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六道奇譚  作者: みつまめ
【六道】と【六道】
3/4

前編

 やけにすっきりとしない目覚めだった。

 猛はまだ重い瞼を無理矢理持ち上げると、ぼんやりと写る天井を眺めた。

 寝起きは悪い方ではない。なのに、今日に限って頭の中は酷く重く、思考回路も働かない。

 起きる気力もなく寝返りを打つと、左手首に巻いたままの白布が視界一面に広がった。


──あァ……そうか。


 自分が巻いたその布に、昨夜の事を朧気ながらも思い出す。

 まだ十一時にもなっていなかったはずだったが、恐らく【六道】を使ったせいだろう。家に帰った時には酷く疲れていて、風呂もそこそこにベッドに潜り込んだのだ。

 枕元の携帯を取り上げ時刻を確認する。七時を少し回った時間。そろそろ起きないと、電車通学の猛は学校に間に合わない。

 のろのろとベッドから抜け出すが、その動きは酷く鈍い。まだぼんやりとする頭で着替えを済ませる。

 その時。視界の端に何かがちらつく。

 ゆっくりと視線を其方へ向けると、淡い光がふわりと動いていた。


「……何だ。コレ」


 思考回路はまだ鈍い。警戒心もなく光を掴むと、光は指の隙間からするりと抜けた。これと言った感触はない。

 光は不安定に発光しながら室内を漂っていたが、猛の手首に当たると、ガラスが砕けるようにチラチラと微かな光の粒になって消えた。

 何なんだろうかと、猛はぼんやりと手首に巻いた白布と光が消えた辺りを交互に眺めていたが、瞳の呼ぶ声に慌てて荷物を纏めた。




 光の正体が分かったのは、葉月のメールが来た三限目の終わりだった。

 普段はマナーモードにしてある携帯の着信に、最初に気付いたのは一ノ宮だった。


「猛、携帯鳴ってんぞ?」

「ンあ?」


 あまりにすっきりとしない目覚めだったせいか、三限目の頭から爆睡していた猛は、ガタガタと机を揺らす一ノ宮の声に顔を上げた。

 机の上に放り出してあった携帯のランプが点滅している。まだ眠い目を擦りながら携帯を取り上げ、メールを確認する。

 まるで見透かしたような内容のメールに、猛はカクリと頭を垂れた。


『おはよー。目覚めはどうだ?あまり良くないとは思うがね(笑)

 たぶん、今日には光だったりモヤだったりの何かが見えてるとは思うけど、あんま気にすんな。

 鬼にもなれない出来損ないだから、白布だけで対処出来る。白布に触れれば消滅するから、深く考えない事だな。


 で、本題。

 君に会わせたい人間が居る。跡部の子も一緒だ。学校が終わったら、駅前で待ち合わせ。五時にはオレも合流するよ』


 二度三度、メールを読み返した猛は、返信する事なく携帯を閉じる。

 一ノ宮は一部始終を眺めていたが、机に頬杖を突くと猛の様子にニヤニヤとからかいめいた表情を向けた。


「返事出さなくていいのか?」

「いいよ、別に。大した用事じゃねェもん」


 仏頂面で膨れて見せた猛は、無造作に携帯を制服へと突っ込んだ。

 今朝の光の正体を知った所で、気にする必要がないのならば気に掛けるだけ無駄と言う物。それ以前に、猛自身は既にそんな事すら忘れていた。

 跡部の人間が会いたがっていると言うなら、断る理由もない。約束は放課後だから、今すぐ返信する必要がないのも事実だった。もっとも、寝起きの頭で思考回路が鈍っているせいもあるのだが。

 くぁぁと大きな欠伸を放った猛は、そのまま放課後まで、メールの事を忘れていた。




 放課後、今からデートだと浮かれた様子の一ノ宮と校門前で別れた猛は、矢張のろのろとした調子で駅までの道を歩き出した。

 今の猛は葉月からのメールの事などすっかり頭にはなく、ただただ倦怠感と眠気に襲われるのみ。何度も欠伸を零しながら、通い慣れた道を半ば無意識に歩みを進めていた。

 その違和感が無ければ、恐らくそのまま電車に乗っていただろう。

 だが、ふと視界の端を横切った物の姿に猛は足を止めた。

 通り過ぎたのは同じ市内の公立高校の制服を来た三人の男子生徒。雑談を交すその中の一人の頭頂に妙な物が見えた気がして、猛は三人を振り返った。


──何だ……。


 薄い茶金色に染め抜かれた髪の中、象牙のような光沢を持った物が見える。

 角のようにも見えるそれは、長さ五センチぐらいだろうか。一緒に居る他の生徒達には見えていないらしく誰も気にする様子はない。

 気になった猛は家路に向かう足先を反転させると、少し離れた三人を見失わぬようにその後を追い始めた。

 角を持つ少年は何処にでも居るような高校生。雑談の中で交す笑みにも、別段変わった所もない。

 警戒するに越した事はないと思いつつ付かず離れず三人を追う。三人は猛に気付かずに、大通り沿いの本屋に入った。少し遅れて猛も店内に入る。

 さして広くない店内だったが、辺りを見回しても三人の姿はない。

 一応見て回った方が良いだろうと欠伸混じりに店内をうろつくと、漫画の並ぶコーナーに立つ三人を見付けた談笑を続ける三人は、やはり猛には気付かない。しかし猛は言い知れぬ違和感に眉を顰めると、歩み寄る足を止めた。

 胃の辺りに感じる圧迫感。昨日に引き続き体調に生じた異変に、猛はぐっとみぞおちの辺りを掴む。手首に巻いたままの白布が、手首を通って胃の方へと熱い何かを流し込む。


──【六道鬼】か?


 確信に近い思いを抱きつつ、三人に向けてゆっくりと一歩を踏み出したその時。

 不意に角を持つ少年の手を掴む少女が居た。

 同じ市内の私立高校の服を着た少女は、真っ直ぐに少年を見上げた。


「やめた方がいい」

「っ!?何だよ、アンタ」

「万引きで人生狂わせたいの?」


 唐突な発言。普通ならば濡衣だ誤解だと言った遣り取りが交されただろう。

 しかし少年は違った。

 猛の目から見ても明らかに顔色が変わっている。


「へ、変な事言うなよ!俺が万引きしたってのか!?」

「しそうだったから止めたの」


 乱暴に手を振り払った少年は少女に詰め寄るが、少女は冷静その物。

 動揺しきった少年の様子に、他の二人はオロオロと成り行きを見守るのみ。

 少年と少女は黙って見つめあう。と言うよりも、少年が少女を睨みつけているのだが、少女は平然として制服のポケットに手を突っ込んだ。


「変な気は起こさない方が良いよ」


 パシッと少年の腕を叩いた少女は、そのまま何事もなかったかのように少年の脇を通り抜ける。

 埃を払うような所作だったが、その瞬間、少年の頭にあった角の姿は消えたのを猛は見逃さなかった。

 少女は猛の傍らで足を止めると、一部始終を眺めていた猛を見上げた。


「一坂さん、行きましょう」

「え?あ……ちょっ」


 声を掛けられた事もそうだが少年の様子も気になった猛はすぐに反応出来ない。

 しかし少女は猛の事など気にせずに店の外へと出ようとする。

 猛はチラリと少年の様子を伺ったが、すぐに少女の後を追った。


「相馬さん、遅いわね」


 スタスタと一定のペースで少女は歩く。

 先程の事と葉月の名前に、猛はようやく少女の名に思い当たると、少し足を早めて少女の隣に並び立った。


「五時って言ってたから。……自己紹介とか、した方が良いのかな?」


 歩く度に黒髪が揺れる。

 以前見掛けた時は深夜で、碌に顔も覚えていなかったが、この黒髪は印象に残っている。

 少女は猛を見上げると、無表情のまま首を傾げた。


「…………知らない?」


 主語のない質問に、一瞬何の事だろうかと猛は首を捻る。しかし自分に向けられた視線と話の流れを考えれば、自己紹介の事だろうと見当はつく。

 猛は僅かに苦笑すると口を開いた。


「いや……跡部さん、だろ?」

「そう。……知ってるのね」


 名前を──正確には姓を知っているだけで、相手の事を知っていると言えるのかどうか。

 猛は甚だ疑問だったが、それ以上少女が口を開かないので、質問内容を変える事にした。


「一坂猛。橋爪の二年。跡部さんは白河女子なんだ」


 市内ではお嬢様高校と言われている白河女子高校。少女の制服から分かるのはそれだけだったが、話の糸口には充分だった。


「そう。一年。……跡部陸」

「陸?」

「名前。……好きに呼んで」


 陸の表情は変わらないが、その口調から少しだけ固さが取れる。

 猛は知らず口許を緩めると、陸を見下ろしたまま頷いた。


「俺も猛で良いから」

「うん」


 存外素直に頷くと陸はスカートから携帯を取り出した。するすると親指で操作をすると耳元に当てる。

 それを横目で見ながら猛は何とはなしに時刻を確認した。

 現在午後四時過ぎ。葉月が来るまでにまだ一時間近くある。

 陸と二人で過ごすには少しばかり長いとすら思えたが。


「もしもし。……うん……いえ。もうすぐですけど」


 並び歩く陸を見ると、陸は無表情のまま淡々と受け答えを交している。

 しかし不意に陸は自分の携帯を差し出すと、少し首を傾げて猛を見上げた。


「相馬さん」

「え?」

「変わってくれって」


 必要以上の事は言わずにズィと携帯を差し出され、戸惑いながらも猛は携帯を受け取った。


「……もしもし?」

『あー猛クン?返事来ないからイタ電してやろうかと思ってたよ。ちゃんと読んでくれたみたいで良かった』

「すみません、忘れてました」


 素直に返事をするとスピーカーの向こうから笑い声が聞こえた。別段気分を害した様子のない事に、猛は内心安堵した。


『ま、いーや。ちゃんと会えたみたいだし。オレ、今から出るんだけど少し遅れそうなんだよね』

「今何処ですか?」

『ン?秘密~。だから悪いんだけど、先に陸チャンと二人で駅裏の仙崎ビルに行っといて』

「は?」


 何が「だから」なのか。事情の掴めない猛は思わず陸を見下ろした。

 陸は表情を変える事なく猛が話し終わるのを待っている。


「どう言う事ですか?」

『三階の板倉弁護士事務所にオレの親父が居るの。相馬の大爺さんが亡くなる前から、親父が相馬の雑務一切を取り仕切っていてね。猛クンはまだ挨拶してナイでしょ?』

「あ……ハイ」

『ま、そー言うコトだから。オレもなるべく早く行けるようにするからさ』

「……お願いします」


 どう返せば良いものやら。何と無く葉月の口調に乗せられた感を拭えずに、曖昧な返答をすると電話は切れた。

 携帯を陸に返すと陸は猛をチラリと見て、少し眉を顰めた。


「……相変わらずね」


 ポツリと溢した言葉に猛は小さな空笑いを漏らすと、葉月の言っていた仙崎ビルへと向かった。




 仙崎ビルは他の雑居ビルと同様、少し薄汚れた雰囲気だった。

 先を歩く陸は訪れた事があるのか、迷う様子もなくエレベーターへと向かう。猛は気後れしながらもその後に続く。

 制服姿の自分は少し──いや、かなりこの場に不釣り合いな気もするが、それはこの際仕方ない。いつも怪しげな格好をしている葉月と比べれば幾分マシかも知れない。

 板倉弁護士事務所とプレートが掲げられた扉を開けると、出入り口付近に座っていた事務員らしき女性がこちらを見た。


「相馬和之さんに会いたいんですが」

「失礼ですがお約束は?」

「相馬葉月の名で。跡部と一坂が来たと伝えて頂けますか」

「少々お待ち下さい」


 あくまで事務的な口調での受け答えを聞きながら辺りを見回す。

 いくつか並ぶ事務机には今は誰もおらず、室内は比較的静かだ。

 三階全てを借りているのか、奥にも扉が見える。

 女性は机の上の電話を取り上げると、二三言葉を交して電話を切った。


「奥へどうぞ。相馬がおります」

「失礼します」


 浅く頭を下げて部屋の奥へと向かう陸。それに倣って猛も小さな会釈をすると、慌てて陸の後に続いた。物珍しさできょろきょろとしている猛と違い、陸は矢張スタスタと歩いて行った。

 奥に続く扉を開けると左右に長い廊下が続く。向かいの部屋のプレートに板倉と記されている所を見ると、何人かの弁護士が個別に部屋を持っているらしい。

 その中の一室の扉が開いたかと思うと、中から初老の男性が現れた。

 渋色のスーツを着こなし襟にはテレビでしか見た事がない弁護士バッジを着けている。パッと見は気難しそうで近寄りがたい雰囲気だったが、男性は二人に気付くと頬を緩めた。


「わざわざすまないね、二人とも。葉月から連絡は受けているよ」


 一転して柔らかな雰囲気を携えた葉月の父親は大きく扉を開けると二人を迎え入れた。

 入ってすぐの場所に六人掛けの応接セット。正面には他の部屋でも見た事務机が一式。壁には大きな本棚が二つ据えられている。

 観葉植物もなく殺風景な印象を受けるが、不思議と居心地は良い。


「お茶かコーヒーか紅茶。どれが良い」


 二人がソファに腰を下ろす間にも内線電話を手にした相馬が問掛ける。

 陸が紅茶を頼むのを見た猛は、同じものを相馬に頼んだ。

 葉月の父親と言うからにはそれなりの年齢なのだろう。しかしその年頃にしては背が高い。体格もがっちりとしていて、その事がより近寄りがたい雰囲気を醸し出していたのかと猛は思った。

 電話を終えた相馬は事務机の書類を整えると、改めて二人に視線を向けた。


「御当主の若い頃に良く似ておられる。もっとも、私も写真でしか知らないが」


 猛を見つめ、半白の眉を下げ目を細める。

 今まで向けられた事のなかった類の視線に猛は少し戸惑った。眠気で頭がうまく働いていないせいもある。はぁ…と曖昧な返答を返す猛を見て、相馬は小さく微笑んだ。


「さて、何から話すべきなんだろうな」


 向かいのソファに腰を下ろした相馬は、低い唸り声を漏らしながら指先で顎を撫でた。

 その間も陸は眉一つ動かさず、相馬と猛の二人を静かに見守っているようにも見える。

 猛は手首に巻いた白布に視線を落とすと躊躇いがちに口を開いた。


「あの……俺、今日は突然ここに来るように言われて。彼女と会うのも初めてだし、葉月さんからも何も聞いてなくて…」


 隣に座る陸の様子を伺いながら言うと相馬は申し訳なさそうに眉を寄せた。


「あぁ、不承の息子ですまんね。アレも中々に一筋縄でいかん奴でな。色々と迷惑を掛けて申し訳ない」


 恐らくは葉月の事だろう。あからまさに呆れた様子を隠さずに苦笑する相馬の姿は──当然と言えば当然だが──葉月に良く似ていた。


「なら……まずは相馬家について話そうか。今日此処に来て貰った件についてはそれからだ」




 相馬家は元々刀鍛冶を生業にしていたと言われている。

 君の持つ【六道】のように、相馬の刀は邪を祓う力を持つ物が多くてね。名刀と呼ばれる物はなかったが、それ以上に奉納の儀式や守り刀として扱われる事が多かったらしい。

 それが約八百年ほど昔の事だ。

 それから六百年の間の事ははっきりとした資料は残ってはいない。

 だが、戦国時代になりあがったのか銘工として取り上げられたのか……相馬の名前が次に出るのは江戸時代になる。その頃には相馬は武家としての地位を確立し、鍛冶職は廃業している。【六道】も既に家宝として扱われていたようだ。跡部の名もこの頃の資料には既に残っている。

 だが相馬家は禄も少ない貧しい家柄だったから、明治維新では真っ先にお家を取り潰される事になった。

 本来ならば跡部も家臣としての任を解かれた筈だったが……余程の忠誠があったんだろう。相馬が武家でなくなった後も、跡部は相馬に尽してくれていたらしい。

 だからこそ、跡部の人間に小太刀【六道】を与えたんだろうね。


 さて。

 明治の始め……お家が取り潰されてからの事になるが、当時の相馬家には四人の兄弟が居た。

 当主である相馬喜一郎。つまり相馬本家の血筋だな。

 それから次男の相馬重次。彼は元々あまり体の強い人ではなかったらしく、子供を儲ける前に亡くなっている。

 三男の相馬清三郎は私の祖に当たる。仏門に帰依していたが明治の終わりには俗世に戻り、小柄【六道】の継承者として生を全うした。

 そして四男の相馬四平。彼の家も現在も相馬分家として残っている。

 それぞれ暮らしは違えど、今も昔も相馬家は付かず離れずと言った生活を送っている。私も含め相馬の血を引く者は皆、【六道】に関わる事を余儀なくされているせいでね。




 話し終えた相馬は途中運ばれてきたお茶を口に含むと、ふぅと小さな吐息を漏らした。

 猛は──熱心にとは言い難いが──耳を傾けながら無意識に撫でていた左手首へと、視線を落とした。


「現在も第一分家と第二分家はそれぞれ、相馬本家のサポートを続けている。本来ならば両家は小柄の継承者として本家を支える立場なんだが…昭和の大戦の折に小柄の消息は不明になってしまってね。……申し訳ない」

「いえ」


 産まれる前の事を謝られても猛にはいまいちピンと来ない。

 それよりも初めて聞いた相馬の事情に、動きの鈍い脳内で情報を整理するので一杯だった。


「今は葉月さんが小柄の継承者と聞いたんですが」

「あぁ、アレは生まれつき【六道鬼】が見える眼を持っていたのでね。これは本来【六道】を持たなければ有り得ない能力なんだが、時折そういう人間が産まれるらしい」

「……あぁ」


 そう言えば昨夜そんな事を言っていたのを思い出し、猛は曖昧に頷いた。


「小柄の消息が分からない以上、今は葉月程サポートに適した人間がいないと言う事で、アレが継承者と言う事になっている。……性格には私も疑問を持つがね」


 父親らしからぬ物良いで相馬は苦笑を漏らす。肉親だからこそ疑問に思う事もあるのかも知れない。

 温くなり始めた紅茶を口に含んだ猛は、葉月の様子を思い出して何とも言えぬ笑みを浮かべた。


「さて、ここまでで疑問はあるかな?」

「いえ……特には」


 日本史か何かの授業を聞いているような気分のせいか、すぐには疑問に思うような事は浮かばない。

 首を振った猛を見留め、相馬は一つ頷くと湯飲みをテーブルに落ち着けた。


「それじゃあ、ここからが本題だ」


 改まった相馬の口調に猛は自然と姿勢を正した。

 相馬は一度軽く二人を見ると、引き締めた表情で席を立った。


「【六道】を手にしたからには君にも【六道鬼】を退治して貰わなくてはならない。これは相馬家跡部家関係なく、【六道】を受け継いだ者の役目だ」

「は……はい」


 資料を手にした相馬は席に戻ると、テーブルの上に資料を広げた。

 陸は無言のまま資料を手にする。それを隣から覗き込んだ猛だったが、何やらつらつらと文字が綴られているだけでよく分からない。

 詳細は陸に任せる事にして、猛は相馬に向き直った。


「マスコミでも騒がれているので君も知っていると思うが、ここ数日市内で野犬の群れに因る傷害事件が頻発している。調べではそれが【六道鬼】の仕業らしくてね」


 相馬の言う事件ならば猛もニュースで知っていた。

 夕刻から深夜に掛けての時間帯、市内の外れで野犬に襲われたと言う事件が後を断たない。被害者は決まって学生である事に、警察各所では頭を悩ませているらしい。

 猛の学校でも始業式の日にホームルームで担任から注意を受けていた。


「【六道鬼】は畜生が中心となると思う。もしかすると他の【六道鬼】も絡んでいるかも知れないが、まだそこまでは分かってはいない」

「畜生……」

「厄介な相手ね」


 呟いたのは資料をテーブルに置いた陸だった。代わりにティーカップを手にした陸は、眉間に浅く皺を刻んで紅茶を飲み干す。

 陸の言葉の意味が分からず猛は首を捻ったが、相馬は何も言わずに湯飲みを手にした。


「出来れば今日中にでも現場に向かって欲しい。君のご両親には私の方から連絡をしておこう」


 有無を言わせぬ物言いで告げた相馬は湯飲みを傾けて唇を湿らせた。

 猛は一度小さな吐息を漏らすと、テーブルの上の資料に視線を落とした。




 七時に駅で陸と待ち合わせをした猛は、一度自宅へと帰る事にした。

 【六道】を持っていなかったからだったが、あまり制服姿でウロウロしていたくなかったせいもある。

 家に帰ると母の早苗が晩御飯の支度をしている途中だった。

 猛は自室に戻ると昨夜からケースに入れっぱなしだった【六道】を取り出した。すらりと鞘から抜き取ると、繊細な波紋が室内の明かりを照り返す。それはまるでこもれ日のようで、猛は暫く黙って【六道】を見つめていた。

 六時を回り【六道】を鞘に納めた猛は、私服に着替え荷物を纏める。

 早苗は相変わらずキッチンに居るようだったが、何も言わずに出かける訳にも行かない。

 少し顔を出して家を出ようとした猛だったが、不意に早苗がキッチンから顔を出した。


「猛、ちょっと来て頂戴」


 早苗の様子にいつもと変わった雰囲気はない。

 呼ばれるままにキッチンへと向かうと、早苗は猛に背を向けたまま、包丁を片手に食事の支度を続けた。


「さっき和之君から連絡があったわ」


 まるで今夜の晩御飯はハンバーグよ、とでも言うように早苗の口調は自然だった。

 猛は一瞬何の事か分からず目を見開いたが、それが相馬の言っていた事だと分かると軽く息を飲んだ。


「お祖父ちゃんが何をしていたのかは知っているわ。アンタがそれを継がなきゃならなかった事もね」


 トントンと小気味良い音が猛の耳に届く。何故かそれが耳障りで、猛は眉を寄せながら早苗の背中を見つめていた。


「本当は私が話すべきだったんでしょうけど、本家から離れた私には何も出来ないからね。和之君と葉月君に全部任せる事にしたの」


 そこまで言うと早苗は包丁を置いた。タオルで手を拭いながら振り返ったその顔は、少し申し訳なさそうに見えた。


「私がアンタに言えるのは、『精一杯やりなさい』って事だけ。お祖父ちゃんの遺志だとか相馬の家だとか関係なく、与えられた役目は自分に悔いが残らないようにこなしていきなさい」

「……うん」


 祖父が亡くなってから暫くは早苗には当然の事ながら元気がなかった。しかし今はそんな素振りは欠片もない。

 空元気なのか、それとも元々の気性なのか。穏やかな眼差しはいつものそれと代わりなく、猛は少しだけ肩の力を抜いた。


「さ、行ってらっしゃい。無理だけはしないようにね」

「ん、行ってきます」


 早苗を安心させる為か。それとも早苗の様子に安心した為か。

 自然と笑みを零した猛は、肩に【六道】の重みを感じながら待ち合わせの場所へ急いだ。



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