13話:砂原の上の死線
マーガレットのこめかみには拳銃の銃口が当てられていた。パーソンは左手で拳銃を握り、マーガレットを右脇に抱え込むようにしてユーを睨みつけていた。右手には錆びた銅色の装飾が施された散弾銃を持っている。
「ちっ!」
ユーが舌打ちをした。忌々しげにパーソンを睨む。
「おねえちゃん……」
瞳に涙を貯め、悲痛な声でマーガレットは自身の姉、アリスに助けを求めていた。
貨物自動車から離れた位置にいたアリスは、すでに状況を把握していたのか必死になって叫んでいた。しかし、その声は距離は開いている為にマーガレットには届かない。ユーには十分に聞こえていた。
「いいか、ガキ! お前には選択肢はないよ!
動くなよ……そうすれば、この小娘は生かしておいてやるよ。だが少しでも動いたら、こいつの脳みそをぶちまけるよ!」
一歩も動かないユーにパーソンが吠える。
「わかった」
パーソンの要求にユーが無表情で返答する。平然とした態度を見せていたが、ユーのこめかみには血管が隆起していた。静かな怒りがユーの瞳に宿っていた。碧眼のユーの瞳が怒りによって微かに輝いているようにも見えた。
「動くなよ。お前はそこに馬鹿みたいに突っ立っているだけでいいんだよ!
見えるだろう? この銃には『ドロップ弾』が入れてあるんだ。少しばかり体が頑丈らしいが、こいつならお前を確実に殺せるよ!」
パーソンがゆっくりと散弾銃の銃口をユーに向ける。
銃口が移動する間もユーは微動だにせず、パーソンを凝視していた。
「あう……」
ユーの顔を見つめるマーガレット。その体は小刻みに震えている。怖がっているのか助けを求めているのか区別がつかない悲痛な声をこぼしている。
「心配するな」
静止した状態でユーが言った。両手が力なく垂れさがり、両足はわずかに開いている。
「うう……」
ユーのことばにマーガレットが息をのむ。
「しゃべるんじゃないよ!」
パーソンが吠える。その口元は吊り上がりほくそ笑んでいる。自分が絶対的な優位にある事を確信している様子であった。
「動くなよ」
ユーの胸部、心臓あたりの位置に銃口が向けられた。その状態でもパーソンの左手の拳銃は、マーガレットのこめかみを捉えている。
にたりと吊り上がったパーソンの口元から発達した犬歯が見える。
ひひっ、とパーソンの口から粘ついた小さな笑い声が漏れる。ユーを殺せるのが楽しくて仕方ないようであった。
「なあ……」
ユーが再び口を開く。
「しゃべるなと言っただろうが!」
再びパーソンが吠える。
「一言くらい言わせてくれよ」
困ったような表情でユーが言う。しかし、どこか芝居がかっている。
「お前にしゃべる権利はないよ! もういい。クソガキ! お前のことばは聞き飽きたよ。
……死ね」
挑発ともとれるユーの態度にパーソンは激高する。
そして散弾銃の引き金にかけた指に力を込め。
「硝煙よ――『燻せぇ!』」
パーソンの号令と共に、散弾銃の銃身が赤く発光する。
同時に乾いた音が響き、銃口から放たれた爆炎がユーに襲い掛かった。
ユーのいた場所から炎が噴出し、黒煙が舞い上がる。一方向に向けて放たれた爆炎はユーの後方、数メートルの範囲をも焼き尽くす。灼熱の炎はパーソンとマーガレットには届いていなかった。
熱を帯びた風がパーソンとマーガレットの肌をなでる。
「おにいちゃん!」
マーガレットが悲鳴を上げた。
「ようやく、あの忌々しいガキを殺せたよ! 貧弱な人間ごときが調子に乗るから、こうなるんだよぉ!」
愉快そうな表情でパーソンが言う。
ユーのいた場所が燃えている。炎と共に舞い上がる黒煙の為に、ユーの状態を判別する事ができなかった。
「死体も残らないねぇ!」
パーソンが腹の底から笑い声を上げる。
「くふっ! くふふ」
可笑しくてたまらないのかパーソンは笑うのを止めなかった。笑いをこらえようとするも、こみ上げる笑いを止められずに口から音がこぼれる。
「焼き挽肉になったかねぇ?」
やがてパーソンがユーのいた場所を確認する為に、覗き込もうとすると。
「悪いな」
爆炎の中からユーの声がこだました。
「なぁ!?」
覗き込もうとした状態でパーソンが硬直した。パーソンが調子の外れた声を上げる。
「あっ!」
マーガレットが驚いた声を上げる。しかしその表情は嬉しそうにほころんでいる。
「挽肉になるどころか、無傷なんだよな」
炎の中からユーがゆっくりと歩きながら現れた。
ユーの体には傷ひとつ付いていなかった。その代わりユーが着ていたポロシャツはほとんどが灰と化し、カーゴパンツの一部が焦げていた。後はユーの体に黒い煤がわずかに付着しているだけであった。
「あ、ああ……」
開いた口が塞がらないパーソン。ユーがゆっくりと接近しているにも関わらず、パーソンは動くことができなかった。その体は小刻みに震えている。
右手に持った散弾銃が滑り落ちる。金属のぶつかる音が響いた。
パーソンとの距離は1メートルを下回っていた。
それでもパーソンは動かなかった。額から玉のような冷や汗が噴出している。
「脅かすようで悪いが。そいつじゃ……俺は殺せない」
パーソンの顔を凝視したままユーが話す。すでにユーは歩みを止めていた。
「化け物がぁ……」
パーソンは怯えていた。歯を震わせたまま、弱気なことばをユーに投げかける。
「ふたつ、教えてやる」
「な、なんだ……」
「ひとつ目は『ミアズマ』の事だ。あいつら強いだろう? あいつらには通常兵器が効かねえ。ナイフも銃も爆薬も、平然とはじき飛ばす。『ドロップ弾』も少ししか効かねぇ。
なぜだか分かるか? 別にあいつらは体が大きくて頑丈なだけじゃねぇんだ。それだけなら普通の『プレイヤー』にも殺せるからな。あいつらが強いのは。
この世の物理法則そのものに耐性を持っているからだ」
「う、うそだろ……」
「嘘じゃねぇよ。どういう理屈か知らないが『ミアズマ』は、物理法則を無視できるんだ。
当然、全てじゃない。あいつらだって限界はある。圧倒的な物量で攻めればいつかは仕留められる。まあ、あいつらも星の数ほどいるから厳しいだろうな。
どうやら大地を覆う『瘴気』が関係しているらしいが……」
「だから何だと言うんだい!」
パーソンが吠える。その声には迫力がなかった。虚勢を張っているのが一目でわかる。
パーソンのことばにユーが大きなため息を漏らす。そして右手をゆっくりと持ち上げる。
「まだ分かんねぇのか? 俺にも『ドロップ弾』が効かなかっただろ。
別に躱したわけねえぞ。
つまり俺が言いたいのは――俺にも『ミアズマ』の力があるって事だ。それがふたつ目だ」
持ち上げた右手の親指で自らを指しながらユーが言った。
「なんだ……それ……」
ユーのことばに力なくパーソンが答える。パーソンに捕らえらているマーガレットも困惑した表情でユーを見つめている。
その時パーソンは何かに気が付き絶句した。
「お、お前……まさか」
「おっ、ようやく気が付いたか」
煤の付いた胸元を右手の指でなでながらユーが、パーソンのことばに答える。
「俺は、お前がこわいこわいと言っていた『A級プレイヤー』だよ」
「ふ、ふざけるな! お前みたいなガキが!」
パーソンの体は震えを増している。
「事実を言っただけだが」
「だ、だまれ! だから何だい! この小娘が見えないのか!
仮にお前が、あの化け物と同じだとしても人質がいる事には変わりないよ!」
パーソンが左手の拳銃をマーガレットのこめかみに無理やり押し当てる。
「いや……」
マーガレットが小さな悲鳴を上げる。
拳銃の引き金にパーソンの指がかかる。
「ああ、ひとつ言い忘れていたが」
一触即発の空気の中、ユーがつまらなそうに言った。
「お前」
そしてユーは両手を力なく垂れ下げた。両手だけではなく体全体が力なく弛緩している。
落ち着いた様子で脱力していた。
「俺の間合いに入ってるよ」
「な!?」
一瞬の行動であった。
体を弛緩させていたはずのユーがいきなり飛び跳ねた。
同時にユーの右手が、パーソンの持つ拳銃の筒に滑り込む。パーソンが反応するよりも前に右手の甲で拳銃を払い飛ばした。
拳銃が明後日の方向へと消えて行く。
そのままユーは左手を持ち上げたまま、自らの体をマーガレットとパーソンとの間に潜り込ませる。そして左手をパーソンの腹に添えるように置き。
「あ……」
軽く押した。それだけでパーソンは体の均衡を崩し、仰向けにひっくり返った。何が起こったのか分からない様子でパーソンが呆けている。
マーガレットも体勢を崩して尻もちをついていた。
「キルゾーンだ」
倒れ込んだパーソンにユーが素早く馬乗りにまたがった。パーソンの両腕をユーの両足がしっかりと挟み込んでいる。
「ま、まっ……」
我に返ったパーソンが静止の声を上げようとする。
「やだね」
しかし、その前にパーソンの顔面にユーの右拳が襲い掛かった。
パーソンを殴った衝撃で貨物自動車が一瞬であるが跳ねた。
その音は人体が発してはいけない音であった。それは拳が肉を打ち付ける音でも、拳が骨をきしませる音でもなかった。
大きな鉄の塊が、金属の板にぶつかる音であった。金属製の箱が潰れてきしむ音にも似ていた。車が正面衝突するとこういう音がでるのかもしれない。
「ぼ……」
パーソンの頭部があった部分が大きくへこみ歪んでいた。
悲惨であったのはパーソン自身である。
パーソンの顔が大きく陥没していた。鼻と口がひしゃげている。すでに原型を留めていなかった。鼻があったと思われる位置から血があふれ出している。血が止まる気配はなかった。
「ぼ……」
白目を剥きながらパーソンは痙攣していた。前歯と唇と体毛が混ざり合った部分から、水気を含んだ呼吸音が漏れ出す。
致命傷であった。パーソンの後頭部からも鮮やかな赤い血が流れていた。
パーソンの体が小刻みに震えている。だがパーソンの体がやがて動かなくなる事は明白であった。
「理不尽だな」
痙攣するだけの骸と化しているパーソンにまたがったままユーが、吐き捨てるように呟いた。
「お、おにいちゃん……」
ユーの後ろからマーガレットが声をかけた。尻もちをついたままであった。
「マーガレットか」
ユーがマーガレットに顔を向ける。
マーガレットが立ち上がろうとする。
「まて」
ユーがマーガレットを静止した。声は荒げていなかったが、有無を言わさぬ迫力があった。
「ひう!」
マーガレットの体が小さく跳ねた。何事かとユーの表情を見る。
「驚かして悪い。だが、そのまま立つと不愉快な物が目に入る。
目をつぶってろ。俺がそのまま運んでやるから」
「……わかった」
ユーのことばにマーガレットが素直に目を閉じる。
そしてユーが立ち上がる。そのままマーガレットに歩み寄る。
「行くぞ」
そう言ってユーはマーガレットを両手で抱きかかえる。マーガレットは力強く目を閉じたままその身をユーにゆだねている。
「そういえば」
そう言ってユーは貨物自動車の後方を見た。
パーソンの乗っていた貨物自動車の後方では、何台かの貨物自動車が走っていたはずであった。いつの間にか、後方からの反応が消えていた。
ユーはパーソンと対峙している最中に、激しい戦闘の音が聴こえてきたのを思い出していた。
「さっきから後ろの連中がこないと思ったら……」
1人で呟くユー。
視線の先では炎に包まれた貨物自動車が、化け物になぎ倒されている光景が見えた。
すでに後方には貨物自動車が1台も存在していなかった。
化け物がユーのいる貨物自動車に向かってくるのが見える。
「あいつらを囮にしようと思ったのに。
使えねえ連中だ」
そしてユーは貨物自動車の前方を見渡した。
「……いたな」
100メートルほど離れた位置でアリスの運転する四輪駆動車が見える。ユーの瞳には悲痛な表情で叫んでいるアリスの様子が映った。一生懸命、身振り手振りを交えながらユーに何かを伝えようとしている。
四輪駆動車は貨物自動車に向かっていた。
「あぁ、やっぱこっちくるよなぁ」
「おねえちゃん? くるの?」
不安げな様子でマーガレットが尋ねる。
「ああ、そうだ。急がないとやばいからな。
はあ仕方ねえ。戦闘は避けられんな」
ユーがその場で膝を軽く曲げた。そのまま姿勢を前方に少し傾ける。
それと同時に脚元の部分から金属のきしむ音が響く。ユーの脚からも肉の引き締まる音がはっきりと響いてくる。
「マーガレット。今から激しく動くから、しゃべるなよ。
舌噛むぞ」
目をつむったマーガレットが無言で頷いた。
「よし。行くぞ!」
掛け声と共にユーが大きく跳び上がる。脚をつけていた部分が大きく陥没していた。ブーツの脚跡がくっきりと刻まれている。
一瞬でユーは貨物自動車から空中を駆けながら離れて行った。
やがて残された貨物自動車は、後から追ってきた化け物の群れによって蹂躙されていった。




