8 私の選ぶ道
学園見学から数日。
私はリディとオルマリアに、学園でのことを報告していた。
今日はリディの家に集まっているため、謎の置物に囲まれて話している。
ジークベルトは他の学生とも上手くやっているようだとか、本当に男子学生しかいなかったとか、女性というだけで注目されてしまうとか。
特にまとめもせず、思い出したことから口にした。
二人とも学園に興味があるようで、時折、質問と回答も織り交ぜつつ、穏やかに時間が過ぎていく。
なのに、説明不足な私の言葉で、場の空気が凍った。
「早く着きすぎたから一人でふらふらしていたら、ジークベルト様が女の人と二人でお茶をしているところを見ちゃって……」
「えっ……」
「二人でお茶……?」
友人たちの表情が引きつったことに気が付き、慌てて付け足した。
「違うの! 従姉! 従姉だったの! 私も最初はびっくりしたけど、近くに住んでるいとこのお姉さんに会ってただけだから!」
「お茶のお相手はジークベルト様の従姉で、浮気現場ではなかった……ということですね?」
「う、うわきげんば……!?」
リディが発した言葉に衝撃が走る。
そっ……か……? もしも本当に、私に隠れて他の女性とどうこうしていたなら、浮気ってことになるんだ……?
「う、う、浮気なんて、あの人がそんなことするわけ……。二人で先に会っていたのも、私を案内する前に女性目線の意見をもらうためだったらしいし、後ろめたいことなんて、なにも……。ジークが他の人を好きになって、私に秘密で会ってるなんて、そんな、こと…………」
自分で言っててつらくなってきた。
もしも、彼の気持ちが他の誰かに向いたら。
婚約者の私とは別に、真に愛する人ができてしまったら。
そんなの……絶対に嫌だ。想像すらしたくないぐらいに、嫌だ。
「あれ……?」
いつだったか、私は彼が他の人を好きになればいいと思っていた。
そうすれば彼との婚約を解消して、自分の好きに生きることができるって。そんな風に考えていた。
今も同じ気持ちなら、彼の隣に別の女性がいたって嫌じゃないはずだ。
むしろ、喜ばしいことのはずで……。
「んん……?」
今までしっかり向き合っていなかったものに、手が届きそうで、届かない。
謎の感覚に頭を悩ませていると、
「やっぱりアイナ様は、ジークベルト様のことが大好きなんですのね!」
大変盛り上がった様子のオルマリアが、こげ茶色の瞳を輝かせてそう言った。
「……? だいすき……?」
「ジークベルト様のことが大好きだから、そんなにも辛そうなお顔をしていらっしゃるのですよね? 誤解だとわかっても! 他の女性と過ごす姿を思い出すだけで! 胸が痛むぐらいには! アイナ様は、ジークベルト様のことがだいす」
「マリー。少し静かにして」
どんどん盛り上がっていくオルマリアの口を、リディが手で押さえた。
「だい……すき……。すき……。すき……? 私が、ジークを、好き…………? 大好き……?」
「ア、アイナ様……? まさか、本当に気が付かずにここまで……?」
流石に、気が付いていると思っていました……。
リディが小さく呟いた。
「私は、ジークのことが……大好き……?」
「少なくとも、私たちはそう思っていました」
「えっ……あ……。私、ジークの、こと……」
そこまで口にしたら、動きも思考もとまった。
すっかり固まってしまった私は、リディとオルマリアの手で家に帰されてしまうのだった。
帰宅後は、使用人の手で自室のベッドに突っ込まれ、一人にされた。
柔らかな毛布にくるまって、考えてみる。
友人とのやりとり。『浮気現場』を目撃したときのこと。その後の気持ちの動き。
それから、私とジークベルトのこれまでについて。
そうして考えれば考えるほど、彼への想いがはっきりしてくる。
ジークベルトは、優しくて、頭もよくて……。
見た目はかっこよくなってきたけれど、私にお願いするときの顔は昔のままで、可愛いところも残っている。
離れ離れになってしまうと寂しくて。
彼が帰ってきたときは、走って会いに行きたくなる。
手料理を食べたいなんて言われたら、怖いのに断れなくて。
美味しいものを作らなきゃと必死になった。
喜んでもらえると、もっともっと上手になりたいと思えた。
彼の気持ちが他の人にあるのかもしれないと思ったとき、足元がぐらついて、世界が真っ黒に塗りつぶされた。
誤解だってわかって安心したけれど、あの光景を思い出すと、今も胸が痛くなる。
肩を抱いて引き寄せられたら、恥ずかしいけど嫌じゃなくて……。
一緒にいると、この人の隣にいたいって気持ちになったり……。
自分のことばかり優先して、彼に向き合えていないと感じると、自分が嫌になって……。
彼に寂しい思いをさせたくないし、傷つけたくないとも思う。
私にはまだ見せてくれない表情も知りたいし、できることなら、全部を独り占めしたい。
その気になれば、まだまだ出てくる。
これは……。私、彼のことを……。
「すごく、好きなんじゃ……?」
この気持ちに名前をつけるなら、
「すき」
これが、最もふさわしいのだろう。
ぽつりとこぼれた言葉が、じんわりと胸にしみ込んでいく。
確かにそこにあったのに、しっかりと向き合ってこなかった自分の気持ち。
それにようやく名前がついて、はっきりとした形を持って、私の中に落ち着いた。
「好き……。そっか、私、好きだったんだ。あの人のこと」
思えば、12歳のときには既に、彼のことが好きだったのかもしれない。
けれど、18歳まで生きた記憶もある私からすれば、12歳は子供だ。恋愛対象にはできなかった。
でも、今は彼も15歳。背も伸び、身体つきもしっかりしてきて、顏だって大人っぽくなった。
子供だからダメだという理由では、自分の気持ちを抑えることはできない。
私が「アイナ」としてここにいていいのかどうか。そこに関しては、今もあまり自信がない。
どう生きたいのかも、まだぼんやりしている。
でも、確かだと言えるものがある。
「私は……ジークのことが好き。あの人を、他の誰かに渡したくない」
自分の中で、1番強くて、確かな気持ちはこれだ。
なら、私が選ぶべき道は決まっている。
私は、彼の幼馴染の「アイナ」とは違う存在かもしれない。
だからって、身を引くなんてもう無理だ。
だって、他でもない「私」が彼のことを大好きなんだから。
***
今日は、ジークベルトが帰ってくる日。
約束の時間には少し早いけど、なんだかじっとしていられなくて、外でうろうろそわそわと彼を待っている。
しばらくそうしていると、1台の馬車がラティウス邸にやってきた。
あれは……間違いない。シュナイフォード家のものだ。
停止した馬車から、ジークベルトがゆっくりとおりてくる。
学園見学から2週間も経っていないから、見た目なんて特に変わっていないはず。
なのに、前よりずっとかっこよく見えた。
少しでも早く、彼に会いたい。話したい。近くで顔が見たい。
そんな気持ちから、気がつけば、ジークベルトに向かって駆け出していた。
「アイナ、ひさしぶ、り……」
彼の目の前まで来ても、私はとまれない。ううん、とまろうと思わなかった。
勢いのままに飛びつけば、彼はしっかりと私を受け止めてくれる。
両手を彼の背に回し、少し強めに、大好きな人を抱きしめた。
「ジーク、おかえりなさい!」




