出会い、そして別れ
第7話
俺が3歳になったころ、豹族の子供が家に来た。褐色の肌に黒い髪を女の子だった。
「新しくこの家の一員になるカリナだ。カリナ、あいさつをしなさい」
父にそう紹介された豹びとの子供はしかし、見るからに警戒心をむき出しにしていた。
「心配しなくていいんだよ。ここでは君を傷つけるものはいない」
父はその子を安心させるように言った。
カリナは何とか声を出そうとするが、声は聞こえず、ただ口だけがもぞもぞと動いていた。
「どうもかなり手荒な扱いをされていたようでな。何とか所有者から買い取ったのだが、身寄りもないことだし無理に《北》に送るよりも家に置いておこうかと思う。環境に慣れるまでに時間がかかるかもしれんがダウム、よろしく頼む」
「承知しました。礼儀作法から剣術まで教え込むでよろしいですね」
ダウムは屋敷にいる使用人頭のような立場の犬族の男だ。歳は40前後で獣型のゴールデンレトリバー種らしく大柄な男だ。それと同時にダウムは剣術の師範クラスの腕前の持ち主だったので獣人たちに剣術を教える先生役もしていた。
俺はまだ幼いので教えてもらったことはないが、屋敷の一階の広間は道場として使われていて、いつも大勢の獣人がそこでダウムに剣術を習っていた。
「うん、それでいい。この子は今6歳らしいから、フェイトの相手としてちょうどいいと思う。それにちょっと気になることもあるし」
父親は最後のほうはカリナに聞かれないように小声になっていた。
「気になることですか」
「この子は豹族らしいのだ」
「なんと、あの豹族、しかも黒豹の一族ですか。それは珍しいですな。彼らは山奥の集落で暮らしていて滅多なことでは人里には近寄らないといわれています。しかし、豹族はほぼ獣型しか生まれないと聞いたことがありますがこの子は...」
「そう、この子は人型なんだ。それが原因でどうも親にも捨てられたらしい」
どこでも見た目の違いは一番の差別の要因だ。しかも単一で閉鎖的な社会ではその傾向が強くなる。しかしそれでも実の子供を捨てるなんて。
俺だって獣型の両親から生まれた人型の獣人だ。俺はこの子に同情するとともに親近感を覚えた。
「そういうことですか。しかし、黒豹の一族ですか。それは、わたしとしては教えがいがありますね」
黒豹族は非常に数が少ない。にもかかわらず黒豹族は歴史上、伝説的な剣士を幾人か生み出している、いわば獣人の名剣士の代名詞的な存在だ。
ずいぶんと遠い昔に感じるが、俺がこの世界に来るきっかけとなったあの店で手に取った黒猫の剣士の像のことを思い出した。いまにして思えばあの像は、あれは猫ではなくて豹だったのだろう。
「こんにちわ」
俺はカリナの前に立って右手を差し出した。
カリナは戸惑っていたが、おずおずとしながらも右手を出して俺と握手した。自分より小さな子供なのでさすがに警戒心が緩んだようだ。
「こんにちわ」
カリナはそれからぎこちないながらも笑顔を見せた。
これが俺とカリナの出会いだった。
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「なんでだよ!」
俺は父の書斎で父にむかって叫んでいた。
俺が父に向かってこんな態度をとったことはこれまで一度としてなかった。それだけに父は俺のただ事ではない様子に驚いた様子だった。
「どうしたんだいフェルト。いったいなんのことだい」
俺が怒っていたのにはもちろん理由がある。フエルがいなくなると聞いたからだ。
それは突然だった。
この日の朝、フエルが突然、俺に向かって別れを告げた。お嫁に行くことになった、と。
まったく予想していないことだった。しかも、誰の嫁に行くのかと聞いたら、フエルは相手の男のことをよく知らないと言った。
そんなの嫌だ、行かないでほしいと俺はフエルに懇願した。フエルはそれを聞いて悲しそうな顔をして、私も坊ちゃんと離れるのは寂しいですと言った。じゃあ行かないでよと言うと、困った顔をした。
「ごめんなさい」
フエルは言った。
「それはフエルの望んだことなのか?」
フエルの表情を見て俺は聞いた。
「相手の方はとてもいい方のようですと言った」
「そんなことを聞いてるんじゃないよ!フエルはそれを望んでるのかって聞いてるんだ!」
「それは……」
フエルはさらに困った顔をして少し笑った。
俺はすぐに父親の書斎に駆け込んだ。父が決めたことに違いないとなぜか思い込んでいた。
「どうしてフエルが出ていかなきゃなんないんだよ!」
「どういうことだ?」
「フエルが家を出るって、お嫁に行くって言ってる」
「ああ、そのことか」
父は俺が怒っている理由が分かったという風に頷いた。
「フエルもいい歳だからな。それにお相手の方もなかなかの好青年だ。私もよく知っているが向こうのご両親も立派な方々だ」
「だけどフエルの意思は?」
「もちろん確認したさ。そのうえでこの話を進めたんだ。私は何も無理強いはしないよ」
「本当に?」
「ああ、本当だとも」
「そんなこと信じられない!」
俺はそう言うと部屋を飛び出した。
俺は自分の部屋にとんぼ返りすると、フエルに言った。
「待ってほしい」
「え?」
「俺がフエルをお嫁さんにする。だから待ってほしい。あと7年、俺が10歳になるまで」
10歳で結婚はいくら獣人でも早い。だが、肉体的には十分成熟しているはずだし、そういった例が無い訳ではなかった。
「ねえ、フエル。ずっとそばにいてほしい。フエルじゃなきゃいやなんだ」
フエルは俺の言葉で顔を赤らめた。
傍から見たらすごい妙な光景だろうなとは思う。およそ3歳児と19歳の女性の会話ではない。だが、ここには今二人しかいない。いや、たとえ誰かいたとしても関係なかった。それほど真剣だった。いっそのこと俺の中身は3歳ではないと打ち明けようかと思った。この日ほど自分がまだ子供であることを恨んだことはなかった。
「坊ちゃんが大人になるころには私はもうおばさんになってますよ」
「そんなの関係ない。フエルじゃなきゃだめだ」
フエルはその言葉を聞いてうつむいた。そして手で目頭を押さえた。
フエルは喜んでくれている。俺はフエルの言葉を待った。
「ありがとうございます。とてもうれしい」
「じゃあ」
フエルはうなずいた。
俺はそれを見てフエルはずっとそばにいてくれるものだと信じた。だが、それは違った。
翌朝、屋敷の中にフエルの姿はなかった。俺は騙されたのだろうか。俺の外見が3歳だから軽く見られたのか。それとも俺を傷つけまいとしたのだろうか。
庭に出ていつもフエルが本を読んでくれていたあずまやのベンチに座った。
俺にとってここはフエルと俺との二人の場所だった。このあずまやに一人で座ることはあまりにも寂しかった。
晴れ渡った空からいつしか雨が降ってきた。静かに降り注ぐ細雨は庭の草木を濡らし、陽光に照らされて庭全体がまぶしく輝いていた。