8 公爵家の娘で、王族の婚約者
「アイナ、アイナ」
「……」
「アイナー……。聞こえてないね?」
「……」
私は気が付いてなかったけれど、そんなやりとりがあったそうだ。
「ひゃうっ!?」
夢中になって本を読んでいた私の肩に、ぽん、となにかが触れる。
驚いて振り返ると、困り顔のジークベルトが立っていた。
「アイナ、ちょっと聞いて欲しいんだけど」
「ひゃい……」
本日は晴天。
……にも関わらず、私は今日もシュナイフォード家の書庫にこもっていた。
ジークベルトもいつでもおいでと言ってくれるし、婚約者2人の仲がいいのはよいことだからと両家にも許可されている。
だから問題はないはずだけど、思春期の男女2人が黙々と本を読む会ばかり開催されているのは、なにかが違うのでは……って気もしている。
「……お茶会?」
「そう。お茶会。年の近い人を集めて、うちで開くんだ。君も来てくれると嬉しいのだけど」
落ち着いた私の正面に座り、ジークベルトが話し出す。
お茶会、舞踏会、お祝いのパーティー……。
そういった催しは、私のような身分の人とって特に珍しいものでもない。
私も10歳までは普通に出席していたし、そういった集まりで出会った子と友達になったりもした。
でも、ただの女子高生だった記憶が戻ってからは、進んで参加する気にはなれなくなっていた。
庶民として暮らした記憶もある人が上流階級の集まりに参加するって、なかなかハードルが高い。
全く出席していなかったわけじゃないけれど、参加する回数は確実に減っていた。
今生の両親は娘に甘く、私が嫌だと言えば無理にやらせようとはしない。
逆に、やりたいと言ったことに関してはできる範囲で協力してくれる。
……たとえそれが、公爵家の娘らしくないことでも。
由緒あるラティウス公爵家がそれでいいのかな、と感じることもある。
でも、私はそんな両親に甘えていた。
甘いことを除いても、社交の場へ引きずりだされない理由は2つあると思う。
1つ目は、跡取り息子である兄が、そういったものをこなしていること。
2つ目は、私にはジークベルトという婚約者がいること。
嫌がる私を無理やり外に出さなくたってラティウス家はやっていけるし、ジークベルトがいるのだから、私のお相手を探す必要もない。
……そうやって理由を探してみたけれど、結局、1番は娘に甘いからだと思う。
元は庶民だったから合わない、堅苦しくて嫌なだけなら慣れてしまえばよかったのだろうけど、他にも、そういった場に出たくないわけがあった。
だから、シュナイフォード家でお茶会を開くと言われてドキっとした。
婚約者の家で開くんじゃ、私が不参加ってわけにはいかないなって。
「君がこういった催しを好きじゃないのはわかってるんだけど……。僕の家で開くのに、婚約者不在はあまりよくなくてね。それから……君に会いたいって人も、何人か」
ジークベルトがどこか申し訳なさそうに言う。
わがままを言って逃げているのは私。
ジークベルトは何も間違っていないし、悪いこともしていない。
ここで嫌だと主張し続けるのはダメだ。
12歳になった今も、私は自分が誰なのかよくわかっていない。
でも……アイナ・ラティウスはこの人の婚約者なんだ。
なら、返す言葉は決まっている。
「……参加します、ジーク」
「いいのかい?」
「うん。私はあなたの婚約者だから」
私がそう言えば、ジークベルトはほっとしたような顔をしたあと、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、アイナ」
***
勉強、レッスン、外出、ジークベルトに会う……。
いつも通りに過ごしているうちに、お茶会の日はあっという間にやってきた。
シュナイフォード家主催の会に出席するのは初めてのことじゃない。
でも……。
「わ、わあ……」
庶民の感覚も持つ私は、何度見たって「す、すご……」みたいな気持ちになってしまう。
普段はその一画でお茶を飲んだりしている中庭に、たくさんの人。
華やかな衣装、美しく咲き誇る花々……。
お茶会というだけあって食べ物はデザート類が多いけど、食事になるものも用意されている。
ちなみに、シュナイフォード家はデザートが特に美味しいと評判だ。
すっごく綺麗だし、美味しいものもたくさんの夢の空間って感じだけど、自分が放り込まれるとちょっと辛い。
でも、私はアイナ・ラティウスとしてこの場にいる。
水色のドレスに身を包んで髪もアップにし、見た目もそれっぽくした。
堂々としなければ。
頑張ろう……! と表には出さずに意気込んでいたとき、
「アイナ」
「ひゃわう!?」
急に後ろから声をかけられて、おかしな声を出してしまった。
声の主は、もちろんジークベルト。
彼は彼で、ちょっと驚いたような顔をしている。
「えっと……。そろそろ始まるから、僕と一緒にいてくれるかな?」
「は、はい……」
彼の言葉通り、間もなく開会が宣言された。
それからはとても忙しかった。
参加者が次々と私たち……正確にはジークベルトの元へ挨拶に来る。
美味しいお茶や食べ物が用意されているのに、飲み食いする暇なんてありはしない。
お茶会とだけ聞くとなんだか平和な感じだけど、この国の貴族や王族が行うそれは、子供同士の交流がメインのパーティーみたいなものだったりする。
座って温かいお茶を楽しむもよし、冷たい飲み物を手にしながら立って話すもよしで、過ごし方はわりと自由。
穏やかな季節であれば庭を使うことも多い。
交流の目的も、気の合う友人や仲間作りであったり、婚約相手探しであったり、コネクション作りであったりと色々だ。
個人的に集まってお茶を楽しむ場合もお茶会と呼んだりするから、文脈で判断しなくちゃいけない。
主催者側であり王族でもあるジークベルトは大忙し。
私も彼の隣で微笑みっぱなしで、頬の筋肉がぴくぴくしてくる。
余裕ある笑顔を絶やさず会話もこなす彼は、もっと大変なんだろう。
場が落ち着いてきたタイミングで、一度ジークベルトと離れた。
するとすぐに女の子たちに囲まれてしまい、円満の秘訣だとか、どうやってあの人を射止めたのかなんてことを色々と聞かれた。
身分的には私の方が上のはずなんだけど、思春期の女の子同士となるとあまり意識されないようだ。
彼女たちと話していると、見えてくるものがある。
私とジークベルトは、幼い頃から仲がいいと「評判」らしい。
そのため、ジークベルト・シュナイフォードは仲もよく家柄も申し分ないアイナ・ラティウスと婚約するのだろうと、早いうちから噂されていた。
ジークベルトは優秀で優しく、見た目も整った王族男子だから、彼との縁談を進めたい人はいくらでもいたはずだ。
でも、ほとんどの人は婚約が発表される前から諦めていた。
……私が彼の隣にいたから、諦めるしかなかったんだ。
そんな話を前々から知ってはいた。
でも、こうやって外に出て、貴族のお嬢さんたちと話すと心がぐらぐらし始める。
だからこういう場所は苦手。
それでも来てしまったのだから……辛くたって、閉会まで笑顔でやり過ごすしかない。
そんなとき、女の子たちの間に謎の隙間ができた。
1つの集団だったものが、きれいに2つに割れていく。
幅としては……1人なら楽に通れるぐらい。
その空間を堂々と進み、とある人が私の前にやってくる。
「アイナ様、少しお時間をいただけますか?」
「リディ……」
優雅に微笑み、凛と立つ彼女の名前はリディ・カンタール。
カンタール侯爵家の長女で、記憶を取り戻す前の私と一番親しかった子だ。
ちなみに私はリディの綺麗な銀髪に憧れて、銀色の絵の具をじっと見つめたことがある。
仲がよかったからこそ、接し方に悩む相手の1人だけど――
リディが私の目を見て頷く。
ここは、彼女に甘えさせてもらおう。




