4 他の誰かに気づかされること
ジークベルトが私の手作りクッキーを食べてしまったあの日から、約半年。
「アイナ、今日のメニューは?」
「出てくるまでのお楽しみ!」
最初は怖くて仕方がなかった私も、今では自宅のダイニングでふんぞり返っている。
どうせ食べてもらうなら美味しいものを、と考えて特訓しているうちに、ふふんと胸を張れる腕前になってしまった。
……といっても、貴族のお嬢さんにしてはずいぶん上手いね、ってぐらいだけど。
一度で出せる品数も増え、最近はコース料理に近いものだって提供できる。
調理を担当した私も一緒に食べるから、配膳の順番は通常と異なる。
作りたてが美味しいものは先に。後から温めることができるもの、冷めても構わないものなどが後だ。
今回、最初に出すのはビーフステーキ。
料理長から作り方を教えてもらった、ラティウス家特製ソースを使った一品だ。
ちなみに、私はつい先ほどまでこのお肉を焼いていたため、王族を前にした公爵令嬢とは思えない格好をしている。
本当なら、もう少しそれらしい見た目にしたいところだけど……出来立てを一緒に食べたい気持ちの方が強い。
だって――
「美味しい……。美味しいよ、アイナ……」
ステーキを口にした彼が、心底嬉しいといった様子で美味しいと繰り返す。
目の前のこの人がこんなにも喜んでくれるのだから、着替えている暇なんてない。
二人での食事会は、和やかに進んでいく。
デザートのブリュレが出てきたところで、彼がこう言った。
「帰ってくるたびに腕を上げてるね。君なら料理人を目指せるんじゃないかって思えるぐらいだよ」
「っ……!」
「……アイナ?」
びしっと固まった私を、ジークベルトが心配そうに見つめてくる。
彼の言葉を嬉しく思いたいのに、ありがとうと返したいのに。さあっと血の気が引くような感覚に陥った。
「……僕、なにかまずいことを言ったかな?」
「ち、違うの! なんでもないから、冷めちゃう前に食べよう?」
「う、うん……」
彼はいまいち納得していないようだったけど、それ以上つつかずに引き下がってくれた。
せっかくジークベルトが来ているのに、以降の私は、彼と目を合わせることができなかった。
***
最初は、「ちょっとやってみようかな」ぐらいの気持ちで、簡単なお菓子を作っただけだった。
自分でご飯を作れるようになれば、色々と安心だし。
それが、ジークベルトのおねだりをきっかけに、真剣に練習するようになって、プロの指導のもとでどんどん腕が上がって。
喜ぶジークベルトを見ているうちに、料理人としてやっていけるかも、なんて考えるようになっていた。
将来は自分のレストランを開いちゃおうって妄想だってした。
そんなことだから、料理人を目指せそうだと言われたとき、ぎくっとした。
公爵家の娘、王族の婚約者としての立場を維持しながら、違う人生を歩むイメージを捨てられずにいる。
それを彼に見透かされたような気がして、心臓が嫌な音をたてた。
「…………いい加減、どうするか決めないと」
***
「そういった妄想ぐらいでしたら、わたくしもたまに」
「私もです」
12歳で社交の場に復帰したことをきっかけに、親友だったリディとの交流も復活。
さらには、私とジークベルトの仲を応援し続けるオルマリアとも親しくなれた。
同年代の男子が不在なこともあり、女子三人で過ごす時間が増えていたりする。
今日なんて、私の家でお泊まり会を開催中だ。
すごく楽しみにしていたはずなのに、この女子会を心から楽しむことができずにいた。
原因は……ジークベルトに会ったときのあれだ。
夕食の時間になってもぼうっとしていたから、二人を心配させてしまった。
このままでいるよりは、理由を話した方がいいのかもしれない。
そう思い、夕食後には悩みを打ち明けた。もちろん、前世のことは伏せつつだ。
そうして二人から返ってきた反応は、わかるわかるそういう妄想するよね、ぐらいのものだった。
「……二人も、家を出て違う自分になっちゃおうって考えたりするの?」
「もちろんです! わたくしは、シュナイフォード家に仕えるメイドになろうと思ったことがありますの。そして、夫婦となったお二人を間近で見まも……」
「私は……。そうですね、上手く絵が描けたとき、画家として名をはせる自分の姿を想像したりします」
「……そっか。そうなんだ」
前世の記憶がある私とは違い、彼女たちは正真正銘貴族のお嬢さんのはずだ。
そんな人であっても、同じようなことを考えるらしい。
「シュナイフォード家にお仕えするのは難しいと、理解しております。でも、妄想するぐらいは許していただけるはずです! 考えるだけなら、誰にも迷惑をかけませんもの!」
「たった今、考えるだけの域から飛び出したわよ。それも、アイナ様ご本人の前で」
「えっ、あっ……!」
私たちの背景は異なる。
だから、その妄想が持つ意味合いも変わってくるのだろうけど――
「アイナ様……さきほどのわたくしの発言は、なかったことにしていただければと……」
「気にしないで、マリー。二人も私と似たようなことを考えるんだってわかって、安心できたから。……メイドがどうって話は、ちょっと驚いたけど」
家を出て、今とは違う暮らしをする。そんな想像をすることは、珍しいことでもないようだ。
それがわかって、胸が軽くなった。
話したことで楽になった私は、婚約者に関する心配事についても相談することにした。
私と家族に会うために帰省していると本人は話していたけど、やっぱり心配だ。
最初の1年ぐらいは身内が恋しいのかもしれないけど、彼はあと数か月で3年生になる。
それなのに、頻度が高くなったというか……意地でも毎月帰ってくるようになった。
「……あれでも王族だし、学園に馴染めてないのかな」
そこまで話すと、リディとオルマリアは無言で私を見つめたあと、二人で顔を見合わせた。
それから、こちらに向き直り、
「それは……ええと……」
「……流石にジークベルト様に同情します」
オルマリアは戸惑った様子で、リディは静かに目を閉じてそう言った。
「アイナ様。ジークベルト様は、アイナ様のことを、心から……」
「待って、マリー。ここで話してもなにも変わらないわ」
リディが深く息を吐き、金の瞳でまっすぐに私をとらえた。
「アイナ様。学園を見学されるのはいかがでしょう」
「見学?」
「はい。基本的には関係者以外立ち入り禁止となっていますが、アイナ様であれば、見学の許可がおりるはずです。ジークベルト様が学園でどう過ごされているのか、実際に見てみるのもよいかと」
「そっか……。私が自分で確認すればいいんだ。許可してもらえるよう、学園に掛け合ってみる!」
親族や婚約者であれば学園に入れてもらえることもあるって話は、なんとなく知っていた。
それなのに、どうして思いつかなかったんだろう。
お泊まり会終了後、見学を希望する旨を学園に伝えた。
王族の婚約者で公爵家の娘という立場だからか、あっさり許可がおり、とんとん拍子で話が進んでいく。
もちろんジークベルトにも連絡済みで、彼からは「学園で会うのを楽しみにしている」といった内容の手紙をもらった。
「男子校みたいな場所でのジーク……。どういう感じなんだろう」
心配から始まったことだけど、学生として過ごす彼の姿を見ることができると思うとわくわくした。




