3 一緒にいると、美味しいし、心地いい
更に時は経ち、ついにそのときがやってきた。
「わあ……!」
ラティウス邸のダイニングにて。
私の手料理を前に、ジークベルトが瞳を輝かせていた。
若い二人の邪魔はしないと言って、両親は先に食事を済ませている。
今日のメニューは、具のない丸いパン、チキンステーキ、ミネストローネ、サラダの4品。
これらは、ラティウス家総出で話し合って決めたランチメニューだ。
豪勢とは言えないけれど、最初から難易度の高いものを何品も作ろうとして失敗するよりは……という話になり、失敗しにくいものを、少なめの品数で用意することになったのだ。
4品を一度にテーブルに並べれば、それなりに見える気がした。
「アイナ、オススメは?」
彼が声を弾ませる。今のところ、がっかりされてないみたいだ。
でも、問題は味。逃げたくなる気持ちを抑えつけながら、彼の質問に答えた。
「えっと……チキン、かな……?」
「わかった。じゃあいただくよ」
「う、うん」
前世では料理なんてほとんどしたことがなくて、アイナとして暮らす今だって、つい最近始めたばかりだ。
そんな私が、婚約者に手料理を食べさせることになるとは。
彼はどんな表情をするんだろう。私が作ったご飯を食べて、なんて言うんだろう。
全く落ち着かなくて、自分の食事に手をつけず、彼の様子をうかがってしまう。
彼がチキンを一口。
じっくりとお肉を味わうその人を、祈るような気持ちで見つめていた。
「…………」
最初の一口は飲み込んだのに、ジークベルトは何も言ってくれない。
「……口に合わなかった?」
おそるおそる聞いてみると、彼は無言で首を横に振る。
それから、長く息を吐いた。肺の空気が全部出ていそうだ。
「あの、ジーク?」
「……ごめん。嬉しくて、つい」
「そ、っか……?」
「あ、君が気にしているのは、僕がどう感じているかだよね。もちろん、美味しいよ」
「本当に……?」
「……プロが用意したものとは違うかもしれない。でも、君が作ってくれたって事実が最高のスパイスになるし、それを差し引いたって、すごく丁寧で、美味しくできていると思う。焼き加減もいいし、皮だってパリパリだ」
そう話す彼は本当に嬉しそうで、とても嘘を言っているようには見えない。
とにかく褒めればいいと思っているわけでもなさそうで、彼の言葉を信じることができた。
安心した私もチキンを食べてみる。
このメニューにすると決めてから何度も練習し、飽きるほど同じものを食べてきた。なのに、これまでよりずっとずっと美味しく感じられた。
ジークベルトの言う『最高のスパイス』って、こういうことなのかな。
食事が終わると、彼は「また食べたい……」と可愛らしくお願いしてきた。
彼の反応に気をよくしてしまった私がオーケーすると、彼は「やった!」と子供みたいに喜んだ。
……おねだりするときのあの顔を、狙ってやっているのかと聞く勇気はない。
***
食休みまで済んだら、二人で庭を散歩した。
途中、彼が花畑に腰をおろしたから、私も隣に並ぶ。
柔らかな風を受け、私の髪が揺れる。
誘われるようにして目を閉じれば、さわさわと葉がこすれる音を拾うことができた。
次は瞼を持ち上げて、空を見る。
どこまでも続く水色の中に、白い塊がぽつぽつと。あんまりにもゆっくりと流れるものだから、なんだか眠たくなってきた。
「……あったかい」
「そうだね」
短く、けれど穏やかにそう言うと、彼は草花でできた絨毯に転がった。
……そういえば、小さい頃はここで一緒に過ごすことが多かったっけ。
あまり来なくなったのは、私が前世の記憶を取り戻してからだ。
あれから5年。
前世の年齢に近づいてきて、今の生活を自然なものとして受け入れつつあった。
けれど、本当にこれでいいのかなって気持ちは残っている。
私はまだ、自分はアイナ・ラティウスだと胸を張ることができずにいた。
大学受験直前に人生を終えたときの無念も、心の中でくすぶっている。
結局、こう生きることを自分で選んだ、自分で決めたんだと思えないと、私の心は納得しないのだろう。
……でも、こうしてこの人の隣にいると、ここにいたいって思えてくる。
ジークベルトが学校に通い始めたら、よくても数か月に一度しか会えないと思っていた。
そうしたら、今までよりずっと寂しい気持ちになるんだろうなって。そう考えると、怖かった。
だから、毎月に近いペースで帰ってきてもらえてとても嬉しいし、助かっている。
そう、本当に嬉しい助かるのだけど……。そうやって頻繁に帰省する彼のことが、ちょっと心配だったりする。
「……ジーク」
「なんだい、アイナ」
すっかり安心した様子のジークベルトが、少し眠そうに私の名前を口にする。
この人がその手の苦労をするとも考えにくいけれど、万が一ってこともある。
「……もしかして、なんだけど」
「うん……?」
「学校より、こっちの方が……地元や実家の方が、居心地がよかったりする?」
学校に居場所がないのか、と直球で聞くことはできなかった。
「え? うん、まあ……? 君のそばや実家が落ち着くのは確かだけど」
「そう……」
「……アイナ? きみ、まさか……。もしかして、何も伝わって……なかっ……」
少しの間をおいてジークベルトが起き上がり、私の正面へ移動してから両手で肩を掴んでくる。
「アイナ、よく聞いて。学校に居づらいわけじゃない。僕は、きみ…………と、家族に会いたくて帰ってきてる。学校にも居場所はある。けれど帰ってくる。無理のない程度に。でも、なるべく多く。期間を開けすぎずに。君と、自分の家族に、会うために。わかったね?」
この人にしては珍しく、ぐっと顔を近づけて必死になっている。
勢いに押されながらも、
「う、うん……わかった……」
と返せば、私の肩から手を離してくれた。
「アイナ。また君に会いに来るからね。食事も楽しみにしてる」
帰り際、彼は私の手をぎゅっと握りながらそう言った。
この日から、彼の帰省時は私が遅めの昼食を用意するようになる。
料理に割く時間も増え、めきめきと腕が上がっていくのだった。




