2 きっかけは、1枚のクッキーだった
休憩も兼ねたお茶会が始まった。
この人は、帰省時、自分の家よりも先にうちに顔を出す。
学園からのルート的に、ラティウス邸を先にした方がスムーズに移動できるのだ。
だからうちが先で、自分の家が後なんだろう。
今は、ちょうどおやつ時。
朝から移動していたジークベルトのために、お腹が膨れるものも用意している。
サンドイッチ、スコーンといった軽食に、美味しい紅茶。
いわゆるアフタヌーンティーに近い。
美味しいものを食べながら、離れているあいだの出来事を報告し合うこの時間を……私は、好きだなあって……思ってて……楽しみにしていたはず……なんだけど……。
「…………」
あるものの存在に気が付いてしまい、私の心臓はばくばくと音をたてていた。
穏やかなティータイムのはずが、嫌な汗が吹き出しそうになってくる。
どうしてって、昨日の私が焼いたクッキーもテーブルに並べられていたからだ。
ひと月ほど前から、私は料理に挑戦している。
メイドが休憩時間に焼いたお菓子をわけてもらって、作り方を教わり、自分でも挑戦してみた。
それをきっかけに料理に興味を持ち、簡単なものなら作れるようになっていた。
そうした流れで、昨日も空き時間にクッキーを焼いた。
そのときのクッキーが……何故かジークベルトの前にあった。
たしかに、「ジークベルト様にお出ししてみては?」と言われたけれど、無理だと断ったはず。
素人が作ったお菓子を王族に食べさせるとか、なかなかつらいものがある。
クッキーを口にした彼に「あれ? これだけ美味しくないね」なんて言われたらと思うと……。本当に無理だ。
彼に食べられる前に、下げてしまおう。
そう思っていたのに、
「あっ……」
目の前のその人が、クッキーをぱくっと食べてしまった。しかも、ハートの形にしてあったものを。
「……これ」
「っ……!」
1枚食べ終えたジークベルトが、なにか言おうとしている。
どんな言葉が飛び出すのかわからなくて、怖くて仕方がない。
「誰かの手作りかい?」
「えっ、と……」
「こういう、素朴で優しい味のお菓子もいいね。美味しいよ。高級なものとはまた違ったよさがある」
「そ、そう……? そっかあ……」
美味しい。その一言で、心がすっと軽くなる。
最初に安心して、次に嬉しさやってきて、そのあとは恥ずかしくなってきた。
私が望んだわけじゃないけど、婚約者に手作りクッキー……それもハート型のものを食べさせて、美味しいよと笑顔を向けられて……。
少し俯くと、向かいに座る彼が軽く首を傾げた。
「アイナ? もしかして、これ、君が……?」
「……うん。ジークには食べさせないって言ってあったんだけど……。誰かが勝手に出しちゃったみたいで……」
「えっ……。僕には食べさせないって、どうして……」
「素人の私が作ったものをあなたに出すのはちょっと……。しかも、ちゃんとしたお菓子と並べてなんて」
ああ、そうだよね。王族相手に出しにくいよね。
そんな風に返されると思い、笑顔を作って顔をあげる。
私の視界に入った彼――王族の1人、ジークベルト・シュナイフォードは、
「気にしなくていいから……。素人とか僕の立場とか他と比べてどうとか気にしなくていいから、僕にも食べさせて……」
そう言いながら片手を額にあて、小さく肩を震わせていた。
「あの、ジーク……?」
「…………クッキー以外にも、なにか作ったりするのかい?」
「う、うん。焼き菓子は何種類か作ったかな……? あとは……丸パンは意外と簡単だったかも」
「他には」
「え、ええっと……? お肉を焼いてみたり……?」
彼の声は、いつもより低い。
目の前のこの人は、怒ってるわけじゃない。でも、問い詰められているような気分になってくる。
彼は額にあてていた手をテーブルにおき、ふう、と小さく息を吐く。
「アイナ」
「は、はい……」
「……僕も食べたい」
「え?」
「僕も、君の手料理を食べたい……」
「で、でも、本当に素人だし、ジークの口になんて合うはずな」
「食べたい。さっきのクッキー、美味しかったよ。大丈夫。口に合う」
「あの」
「アイナ…………」
黒い瞳を潤ませ、眉を下げ、じいっとこちらを見つめてくる。
お願い事をする子犬みたいな、弱々しい表情。
15歳になり、身長も伸び、身体つきもしっかりしてきたと思ったらこれだ。
子犬とは呼べない見た目になってきたし、女の子みたいな愛らしさも抜けてきた。
凛々しい男性へと変化しつつあるはずなのに……。きゅう、と寂しげなわんちゃんが背後に見える。
「……その顔、やめ……」
「……ダメ?」
「っ……! …………わかりました。今日はこうして軽食が用意してあるから……次に会うときでいい?」
「!! もちろん。ありがとう。楽しみにしているよ」
さっきまでしょんぼりしていたはずの彼が、ぱあっと表情を明るくする。
瞳をうるうるさせた悲し気な子犬から、ちぎれそうなぐらいに尻尾を振る幸せな子に変わった……そんな気がした。
私は、この表情の変化に弱い。
***
彼と約束をしたあの日から、数週間。
ついに、次に会う日が決まってしまった。
こちらにやってくる日程が書かれた手紙に対して、それで大丈夫だと返事を送った。
日程的に大丈夫なのは本当だけど、精神的には大丈夫じゃない。
ジークベルトに手料理を出すことが決まってから、美味しいものを作るために慌てて練習した。
両親、料理の先生でもある屋敷の料理人、居合わせた使用人などに味見とアドバイスをしてもらい、前よりは腕も上がったはずだ。
でも、腕が上がったといったって、料理なんてしたことのなかった人が少し練習しただけなわけで……。
王族の舌を満足させるなんて、できるはずがない。
ジークベルトは優しい人だから、不味いとは言ってこないと思う。
でも、美味しいと嘘を言わせてしまうとか、無理に笑顔を作らせたりするのは、なんとなく嫌だ。
気を遣わせるのが嫌なら、やっぱり無理だと言えばいい。
ただ、そんなことをしたら、ショックを受けたあの人が「いいんだ……無理を言ったのは僕のほうだから……」としょんぼりする姿が想像できる。
「練習、頑張ろう……」
断るのも逃げるのも無理なら、なるべく美味しいものを用意するしかない。




