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私を守る陰陽姫

 ──衣が燃え盛るその娘の姿が、亡き母の最期に重なって見えた。




 それは敦史が七歳のときだった。

 真夜中に、後宮の殿舎の一つである蘇芳舎、通称雷鳴(かんなり)壺から炎があがる。雷鳴壺の主は数世代前に臣籍降下した皇族の源家出身の女御で、今上帝との間に男児を一人儲けてはいた。それが敦史だ。外祖父にあたる母の父が既に亡くなっており、実家の後ろ楯がさほど強くないため、敦史が立坊する可能性はほぼなかった。

 七歳は子どもながらに多くを理解し始める年である。兄との扱いの違いや、父からの期待の無さ、何かに怯えるような母に気づくとともにそれらに苛立つことが増えた。特に、母や兄に素直になれず、敦史は随分とひねくれた可愛くない子どもだったと思う。

 その日も、兄の母である弘徽殿女御のもとで宴が開かれているのに、自分の母は招待すら受けていないことや、近頃は母のもとに姿を見せない父に苛立ち、その怒りを我が儘という形に表して乳母や母に当たり散らしていた。


 悪しき心は悪しきものを呼ぶ。


 彼の一番の後悔といえば自分がこのように生れたことであるが、この時に初めて、自分があまりに異質なものであると気づき絶望を覚えたのだ。

 敦史の怒り、憎み、恨む心が、異形のあやかしを招き、母を奪った。


 燃え盛る雷鳴壺から乳母の手によって救いだされた敦史は、自分の背後で崩れ落ちた建物の中にまだ母がいることに恐れ以上の何かを感じて叫んだ。その叫び声にすら、あやかしは呼応して炎とともに踊り狂った。

 真っ赤な光の中で、母の白い肌が異様に輝いて見える。聞こえないはずの母の声が耳元て煩く響いていた。それは毎夜のように母が敦史に言い聞かせていたものだ

──心静かに過ごしなさい。お前は国津(くにつ)の最後の末裔。お前の強き願いに、あやかしたちが悦ばぬように。あやかしたちに、お前自身を飲み込まれぬように。

 意味がわからない、と敦史は思っていた。敦史は皇族で、皇族は天津神(あまつがみ)の血を引いていると言われる。国津の、まつろわぬ民の血を引いているわけがなかった。ましてや、あやかしを呼び寄せるなどと…

 しかし敦史こそが間違っていた。敦史が癇癪を起こして我が儘を言う度に母は怯えていた。それにすら苛立った。けれど、そのせいで母は…母は…

 炎は後宮全体に広がっていった。図らずも敦史は復讐を遂げたような形になる。この火災で、母だけでなく弘徽殿女御も亡くなったのだ。


 母の過失の火災ではないが、出火元は雷鳴壺。あやかしの姿を目撃した女房たちの噂話。そして、無傷の敦史の呆然とした姿。

 いまや人々の誰しもが思っている。


 第二皇子敦史親王はあやかしを呼ぶ力を持つ、鬼呼びの皇子だと。







 あの火災以来、敦史は自分達力が出てしまわぬように、極力感情の揺れを押さえていた。けれども時々、あまりの蔑みや恐れの目に耐えきれずに憎しみの感情が溢れると、あやかしがどこからともなく現れる。

 しかし今日はそのような感情の動きはなかったはずだ。兄が引きこもりがちな敦史を連れ出したり、ああしてからかったりするのはいつものことだし、何より兄に悪意はない。むしろあの一件で恨まれても仕方がないくらいなのに、兄は以前にもまして敦史を弟として慈しんでくれている。

 だから今日の炎を吐くあやかしの出現には心当たりがなかった。


 少し離れた斜め後ろを楚々として歩く少女を、敦史はちらりと見る。

 藤壺から離れた場所にある梨壺まで、流石に敦史の直衣を纏って歩くわけにはいかなかったので、藤壺の女房に衣を借りていた。直衣は敦史が着直している。

 華奢な少女は──玉梓は、彼女の父が嘆くのも理解出来るほど確かに、とてつもない力の持ち主であった。小柄な身体で敦史を庇ったとき、心臓が止まるかと思うほど驚き……そして安堵してしまったことがとても情けなくなった。

 あの火災が起きたとき、あやかしの目撃の報告を受けて陰陽師が呼ばれた。陰陽道の賀茂家の当主、陰陽博士を筆頭に、有能と言われた陰陽師たちが集まっても何の役にも立たなかった。それが、敦史が陰陽師を厭う理由である。天文博士の安倍家当主、つまり玉梓の父はその場にはいなかったはずだ。しかし何故、かの大陰陽師の血を引きながら内裏の大事に駆けつけなかったのか。安倍家の屋敷は内裏に程近い。きっと火災の報告は伝わっていたはずなのに。

 敦史は恨んでいた。あやかしと、それを退けきれなかった陰陽師すら。それなのに、今夜、敦史ら玉梓に守られてしまった。陰陽姫と呼ばれる、型破りな少女に。

 ふと歩みを止めて振り返った。少女の瞳が、訝しげな色をのせて、ひたと敦史を見つめている。

「…二宮さま?」

 なかなか口を開かない敦史に痺れを切らして、玉梓が彼を呼ぶ。

「……ありがとう。」

 躊躇いながらそう言った。絶対に顔が赤くなっている気がする。少女のほうを向いていられなくて、くるりと振り返るとそのまま歩きだした。

「あ、お待ちください…!」

 玉梓は何を問うでもなく、慌てて敦史の斜め後ろにつくとただ静かに従って歩いていた。


 本当に、彼女のような女を、陰陽師を敦史は知らない。

 身分にすり寄り、その力に恐れ戦く。それが普通の女である。少なくとも敦史の周りにいたのはそういう女ばかりだった。例え鬼呼びという不名誉な二つ名があろうと、彼が今上帝の二宮であり、二品の親王であることは紛れもない事実であるからだ。

 また彼自身の見目が良いことも自覚していた。敦史の母はそれはそれは美しい人であり、その母に彼は瓜二つである。一夜の恋の遊びに誘われることもしばしばで、それにのったことも幾夜かあるが、それも虚しくて最近は避けていた。

(この女はなんだろうな…)

 凄い、と言ってしまえばそれまでだが。とにかく自分が女に対して感心するのも、安堵を覚えるのも初めてのことで、この感覚がなんなのかまだ知るよしもない。

「お帰りなさいませ。」

 藤壺での騒ぎを聞き及んでか、梨壺に戻ると数少ない女房が皆揃って出迎えてくれた。

「あぁ……」

 その面々の顔を見渡して、一番若い駿河がいるのを確認すると、そちらに玉梓の背を押す。

「こいつをもう休ませてやれ。」

「か、かしこまりました。」

 急に押されたためか、転びかけた小柄な玉梓を抱き止めて、駿河は少女の顔を見るとぎょっとして部屋の中へ誘っていった。

 自分も部屋へ戻ると、慣れた香の香りにほっと息をつく。

「二宮さま。」

 初老の女房の衛門が着替えを手伝おうとするのを手で制して、自分で直衣を脱ぐと彼女に手渡そうとした。ふと、その衣を見る。

「…衛門、頼みがあるんだが。」


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