26話 ウェアウルフ
暗闇に紛れ、獣の臭いを放つ黒い影、紅く鋭い光を放つ眼光は、夜の森を見通す力を持っている。
獣は、口元から涎を垂らしながら、獲物の臭いを嗅いでいた。
裂けるように口を開き、鋭い牙を剥き出しにして、獣は笑みを浮かべる。
人間の女の臭いだ。
大量にいたはずの人間は焼け焦げた屍となっていたので、食う事が出来なかった。
だが、ここにまだ1匹残っていた。
黒い体毛に身を包まれた狼の顔を持つ獣は、二本の太い足で立ち、獲物を見つめる。
獣はウェアウルフと呼ばれる存在であり、体長は3mを超える。
鋭い鉤爪の生えた右手には、一体のオークの死体が握られていた。
恐らく、ハルカに弓を放ったオークの生き残りだろう。
ウェアウルフは、オークの死体に興味が無くなったのか、草むらに放り捨てた。
今は、柔らかくて脂の乗った人間の女の肉に興味を惹かれていた。
「グルルルル。」
ウェアウルフは、暗闇に身を潜めながら、慎重に獲物を観察していた。
少女は、横になって眠っており、隙だらけだ。
だが、ウェアウルフは直ぐには襲い掛からない。
少女の前で見張りをする人間の男が居たからだ。
しかし、男からは何故か人間の臭いがしない。
この世界に無臭な生き物など存在しない。
動物だろうと虫だろうと、どんな生物にも多少なりとも独特な臭いが在るものだ。
ましてやウェアウルフは犬以上の嗅覚を持つ存在、臭いに気が付かないはずが無い。
だから、余計にウェアウルフは不気味に感じていた。
視界には確かに人間の男が立っているのに、まるでそこには誰も居ないかの様に脳が錯覚してしまうのだ。
魔法による幻術を疑いもしたが、どうにもそんな感じはしない。
だから、ウェアウルフは、男が寝入るのを待つ事にした。
どんな人間でも、睡魔には勝てない。
男が眠りに就き、油断した時を狙い一気に襲うつもりだ。
だが、いつまで経っても男が眠る気配は一向に無い。
既に真夜中を過ぎており、ウェアウルフも痺れを切らし始める。
「グルルルル。」
もう、これ以上待つ事は出来ない。
ウェアウルフは戦略を変えた。
「ウォオオーーーン!!」
ウェアウルフの遠吠えが森に響き渡る。
当然、人間の男は周囲に目を向けて警戒する。
だが、ウェアウルフの位置はまだ把握できていない。
次の瞬間、ウェアウルフの周囲の暗闇から10匹の黒い影が現れた。
黒い犬は、ウェアウルフが召喚できる魔獣の一種だ。
先ずは人間の男がどれ程の力を持っているのかを測るつもりだった。
「グルルルル!」
ウェアウルフの指示で、黒い犬達が一斉に走り出す。
狙う先は当然、人間の男だ。
襲い来る黒い犬の存在に気付いた男は、何処からともなく日本刀を取り出した。
武器など何処に隠していた?
ウェアウルフは慎重に男の所作を見ていたが、武器を持っている様には見受けられなかった。
ましてや身の丈を越すほどの刀だ。
やはり、ただの人間では無いか。
ウェアウルフは、より慎重に身構え、気配を断つ。
「ギャウッ!?」
最初に飛び掛った黒い犬が男の刀で両断された。
だが、黒い犬は集団戦に秀でており、この程度では怯みもしない。
他の1匹が脚に喰いつき、もう2匹が同時に正面と背後から飛び掛かる。
男の脚と首に黒い犬の鋭い牙が襲い掛かる。
しかし、男は気にする素振りすら無く、脚に喰いついた黒い犬を無造作に蹴り飛ばした。
「ギャンッ!」
体長2mもある黒い犬は、男の蹴り一発で牙を砕かれ、頭蓋骨を粉砕された。
首に牙を立てる2匹の黒い犬も、違和感を覚える。
硬い。
まるで、鋼鉄の塊に噛り付いているかの様な硬さだ。
動物の骨でも噛み砕ける黒い犬の牙は全く歯が立たなかった。
男は、無造作に2匹の黒い犬の首を鷲掴みにすると、思いっきり地面に叩きつける。
「こんな事してると動物愛護団体に怒られそうだな。」
男は自嘲気味に笑う。
「ウォオオーーーン!!」
黒い犬では歯が立たないと判断したウェアウルフは、新たな魔獣を召喚する。
真っ赤な炎と共に現れた其奴らは、全身を炎に包んだ狼の群れだった。
その後ろには1匹の巨大な黒い狼もいた。
黒く硬い体毛に覆われた巨大な狼は、赤い瞳で獲物を睨む。
その巨大な口は大人でもひと呑みに出来そうな程大きく、太い首には巨大な鉄の刺々しい首輪が付けられていた。
そいつは、ウェアウルフでも手懐ける事が出来ない冥界の番犬ガルム。
ウェアウルフが召喚できる最強の魔獣だった。
「グルルルル。」
燃える狼の群れは、闇夜を炎で照らしながら、黒い犬の群れに合流すると、先陣切って男へと襲い掛かった。




