この世界、この現実
第6話
俺はフエルの協力もあってすぐに読み書きに困らなくなった。生後半年くらいから自分で歩くこともできるようになったので、手当たり次第に家にある本を読んでいった。もちろんフエルがいるときはフエルに読んでもらうのだが。
そのおかげでだんだんとこの世界の状況が理解できるようになってきた。
俺が生まれた場所はガラシア大陸の南部にあるヴァーゴ共和国のカストールという街だ。ヴァーゴ共和国は南西諸国家を東西に結ぶ《黄色い道》と呼ばれる交易路の中心にある商業の発達した国で、カストールはその中でも最も栄えた商業都市である。
ヴァーゴ共和国は人口の8割が人間の人間の支配する国だ。この国で獣人の地位は非常に低い。この国の獣人は基本的に奴隷か、ごく少数の自由市民もいるが、あくまで権利の制限された二等市民のような扱いだ。
俺の両親は獣人だが、カストールの街では人間のふりをして暮らしていた。きつねびとは1種族独特の能力で化人の術が使える。それを使って人間として暮らしていたのだ。
両親は俺の前ではできる限り本来の獣人の姿で接していたが、たまに人間の姿になって会いに来ることがあった。最初のうちはそれが同一人物だと気が付かなかったほどだ。それがあるとき、父親が俺の目の前で人の姿から狐に戻ったことがあって、その時初めて二人が同一人物だと気づいたくらいだ。まあ、盛大に驚いたのは言うまでもない。
父親は街では貿易商をしていて家名を冠したグレイウッド商会という、祖父の起こした貿易会社を経営している。俺の家族のように人間の中に紛れ込んで生活しているきつねびとは結構いるらしくそのネットワークを使って商売をしていたのだ。商売は上手くいっていた。そのおかげで家はかなり裕福だった。
そして両親は人間相手の商売で蓄えた私財を使ってある裏の活動を行っていた。それは獣人の解放運動だ。
家族の暮らす屋敷には多くの獣人がいたのだが、表向きは家で働く奴隷であったり、使用人だった。だが、本当は奴隷として売り出されていた獣人を父が買い取って、北域にあるという獣人の自治区に送ってやっていた。
屋敷は街の富裕層の住む一角にあってひと際高い壁に囲まれていた。表向きは防犯対策だが、実際は家の中を人間に見られないためだ。その壁のお陰で屋敷の中では獣人たちは本来の姿でのびのびとすることができていた。我が家は言ってみれば獣人のオアシスであり解放運動の拠点であった。
そういったこともあって屋敷には両親が買い取ったり保護した獣人が入れ代り立ち代わりやってきては北域に出発する前の数週間を過ごしたので、つねにたくさんの、いろいろな種族の獣人がいた。
犬族や猫族はもちろん、牛族や羊族、またあまり人間の街には見ない熊族や虎族がいたこともあった。熊族や虎族は体格の良さもさることながら獣ベースの見た目なのでかなりの迫力だ。
獣人の見た目という話をしておくと、ある本によると熊や虎といった猛獣類が《祖》となる獣人の場合、基本的には獣ベースの見た目をしており、反対に牛や羊といった家畜類が《祖》の場合は人間ベースの見た目をしているらしい。 明確な法則や統計的な根拠がある訳ではないようだが、《祖》となる動物と人間との精神的な“近さ”のようなものが影響しているとされている。
ただ、これは絶対でもないようだった。この世界で一番人口の多い獣人の犬族は8割が人型と言われていて、二番目の猫族は人型は7割とか。
狐族の話をすると、狐族は7割近くが獣型だといわれている。そして俺のように両親が獣型から人型、もしくはその反対の人型の親から獣型の子供が生まれることは珍しくはないそうだ。
俺はずっと高い壁に囲まれたこの屋敷の中で何不自由なく育てられてきたので実際には見たことはないのだが、この世界の獣人の暮らしぶりはかなり厳しいようだ。俺の暮らしている南域では特にそのようだ。理由は高原と一番行き来しやすいのが南域だったせいで、歴史的に何度も獣人と人間との間に戦争があったし、竜の襲来によって発生した大量の獣人の難民の流れ込んだ先は南域が一番多かったため、南域の人間は獣人に対する警戒感が強いためだ。そのせいもあって強い差別意識にもつながっている。
そんな獣人たちにとって【天狐】はまさに彼らの境遇を救ってくれる文字通りの救世主であった。それが現れたのだ。
「坊ちゃんがまだ奥様おなかの中にいらっしゃるころに【光り輝く鷹】が現れたかと思うと奥様のおなかの中に吸い込まれていったのです。【光り輝く鷹】は【天弓】の精霊として知られています。それで【天狐】が誕生すると分かって、その時はほんとにもう大騒ぎだったんですよ」
フエルが当時の様子を教えてくれたことがあった。
幻獣が幻獣であることは、それぞれの種固有の【神器】に認められることが条件だ。【天狐】の場合はそれが【天弓】になる。俺にはその時の記憶があった。あの暗闇の中で見た光る鳥だ。
その中でも【天狐】は獣人全体にとって特別な存在だった。お年寄りの獣人などは俺の頬をさすりながら涙を流してまるで仏様でも拝むかのようにして感極まってしまうことがよくある。
『天狐生まれるとき、太陽がふたたび昇るであろう、他の幻獣たちもまた蘇り、けものびとは再び高原に集うであろう』
この世界の言葉を理解できるようになってからも幾度となく聞かされた。
そう、まさしくゲームの最初に出てきた言葉だ。この言葉を聞くたびにこれはゲームの中の世界なのだと実感する。だが、それと同時にこの世界で生を受けてこの世界で日々暮らしていると、そもそもこの世界がゲームである、ということがどういうことなのか分からなくなってくる。
この世界に来た最初のころはある日、目が覚めたらあのいつもの一人暮らしのワンルームの部屋に戻っていて、長い夢を見ていたような気分になるんじゃないかと思っていた。だけど、いつまで経ってもそんなことは起こらず、それどころか寝ても覚めてもこの世界はつねに、ゆるぎなく確固として俺の周囲に存在し続けている。
この世界がいわゆる“ヴァーチャル”なのか“リアル”なのかはよく分からない。だが少なくともシナリオはある。この世界において自分の人生はそのシナリオに沿って動いていく。そういう意味においてこの世界はゲームなんだとは理解している。