイナが到着したらここに案内して食事と休憩を……」
「その前に、アイナ様のご希望も確認するといいかもしれません。在学中のお兄様から、学園の話を聞いている可能性もありますからね」
「確かに……。では、昼食も見学ルートもアイナの希望を確認しつつ考えて……」
僕自身も気に入っていて、アイナにも喜んでもらえそうな、学園内の喫茶店。
アイナを連れて来る前に、一応、リーフェ姉さんにも味や雰囲気を確認してもらった。
学生になってからの2年、同性とばかり接していたから、そのあたりの感覚に自信がないのだ。
リーフェ姉さんから見ても、この店は雰囲気がいいようだ。
アイナ自身の希望を先に確認することも決め、彼女を迎える準備が進んでいた。
ふむ、と色々考えていると、リーフェ姉さんが僕をからかい始める。
「……あんなに可愛らしかったのに、もうすっかり殿方ですのね」
「可愛いは余計です。僕があの見た目を気にしていたこと、知ってるでしょう?」
可愛いを強調されても、あまり嬉しくない。僕自身は、かっこいいと言われたいタイプなのだ。
ついでに幼い頃のあれそれの話をされ、ふてくされてしまった。
年の離れた姉が二人いるうえに、親類の中でも年齢が低い僕は、こうして末っ子扱いされやすい。
「いつまで続くんです、その話。ん……?」
そろそろやめてくれないかなあと思いつつ、店の外へ視線をやる。
そこには、
「アイナ……!」
ガラス越しにこちらを見る、アイナの姿があった。
***
アイナと合流してからさほど経たないうちに、リーフェ姉さんが立ち去った。
従弟の婚約者と話したいと言っていたのに、もういいのだろうか。
そう思い、引きとめてみると、
「お二人にしてさしあげます。頑張ってくださいね」
と耳打ちされた。
今すぐとまでは思っていなかったけど、二人にしてもらえるのはありがたい。
ただ、あとで「下見に付き合ったうえに、すぐ二人にしてあげましたよね?」と微笑んできそうで、少し怖い。
まあ、それはあとで対応すればいいとして――今は、目の前の彼女との時間を楽しもう。
店の雰囲気、紅茶や軽食の見た目や味も、彼女に気に入ってもらえたようだ。
素敵な学園だね、とも話していた。
勉強家の彼女にとって、学園はとても魅力的な場所なんだろう。
和やかに食事を進めていると、突然、彼女が深いため息をつく。
「女性を連れ込んでるのかと思った……」
じょせいを、つれこむ……?
一瞬、彼女がなにを言っているのかわからなかった。
誤解されたのだとすぐに気がつき、必死に否定する。
確かに、リーフェ姉さんのことはアイナには伝えていなかった。
会えない間に他の人と関係を……という事態は、男女共に起こり得ることだ。
それもあって、学園への立ち入りが制限されているのだ。
勘違いされても仕方のない状況だったのかもしれない。
でも、君が大切でたまらないと伝えてきたつもりの僕としては、落ち込みたくなってしまう。
「僕、信用されてないのかな……」
そう呟けば、アイナは慌てた様子で自身の心の動きについて話してくれた。
従姉だと知らなかったから焦った。
親しいのがわかって不安になった。
僕が嬉しそうに手を振ったから、拍子抜けしたけど安心できた。
そんな言葉を聞いているうちに、気分が上昇していく。
僕が誰といようと構わないなら、そんな気持ちにならないはずだ。
他の人を見て欲しくない、他の誰かに取られたくないと思うから、そうやって焦ったり不安になったりするわけで…………。
「え、なに、その顔……」
「いい話が聞けたなと思って」
誤解させてしまったことに関しては、申し訳なく思う。
でも、嬉しさが勝ってしまった。
***
喫茶店でアイナの希望を聞きつつ、見学ルートを組み立てた。
二人で楽しく学内を散策……と思っていたのに、僕らは今、嬉しくない視線に晒されていた。
「ねえ、ジーク。やっぱりお友達なんじゃ……」
「違うよ」
喫茶店の外から、ガラス越しに僕らを覗く男が四人。
四人のうち一人は、幼い頃からの友人で、学生寮では同室のブレーズだ。
最初は隠れる気があったようだけど、アイナに会釈されたことをきっかけに、堂々と姿を現した。
無視はちょっと、とアイナに言われてしまったから、仕方なく奴らを店内に招き入れる。
案の定、これから始まる学園見学についてくると言い出して、ため息をつきたい気持ちでいっぱいだ。
「ブレーズ……。どうしてこうなった」
アイナが来ると知られたら、学園の友人たちに邪魔をされるとわかっていた。
だから、昔から僕らのことを気にかけてくれたブレーズに、上手く足止めするよう頼んであったのだ。
邪魔してきそうな連中は、まとめて自習室にでも突っ込んでおく手筈だった。
それなのに、どうして。
「アイナ・ラティウス嬢の目撃情報が広がったんだよ。なんとなくわかるだろ」
そう言われてしまうと、納得するほかない。
この学園では、女性は目立つ。女子が来てるぞ! と瞬く間に話が広がるのだ。
公爵家のアイナであれば、名前付きで情報が拡散される。
しかも、アイナが予定より早く到着したため、邪魔になりそうな奴らを隔離する前に話が広がってしまい……。
大体そんな流れだろう。
「僕の読みが足りなかった……。……ん?」
視線を感じて顔を上げる。
僕らより少し先を歩くアイナは、男三人に囲まれて怯え、僕に助けを求めていた。
――今すぐアイナのそばに行き、男共を引きはがそう。
そう思うと同時に身体が動いた。
前を歩く四人に追いつき、割り込み、アイナを守り、他の男を追い払う。
そこまで済ませてから、大丈夫かとアイナに声をかけた。
安心させたはずの彼女は……ぷるぷると震えながら、僕とは反対の方向に顔を向けていた。
「一度離れてもらえると、助かるかなって……」
「え?」
……離れる? なんのことだろうと考えながら、状況を確認し、気が付く。
「…………あっ」
アイナの肩を抱き、ぐいっと自分の方へ引き寄せていたことに。
咄嗟に彼女を解放し、少しだけ距離を取る。
既に離れてしまった体温や香りが、とても愛おしく感じられた。
六人で学園を進む。
他の男たちから僕の話を聞き、アイナは驚いたり笑ったりしている。
アイナが楽しそうなら、それでいい。……と言いたいところだけど、二人の時間を邪魔されたことについては、純粋に腹が立つ。
アイナが見ていない隙に男同士で争い、無駄な体力を使った。
***
「皆さん、本日はありがとうございました。……ジークベルト様を、よろしくお願いします」
別れの時間が近づく頃、アイナが僕らに向かって微笑んだ。
少し冷たくなった風が通り抜け、彼女の髪が揺れる。
オレンジ色の光を受けたそれは、柔らかく輝いていた。
彼女の後ろでは、噴水から流れる水がキラキラと反射して……それはもう、とても美しい光景だった。
他の男たちが息を飲む中、僕は「夫を心配する妻のようだ……」と別の方向に感動していた。
四人とは噴水の前で別れ、アイナと二人で正門へ向かった。
彼女が門をくぐったら、今日はお別れだ。
もちろん、僕からも会いにいくつもりだけど……残される側になると、いつもとは違う寂しさを感じた。
またね。彼女はそう言って、僕から離れていく。
咄嗟に腕を掴んで引き止めれば、アイナは少し驚いたような顔で振り向いた。
掴んだ腕は、男のそれより柔らかくて、細い。
このまま自分の方に引っ張って、腕に閉じ込めてしまいたい。
額に、頬に。彼女の色々な場所に、手や唇で触れたい。
そうしたいと、ずっと前から思っている。
でも、12歳のとき、頬へキスをして逃げられてしまったことを思うと、勇気が出ない。
またあんな風に驚かせ、避けられてしまうぐらいなら――今はまだ、我慢しよう。
「アイナ、僕が卒業するまで……」
なら言葉だけでもと思ったけれど、それ以上続けることができなかった。
卒業するまでのあと2年、待っていて欲しい。
そして、少しは大人に近づけたと思えたら、『親や家が決めた婚約者』から、互いに望んで共にある二人になりたい。
そう言いたいのに、勇気が出なかった。
「……卒業するまでの残り2年も、ちゃんと君に会いに行く。だから、待っていて欲しい」
結局、いつもと同じようなことしか言えないまま、学園を出るアイナを見送った。
***
学園見学から少し経った頃、いつも通りに帰省した。
まずはラティウス邸に行き、馬車からおりる。
珍しく、アイナは既に外にいた。こちらに駆け寄ってくるのがわかる。
「アイナ、ひさしぶ、り……」
久しぶりだね。元気にしていたかい?
そう続けるはずだったのに、何も言えなくなる。
どうしてって、アイナが僕に飛びつき、両腕を使ってぎゅっと抱きしめてきたからだ。
さらには、甘い声で僕の名前を口にし、肩に顔を埋めてくる。
……僕は、夢でも見ているんだろうか。
突然すぎる幸福を前に、ただ硬直することしかできない。
「ジークからも、ぎゅって抱きしめるとか……」
少し拗ねたような声で、彼女からの追撃。
…………僕からも抱きしめていいんだね?
実際にそうしてみれば、恥ずかしいのか、アイナは少しだけ身じろぎした。
それでも離さずにいると、身体を預けてくれた。
名前を呼んでから、彼女の額に触れるだけのキスを落とす。
3年前、頬にキスした僕を避けた彼女は――水色の瞳を細めて、嬉しそうにふにゃりと笑った。
ああ、受け入れてもらえたんだ。
そう理解して、より強くアイナを抱きしめた。
そのあとは、痛いと言われて慌てて彼女を解放したり、もう一度抱き合おうとしたり、そこまでの流れをアイナの母に目撃されたりした。
昼食はアイナの手料理だったけど、メインのチキンは盛大に焦げていて。彼女の動揺が料理からも伝わってきて、とても愛おしかった。
食後の散歩中、今日のことを父親にまで知られたら、恥ずかしくて家を出てしまいたくなると彼女が言う。
僕はあまり気にしないけど、アイナはああいった場面を人に見られたくないんだろう。
人前でべたべたしすぎないよう、気を付けたい。
それにしても、今日はとてもいい日だ。
アイナが僕に抱き着いてきて、愛情たっぷりに名前を呼んできて、額へのキスも受け入れてくれた。
記念日にしたいぐらいに素晴らしい日だ。
そう思っていたのに、
「こんな人と婚約したはずじゃなかったのに……って思ったりしなかった?」
「こんな風に変わるなら、違う人がよかったなあと思ったことはない?」
アイナから予想外すぎる言葉が飛び出す。
たしかに、様子がおかしいと感じたこともあった。
でも、色々な事をきっかけに、人は変わる。
そのくらいの認識だったし、今のアイナのことだって大好きだ。
だから、「こんなはずじゃなかった」なんて思ったことはない。
必死に否定すれば、彼女はしっかり頷いてくれた。
アイナ、そんな心配はいらないよ。僕は君のことが大好きなんだよ。幼い頃から、君だけを見てきたんだよ。
そう示してきたつもりだったけど、いまいち伝わっていなかった。
あまりのことに、胃が痛くなってきた。
僕とは対照的に、アイナはどこかすっきりとした様子で「ジーク、ありがとう」と笑顔を向けてくれた。
痛いのが心なのか胃なのかよくわからなくなってきた僕と、心配しておろおろするアイナ。
大丈夫だと何度も伝えれば、彼女は僕の手を取って、
「じゃあ、いこっか!」
と軽い足取りで歩みだす。
アイナ。たしかに君は、幼いころとは少し違うのかもしれない。
でも、僕が好きだと思ったアイナ・ラティウスは、今もここにいる。
「こういう感じは、ずっと変わらないね」
「ジーク?」
「君は君だなあって話」
次回から番外編が3話続きます。
ようやく好きな子に届いたジークに、祝福と胃痛への労わりの☆などいただけますと……。嬉しい……とても嬉しいです……!
番外編
末っ子同士のジークとアイナ
まだ美少女妖精さんだった8歳のジークが女装させられるお話
男だらけの学園でだんだん雑になっていくジーク など
番外編終了後は16歳編へ。




