15話:思考、そして開戦
羊の化け物、ホロ・オヴィスたちは、この乾いた大地での出来事を追懐していた。
――ああ、『ここ』はなんていい場所なのだろう。
前にいた『あそこ』に比べて食べ物は少ないし水もあまりない。だが、それでも『ここ』は自由に走り回る事ができる。餌を奪い合う『あいつら』も『ここ』にはいない。
確かに『ここ』には、他の『やつら』がいる。だが『やつら』はちっぽけで弱い。ちょっと踏みつけただけで『やつら』は簡単に潰れる。動かなくなる。
それに『やつら』の中でも、尻尾の長い『やつら』は便利だ。少し息を吹きかけただけで尻尾の長い『やつら』は簡単に言う事を聞くようになった。こいつを投げると『やつら』を動かなくする事が簡単できる。
好きなだけ食べられるんだ。『ここ』はいい場所だ。
それにしても。最近、変な『やつら』を見るようになった。『やつら』は我々と違って、後脚で立っている。それで前脚を使って『なにか』を持っている。その『なにか』からは、不思議な事に堅いものが飛び出してくる。それに時々、熱いものも飛び出してくる。
訳が分からない。この変な『やつら』は、『あそこ』にいた『あいつら』みたいに堅いものや熱いものを飛ばしてくる。あのとっても痛いものを。
――生意気だ。踏みつぶしてやる!
変な『やつら』を潰すのは楽しかった。『やつら』は、つるつるした大きなものに乗っていた。最初は驚いた。我々と同じくらい大きかったから。でも、つるつるした大きなものは簡単に倒せた。弱かった。転がすと熱いもの出てきた。でも踏んだら、熱いものは出てこなくなった。
なんて弱いのだろう。でも楽しい。『あいつら』を潰しているようで、楽しい。
あと変な『やつら』は、変な皮を持っていた。簡単にはがせるけど、面倒で皮と一緒に食べたら味がしなかった。おいしくなかった。
でも変な『やつら』は、皮をはがしたら美味しかった。変な『やつら』は、筋張ったのも歯ごたえがあったし、柔らかいのもとろけるような肉で美味しかった。
――ああ、変な『やつら』、いや違う、この『うまいもの』がもっと食べたい!
『うまいもの』が逃げていく。全員逃げていく。
追いかけよう。だぶん追いかけた先に『うまいもの』の巣があるに違いない。きっとそうだ。
さっきもそうだった。『うまいもの』を追いかけたら、巣があった。
今度もそうに違いない。柔らかいのと柔らかいの、あと筋張ったのが逃げている。つるつるした小さなものに乗っている。
追いかけよう。きっと巣があるんだ。
『うまいもの』をみんなで食べよう!
そうだ『おさ』にも教えよう。『おさ』はさっきのつるつるした大きなものにいた『うまいもの』を食べていた。あとで『おさ』に教えよう。
あれ? つるつるした小さなものが止まった。
筋張ったのが出てきたぞ。こっちに向かってくる。柔らかいのと柔らかいのが、後ろに隠れている。
もしかして守っているつもりなのか?。
――生意気だ! 小さくて弱っちいくせに! 我々と闘うつもりか!
決めた。
こいつは踏みつぶしてやる! 頭をぶつけて転ばして、それから食ってやる!
化け物が吠えた。
地の底から響くような轟音が大気に炸裂する。
その音は目に見える衝撃波となって拡散した。大地が震え、化け物の足音にある乾いた砂が吹き飛ばされ砂埃を巻き上げる。砂煙が化け物を包み込んだ。
その声は爆撃そのものであった。
聴く者を鼓膜ごと吹き飛ばすような咆哮が、ユーの体を打った。
「……」
それでもユーは動じる事はなかった。
化け物の目を静かに睨みつけていた。
平然としたユーの態度に、化け物が再び吠えた。
そのまま化け物は、ユーに向かって突進を始める。
「……」
相変わらずユーは眉ひとつ動かさなかった。
圧倒的な重量を誇る貨物自動車、それを横からの体当たりだけで転倒させ破壊した化け物の巨体。さらに圧倒的な質量がユーに向かっている。その速度は決して鈍重なものではない。前脚と後脚をそろえ地面を蹴るその動作は機敏とは言えなかったが、ただの人間が走るのよりはずっと速い。
化け物の巨体が大気を押しのけ風圧が生まれる。
強大なエネルギーがユーへと向かっていく。
しかし。
「でけぇな」
それでもユーは動かなかった。
そのまま両足を軽く開き、両手を包み込むような体勢でゆっくりと広げる。
ユーは化け物を受け止めようとしていた。
化け物はさらに速度を上げた。風圧がより大きくなる。風の音がユーの耳に届く。
化け物はユーの目の前まで迫っていた。
ユーは化け物の目を静かに見ていた。
そして、化け物とユーの姿が重なった。
ユーの胴体に化け物の鼻先が突き刺さる。ユーの体に強大なエネルギーが襲い掛かった。
だがしかし。
「ぬう……」
ユーの体は吹き飛ばされなかった。
化け物の顔、頬の位置に両手の掌を添え、しっかりと両足で踏み留まっていた。
両足が大地に深く突き刺さる。そのまま化け物の質量に押され、地面をえぐり取っていく。
乾いた大地に、2本の深い溝と化け物の足跡が刻まれていく。
「ぐ、うぅっ!」
その時、ユーの体から赤色に輝く電流が発生した。
赤い電流が体を包み込み、ユーの肌をほのかに赤く染め上げる。同時に体からは血管が隆起し、その血管が発光した。
ユーの中から大きな力が発生しているように見えた。
その力が、化け物の質量を抑え込む。
そして。
「どうした。もう終わりか?」
化け物の動きが止まった。
始めに突進を受けた場所から10メートルほど進んだ位置で、ユーは化け物の突進を止めた。
自身の攻撃を防がれた事に動揺しているのか、化け物がユーに抱えられたまま唸り声を上げた。口からは赤い蒸気が漏れている。
目の前の敵を薙ぎ払う為に、化け物は再び体に力を込める。
化け物の中から、巨大な力がにじみ出す。
「こんなもんかよ」
しかしユーの体は動かない。
ユーの指が頬の肉に食い込み、化け物の頭をしっかりと掴んでいた。化け物はどうにかして抜け出そうとしているが、ユーの体はぴくりとも動かない。おまけにユーが腹部で化け物の鼻先に覆いかぶさっている為に噛みつく事もできない。
「次はこっちの番だ」
そう言ってユーが右手を振り上げた。その拳に、より多くの赤い電流が発生する。赤い電流が拳を包み込むと光を放った。その光はユーの体に電流が帯電している時よりも強く輝いている。その拳には目には見えない圧力を秘めていた。
「くらいな」
その拳でユーが化け物の頬を殴った。
――ぐがぁ!
と化け物が短い悲鳴を上げた。同時に肉を打つ音が響く。その音は離れた位置にいるアリスの耳にもはっきりと聴こえた。平手で頬を叩く音と、拳で腹部を打つ音を混ぜ合わせたような音であった。
頭部が殴り飛ばされ化け物は大きくのけぞった。
化け物はよろけながらも体勢を整える。化け物の口から折れた牙と血がしたたり落ちる。そのまま化け物は唸り声を上げながらユーを睨みつけた。




