19話:過ちの方角、そして・・・
アリスが静かな声でユーのことばを遮った。
「アリス……」
ユーがアリスの方へと振り返る。
「私、言ったわ。あなたを信じるって。あなたが勝つって」
「……」
「それなのにあなたは、自分を見捨てて逃げろと言う。プロだから『クエスト』を完遂しなければならないと」
「ああ、そうだ。だから……」
「だから、じゃない! 私が……私が言いたいのは。言いたかったのは……!
――あなたを信じる私を、どうして信じてくれないの!?」
「……っ!?」
アリスはユーの目を見て言った。アリスの目には涙が浮かんでいた。
ユーがアリスのことばに目を見開いた。虚を突かれた表情でアリスを見ていた。
後ろに隠れていたマーガレットも首を縦に振って、アリスのことばに同意する。
「それにどうせ逃げ帰っても、あの『ランプ石』はもうない。今の生活を変える事もできない。
……私にはもうあなたを信じることしかできない」
「……」
ユーは押し黙ったままアリスのことばに耳を傾けている。しかしユーは自らの視線をアリスの瞳から逸らす事はなかった。アリスの目を見たまま、次のことばを待ち構えていた。
「私たちの命はあなたに預けるわ。
どんなことになっても、私はあなたを恨まない。例えあの化け物に食われたとしてもよ」
アリスの決意にユーは目を伏せた。そのまま考え込むような仕草を見せて、ユーは異形の化け物、『長』へと視線を向けた。
ユーは『長』の姿を確認する。先ほどから『長』は、たたずんだまま動かない。様子を見ているのか、『長』は暗い光を秘めた赤い瞳でユーたちを見つめていた。
しかし、よく見ると『長』の口元がせわしなく動いていた。『長』は何かを咀嚼し続けている。
唐突に『長』の口が開いた。
「くるぞ」
「え……」
その瞬間『長』の口腔から光を放った。
するとユーは素早い動作でアリスとマーガレットを腕に抱きかかえ、一瞬の内に横に向かって跳ねた。
同時に、3人がいた場所から爆炎が巻き上がる。
「なにが……」
「いた……い」
熱風に煽られながらアリスとマーガレットがうめき声を上げる。
3人は元の位置から10メートルほど離れた位置で倒れ込んでいた。
「これか」
ユーが2人から手を離して元いた場所を見る。
3人の元いた場所は爆炎に晒され、地面がドロドロに溶解し赤熱している。そして黒い煙が巻き上がるのと共に、灼熱の空気が周囲に放たれる。
「さっき俺が食らったのは」
熱風を肌に感じながらユーが周囲を見渡す。そしてその視線は、先ほどまで乗っていた四輪駆動車に向けられた。
「車は無事か」
そう呟きいてユーは視線を『長』へと移す。
『長』もまたユーに視線を向けていた。
「今のは一体……」
アリスが尋ねる。アリスはすでに体勢を立て直し、マーガレットを抱きかかえていた。
「分からん。
少なくとも、俺の知るホロ・オヴィスはこんな攻撃はしてこなかった」
そう言ってユーは、先ほどの攻撃の正体を探ろうと『長』の体を見渡した。
注意して見ると『長』の体毛にも異形のネズミであるボラッドが、複数体しがみついていた。体からあふれ出す蒸気によって見ずらいが、爆炎を放つ特徴な球体がまばらに視認できる。
ボラッドの1匹が、赤い蒸気に晒されながら『長』の額に張り付いていた。そして赤い球体の付いた長い尻尾を垂らし、その先端を『長』の口元に差し出している。
すると『長』はボラッドの尻尾を口に咥え、赤い球体ごと尻尾の先端をむしり取った。
「!?」
そのまま『長』は口元を動かし咀嚼を続ける。
「なるほどな」
「うそ……」
納得した様子でユーが呟く。反対にアリスは『長』の行動に驚いていた。
「ボラッドの爆球を咀嚼し、強靭な肺活量でもって撃ち出す。俺はあれを食らったのか。
……シンプルでわかりやすい。まるで火竜だな」
ユーはそう呟くと『長』に向かってゆっくり歩き始めた。
「ちょっと、ユー!」
突然のユーの行動にアリスが驚く。
そのことばをユーは無視した。
ユーの動きに合わせて『長』も視線を動かしている。化け物の『長』とユースミス、両者を結ぶ直線、ユーはその線からアリスとマーガレットが外れるように歩みを進めている。
「わかってるよ。アリス……」
「ユー……」
「俺が間違っていた。『クエスト』を優先させるあまり、お前らの安全を考えるあまり、一番大切なことを見落としていた。
……お前たちの意思を無視していた。『クエスト』は、依頼者が自分でできないことを『プレイヤー』が代わりにする仕事。動機が何であれ依頼者は、自分の為に『クエスト』を貼る。
依頼者は、自分の願いを『クエスト』に託す。そうして彼らは自らの望む方向へと進む事ができるようになる」
「おにいちゃん……」
「これはあくまで理想としての話だがな。もちろん、依頼者はいちいちそんな事を考えてはいないだろう。
俺は間違っていた。『正しい方角』を」
ユーが動きを止めた。そしてアリスとマーガレットの方向へと振り向く。
「だから」
アリスはユーの顔を見る。
「また俺を信じてくれよ。二人とも。
もし失敗したら……俺も一緒に死んでやる!」
屈託のない笑みであった。溢れんばかりの笑顔を見せていた。初めてアリスたちが見る笑顔であった。
「ユー!」
アリスがことばを投げかける。よくよく考えれば、ユーは途方もない事を言っていた。しかしその表情はどこか救われたものに見えた。
「おにいちゃん」
唐突にマーガレットがことばを発した。
「どうした? マーガレット」
ユーがマーガレットを見る。
「メグ……?」
アリスもマーガレットに視線を向けた。
「あの……これ……」
縮こまった様子でマーガレットがことばを続ける。そしてマーガレットは自分が着ている白のワンピース、その腹部のポケットから何かを取り出した。
それは合成繊維製の小さなポーチであった。ポーチには砂地用の迷彩柄が施されている。
マーガレットは、そのポーチをユーに向かって差し出していた。
「それは……『雷薬』のポーチか!?」
「……うん」
「どうしてメグが!?」
あっけにとられた様子でユーがポーチを見る。予想だにしていなかったのかアリスも驚いていた。
二人の態度にマーガレットが申し訳なさそうにうつむく。
「これ……あのこわい人がお金になりそうって。だから、ついでに持っていろって。
それで……言い出せなくって……」
「メグ……」
今にも泣きだしそうな表情でマーガレットが言った。
アリスもどうしていいのか分からない様子でマーガレットを見ていた。
「……マーガレット」
ユーが静かに呟いた。
「あう……ごめんなさ……」
消え入りそうな声でマーガレットが謝罪のことばを告げようとした。
「どうして謝る? むしろ礼を言いたいくらいだ。それがあれば、あの羊とも十分に戦える。
お前のおかげで希望が見えてきた。流れが変わるんだ。お前は何も悪い事なんてしていない。
……ありがとうな、メグ」
初めてユーがマーガレットを愛称で呼んだ。ユーは穏やかな笑みをマーガレットに向けていた。
「おにいちゃん……」
ユーのことばにマーガレットが顔を上げる。
「さあ、そいつをよこしてくれ」
ユーがマーガレットに向かって手を差し出した。
「わかった……!」
マーガレットの表情がわずかに明るくなる。
「メグ……」
「いま、なげるよ……」
そう言ってマーガレットは両手でポーチをユーに向かって投げた。ポーチは綺麗な放物線を描きながらユーに向かって飛んで行く。
そしてユーがポーチを片手で受け止めた。
「助かる」
短くユーが礼を言った。
「さて……」
ユーが再び『長』に向き直る。
遠くでは逃げ出した群れの化け物たちが、一団となって両者の様子を伺っていた。
彼らが戦いに介入する様子はない。
「状況が変わった。ようやくお前と満足に戦える」
『長』の目を見ながらユーが呟く。
「さあ……勝つぞ。それで町まで帰ろう」
『長』はすでに咀嚼を終えていた。
ユーもすでにポーチをチェストリグに装着し、『雷薬』のひとつを右手で握っていた。
羊の化け物、ホロ・オヴィス。その群れをまとめる『長』。
そして『長』に相対する少年、ユースミス。
――命を賭けた両者の戦いが始まった




