2 恵まれてるってわかってる それでも
「ジーク!」
「なんだい、アイナ」
「見て見て!」
ラティウス邸の庭にて。
今よりも少し幼い「アイナ」は木の上のほうを指差した。
「……鳥の巣がある」
私が見て欲しかったものを、彼も見つけてくれた。
鳥の巣があって、卵でも温めているのか、小鳥もそこにいたのだ。
「ねえジーク、あそこまで登って、もっと近くで見れないかな?」
「うーん……」
ジークベルトはちょっと考える様子を見せてから、小さく首を横に振った。
「近づくことはできるだろうけど……。やめておこう、アイナ」
「どうして?」
「小鳥たちの邪魔をしてしまうかもしれないからね。ここから眺めるだけにしよう」
ジークベルトがそう言うから、私はちょっとしゅんとしながらも「うん」と答えた。
鳥の巣をもっと近くで見たいとは思う。
けれど、彼の言う通りだと思った。
ジークは優しくて賢い、私の大切な幼馴染で、婚約者だった。
このときの私は、このまま彼と結婚して、幸せになるんだと思っていた。
***
頭を打ったあの日から一か月ほどが経ち、私は自分の身に起きたことを理解しつつあった。
自分自身や周囲の人や物のことを、わかっているはずなのに、わからない。
資料集で見たとか、「テレビ」の中の風景みたいとか、身の回りの全てが物語の世界のように見えてしまうあの感覚。
加えて、ベッドに入って目を閉じると、ものすごい勢いで何かが頭の中に流れ込んでくるのだ。
こんな生活を続けた結果、毎晩のように頭に叩きつけられるあれは、前世の記憶なのでは、と気が付いた。
今と前世の記憶が混じって混乱しているのだとすれば、今いる場所が物語の世界のように見えてしまうことにも説明がつく……気がする。
なんだかよくわからないけど、頭を打ったときに記憶の回路が開いたとか、そういう感じなのだと思う。
徐々に取り戻しつつある記憶によれば、私の前世は、日本に住む18歳の女子高生だった。
自分が置かれた環境に不満があって、大学受験を機に外へ飛び出そうとしていた。
塾なんてすぐ行ける場所にはなかったから、参考書やネット講座を使って勉強し、入試直前の模試では第一志望B判定。
絶対大丈夫とは言えなかったけど、受かる可能性はそれなりにあったと思う。
模試の結果を突っ込んだカバンを自転車のカゴに入れ、早く家に帰って最後の追い込みをするぞと気合を入れてペダルをこいだ。
家に辿り着く前に事故に遭い、私の人生は幕を閉じた。
最期に抱いた気持ちは、「何もできないまま終わるのか」という強い無念だった。
そんな無念が残っているのだから、即死ではなかったようだ。
そうして18歳で生涯を終えた私は、西洋チックな世界のご令嬢として転生していた。
私の得意教科は世界史だったけど、こんな国や歴史は知らない。
私が元いた場所とは別の世界なんだろう。
志半ばで人生を終えたと思ったら西洋風の世界に転生していました! なんてとても信じられる話ではない……のだけど、実際そうなってしまっている。
10歳の私、アイナは長く美しい金髪に、水色の瞳の少女だ。
前世に比べれば随分と可愛らしくなったと思う。
……男の子のジークベルトの方が可愛いのが、ちょっと悔しいけれど。
アイナはこの国トップクラスの身分の人間として生まれ、周囲の人々にも恵まれていた。
この世界でラティウス家の娘として生きることに、なんの疑問も感じていなかった。
でも、今は違う。
「アイナ様、そろそろジークベルト様とのお約束の時間になります。こちらのお召し物に着替えましょう」
「……はい」
今、私はラティウス邸の自室にいた。
これからジークベルトが遊びに来ることになっている。
既に身に着けている服だって十分に上等なのに、ジークベルトのために更にいいものに着替える必要があるらしい。
庶民の記憶が蘇った私からすると、正直かなり面倒だ。コルセットもものすごく邪魔。
あらゆることをメイドがやってくれるのもなんだか落ち着かない。
そうしてせっかく綺麗にしてもらっても、ジークベルトと上手く接することができない。
「やあ、アイナ」
「ジーク……」
時間通りにやってきたジークベルトが、私に向かって笑いかける。
以前の私だったら、彼に笑顔を返し、挨拶もそこそこに遊び始めたんだろう。
でも、今は。
他人行儀にお辞儀をし、客間でお茶を出し、少し話して帰らせる。
私も色々と困っているけど、彼だって突然こんな対応をされてわけがわからないはずだ。
「アイナ、また来るよ」
「……うん」
それでもジークベルトは、必ず「また来る」と言う。
落ち着くまで来なくてもいいのに。そう思う私と、彼の言葉を嬉しく感じる私がいた。
***
こんな感じで、あらゆる人に対して不自然な態度を取るようになってしまった。
身近な人だと感じると同時に、異世界の人たちという見方もしてしまい、どうしたらいいのかわからないのだ。
前世の記憶もあって、今の生活に違和感もある。
そんな私は、本当に「アイナ」なのかな。
自分が誰なのかもよくわからないのに、公爵家の娘として過ごし、王様の親戚――つまりは王族の一員であるジークベルトと結婚なんてしていいのか、とも感じる。
前世のことを思い出す前は、ジークベルトのことを素敵な婚約者だと思っていた。
きっと、恋もしていた。
でも、18歳の記憶もある私からすると、10歳は子供だ。
恋愛や結婚をする相手だと思うのは難しい。
そんな私じゃなくて、他の……。ご令嬢や妻として振る舞えて、彼を愛することができる人と一緒になった方がいいんじゃないかと思う。
なら婚約解消でもすればいいのかもしれないけど、それもできないでいる。
「はあ……」
ぎこちない笑顔でジークベルトを見送った私は、自室のベッドに飛び込もうとして、止まった。
ゆっくりしたいけど、この服のままじゃベッドで休んだりできない。
メイドに手伝ってもらって楽な服に着替え、今度こそ、柔らかなマットレスに身を任せた。
「距離を置くようにしてるけど、来るんだよね……」
あの日から、私はジークベルトとの接触を控えていた。……控えようとしていた。
けど、優しい彼は数日おきに顔を出してくれる。
きっと、「アイナ」は彼に愛されているのだろう。
このままここにいれば、私は恵まれた女の子として生きることができる。
それは今の私にもよくわかった。
でも、私の中には違う世界を求めてもがき、何も達成できずに亡くなった18歳の女子高生もいる。それも、西洋っぽい世界の公爵令嬢とは程遠い、日本の庶民。
今の私は、公爵令嬢として振る舞うことに苦痛に感じ、自分が誰なのかもわからなくて、ジークベルトと結婚していいのかと悩んでる。
そして――
「自分の居場所、人生……生き方を、自分で選びたい」
ベッドに横になったまま天井に向かって手を伸ばし、呟いた。
何故だか、強くそう思う。
私が自分でそう思っているのか、前世の記憶に思わされているのか。
そんなの、もうわからない。
でも、このまま過ごしたってもやもやし続けるだけだってことは理解できた。
ならどうするかっていうと……。
「色々やって、見て、学んで、自分が納得できる道を探す、とか……?」
掲げていた手を、ぱたん、とベッドに戻した。
今の私じゃあ、どうしたらいいのかわからない。
それに、実年齢10歳の子供にできることもそう多くはないだろう。
「決めるのは後にして、色々試しつつ、しばらく様子見、で……」
横になっていたら、なんだかうとうとしてきた。
ここ最近でようやく落ち着いてきたものの、ベッドに入ると記憶が流れこんでくるものだから、基本的に睡眠不足なのだ。
欲求に従い、ふかふかのお布団とシーツの間に身体を滑り込ませる。
柔らかくてあったかい寝具に包まれながら目を閉じてしまえば、今回はすんなり眠ることができた。