9 取り乱す公爵令嬢
リディと一緒に会場を抜け出し、安堵から小さく息を吐く。
ここも庭の一部だけど、会場から離れてしまえば人はほとんどいない。
「ありがとう、リディ」
助けだしてくれた「友人」にそう伝えれば、彼女はくすくすと楽しそうに笑う。
「アイナ様は、意外と押しに弱いのですよね」
「そ、そんなことは……」
「でも、私が割って入らなかったら、あのまま囲まれていたのでは?」
「……」
それを言われてしまうと反論できない。
リディ・カンタールという人は、表ではクールで、なんでもそつなくこなすご令嬢。
洗練された動作に、気品のある微笑み。
頭を使うことも身体を使うことも、同年代女子の中では相当にできる方。
輝く銀髪に金の釣り目が、ちょっと冷たい印象を与える。
でも、親しい人の前では、こうやって普通の女の子みたいな笑顔を見せてくれる。
「……みんな、アイナ様とお話したかったのでしょうね。ここ数年、あまりお会いできなかったものですから」
10歳のあのときまで、私には親しいと言える人がいた。
顔を合わせたときにお話しするぐらいの相手なら、もっとたくさん。
……なのに、自分が誰なのかわからなくなってしまった私は、彼女たちから逃げた。
それでも、たまに現れる私と話そうとしてくれる子もいる。
特に、目の前にいるリディはそうだ。
「私もお話したいと思っていました。シュナイフォード家でお茶会が開かれると聞いて、アイナ様にお会いできると楽しみにしていたんです」
そう言って微笑む彼女は、どこか寂しそうで。
なんとなく居心地が悪くなって、彼女から目をそらす。
こんな顔をさせたのは自分だって現実を、見たくなかったのかもしれない。
「アイナ様。以前のように一緒に遊んだりすることは……もうできないのでしょうか。私は……またあなたと楽しく過ごせるって……そう思って、ずっと……」
「っ……」
そこまで話し、リディは俯いた。
前世と今が混ざってしまった私は、彼女が知っている「アイナ」じゃない。
なんとなく顔を合わせにくくて、幼い頃からの友人知人との接触を避けていた。
それに、こうして話すと自分がとてもひどい人間のように思えてきて……どうしたらいいか、わからなくなってしまう。
10歳の公爵令嬢アイナのことを知らない人、できれば貴族じゃない人と接していたい。
自宅とシュナイフォード家を往復して、たまに町へ出る。そんな風に過ごしたい。
……その方が、楽なんだ。
でも……。
「リディ、私……」
言葉を続けようとした、そのとき。
「あ、あっちに行ってくださいまし!」
女の子の声と、がさがさと葉っぱや木の枝がこすれる音がした。発生源は、すぐ近くの生垣の向こう。
私とリディが、揃って音のした方を見る。
もう何も聞こえないし、草木が揺れる様子もない。
どうしようかと思っていると、リディがすっと動き出し、無慈悲に生垣の裏を覗いた。
「あなた……!」
リディは、そこにいる人物のことを知っているようだ。
私もリディに続く。覗いた先には、顔を引きつらせる女の子がいた。
私より色素の濃い金髪に、瞳は……茶色や黒っぽい感じ。
会ったことがあるような、そうでもないような……。
ちゃんと思い出せないけど、ここにいるってことは、彼女もどこかのご令嬢なんだろう。
「立ち聞きなんて、ずいぶんな趣味をお持ちなのね? オルマリアさん」
オルマリア……。
ああ、ラウリーニ伯爵家のお嬢さん……かな?
ちょっときつい女の子だって、どこかで聞いたことがある。
名前はわかった。けど、私と彼女に交友関係はなかったはずだ。
私が知る限りでは、リディと仲がいいわけでもない。
それなのに、なんでこんなところにいるんだろう。
「それで? どうしてここに?」
「っ……!」
リディが低い声で問いかける。
身分差に寛容な国とはいえ上下関係はあるし、相手が誰であっても、立ち聞きは褒められたことじゃない。
リディが冷たくなるのも無理はないだろう。
……クールなご令嬢として通っているから、冷たく演じている面もあると思う。
対するオルマリアも逃げ出さず、気丈にリディを睨み返す。
無言で睨み合う2人。
流れに乗り損ねる私。どうしてこんなことに……。
このままだと、女の子同士の争いが始まりそうだ。
私によくしてくれるリディと、可愛いお嬢さんが言い合う姿はあまり見たくない。
他の人もいないし、私が仲裁に入るしか……。
「リディ、オルマリアさん。一度落ち着い、て…………ひっ!? ひゃ、ひゃ、ひっ、ひひっ……」
ご令嬢だけの空間とは思えない声が響く。声の主は、この場で一番身分が高い私だ。
「アイナ様?」
「むむむむ、むし、むしむし……むし……むしが……」
むし わりとおっきくて かたそうなやつ
むしが むしがドレスに むしが
つの あ つのがはえてる
りっぱな つの
くわ? かぶ? なに?
「あら、先程こちらに向かってきた虫さん……?」
「む、むし、むしむしむし……たす、たすけ……」
「……失礼します」
ドレスについたむし リディがとった
とって にがした
にがした……にがした?
「……ありがとう、リディ。取らせてしまってごめんなさい」
「いえ。アイナ様が正気を失う姿を見るのは久々でしたから、少し面白かったぐらいです」
リディがしれっと言い放つ。
虫を取ってくれたことには心から感謝しているけど、こちらは本気で怯えていたのだから、面白がらないで欲しい。
でも、この場にリディがいてくれて本当によかった……。
彼女はクールで美しく、知的な雰囲気のお嬢さん。
冷静な彼女は、虫や爬虫類を掴んで逃がすことだってできるのだ。
むんずと掴むのは私には無理だから、リディがここにいてくれて本当に助かった。
面白かったは余計だけど、本当に、本当にありがとう……。
リディがいなかったら、私はきっと、もっと長い時間を壊れたおもちゃとして過ごしていた。




