5 ジーク視点 学園では、嫁大好き人間としての地位を確立しつつある
「ようこそおいでくださいました、ジークベルト様」
ラティウス家の使用人に恭しく出迎えられ、婚約者の家に足を踏み入れた。
今日は、約1か月ぶりに学園を離れたところだった。
学園を出て最初に向かうのは、自宅ではなくラティウス家。
道順の都合もあるけれど、まずはアイナに会いたいと思うからこうしている。
それなりの距離を移動するため、到着時間は多少前後する。
アイナもそれを知っているから、外や玄関で僕を待ち続けることはしない。
早くアイナに会いたかった僕は、自分の足で彼女の元へ向かうことにした。
その途中、僕はアイナと衝突した。
「いたた……」
「ジーク!」
自分より小さな女の子が相手とはいえ、勢いよく走ってこられてしまうと、支えきることはできず。
情けないことに、アイナと一緒に転倒してしまった。
「アイナ……。元気みたいだね……」
アイナが上で、僕が下。
彼女と重なるようにして倒れた僕のお腹のあたりに、なにやら柔らかい感触。
その正体に気が付きながらも視線をやれば、むぎゅう、と、まあ、その……あるものが、僕に押し付けられていた。
なんとなく分かっていたけど、大きい。
アイナから視線を外し、意識も違うほうへ向けようと努力する。
事故でぶつかっただけの彼女の感触を楽しむなんて、ダメだ。紳士はそんなことしない。
けれど、意識しないようにと思えば思うほどに、彼女の柔らかさや香りが届いてくる。
もうダメだ。アイナ、早くどいて欲しい。
自分は男だという自覚のある僕から、今すぐ離れて欲しい。
アイナはといえば、
「ジークは? 元気だった?」
男の上に乗ったまま、普通に話を続けようとする。
この状況……とんでもなく辛い。
「とりあえず、どいてくれるかな……?」
そう言えば、何がどうなっているのかようやく気が付いたようで、アイナは素早く僕の上からどいた。
気まずそうに明後日の方向を見る彼女と、同じく気まずい僕。
ごめんと言おうかと思ったけど、勢いよく飛び出してきたのはアイナのほうだし、僕が謝るのも変な気がした。
様子を伺うようにこちらを見上げた彼女が、あ、と小さく声を漏らした。
「……ジーク、また背が伸びたんじゃない?」
「ん? ああ、そうだね。前に会ったときより伸びたと思うよ」
同年代の男だらけの空間にいるから、あまり意識していなかった。
でも、月に1度会えるかどうかの女の子には、背が伸びたのがわかるみたいだ。
「かっこよくなったなあ……」
「……!」
いつの間にか、僕よりも頭の位置が低くなったアイナ。
彼女は、じいっと僕を見上げ、感心したようにそう言った。
好きな子に「かっこいい」と言ってもらえたことが嬉しくてたまらない。
……可愛い可愛いと言われて暮らしてきたから、余計にそう感じるのだろう。
成長期に入った今は、このままかっこよくなるだろうと言われることが多い。
けど、年齢1桁の頃からそう言ってくれたのは、リッカおばあ様ぐらいだった。
なんでも、自分の夫……僕から見た祖父の幼少期によく似ているから、いい男になると確信していたそうだ。
こんなことを話してみたら、彼女は僕の祖父母に興味を持ってしまった。
色々と話したって、特に問題にはならない。
でも、ちょっとした訳があって、あまり気乗りしなかった。
だから、先に休ませて欲しいと言って、祖父母の話を無理やり終了させた。
***
僕の食事も兼ねたお茶の時間が始まった。
公爵家というだけあって、僕らの前には見た目も味も素晴らしい食べ物が並べられている。
その中に、ハート型のクッキーが混ざっていた。
こういうのは珍しいな、ぐらいの気持ちで手に取り、口に運ぶ。
普段僕に出されるものとは少し違うけど、素朴で優しい味わいが手作りっぽくていい。
思った通りのことをアイナに言ってみたら、どうしてか、彼女は顔を赤くして俯いた。
手作り感のあるクッキーを美味しいと言ったら、目の前に座る彼女が頬を染めた。
「……アイナ? もしかして、これ、君が……?」
「……うん。ジークには食べさせないって言ってあったんだけど……。誰かが勝手に出しちゃったみたいで……」
じーくには、たべさせない……? それは、どうして……?
ジークには、ってことは、他の人には食べさせているのだろうか。
他の人はよくて婚約者の僕はダメって、かなりショックだ。
「素人の私が作ったものをあなたに出すのはちょっと……。しかも、ちゃんとしたお菓子と並べてなんて」
アイナの言うことも理解できる。
逆の立場だったら、僕も同じように考えるだろう。
でも、僕は……! 僕は、アイナが作ったお菓子やご飯を食べたい。
聞けば、クッキー以外のものも作れるそうだ。
アイナが作ったものを食べたい一心で、「僕にも食べさせて」とお願いする。
学園で男だらけの生活をしているから、好きな子の手料理への憧れが強くなっているのもしれない。
必死に頼み込めば、彼女は僕のお願いを聞いてくれた。
***
次に帰省したとき、約束通り、アイナが手料理をふるまってくれた。
メニューは、パン、チキンステーキ、ミネストローネ、サラダの4品。
まだ一口も食べていないけど、もうこの時点で最高だ。
彼女のオススメでもあるチキンを小さく切り、口に運ぶ。
生焼けじゃないし、皮はパリパリだし、下味がつけてあるのもわかるし、ソースだって美味しい。本当に……本当に最高だ。
雑な男子学生が集まって、雑に作った夜食とは違う。
男だけの空間特有の雑さも悪くないけど、アイナの丁寧な仕事に涙が出そうになる。
また食べたいとねだってみたら、いいよ、とアイナが頷く。
ああ、次の帰省も楽しみで仕方がない。
食休みを挟んだら、庭へ散歩に出た。
アイナと並んで花畑に腰をおろすと、心地よさで眠くなってきた。思い切って、仰向けに寝転がる。
あまり褒められたことではないけれど、ここは婚約者の家で、隣にいるのはアイナなんだから、これくらいは構わないだろう。
このまま寝てしまおうかな、なんて考えていたとき、アイナが僕の名前を口にした。
なんだい、と答えると、アイナはどこか言いにくそうに、
「学校より、こっちの方が……地元や実家の方が、居心地がよかったりする?」
と聞いてきた。
アイナや家族がそばにいると落ち着くのは確かだ。自分の気持ちのままに答えると、「そう……」と暗い声色で返される。
……あれ? もしかして、学園に居づらいから頻繁に帰省していると思われている……?
僕としては、僕が帰る場所は君の隣なんだとアピールしているつもりだった。
どうやら、彼女には上手く伝わっていなかったようだ。
勢いをつけて起き上がり、彼女の肩を掴む。
君に会いに来ているんだと必死に伝えると、彼女は「わかった」と答えた。
……本当に、わかっているんだろうか。
***
彼女の手作りクッキーを食べたあの日から、半年ほど経っていた。
以前はできれば月に1度帰るぐらいの気持ちだったけど、ここ最近は、意地でも毎月帰省している。
何故なら――
「アイナ、今日のメニューは?」
「出てくるまでのお楽しみ!」
得意げにするアイナが可愛くて仕方ないからだ。
元から努力家なこともあり、アイナの料理の腕は確実に上がっていた。
彼女なら、公爵家から追放されたってやっていけそうだ。……そんなことにはならないし、させないけれど。
向上心があるのは、アイナのいいところだ。
中には、努力なんてしたがらない人もいる。
どう過ごすかは本人の自由だし、僕の目には映らない努力の形だって存在する。
だから、努力しない人間はダメだと踏みつけることはできないし、点数をつけることだってできない。
特に女性は行動を制限されていることもあるから、あの子はなにもしないなんて、勝手な評価をしたくない。
でも……そういったことを承知のうえで、僕はアイナの頑張り屋なところも好きだった。
幼い頃の彼女はもっと自由で、のんびりしていたような気もする。
僕が最初に好きになったのは、その頃のアイナだ。
けれど、成長し、真面目で努力家な面も見せるようになった今のアイナのことだって、とても好ましく思う。
アイナの努力をたたえたい。
そんな気持ちから、君なら料理人を目指せそうだと言ってみた。
するとどうしてか、アイナはびしっと固まって、そのまま動かなくなった。
「……アイナ? 僕、なにかまずいことを言ったかな?」
「ち、違うの! なんでもないから、冷めちゃう前に食べよう?」
今、僕らの前にあるのはデザートのブリュレだ。
だから、冷めるもなにもないのだけど……。
どうしたのかと問い詰める気はない。
でも、彼女があそこまで動揺した理由はわからず、帰りの馬車の中で首を傾げることになるのだった。




