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愉快な誘拐

作者: 天月ゆかり


もう、何もかもが嫌だった。


別に虐められていたわけでもないし、家族と上手くいっていないわけでもない。

友達も普通にいる方で、両親も妹も、私に普通に接している。


毎日の生活に満足してるはずだった。

でも、なんだか嫌だった。

私のいる世界が。

私の周りにいる人が。


私は気がついたら、お気に入りのポーチを持って、家を飛び出していた。



どこまで走っただろうか。

ふと、空を見上げると、茜色に染まっていて、国語の参考書の表紙の色を思い出した。

参考書のことを思い出してしまったせいで、あまり綺麗だなとは思えなくて、思わず苦笑が漏れる。


それからまた、ゆっくり、ゆっくり、見知らぬ住宅街を抜け、知らないおばさんたちが談笑している商店街を抜け、からっぽの空き地を抜け、真っ暗になって辺りが見えなくなっても歩き続けた。

ああ、今ごろ両親は私のことを捜しているのだろうか?

泣き虫な妹は、私がいなくなって泣いているのだろうか?


少しだけ、申し訳ないかな、と思いながらも、私は歩くスピードを落とせない。

ケータイは家に置いてきたから両親から連絡はないだろう。


また、空を見上げると、今度は星がキラキラと輝いていた。


歩き出したかったが、もう、体が言うことを聞かない。足は棒のよう、足の裏は自分の体重を長時間支えてバキバキ、喉はカラカラで、胃は食べ物を求めて鳴いている。


仕方なく、近くのカードレールに腰掛ける。

ポーチの中を探ると、ピンク色のハンカチ、ポケットティッシュ、妹から貰ったりんご味の飴玉が入っていた。


飴玉はあまり好きではない。しかもりんご味。私はりんごが果物の中で一番苦手である。

ため息を一つ。

空が茜色の時はまだ良かったが、星が輝き始めると、だんだんと寒い風が吹いてきて、 今夜は少し冷え込むそうだと天気予報のお姉さんが朝言っていたのを思い出し、また、ため息を一つ吐く。

だいたい、私は薄手のカーディガンしか羽織っていない。


お腹空いたな。

ここ何処だろう。

寒いな。

眠たいな。


酷い空腹と睡魔に襲われ、だんだんと薄れゆく意識の中で、家出をするならもっと準備をしておけばよかったと、今更になって後悔した。








「……んは………ださい……よ……」


誰かが私の肩を揺らしている。

妹?それとも友達かな?ーーああ、そういえば今家出してたんだっけ?じゃあ、誰が?

まさか、両親に見つけられてしまったのか?


「こんばんは。起きてください。風邪引きますよ」


慌てて目を開けると、タキシードに身を包んだ綺麗な人が私を覗き込んでいた。

はっきりとした目鼻立ちに、薄い唇、陶器のような肌と、立っているだけで注目を浴びそうだが、何よりもその高級そうなタキシードが目立っていた。


女性、なのだろうか?中性的な顔立ちで、体型さえもタキシードで隠されているため、私には判断できない。



「こんばんは」


とりあえずそう返すと、その人物は被っていたシルクハットを律儀に取り、会釈した。

途端に、シルクハットで隠れていた艶やかな長髪が露わになり、街灯に反射してキラキラと輝く。



「こんな所でどうされたのですか?お家は?ご両親はどうされたのです?」


彼女は探るような言い方はせず、優しく励ますように私に問うた。



「分かりません。知りません」


冷たくなった指先を絡ませながら、私は俯く。



「困りましたね。迷子の子猫ちゃんですか? お姉さんと一緒に交番へ行きましょうか?私の記憶違いでなければ300m先に交番があるはずですが」

「交番は行きたくありません。家に帰るのは嫌なので」

「これはこれは、家出ちゃんでしたか。どうですか?家出の方は?」


黙り込む私を見て、綺麗な形の唇を三日月形に吊り上げ、彼女は微笑むと、私の頭に手を置いた。



「なるほど。だからここでちんまりと体育座りをしていたのですね。私の家に泊めてあげたい所ですが……生憎、私は犯罪者にはなりたくないのですよ。未成年を一晩でも家に連れ込むなどの行為は『誘拐』と見なされるのですから、たとえ貴女の合意の上でも『誘拐』になるのです」

「そうですか…」

「ここは交番に連れて行くしか手段はないのですが、後味が良くないのでね。貴女が望むのなら、犯罪者になりましょう………条件がありますが」


子供のような悪戯な笑みを浮かべると、私のポーチを指差した。なるほど、タダでは働かないってことですか……でも、私は一文無しだ。



「私は一円も持っていないですよ」

「ええ。知っています」


まさか、体で払えとか言うつもりなのか……?



「りんご飴、持ってますよね?私、あれが大好きなんです!!それを渡してくれるなら、犯罪者になりましょう」

「………いいですけど。本当にこんなものでいいんですか?りんご飴ですよ?」

「全国のりんご飴様に謝って下さい!」


ポーチから取り出したりんご飴を受け取ると、向日葵のような満面の笑みを浮かべる。不思議な人だ。りんご飴一個で誘拐犯になるなんて。



「これで私も犯罪者ですね。そして、言うならば、貴女は共犯者だ」


ため息を吐きながらも、全く悲しそうではない。むしろ、楽しそうだ。



「では、改めて、貴女を誘拐しますね。私の家はすぐ近くです」


その言い方がなんだか可笑しくて、私は久しぶりに顔の筋肉を使った。

彼女はそんな私を見て、口元を綻ばせると、私の手を優しく握り、私は彼女に連れられるまま、夜の道を歩き出す。









彼女の言う通り、彼女の家はすぐ近くの立派な洋館だった。

そう、ところどころヒビが入っていて、ツタが這い上がっていて、窓ガラスが割れているような……立派な洋館だ。


ギギギギギギギギ〜と、金属が擦れ合う音を立てながら重そうなゲートを開き、屋敷の中に入ると、明るい電気と暖かい温度が私を包み込んだ。

屋敷の中は、その外見とは真反対で、家具は主にアンティークな感じのものが多く、先程私を暖かく照らしてくれた電気は正面に取り付けられた立派なシャンデリアからだった。


「あったかい……」

「外は寒かったですからね」


そう言いながらタキシードを脱ぐと、豊かな二つの山が現れるが、私が驚いたのはその半端ない着痩せ度ではない。もちろん、それにも驚いたが、もっと驚いたのは彼女の髪の色だ。先ほどは暗闇でよく見えなかったのだが、彼女の髪は確かに銀色だった。

私の視線に気がついたのか、少し微笑むと、彼女は言った。


「これは失礼。自己紹介がまだでした。私は、アミリア・ウォーカーです。アミでいいですよ」

「……平野楓ひらのかえでです」

「素敵な名前ですね」


アミの感想にどう反応するべきか戸惑っていると、頭上から高い声が降ってくる。



「姉さんが変な子を連れてきたよ〜何?こんな時間にだあれ」


見上げると、仏頂面をした童顔美少年が階段の手すりに頬杖をついている。寝ていたのを起こされたのか、青いパジャマに身を包み、髪には寝癖がついていた。

「ヒロ。家出ちゃんの楓さんですよ。仲良くしてあげて下さいね」

「ぐっすり寝てたのに起こされた変な子と仲良くするわけないでしょ?」

「変な子ではありません。私にりんご飴をくれました」

「…………」


呆れたような、可哀想な目でアミを見つめる『ヒロ』と呼ばれた少年は何も言わずに階段をスタスタと下りると、私の顔を穴が開くほど見つめてくる。



「ヒロ、そんなにレディーを見つめるのは失礼ですよ」


アミに注意されてようやく私から目をそらすヒロは、そのままスタスタと屋敷の奥に消えて行った。と、思いきや、今度は何やらガチャガチャと運んでくる。



「楓さん。こちらにどうぞ。シンプルなものしかありませんが、お召し上がり下さい」


アミに招かれるまま、高価そうなソファーに座らせられる私の前には、ヒロが運んでくれたベーグルとポタージュが並べられた。

先程から空腹のあまり胃に穴が空いているように感じていた私にとってはご馳走以外の何者でもない。

お礼を述べてから、胃の求めるままに平らげた。この時私は『空腹は最高のスパイス』という意味を身を持って知ることとなった。


アミがいつの間にか用意していてくれていた紅茶をいただきながら世間話をしていると、これまで黙っていたヒロがまるで珍しい生き物を観察しているかのように、私を見つめ始めた。どうやら、この子は『私』という生き物に単純に興味があるらしい。



「さっきは起こしてしまってごめんなさい」


紅茶のカップから口を離して彼に話しかけると、少し驚いたように肩を震わせる。ちょっと馴れ馴れしかったか。などと思っていると、彼はおずおずと口を開く。



「……別にいいけどさ……警戒心とかないわけ。学校で習わなかったの?知らない人について行ってはいけませんよってさ。姉さんがやってることは誘拐だよね。それに、さっき君が食べた物に毒とか入ってたらどうするつもり」


彼の言うことは一理あるだろう。だが、アミと出会ったとき、人見知りである私は全くと言っていいほど警戒しなかった。否、出来なかったのだ。なぜかは自分でも分からない。



「そうですね。警戒するべきでした。でも、アミさんに会ったとき自分でも分からないほど、この人なら大丈夫、安心できるって思ったんです。きっと大丈夫なはずですよ。だって、さっき食べたベーグルとポタージュもとっても美味しかったですから」


私の答えを聞いて、一瞬だけ嬉しそうな顔をするヒロだが、またすぐに仏頂面に戻ると私に聞いた。



「じゃあさ、なんで家出なんてしたの」

「ヒロ……それは!」


黙って聞いていたアミがヒロを止めようとするが、私は静かに首を振る。どうせなんてことない理由だ。



「私、本当は『平野楓』じゃなくて『日宮楓ひみやかえで』なんです。両親は2年前に事故で死にました。そして、親戚の平野家の楓ちゃんになったんです。もちろん、今の母も父も妹も私に普通に接してくれます。それで、私は恵まれてるなって、幸せだなって、感謝しないとなって………でも、どう頑張っても私はやっぱり『日宮楓』です。『平野楓』にはなれない。『平野楓』は嘘の私で本当の私は『日宮楓』。そう思ったら、私のいる世界も私の周りにいる人も全て嘘に思えてきて……もう、全部嫌になって……」

「そんなの違う!」


今まで私の話を黙って聞いていたヒロが急に声を張り上げるが、私はそのまま続ける。



「……でも、そんなこと思う自分がいちばん…嫌!」


話し始めたら止まらなかった。やっぱり私は誰かに自分の想いを話したかったのかもしれない。この2年間溜め込んできた想いが一気に破裂した感覚で、少しすっきりしたというか、なんともいえない疲労感が私の胸の中で渦巻く。



「違う。絶対違う!いくらあんたの中で『日宮楓』だとしても、今あんたは『平野楓』なんだ!両親を亡くしたあんたを今のあんたの母さんとか父さんとか妹は『日宮楓』を『平野楓』として受け入れてくれたんだろ?!じゃあなんで家出とかするんだよ!」

「それは……」


口ごもる私を彼は睨むと、プイッと顔を背けて言い放った。



「俺はそんなことするあんたが嫌だ」


そのままスタスタと屋敷の奥に消えていく。後に残されたのはあたふたするアミと呆然とする私。



「申し訳ありません。ヒロがあんな事を言うとは……後でしっかりと叱っておきます」

「いいえ。大丈夫です。ヒロさんの言っていたことは正しいですから」


アミはため息を一つ吐くと、私に向き直った。



「彼は捨て子なんですよ。施設で保護されているところを私が引き取ったのです。だからこそ、両親がいる貴女が羨ましくてあんな事を言ってしまったのでしょうね」


親戚とはいえ、赤の他人の私をちゃんと『平野楓』として迎えてくれた今の両親と妹。ヒロはそんな優しい彼らを心配させるようなことをした私が許せなかったのだ。もしかしたら私の今の両親を自分を引き取ってくれたアミと重ねていたのかもしれない。

黙り込んだ私の頭を優しく撫でるアミは慰めるように言った。



「私が貴女に名前を聞いたとき、『平野楓』と答えましたよね。本当に『平野楓』が嫌なのであれば、『日宮楓』と答えたはずですよ。それに、『平野楓』も案外素敵な名前です。決して嘘の貴女ではありません」


そう言って、そっとハンカチを差し出され、私はその時始めて自分が泣いていることに気がついた。








目を覚ますと、そこは知らない屋敷の中だった。いや、知っている。ここは確か、幽霊屋敷みたいな…ゴホンゴホン…立派なアミの洋館の中だ。どうやら私は昨夜、アミに泣きながらしがみつき、そのまま寝てしまったらしい。



「楓さん。起きましたか?朝ご飯、食べますか?」


見上げると、綺麗な銀髪をお団子に結い上げて、サッパリとした白いワンピースを着たアミが立っていた。昨夜のタキシードとはまた違った大人の女性の雰囲気を醸し出している。


私は少し考えてから答える。



「ありがとうございます。でも、またの機会に。今は、家に帰らないと。」

「そうですか。それは残念です」


優しく微笑むアミ。


「久しぶりに笑って、泣いて……とっても愉快な誘拐でした」

「私も、楽しかったですよ」

「また…誘拐されてもいいですか?」

「ええ。もちろん。また、誘拐させてくださいね」


そう言って二人で笑い合った。


外は涼しい風が吹いていて、澄み渡った青空が広がっていた。

屋敷のドアを閉めるとき、私はふと、頭の中に疑問が浮かぶ。



「アミさんはどうして、犯罪者になってまで、私を誘拐してくれたんですか?」


彼女は私の質問にクスリと笑うと、答えた。



「昔の私を見ているような気がしたのです。でも今、貴女は昔の私に全然似ていません。昔の私より、キラキラと輝いていますよ」



ゆっくりとドアが閉まるのを見届けた後、もう一度洋館を振り返ると、窓から仏頂面のヒロが覗いていた。

手を振ると、顔を引っ込めてしまったが、またすぐに顔を出すと、振り返してくれた。



大丈夫。今、私の心はこの青空のように澄み渡っている。

私は家に向かって駆け出した。

ここまで読んでいただきありがとうございます!

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