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六道奇譚  作者: みつまめ
継承者
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後編

「遅いよ、猛クン~。暑さで溶けるかと思ったさ」


 学校に着いた猛を迎えたのは、校門の前でヤンキー座りをしていた、葉月の間伸びした声だった。

 薄暗い中でも目を引く真っ赤なアロハシャツに、先日同様ダメージジーンズとグローブ。片手には扇子を持ち、ゆらゆらと風を送っている。陽も落ちたと言うのに偏光サングラスを掛けたその姿は、どう控え目に表現しても、チンピラかヤクザとしか言えない。

 思わず眉間に皺を刻んだ猛だったが、ひっそりと溜め息を零すのみで、何も言わずに葉月の元へ歩み寄った。


「おー、ちゃんと持って来たな。偉い偉い」


 外灯の下、浮かび上がる猛の姿。猛の背には大きめのバックパック。そこからはみ出しているのは、桐の箱に入れられたままの【六道】だ。それ見留めた葉月は、子供を褒めるような口ぶりで、扇子で猛を指し示した。


「葉月さんが言ったんだろ。……恥ずかしかったんだからな」


 重量もさる事ながら、一メートルを越す桐の箱は、電車でも街中でも、嫌でも人の目を引いた。その事を思い出し、重い荷物を地面に落としながら、悔然とした表情を葉月に向ける。葉月は軽薄そうな笑みを口許に浮かべると、悪びれた様子もなく閉じた扇子を左右に揺らした。


「あァ、ゴメンゴメン。先にコレ、渡すべきだったな」


 よいしょ、と立ち上がった葉月が落とした視線の先には、肩紐の付いた真っ黒な袋。剣道部や弓道部の生徒たちが持っている、それである。


「コッチの方が怪しくないし、学校にも持って行けるだろ」

「部員でもないのに持ってく方が、怪しいと思う」


 低く呟いた猛の声が聞こえないはずはなかったが、葉月はあっさりと聞き流し、空のケースを肩に担ぎ、猛から校舎へと視線を転じた。

 つられて猛も校舎を見る。

 午後八時を回っているせいか、流石に辺りに人の気配はない。ポツポツと一階に点る明かりは、恐らく守衛室か事務室だろう。特別な事がない限り、どんなに遅くても部活は七時には切り上げられるし、残っている教師や事務員も、殆んどいない。九時には校門は閉ざされ、朝になるまで学校に入る事も出来ない。


「さて……猛クン。【六道】、出してくれる?」


 校舎から視線を外した葉月は、扇子の先で桐の箱を示す。

 何故、とか。ここで、とか。思う事は多かったが、葉月の口調に有無を言わせぬ物を感じ、猛は素直にバックパックから桐の箱を抜き取った。

 六日前、祖父の元で取り出した時以来、猛は【六道】を触った事はない。蓋を開けると、あの時と同じように、白い布に包まれた姿を表す。白布ごと桐の箱から取り出すと視界の端に、グローブを填められた手が見えた。


「布」


 手の持ち主の単語は、猛に白布を取る事を要請している。言われるままに、ぎこちない手付きで【六道】を包む白布を外す。外して初めて気付いたが、【六道】を包んでいた白布は、細く長く、さながら包帯のようだった。

 白布を葉月に手渡す。どうするのかと見ていると、葉月は白布の端に手を掛けて、それを縦に裂き始めた。

 微かに音を立てながら白布は二つに分かれる。


「一本は【六道】に付けといてくれ。そこに穴があるだろ?適当で良いよ」


 言いながら葉月が細い方を猛に手渡す。鞘に造られている二つの通し穴を指差され、猛は一つの穴に細帯状になった白布の先端をくくりつけ、もう一つの穴に白布を通した。鞄の取っ手の形に白布を取り付け、余った部分はぐるぐると鞘に巻き付ける。

 葉月はその様子を眺めながら、更にもう一本。今度は掌ほどの太さに白布を裂いた。


「コレは猛クンの分。頭でも手首でも首でも、短くても良いから、好きなように巻いてくれ。なるべく、肌身離さずに」

「肌身離さず?」


 片手に【六道】を持ち直し、裂かれた布を受け取りながら猛が葉月の言葉を反芻すると、葉月は重々しく頷いた。


「【六道】の力が、ちゃんと猛クンに伝わらないと困るからな。元はただの布だけど、大爺サンの代から巻かれてるから、今は【六道】の力が移ってる。猛クンの力が安定するまで、それが制御装置の役目を果たしてくれるよ。まァ、【六道】所有者の若葉マークみてェなモンだな」


 残った白布を空になった桐の箱に納めながら葉月が笑う。

 からかわれたような気がしないでもないが、言い返せば更にからかわれるであろう事は、ここ数日のメールや電話の遣り取りで、痛いほど身に染みている。

 諦め混じりの吐息を漏らしつつ、猛は【六道】を肩に担ぐと、受け取った布を手首に巻き付けた。長さがある為、全部を巻き付ける訳には行かなかったが、葉月に頼んで余分な部分を裂いて貰う。遠目から見れば包帯のように見えるだろう。

 白布を巻き付けたからと言って、特に何かを感じると言う事もない。そう葉月に告げると、葉月はニヤリと口許を弧に描いただけで、バックパックに桐の箱を詰め込んだ。

 葉月の持つケースに【六道】を納め、葉月は猛のバックパックを背負う。荷物を交換した形になるが、今はそうする必要があると言われれば、反論する気にはなれなかった。


「じゃ……鬼退治と行きますか」

「え?」


 何処となく嬉しそうな葉月の言葉に、猛は軽く目を見開いた。


「鬼って……【ロクドウキ】ってヤツの事?」

「それ以外何があるってェの。猛クンが見たのは、間違いなく【六道鬼】」


 軽い口調で断定され、返す言葉もない。

 【六道】を持って来いと言われたからには、何か関係があるだろうとは考えていたが。いきなり実践になる、などとは思ってもみない事。

 内心焦りを覚えた猛の心中など知ってか知らずか、葉月はサングラスに指を掛けた。


「たぶん、地獄だな。そう強くはないけど……臭いぐらいは残ってっだろ」


 言いながらするりとサングラスを下ろす。

 その奥に隠されていた双眸は、軽い口調とは裏腹に、真剣な色を帯びていた。

 何かを探るように、葉月は校舎を凝視する。何をしているのか、と尋ねたいと思った猛だったが、葉月の表情に口を開くのもはばかられる。結局、猛も黙ったまま、所在無さげに校舎を眺めた。

 帰宅部の猛は、夜遅くまで学校に残った経験は、去年、文化祭の準備で数日居残った時ぐらいしかない。改めて見ると、太陽の下で見るのとは違い、見慣れた校舎は何処か陰欝な空気を漂わせていた。


「そう言えば猛クン、胃が痛んだって言ってたよな?」

「あァ……学校に着いて、暫くしてからかな。その、霧みたいな物が見えた奴、高村って言うんだけど。高村と話してたら凄く痛んだ時があって。……何か、関係あるかな?」


 校舎を見つめたままの葉月の問いに答える。葉月は、ふゥむ、と声を漏らすと、外したサングラスをシャツの胸ポケットに入れながら、猛を見て薄い笑みを向けた。


「いや……そうだな。取り合えず、歩きながら説明すっか。その友達が今、何処に居るか知ってるか?」

「たぶん、まだ塾だと思う。駅前のビルの」

「オーケィ、行こう」


 猛の返事に、葉月は踵を返して駅へと向かう。猛も寸間遅れて葉月の後に続いた。


「キミは意外と、素質があるのかもな」


 小走りに葉月に追い付き、その隣に並び立つと、葉月は何処か楽しそうな口ぶりで言った。


「キミが見たのは地獄の【六道鬼】だ。人の心の隙間に取り憑いて、負の感情を増幅させる。……そしてキミの胃痛の原因も、まず間違いなく【六道鬼】だ」

「え……?」


 意外な言葉に、猛はまじまじと葉月を凝視した。歩くスピードを緩める事もなく、葉月は大通りに続く角を曲がる。


「オレは生まれつき【六道鬼】が見える体質でね。【六道鬼】の力が強ければ強いほど、その残留思念みてェなモンも見えるんだが。さっき学校に見えた【六道鬼】の残り香は二つ。地獄と餓鬼だ」

「餓鬼……」

「餓鬼の特性は、地獄に因って増幅されたマイナス感情を、自分に向けて影響させる点にある。怒りや妬み、悲しみなんかを大きく抱え込ませ、その人を死に向かわせる。キミの友達に取り憑いた餓鬼は、まだそう大きくはないが、このまま放っておけば、高村クンは精神が衰弱しちまうだろう」

「そんなッ」


 他人事のようにさらりと言われ、猛は小さく声を上げる。

 大通りを歩く人の何人かが、二人の方を見たが、葉月は気にする事なく言葉を続けた。


「餓鬼の【六道鬼】は見える事はあっても、此方の体に影響を受ける事は極めて稀だ。だが、キミの胃痛は……友達と『勉強の話』をしていた時が、一番酷かった。違うか?」


 確かに。思い返せば、一番胃が痛んだのは、高村と勉強の事で軽口を叩いた時だ。しかし葉月には詳しい事情など、何一つ説明していない。

 猛の驚きが伝わったか、葉月はフンと鼻を鳴らした。


「『何故自分は、こんなに勉強しなきゃならない』『何故自分は、人を蹴落とさなきゃいけない』『何故自分は、好きな事を諦めなきゃならない』……かなり葛藤してるんだろう。そんな想いが、餓鬼の思念の中に残ってた」

「…………」

「【六道鬼】が表だって現れようとすると、体調に異変が起こるって能力は、そう珍しくはない。その事と高村クンの想い、そしてキミの話を統合すれば、推理は簡単。今、キミの体調が悪くないのは、高村クンが近くにいないからだろう、ってね」


 葉月の言葉を聞きながら、猛は高村の様子を思い出していた。

 高村は笑みを浮かべていた。だが。部活を辞めた時も、今日二人で話していた時も。高村の笑みには、何処か諦めたような空気があった。今思えば、それは高村が出来る、精一杯の助けを求める方法だったのかも知れない。

 猛には、それが酷く悲しい事のように思えて、何も言葉にする事が出来なかった。

 押し黙った猛の隣を歩く葉月は、猛の様子を伺うと、不思議と優しい笑みを浮かべた。


「きっと……優しい子なんだろうな。彼の想いは、自分が望む事じゃないと感じてるくせに、他人を責める言葉は一つもなかった」


 穏やかな口調で呟く葉月の足が止まる。いつの間にか、猛達は駅前へと到着していた。

 人の波は大きい。学生や社会人、その他多種多様な人の群れの中、猛と葉月は自分達を包む異様な空気を感じていた。


「ここからはキミに任せるよ。案内してくれ」

「……分かった」


 肩に感じる太刀【六道】の重みが頼もしく感じる。

 もしかして、祖父もそうだったのだろうかと考えながら、猛は曖昧な記憶を頼りに、駅から僅かに離れたビルへと歩き出した。




 午後十時。

 学生服の人の群れが、ぽつぽつとビルから姿を現す。向かいのコンビニで、雑誌を立ち読みしながら時間を潰していた猛と葉月は、人の動きに気付くと、ビルの出入り口に視線を向けた。近隣の生徒達の群れの中、同じ橋爪學園の制服を来た生徒も居るが、まだ高村の姿はない。

 暫く眺めていると、友人と覚しき人達と共に、高村がビルから出て来た。猛の目には、高村は、やはり夕方の時と同じように、霧が掛ったように見える。その姿を確認した二人は、ビルから出て来た生徒の幾人かとすれ違うようにして、コンビニを出た。

 打ち合わせは済んでいた。人目のある駅前では、【六道】を抜く訳にはいかない。兎も角、高村の後を追い、一人になったところに声を掛ける。あとはその場の成り行き次第。

 そんな大雑把で良いのかと、猛は内心不安に思ったが、それを葉月に伝えると、葉月は自信ありげに笑みを浮かべた。


「大丈夫。やってみりゃ分かるよ」


 高村の姿を目にすると同時に、猛の胃は再び軋み始めていた。心なしか胸焼けもする。


「布に意識集中させとけ。少しはマシになるはずだ」


 大通りを挟んで高村の後を追いながら、葉月が小さく呟く。隣を歩く葉月を見ると、葉月は眉間に皺を刻み、しきりにグローブを填めた手で首筋を摩っていた。

 言われるままに、白布を巻いた手首にもう片手を添え、意識を集中させる。視線は高村へと向けたままだが、胃の痛みはゆっくりと和らいだ。

 二人が後を追っている事など知らない高村は、駅前で友人達と別れ、住宅街へと向かう。幸い、何処にも寄り道をする様子はない。

 閑散とした住宅街。ポツポツと外灯の明かりが三人を照らす。


「……猛クン」


 人気のない通り。葉月の声に猛は小さく頷くと、足を早めて高村に近付いた。


「浩介」


 名前を呼ぶにしては小さな声。だが高村には聞こえたのだろう。霧に包まれた高村が、足を止めてこちらを振り向く。


「タケ?……どうしたんだよ、こんなじか──」


 不思議そうに首を傾げたのか。霧がふわりと動く。しかし、高村の言葉は途中で途切れたかと思うと、霧は酷く濃密な色で高村の全身に纏わりついた。

 その時、猛の目には、はっきりと見えていた。

 五歳児ほど大きさをした、鬼のような姿をした生き物が、高村の背から姿を現す。その生き物は、おんぶのように高村の肩に爪を掛け、猛達に向けてギィィと低く哭いた。


「【六道】、用意しとけよ?高村クンは、オレが何とかする」


 猛の隣に立った葉月が、バックパックを下ろすと、高村を見据えて猛に告げる。猛も慌ててケースを肩から下ろし、中に納めてあった【六道】を手にした。

 高村の様子を窺いながら、ケースを道端に放り投げ、鞘に掛けた布紐をベルトに通す。邪魔になるかとも思ったが、何故かそうした方が良いと感じたからだ。

 【六道鬼】は警戒しているのか、動く様子はない。時折小鬼の声が静かな住宅街に響くだけ。

 そんな中、最初に動いたのは葉月だった。

 両の手に填めたグローブを外し、掌を合わせる。低く小さな声で何事かを呟くと、あれほど哭いていた小鬼の声がピタリと止んだ。


「来るぞ」


 葉月の静かな声が合図だったのか。高村の肩に取り憑いていた小鬼の体が跳ねた。

 そのまま猛達との距離を詰め、飛び掛る。普段の猛ならば、絶対に捉えられないであろう早さだったが。猛の目には、小鬼の動きは酷く鈍く見えた。

 こちらに向かう小鬼を避けるように、バックステップで数歩後ろへと下がる。それと同時に、腰に下げた太刀【六道】を抜き取ると、剣道の授業の時に習ったように、不安定な重量を両手で支える。片足を半歩前に構えを取り、地面に着地した小鬼を見据える。

 自分の攻撃を避けられた小鬼は、ギィと小さく哭くと、猛を見上げて爪と牙を剥き出しにした。

 寸間を置かず再度小鬼が飛び上がる。今度は避けず、構えた【六道】で降りかざされた小鬼の爪を受けると、猛の両手に振動が伝わった。

 猛が小鬼を相手にしている間、葉月は高村へと走り寄っていた。

 高村に取り憑いていた霧は一度色を濃くして収縮すると、さながら槍の如く葉月に向かう。

 葉月は慌てる事なく両手を合わせると、口の中で何事かを呟いた。その瞬間、葉月を貫こうとしていた霧の動きは止まり、ずわりと空気を乱しながら色を薄くして広がりを見せる。

 薄くなった霧の中、高村の姿が露わになるが、高村の目は虚ろで、人形のように身動き一つしなかった。

 猛は高村の様子が気になったが、目の前には小鬼が立ち塞がっていて、傍に行く事が出来ない。苛立ちが猛の中に湧き上がる。


「葉月さんッ!」

「だーいじょうぶ」


 焦燥感も露わな猛に、こちらに背を向けたまま、葉月が片手をヒラつかせた。

 その葉月の姿を遮るように、小鬼が猛に飛び掛る。やはりその動きは緩慢で、猛は躊躇う事なく、【六道】を降り下ろした。


「とォしいんだよッ!」


 猛の手に、鈍い感触が伝わる。同時にゴヅと重い音が聞こえたかと思うと、小鬼は呻き声を上げながら、地面に叩き付けられた。

 地面に伏した小鬼に向け、再度【六道】を降り下ろす。


「【六道】」


 猛がその名を呼んだのは無意識だった。

 瞬間。

 白布を巻いた手首に、暖かな熱を感じる。決して不快ではないその温度は、手首から猛の全身へと急速に広がる。頭のてっぺんから爪先まで。伝わる熱に促され、猛は小鬼に斬り付けた。

 予想していたような感触はなかった。まるで空を斬ったように、手応えはなかったが。小鬼の体は灰のように薄く染まると、次の瞬間には淡い光の粒になった。

 思わぬ展開に猛が目を見開く中、光の粒子は【六道】に吸い寄せられるように集まり、【六道】が淡く輝く。

 だがその光もすぐに消え、あとには何一つとして残らなかった。気付けば、全身に感じていた熱も引いている。

 葉月は背中越しに猛の様子を感じとっていた。

 霧が動きを止めた中、意識のない高村に歩み寄る。高村の胸元に両手をかざし、口の中で咒を唱えると、その呟きが終わる間もなく、高村の体はその場に崩れ落ちた。

 これで高村の体から【六道鬼】は切り放された事になる。

 拠所のなくなった霧は、再度収縮を始めた。しかし葉月には、それを待つ気は欠片もない。

 パンッと両の掌を合わせ、掌の中央に意識を集中させる。じんわりとした熱が手の中に集まると、葉月は咒を唱えながら、集まった熱を解放した。

 物理的に、気温に変化がある訳ではない。霧も熱も、飽くまで便宜上の物ではあるが。熱を受けた霧は、水分が蒸発するかの如く薄くなり、やがて跡形もなく霧散した。

 一部始終を眺めていた猛は、抜き身の【六道】を鞘に納めると、高村へと歩み寄る。高村は意識を失っていたが、表情は至って穏やかで、眠っているように見えた。


「浩介ッ」

「猛クン」


 高村を抱き起こそうとした猛だったが、葉月が片手で猛の動きを制した。


「何──」

「このままじゃ起きないよ。【六道】貸してみ?」


 ヒラヒラと手を差し出され、猛は躊躇いがちに【六道】を抜く。【六道】を受け取った葉月は、その刃を高村の首筋に当てる。

 嫌な予感に猛は口を開こうとしたが。それよりも一瞬早く。葉月は高村の首筋を切り裂いた。


「ッ!?」


 突然の事に猛は発する声を失う。しかし。

 高村からは血が吹き出す事もなく、傷一つとして見当たらない。その事に気付いた猛は、胸中に先ほどとは別の驚きを抱いていた。


「こうしないと、【六道鬼】の思念から解放されねェんだわ。ビビった?」


 ニヤと人の悪い笑みを浮かべ【六道】を差し出す葉月。思うように言葉にならず、猛は「う」とか「あ」とか、意味をなさない声を発していたが、葉月の笑みを目にすると、眉間に深く皺を刻みながら【六道】を受け取った。


「……そう言う事は最初に言えよ」

「あれ?言ってなかったっけ?」


 わざとらしく首を傾げる葉月の姿を、猛は苦々しい面持ちで見つめる。しかし、反論したところで苦い気分が酷くなるだけだ、と無理矢理自分に言い聞かせながら、諦め混じりの溜め息を零した。


「【六道】は、決して人を傷付けない。斬れるのは【六道鬼】だけって事さ」 


 猛の様子に、葉月は薄い笑みを浮かべたまま、グローブを填める。そのまま何も言わず、地面に放り出したままのケースと荷物に向かう葉月を見ながら、猛は【六道】を鞘に戻した。

 葉月が放り投げたケースを受け取った時、猛の耳に微かに呻くような声が届いた。

 足元を見ると、高村は意識を取り戻したようで、眉を寄せながら薄らと目を開けている。

 慌てて猛がケースに【六道】を仕舞うと、ぼんやりとした表情の高村は、不思議そうに猛を見上げた。


「あれ……タケ……?」


 ゆっくりと起き上がる高村だったが、猛は返事が出来ない。

 チラと後方の葉月を窺い見ると、葉月は呑気に煙草を取り出しながら、二人の様子を眺めているだけだった。


「……俺……何で」


 制服についた埃を払い落とし、答えを求める高村の視線にも、猛は曖昧な笑みを返すのみ。今の状態を説明しようとしても無理に決まっているし、ならば口を開かない方が無難だろう。


「塾が終わって……それから……」


 猛の表情にも気付かず、高村は記憶を探るように額に手を当てる。上手い誤魔化し方が見付からず、猛は沈黙したままだったが。葉月は猛の傍に歩み寄ると、咥え煙草で高村を指差した。


「気分が悪くなって、コンビニに行った。違うか?」

「え?」

「あ……そう言えば……」


 思わず葉月を振り返った猛に、高村の呟きが耳に入った。今度は高村を振り返ると、見知らぬ葉月の言葉を不思議に思う様子もなく、高村は眼鏡を押し上げて頷いていた。


「タケと会って……送ってくれるって言うから……」

「そーそ。そしたらキミ、気分が悪くなって倒れたんだよ」

「そっか……ごめんな、タケ」

「いや、別に……」

「相馬さんも、ご迷惑を掛けて、すみませんでした」

「いーって。気にしない気にしない」


 ペコリと高村が頭を下げると、葉月は軽い笑みで手を左右に振る。

 いまいち状況が把握出来ない猛は、高村と葉月を交互に見つめると、葉月は薄い笑みを浮かべて猛を見遣り、緩く片目を瞑って見せた。


「もう平気だから。時間も遅いし、ここでいいよ。相馬さんも……本当に、すみませんでした」

「いや、オレはへーき。な、猛クン?」


 意味ありげな葉月の視線に、猛は一瞬呆けたような表情を返したが、すぐに小さく頷いて見せる。声が出ないのは混乱しているせいだが、高村は気付かなかったようだった。


「じゃあ、これで。また明日な」

「あ……あァ」


 高村の表情は、まさに憑き物が落ちたような、晴れ晴れとした笑み。事情が分からず頷くだけの猛に笑い掛け、葉月に会釈を残すと、高村は足早にその場をあとにした。




「どうなってんだ?アレ」


 帰る道すがら。猛は【六道鬼】を祓ってからの高村の様子について、葉月に問いをぶつけていた。

 葉月は偏光サングラスを掛け直し、のんびりと煙草をくゆらせている。猛の視線に暫し無言を返した葉月だったが、やがて片手に持った携帯灰皿に煙草を押し付けると、口許に薄い笑みを浮かべながら口を開いた。


「【六道鬼】と憑かれた人を切り放すと、混乱を避ける為に【六道】が記憶を調整するんだ。【六道】を持つ人間が、切り放す時にイメージした事が、そのまま憑かれていた人の記憶になる」

「……記憶操作って事?」

「あァ。今回の場合は、オレが切り放したから、高村クンはオレ達が見張ってたコンビニで、オレと猛クンに出会った事になってる。だから、高村クンもオレの名前を知ってたんだ」

「……ふゥん」


 何とはなしに、手首に付けた白布へと視線を落としながら、猛は小さく頷いた。


「まァ、一気に色々勉強しても頭が疲れるだけさ。今日はもう遅いし、家に帰ってゆっくり休みな?」


 携帯灰皿を仕舞いながら葉月が言う。顔を上げて駅前の時計を見ると、時間は十時半を回っていた。

 いくら猛でも、電話もせずにこんな時間になっていると、流石に家族も心配するだろう。


「そうする。何か疲れた」


 苦笑混じりの猛に、葉月は口許だけで笑い掛けると、バックパックを猛に渡す。それを受け取った猛は、ケースを肩から外し、バックパックを背に回した。来た時以上に目立つ姿だが仕方ない。


「今日はご苦労さん」

「いや……葉月さんも」


 ケースを担ぎ直し、定期で改札を潜る。改札の向こう側で見送る葉月に会釈をし、猛はホームへと向かったが。その背に葉月が声を掛けた


「あ、一つ言い忘れてた」

「え?」


 葉月の声に猛は振り向く。距離があるのとサングラスのせいで、葉月の表情はよく分からないが、葉月は片手を顔の高さに掲げると、その手首を指差した。


「ソレ、簡易的だけど力を抑える事は出来るから、学校行く時は切端持ってく事をお勧めするよ。詳しくは後でメールする」

「……分かった」


 目立つ出立ち二人の遣り取りに、訝しげな視線を向ける人がすれ違う。そんな視線に猛は居心地が悪いが、葉月の言葉に頷いて見せると、葉月は更に口を開いた。


「あとね」


 ──まだあんのかよ。


 内心、猛は早くこの場を離れたくてたまらない。聞くだけ聞いて立ち去ろうと葉月を見ると、葉月は遠目からでもはっきりと分かるほど、口許を孤に歪めて悪笑した。


「これから『色々』と、見えると思うけど。まァ運命だと思って諦めな」

「……ヘ?」


 意味深な言葉。目を丸くした猛は葉月を凝視したが、葉月は片手をヒラつかせて雑踏の方へと立ち去っていく。

 残された猛は頭の中で葉月の言葉を反芻したが。

 その意味を理解したのは、この数時間後の事だった。


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