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「この度はどうもご愁傷さまでした」と山本と名乗る刑事は言った。翔と山本は、死体安置場所をあとにし、別室にて今、事情聴取を受けている。よくマンガや映画で見る光景だが、違う点はいくつかあった。まず、お茶やコーヒーといったものはでない。またこの部屋にもなかば強制的な視線と言葉と行動を指し示す仕草でつれてこられた。考える時間や余地があったかと言われればそうではない。だから任意と言われればそうでないかもしれない。裏を返せば歓迎されていないのだ。それで結構。こちらにだって、聞きたいことは山程ある。だから来たのだ。
「亡くなられた坂本さんの事ですがあらためてご愁傷さまでした」
「ええ」
「心よりお悔やみ申し上げます」
「それで刑事さん。香奈恵は?一体なんでこんな事に?」
「詳しい事はわかりませんしお伝えすることも今の段階ではなんとも」テーブルを挟んで向かい合い、お互いの顔を見合ったまま通りいっぺんとうのやりとりがテーブル間を流れる。
「それにあなた、交際していたと言ってもただの部外者でしょ!」さすがに翔もこれには言い返す。
「そんな言い方って・・・・・・」しかし山本さんにはひびかないようだ。言葉がつづく。
「ともかく、私が聞きたいのは坂本さんの身辺調査です。あなたと生前の坂本さんが具体的にどういう関係だったのか。本当に交際していたのか。じっくりお聞かせねがえましょうか?」一瞬何を問われているのか翔には分からなかった。だから疑問符でかえした。
「と、言いますと?」しかし間髪入れず山本さんも返す。
「現場の状況から見て自殺とみて間違いはない。事件性はまずないでしょう」
「だったら?」
「現場に残された遺留品や痕跡を見る限り念のため事件の起こった原因を調査する可能性もでできたからです」
「わかりません。何が言いたいのか」
「・・・・・・」とまどっているのか。何か考えているのか。山本さんの表情からはこの沈黙の答えは見付からない。
「香奈恵の自殺の原因は仕事や人間関係。健康上の理由や分からないけれどもしかしたら、おれも付き合っているって言ってて自分でいうのもいやだけどさ」
「ええ。どうぞ。気にせず仰って下さい」
「将来に夢や希望が持てなくなったとかそういうことじゃないんですか?」
「仰る通りです。通常であれば私ども警察もそのように解釈し遺族の方々に遺体をお返しして終わります。事件性はありませんから」
「香奈恵の死はそうじゃないっていうんですか?」
いいえ。自殺です。現場の状況からみてほぼ間違いありません」
「じゃあ、なんだっていうんです?」山本さんは翔から視線をはずすことはしないが、それとは裏腹に質問には答えない。
「刑事さん。いい加減にして下さい。はっきりいってもらえませんか!事件性はない。自殺で間違いはない。でも再調査は必要。一体なんだっていうんですか?」
「つまりそのね・・・・・・」
「はい」
「亡くなられた坂本さんはストーカー被害にあわれていた可能性がある」
はっとして止まったまま翔は一瞬言葉を失い、すぐに我にかえり言葉をはっした。「ストーカー・・・・・・」しかし声に出したと思われたその言葉は、実際には声にはならず、翔の喉元でとどまったままだったのである。刑事は、戸惑う翔の事など気にもせず次の言葉を続ける。
「よってあなたにはストーカーの嫌疑がかかっている」
戸惑いが更に大きさを増した翔に、山本さんは次の言葉でおいうちをかけとどめをさした。
「さらにね、亡くなられた坂井香奈恵さんは自殺をする前に殺人をした可能性が浮上したんだ」
つまり・・・・・・は、おれは言われた意味は理解しているのにしっかりと言えたか言えないか分からない意識であえて訊く。山本さんは喰わせるように声高々に言う。「人を殺したって事だ」
おれは言葉につまる。奇妙な間が出来た。それを壊すように山本さんが、
「死者を悪く言うつもりは、これっぽっちもないが本当だとしたら、害者さん。相当の魂だぜ」
そう言って天に昇る仕草をした。
おれはこの言葉を聞いて山本(もはや「さん」をつけたくない感情である)につかみかかりそうになるのを必死でこらえた。公務執行妨害。この言葉が何故か不意に頭をよぎったし、頭も身体も正常な判断が出来ないと思ったからだ。頭が混乱している。日ごろの経験から言ってこういうときは余計な事をせず様子を見るに限る。おれの心強い本能と直感がそう告げていた。だから耐えた。耐えて耐えて必死で耐える。すでに椅子から立ち上がっていたおれは、ばつが悪そうに両手の握りこぶしをそのままに、何もなかったかのように座る。そして別の頭で考える。香奈恵には殺人の容疑がかかっていて、おれにはストーカーの嫌疑がかかっている。だから警察から疑われていて、こんな薄汚い世間から隔離された場所で取り調べを受けているのだと。