知らないはずなのに、あなたは
お題「満月」より。
お題提供ありがとうございました!
「……あ」
外での公務を終え、馬車に乗りこむ直前。
ふと空を見上げると、まんまるな月が浮かんでいた。
位置はそれほど高くない。
まだ寒い時期だから、月や星が見えるようになるのも早いのだ。
「アイナは、気が付いているかな」
シュナイフォード邸に残してきた妻の姿を思い描き、馬車に乗りこんだ。
「おかえりなさい、ジーク」
「ただいま、アイナ」
玄関先で僕を迎えてくれた妻を軽く抱きしめ、額にキスを送る。
恥ずかしそうにしながらも、素直に受け入れてくれた。
帰宅後すぐに夕食をとり、少しだけ執務室にこもってから、夫婦の時間へ。
いつも通り並んでソファに腰掛けると、安堵やら幸福感やらで、疲れも緊張もゆっくりと溶かされていく。
ずっと前から好きだった人が、当たり前のように僕の隣に座り、ぴっとりと身体をくっつけてくれるこの時間は、何物にも代えがたい。
アイナとの談笑中に、ふと、帰宅前に見た光景を思い出す。
「そうだ。今日は満月だったよ」
「え? 本当?」
僕の言葉に、彼女は声を弾ませ、さっと立ち上がって急ぎ足でテラスへ向かう。
そうして喜ぶ姿も可愛いけれど、離れてしまった体温が、ちょっとだけ恋しかった。
ストールを手にとってから、僕も彼女に続く。
テラスに出れば、手すりに腕をおきながら、空を見上げるアイナの姿が。
「そのままだと冷えるよ」
「ありがとう、ジーク」
はしゃいだ彼女は、薄着のまま外に出てしまったから、その肩にそっとストールをかける。
アイナがこちらを振り返り、微笑む。彼女の金の髪が、さらりと揺れた。
少し薄めの、柔らかな色合いの金糸は、日の光の下でも、月明かりの下でも、変わらず美しい。
アイナとの付き合いは長く、一緒に暮らすようになってからだって、もう5年は経っている。
なのに、彼女の輝きに、笑顔に、何度だって心奪われてしまう。
あまりのきれいさにぼうっとしていると、「ジーク?」と心配そうに覗き込まれてしまった。
「いや、きれいだなと思って」
「うん。そうだね」
アイナに対して「きれいだ」と言ったつもりが、夜空に向けたものだと思われてしまった。
でも、そんなところも可愛いから構わない。
「ジークは上着、着ないの?」
「ん、ああ。僕は大丈夫だよ」
彼女の言う通り、僕は室内にいたときの格好のままだった。
僕も1枚ぐらい羽織るべきだったのかもしれないけれど、大切な妻を冷やしてはいけない、という思いが先行し、アイナのものしか持ってこなかった。
元々、僕はどちらかといえば暑がりな方だし、今は真冬というわけでもない。まあ問題ないだろう。
そう、思っていたのだけれど。
「じゃあ、こうしよっか」
いたずらっぽく笑う彼女が、僕の肩にストールをかける。
ここで終われば、今度はアイナが冷えてしまうから返却、になるところが――。
「これで大丈夫」
得意げにそう言う彼女は、僕の懐におさまっていた。
背中を僕にくっつけ、男の腕を自分のお腹にまわし、旦那で暖をとっていく姿勢である。
たしかに、これなら二人ともあたたかい。
「きみね……」
相変わらずな妻に、つい、小さく息が漏れてしまった。
同じようなことがあったのは、10代のときだったか。
僕の祖父母の家に遊びにいき、周辺を散歩していた際、雨が降ってきて。
大切な人を冷やしたくなかった僕は、彼女に自分の上着を渡そうとして、断られて。
そんなやりとりを何度か繰り返したあと、アイナは今のように僕の懐におさまった。
まだ10代半ばで、思春期真っただ中だった僕には過ぎる刺激で。
理性を保とうと、必死だったものだ。
でも、今は。
彼女との仲も深まり、結婚もした僕は、これくらいでは動揺しない。
もっとくっつけるよう腕を回しなおし、アイナを後ろから抱き込むことだってできるぐらいだ。
少しだけ力をいれて引き寄せれば、彼女も安心して身を預けてくれた。
こんな風に慣れはしたけれど、アイナへの想いは薄れない。
彼女を愛おしく想う気持ちは、10代の頃と変わらない……いや、むしろ増している。
こうして身を寄せ合って見上げる空は、いつもよりずっときれいで、特別なものだった。
「あっ……」
星が出てるね、なんて話している最中に、アイナがなにか思い出したような声を漏らす。
どうしたんだい、と聞くと、彼女は僕の腕に収まったまま向きを変え、視線を合わせ、静かに、けれど優しい声で、ゆっくりとこう言った。
「ねえ、ジーク。月が、きれいですね」
「アイナ……?」
たしかに、今宵の月はきれいだ。
でも、きれいですね、という言い方に、普段の彼女とは違うものを感じた。
アイナの方はといえば、ふふ、と楽しそうに笑みを漏らしている。
なんとなくだけれど、今の言葉にはなにか意味があるような気がした。
アイナがたまに話す、どこか遠い国のものなのかもしれない。
そうなると、僕には正確な意味も、上手い返しもわからない。
なら――
「……そう、だね。きみと見る月だから、特別にきれいだ」
わからないなりに、素直な気持ちをきみに返そう。
アイナの柔らかな髪を撫で、今度は向き合った状態で、彼女を抱きしめた。
きみがそばにいるから、こんなにも世界は美しく、あたたかいんだ。
アイナの手が、僕の背にまわされる。
「私ね。やっぱり、あなたのこと、大好き」
「……僕もだよ」
どちらともなく笑みが漏れ、微笑みあった。
***
「びっくりした……」
部屋に戻り、入浴中のジークベルトを待つ時間――今日は別々なのである――ベッドに横たわる私の心臓は、どっどっど、と音をたてていた。
日本人としての記憶も持つ私は、言うなら今だ! と、ここぞとばかりに「月がきれいですね」の一言を放ってしまった。
ジークベルトは、その言葉の意味など知らないのにだ。
だから、「死んでもいい」なんて返しが来るとは思っていなかったし、もし知っていたとしても、あまり口にして欲しくはない言葉だったから、それでよかった。
けれど彼は、「きみと見る月だから」と別の正解を口にした。
「素であの返しが出てくるんだ……」
そう、彼のあの言葉は、100%素なのである。
言葉の意味を知っていたとか、オーケーのときの返し方を調べたとか、そういうものではなく、心からの言葉なのだ。
愛されていることを実感し、恥ずかしさから枕に顔を突っ伏した。
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