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クスノキエッセイ

私は今日、エタった小説を終わらせることにした

作者: クスノキ


 書けない。


 パソコンを立ち上げて、デスクトップにあるフォルダーを開いて、ワードのファイルを開く。

 開くのは書きかけの最新話と、小説のプロット。二つを見比べて、時折かつて投稿したっきりの作品を読んで、想像を膨らませる。かつての私がどんな設計図を書いていたかを思い出そうとする。


 部屋の中に響くのは、カシャカシャというキーボードの音。でも音はすぐに止んで、部屋に沈黙が訪れて、一時保存を押してファイルを閉じる。

 時間をかけて、書けた言葉は数百字。全く書けなかったこともある。


 今日は調子が悪いだけだ。まだイメージが湧いてないだけだ。そう思うことにして、時間を改めてまた書く。書こうとする。それでも書けないから日を改める。書けない。


 一度投稿した作品だ。完結したい。完結させてあげたい。完結させなければならない。私はこの物語の親なのだから。最後まで終わらせてあげたい。責任がある。

 けれど、いつしか私はその小説を書いていることが苦痛になってきた。


 書きたいテーマはある。描いたキャラクターに愛着はある。空想した結末は、私好みの終末だ。


 でも書けない。まるで枯れた泉から、無理やりに水を吸い出そうとしているかのようで、無駄なことをしている気分になる。


 苦しくて、辛くて、別の物語に逃げて。でもこの物語は頭から消えてくれない。投稿済み小説にある赤文字の「連載中」は消えてくれない。忘れるなと言わんばかりに、私の目に三文字が映る。


 だから。




 ――このエッセイを読んでいて、小説を投稿しているあなたたちに聞きたい。あなたたちは小説がどうしても書けなくなったことはありますか?




 私は今日、書けなくなった小説。エタらせていた小説を終わらせることにしました。



   ***   ***



   ***   ***



 「小説家になろう」には「エタる」という言葉があります。「エタる」のエタは永遠という意味の「エターナル」から来ているそうで、連載中でありながらも投稿されなくなった作品、永遠に完結しない作品という意味で、エタるという言葉が生まれたそうです。


 「小説家になろう」にはこのエタる作品、エタった作品が多いと聞きます。理由は人それぞれでしょう。試しに投稿してみたけど、やっぱり無理そうだったからやめた。執筆への興味が失せた。リアルの生活が忙しくなった。

 エタった作品がある隣で、頻繁に更新されている作品があったりもしますから、その作品を書く気が失せた、というのもあるのかもしれません。


 ひるがえって私はどうか。私は小説に関しては浮気性な方で、一つの作品に集中するよりもアイデアが浮かんでしまうとすぐに小説にしてしまいたくなる気質です。

 だから短編、中編はちょくちょく投稿するのですが、長編になるとさすがに気を使います。


 小説を投稿する以上、誰かが作品を読むことになる。それで続きを読みたいと思ってくだされば、作者には続きを書く義務(そこまでいくと言いすぎかもしれませんが)が生まれる。完結させなければならない。だからこそ、長編の投稿には慎重になります。

 物語を「空想」することと、「書く」ことは違います。長編を投稿しようと思ったら、空想を小説に落とし込んでみて、ある程度書けると判断したら、投稿します。


 実際、空想を「書く」に落とし込めなかった作品は多くて、パソコンの中には書きかけの小説が山ほど眠っています。


 空想を「書く」に落とし込めた作品は投稿する。ですが、「書く」ことと「書き続ける」はまた別物ではないかと最近思うようになりました。


 私が今連載している作品は三つ。一つは異世界もので、百部分を超えています。もう一つはデスゲームもので、二十部弱。

 そして四部で止まってしまっている作品が一つありました。


 もとより長く書くつもりはなかった作品。だから区切りのいい所で止めて、いつか書こうと思っていました。

 ……いいえ。白状しましょう。最初の区切りまで書いて、私は書けなくなったのです。書くことが楽しくなくなったのです。


 小説を書く行為を列車に例えましょう。列車そのものが物語で、中にいる人が乗客。レールが世界観です。

 空想を「書く」に落とし込むためにはまずレールを引いて、列車を作って、乗客を乗せなければいけません。そこまでが「書く」行為。なら「書き続ける」ために必要なものは、作者の情熱。燃料です。


 レールを引いて、列車を作って乗客を乗せて、列車を押して走り出すまでが「書く」ということ。「書き続ける」ためには列車を押し続ける燃料が必要になります。

 きっとその燃料は作者の熱意であったり、読者からの感想や応援であったりするのだと思います。かといって、読者にお願いこそすれど、感想を書けと要求したり、ポイントを入れろと命令するつもりはありません。どちらもエネルギーがいるものですし、まずもって読者の善意から成り立っている行為です。


 だから私が小説をエタらせてしまったのは、私自身のせいで、私のその作品への熱意が足りなかったからなのでしょう。

 私にはその作品を「書く」ことはできても、「書き続ける」ことはできなかった。


 至らない点が多くあったのでしょう。例えば、私が唯一長く連載している作品は、数か月書くことが止まっても、書き出したら楽しく書くことができます。続きが書けます。

 それはきっとレールがしっかりと組まれていて、列車が立派なものだからでしょう。私が初めて書いた小説の設定を下敷きにして、長い時間をかけて構想を練って、長い物語の結末では頭の中にある。モチーフにしたモデルになる作品がある。


 だから一度止まっても書き出せば、走り出します。きちんと世界を組み上げていれば、「書き続ける」ことは難しくないはずなのです。

 それを書けないということは、私が甘かったということです。物語のための世界を造れなかったということです。


 書き続けることができない。もちろん、それではいけないと、書こうと挑戦し、プロットを練りました。今まで投稿した話を改稿したりもしました。

 でもどうしても書けない。書くことが苦痛にしかならなかった。だからもうすっぱり諦めて、「連載中」を「完結済」に変えようと思うのです。


 私は作品の産みの親です。読者の方々がたくさんの応援をくれようと、作品の運命を決めるのは私です。私は、自分の作品を中途半端なままで放置したくない。ネグレクトはしたくない。だから、ここで終わり。作品に頭を下げて、終わらせようと思います。

 いつか書けるかもしれない。そのうち書こうと思うかもしれない。そう思い続ける限り、作品は終わりません。終われません。


 小説家になろうに投稿している方々には、プロを目指して投稿している方がたくさんいると思います。私のように、生活を豊かにするために、自分の小説を誰かに呼んでもらいたいという気持ちで投稿している人もたくさんいるでしょう。

 辛くても書くのだと思う人は立派だと思います。私にはできない。作品が書けなくて、他の作品を書くことまで書くことが苦しくなることが何より恐ろしい。


 甘えを捨てるためにも、作品のためにも、私は今日、一つの作品の永遠に終止符を打ちます。


 ごめんね、と作品につぶやいて。


 このエッセイを、作品への鎮魂歌にして。



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― 新着の感想 ―
[一言]  分かります。  「書けない」という状態が、小説を書く人間にとってどれだけストレスになるか。  なんで書けないんだろう。もしかして自分には才能が無いんじゃないのか。自分には、連載を完結させ…
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