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安倍家の陰陽姫

 平安京が出来て百余年、怨念渦巻くこの地では、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が蔓延っていた。そこで時の帝はとある役所に、それらを鎮めることを命じた。その役所こそが陰陽寮である。暦や天文などを修め、あらゆる吉凶を占う人々を陰陽師という。

 今となっては既に統制された官吏となっている陰陽師だが、数十年前ほどまでは実力主義が色濃くあった。とりわけ稀代の大陰陽師と呼ばれる者は、左大臣や帝の寵愛を得て、従四位の位階にまで昇ったという。その後、彼の一族は脈々と陰陽道を継いでいくことになる。

 大内裏より北東──いわゆる鬼門と呼ばれる方角、土御門大路が通るとある一角にその屋敷は建っている。小綺麗な屋敷だが、おどろおどろしい噂が絶えない。ご近所さん曰く、誰もいないのに格子が勝手に上がり下がりするとか、夜中に奇っ怪な叫び声がするとか。気味の悪いことこの上ないが、それも致し方がないと思われた。なぜならここは、あの大陰陽師安倍晴明の一族の屋敷なのだから。


 天文道安倍家土御門邸。手入れの行き届いた敷地は決して広くはないが、陰陽師という家職の一族にしては、格別に大きな屋敷なのだという。とはいえ、他の屋敷といえば、一時期お仕えしていた藤原の氏の長者の屋敷しか知らないので、そんな雲上人と比べようがない。

 少女は今朝も勝手に上げられた格子から射す日光に目を細めながら、その格子にぶら下がって降りられなくなっている白い毛玉二つにため息を落とした。

「……早く降りなさい」

 声をかけるとその毛玉を体をぶらぶらさせて、ぼとっと落ちた。……いや、ちゃんと着地出来たようだ。

「おはようございます、咲子(しょうこ)さま」

「おはようございます、姫さま!」

「…おはよう、青藍、緑青。いつもありがとう」

 なにやら大変不本意だが、この二匹のお陰で咲子は朝起きられている。毛玉二匹はお礼を言われて嬉しいのか、狐のような太い尻尾をばたばたと振った。否、本当に白狐の子どもなのである。青藍は深い夜空の色の目をしていて、緑青は常緑樹の森の色の目を持っている。少女──咲子が生れたときから傍にいるこの妖怪は、どうやら見た目よりもずっと年を取っているらしく、かつては祖父に仕えていたと言っていた。そう、咲子の祖父こそ、かの大陰陽師安部晴明である。…らしいが、咲子が幼い頃に亡くなっているので何も思い出はない。

 緑青が水を持ってきたので、咲子は顔を洗う。その間、青藍は衣装を準備をしていた。双子の弟よりも聡く物静かな彼は、衣装や香、楽器といった雅なことが得意である。対照的に、弟のほうは戦闘能力が高かった。

 新緑の単の上に手早く梅襲が着せられ、さらに蘇芳色の小袿を重ねる。髪を丁寧にとかして香油をつけると、それなりの姫君に出来上がる。

「ふんふん、いつも通りね。」

 着飾ることが苦手な咲子は、無難に纏まった自分の姿に満足そうに頷いた。実は青藍としては不服であるのだが、別に出掛ける用事があるわけでもないので文句は言えない。しかし磨けばそれなりどころか非常に美しくなるであろう主の、その無頓着さを恨めしく思ったりもするのだ。

 青藍はじっと咲子を観察した。使用人は大抵妖怪で、下級貴族が女房だの乳母だのを雇えるわけがないので、この麗しい少女は髪の手入れすら十分ではなかった。しかしその艶やかさといったら、大貴族の姫君にも引けをとらないだろう。昼間は閉じこもって陰陽道の書を読むので肌も白磁、黒目がちの瞳とふさふさの長い睫毛……美少女だ。願わくば、青藍特製の紅を塗りたいし、それに似合う濃き紅の綾の唐衣を着せたい。何故そんな高そうな衣装を、下級貴族の姫である咲子が持っているかというと、咲子の幼なじみの姫君が譲ってくれたからだ。もったいないなぁと思うものの、咲子は着飾らなくとも美しいので青藍はこのお役目を仰せつかっていることを嬉しく思っている。

「そうだ、姫さま。吉昌さまがお呼びだそうです。」

 緑青がぽんっと手を叩いた。おそらくすっかり忘れていたのだろう。彼にはよくあることなので、咲子はとくに驚くでもなくちらりと視線を寄せた。

「お父さまが?」

 咲子の父である安倍家の現当主吉昌は、陰陽寮において天文博士を務めている。昨夜は宿直だったはずなので、いつもならちょうど帰ってきて寝ている時間だ。何事だろうかと首を捻りながら、咲子は部屋を出て父のもとへ向かった。何かが起こりそうな予感がしていた。




 母屋へ着くと、既に父が待ち構えていて、さらに母の祝子(のりこ)と兄の景親(ひろちか)までが集まっていた。

 いよいよ何事かあったのだと、咲子は神妙な面持ちで彼らの前に座る。

(まさか縁談……なわけないか。)

 しかし咲子も十六歳になった。まさに適齢期、どころか遅いくらいである。

「おはようございます、お父さま。お話があるとうかがいましたが…」

「ああ……おはよう。」

 浮かない顔をしている。

(えっ、本当に縁談が…?)

 なかなか話を始めない父を辛抱強く待ちながら、ちらりと母と兄を見た。こちらも複雑な表情をしていて、その真意は読み取れない。

「お父さま、早くお話ください。」

 いい加減面倒なのでこちらから声をかけた。すると、父はうっと声を詰まらせる。

「…実は昨夜帝に呼び出されてとある勅命を下された。」

「はぁ、勅命…」

 さして珍しいことでもない。安倍家の当主として信の厚い吉昌は、たびたび秘密裏に勅命を受けている。それを咲子にまで話をするとは。とりあえず縁談という線は無くなったが。

「二宮の守りとして、陰陽術を使える女人を……咲子、お前を出仕させよと。」

「…………まぁなんと。」

 どうりで母の手が震えていて、兄の顔色が悪いわけだ。我が家は貴族といえど下級であり、本来なら宮仕えなどあり得ない家柄。そして相手があの二宮。さすがの咲子も驚きを隠せない。

「なるほど、後宮にお住まいですものね?それは女人のほうが都合が良いですわ。監視(・・)、には。」

 守り、などではないことくらい分かる。二宮に必要としているのは監視。お偉い方々が考えそうなことである。

「めったなことをいうでない。……分かるな?断れないのだぞ。」

「えぇ、分かっております。」

「危険なのだぞ。」

「重々承知の上です。」

 流石父親だ。咲子がどう答えるのか分かっているのだろう。ついでに何を考えているのかも分かっているのかも知れない。

(だって面白そうじゃないの……!)

「お父さま、勅命なのですよ。私は有り難くお受けいたします。」

「……何かあれば頼りなさい。私も景親もおる。」

「はい、もちろんでございます。」

 こんな命令でもなければ宮中になど行けやしない。あちらへいけば古い友人にも会えるだろう。帝が何故か急に咲子を指名したのも、その友人のせいだと思われる。

 二宮の守りは少々ややこしいだろうが、女である咲子が表だって力を使えることはそうそうない。だからむしろ、この時を待っていたくらいなのだ。…咲子はそこら辺のお姫さまと、比べ物にならないほどのはねっ返りなのであった。

「この力を使える良い機会です。精一杯お勤めさせて頂きます。」



 今上帝の第二皇子兵部卿宮敦史親王。今は亡き麗景殿女御を母に持つ一品の宮でありながら「鬼呼びの皇子」と呼ばれる彼は、噂によると大の女嫌い。そして大の陰陽師嫌いである。


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