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皇子と陰陽姫

 

 春を迎えて、咲子(しょうこ)は密かに宮中に入った。初めて見る大内裏の広さに驚愕し、内裏の絢爛さに感嘆する中、とりわけ目についたのが、

(何これ呪い…?)

 蛇がとぐろをまくように渦巻く黒い怨嗟の気配だった。

(まあ、実害は出ていないようだけれど。)

 長い歴史の中、帝の寵愛を得られずに不遇に生きた妃やら、政争に負けて失脚した妃やらの恨み辛みが、帝の暮らすこの内裏に溜まっていたっておかしくはない。時折、内裏に雷が落ちて焼失したりするのもその災いの一つだと思われる。とはいえ、これから自分もここで暮らしてゆくというのはなかなか気が重い話だった。


玉梓(たまずさ)さんのお部屋はこちらね。」

「あっ、はい。ありがとうございます。」

 後宮側へ入ると、年配の女房の東少将(あずまのしょうじょう)が咲子を先導し、宮中を案内してくれた。

 玉梓というのは、咲子のここでの呼び名である。本名の(いみな)は名乗らないのがこの時代の常識だ。東少将も同じく、自身が東国の生まれで、夫が少将の身分であることからその名をつけたらしい。咲子の場合は夫はいないので父の役職から名前を取るのが普通であるが、天文博士、陰陽師、どこをとっても違和感しかない。そこで安倍家に梓の大木があることから、とある公卿が「玉梓姫」と咲子のことを呼んでいるので玉梓となったのである。

「今少ししたら呼びに参ります。宮さまにご挨拶申し上げましょう。それまでにお支度をなさってくださいね。」

「分かりました。ありがとうございます、東少将さま。」

 足音も立てずに東少将は去って行った。優しく気品のある女性だ。見習いたいものである。

「さて、青藍、緑青いるんでしょう?もう出てきて良いわよ。」

 咲子がそう声をかけると、ふっと風が起こって二匹の白狐が現れた。心なしか毛並みに艶がない気がする。

「…咲子さま、ここは随分と気持ちが悪いところですね。」

 と、言うぐったりとした青藍。緑青はというと、尻尾とぺたりと床につけて言葉もないようだった。

 青藍が言いたいことは良く分かる。

 宮中には幾重にも魔を妨げる結界がかけられていた。にも関わらず、内から溢れる邪念によって魔が生まれる。凝り固まった魔の気配、無理矢理歪めようとする呪術。矛盾がとてつもない魔の巣窟を育てあげていた。正直今すぐに逃げ帰りたい。これに気付かずに過ごしているここの人々はどうかしているとしか、咲子には思えなかった。

「本当にね…あとでこの梨壺だけでも祓いをしなければ。」


 そもそも天皇とその妃、幼い皇子女が住む後宮に、成人もとっくに済ませた男性皇族がいるというのはいかがなものなのか。梨壺というのは普通、東宮の御所だと思っていた。だが現在の東宮は既に三人の女御を抱えているだめ、梨壺では手狭だということで私邸を持ち、そこで暮らしていた。

 だからこその、この二宮の引きこもりである。因みに、梨壺に仕える女房は東少将を含めて現在四人だという。全員三十路越えの大人なので、若い咲子が来てくれて良かったと言っていた。どうもこきつかわれそうな気がする。

 本年に厄介な所に来たものだ。が、勅命なのだから受けるしかない。

 荷物を解いて、部屋の調度品を整える。そうこうしているうちに、東少将が咲子を呼びに来た。とうとう二宮との対面である。






 今上帝第二皇子敦史親王、現在十七歳の健康な若者である彼は、腸が煮え返りそうなほど怒り狂っていた。

「……何が守らせるだ、あのくそ親父。陰陽師ごときが私を守れるものか!」

 今朝になって急に文が来たと思ったら、この内容。一朝一夕で決められることでもないだろうから、前々から予定されていたのに、敦史には隠されていたということだ。阻止されるのを見越して。

 冠も着けずに下ろしたままの黒髪をかきむしる。腹立ちは収まらない。今日も古参女房が用意した狩衣を着崩して、部屋に籠っては書物ばかりを読むつもりだった彼は、これから来るという陰陽師の娘をどうやって追い返そうかと思案した。

 安倍家の姫君だという。出掛けることの少ない敦史でも噂は知っていた。彼女は「陰陽姫」である。幼い頃は藤原摂関家の姫──今上帝の女御に仕えていたらしい。なんでも物の怪に憑かれた姫を助けたのだとか。関白の吉凶を占って見事当てたこともあるというが、当たったということは関白はその占いを無視したのだろう。幼い子供が言うことなので仕方がない。しかしそれ以来、関白すら「陰陽姫」のことは信頼をしているという話もある。父親の天文博士安倍吉昌は、この子が男子であればと呟いたらしい。

「いったいどんな女なんだそれは……」

 敦史は基本的に女という生き物が嫌いだった。無駄に媚びてくるくせに、ちょっと恐ろしい目を見ると手の平を返す。薄情で愚かで弱い生き物だからだ。

 この安倍家の娘は、そんな女どもとは違っているんだろう。むしろ女に見えないかもしれない。……少し会ってもいい気がしてきた。

「宮さま、新しく入る女房が参りました。」

「ああ、分かった。」

 そして敦史は、自分の予想が外れたことを知る。





 緊張で震えるのは、以前仕えていた屋敷に初めて入った五歳以来である。

 東少将に連れてこられた御座の前で頭を下げた状態のまま、咲子はぴくりとも動かずに固まっていた。

 軽やかな衣擦れの音。視界の端に、濃い紫の狩衣が見える。微かに上品な香の匂いもした。

(この方が…)

「顔を上げろ。そなたが安倍の娘だな。」

 不遜な物言いも、何故か様になる。腹が立たないわけではないが。

「はい……」

 ゆっくりと顔を上げる。無作法でない程度に、目の前の人物を見た。

 まず、濡れたような艶やかな黒髪が目を引いた。それから漆黒の瞳。恐ろしいまでの美貌は、いっそ生きていないものではないか思えるほど冷たい。

 そしてその切れ長の目が、咲子を睨んでいるのだから恐ろしいといったらなかった。

「天文博士安倍吉昌の一女にございます。玉梓と名を頂きました。どうぞ、宜しくお願い致します。」

 すっと礼をする。幼い頃から大貴族の屋敷で勤めていたのだ。礼儀作法には自信があった。しかし目の前の男は咲子を鼻で笑ったのだ。

「…さようか。まぁ、宜しくしないがな。」

「は……」

 思わず、はっ?と言いそうになって咲子は慌てて口を閉じて言い直す。

「どういうことでございましょう。私は主上の勅命をもって…」

「物の怪を飼っているものを側におけと?」

 ばっと顔を上げると、蔑むような目と視線が交わった。

「何のことでしょうか?」

 青藍も緑青も姿を消していた。この建物内の何処かにいるか、もしくは側にいるのかもしれないが、咲子にも見えないほど妖力を隠しているのだ。白狐は天狐の眷属であり、彼らは本来なら咲子などには扱えぬほどの大妖怪である。それを陰陽師でもないこの皇子が分かるなどと、誰が思うだろうか。

「気付かぬと思ったか。二匹、何かを紛れ込ませただろう?」

「っ……宮さまがお気付きになるとは思いませんでした。勝手をして申し訳ございません。それらは私の式神でございます。」

「ほぉ…式神?私の記憶に有る限り式神とは、もともと神或いはそれに等しきものを使役するものだと思ったが、そなたがそれを扱えると?」

「さようにございます。」

 敦史は再び、咲子を嘲るように笑った。

「女が、つけあがるなよ。私は陰陽師の守りなどいらん。話は以上だ。ここにいるのは勝手だが、私の前に姿で見せるな。」

 そう言うとさっさと何処かへ去っていった。何が何やら分からない東少将はぽかんとしている。

 咲子は震える手を袖に隠した。恐ろしいからではない。腹が立っているのだ。

(あの野郎…宮さまでなかったら一発拳をお見舞いしていたわ!)

 こっちだって別に敦史を守りたいわけではないのだ。だが、ここで挫けて出ていくことはできないし、何よりもそれはもったいない。

(せっかく、この魔窟…もとい後宮にいるのだから!)


力試しがしたい陰陽姫

心の中を見られたら不敬罪。

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