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六道奇譚  作者: みつまめ
継承者
1/4

前編

 それは、本当に僅かな間だった。

 時間にすれば、五分にも満たない。それほどまでに、短い時間だったと思う。

 小さな児童公園。その一角で、外灯の灯りの下、鈍色に煌めく鋼と、闇に鮮やかな緋い布が舞っていた。

 否、実際はそんな綺麗な出来事ではなかったのだが。

 一坂猛は、その緋色に酷く惹き付けられていた。



 深夜一時になろうと言う時間。猛がその児童公園を通り掛ったのは、全くの偶然だった。

 夏休み。学生ともなれば、否が応でもクリアしなければならない物がある。所謂、宿題と言うやつである。

 始業式を三日後に控え、猛は毎年の恒例行事とも言える、宿題の追い込みに掛っていた。

 この夏休みは、バイトと遊びに追われていた。来年になれば、嫌でも受験を意識せざるを得ないせいもあったからだ。

 しかし、その代償は果てしなく大きかった。

 猛の通う私立橋爪學園高校は高い進学率を誇っている。勿論、夏休みの宿題も、並の公立高校の比ではない。

 せめて始業式に提出しなければならない宿題ぐらいは終わらせたい。

 そう思いながらも、宿題は遅々として進まない。夕食を終え、かれこれ五時間は経過しているだろうか。

 満腹だったはずの胃が、クゥと情けない音を立てたのをきっかけに、猛はカランと机にシャーペンを投げ出した。


「腹減った……暑い……」


 一人部屋を与えられてはいる物の、猛の部屋にはクーラーなどと言う気の利いた物はない。

 生ぬるい風を送り続ける扇風機を睨み付け、猛は財布を手に立ち上がった。

 気分転換の散歩も兼ねて、近所のコンビニへと足を向ける。

 日付の変わった時刻ながらも、コンビニはいつもと変わらぬ様子で、客の姿もチラホラと見える。そんな、その他大勢と混じって雑誌を立ち読みし、サンドイッチと炭酸飲料を購入した猛は、コンビニを出た。

 纏わり付く多分に湿気を含んだ夜風に眉を寄せる。来た時同様、のんびりとした歩みで、購入した炭酸飲料に口を付けながら自宅マンションへと向かう。

 遠くで犬の遠吠えやら、車の走るエンジン音やらが聞こえる中。

 耳慣れない音が聞こえた気がした。

 正確には、似遣わしくない音、とでも言おうか。

 笛の音にも似た風を斬る音は、すぐ近所の児童公園から聞こえていた。

 最初は空耳かと思った。が、二度三度とそんな音が聞こえてくれば、気になっても仕方ない。

 こんな時間に、笛の練習か?などと考えながら、猛はマンションへ向かう足先を児童公園へと変更する。

 公園が近付くにつれ、その音に混じって、人の吐息が聞こえてきた。

 足を止めた猛の視界に真っ先に入ったのは、少女の姿だった。

 年の頃は自分と同じくらいだろうか。髪を纏めた緋色の布が、鮮やかに写った。

 風を切り児童公園の中を走る少女に、猛は訝しげに眉を寄せる。

 しかしすぐに、その表情は驚きへと変わった。

 真っ白な、霧のような靄のような。そんな物が、猛の目の前を霞めたからだった。


──な……ッ!?……何、だァ?


 手にしていたペットボトルを取り落としそうになり、猛は慌てて手に力を込める。

 ずわ。

 敢えて文字にするならば、そんな音を立てて迫る霧に、少女は振り返り様に右手を大きく横に薙いだ。

 猛はそれまで気付かなかったが、少女の右手には一振りの刀が握られていた。

 本物か偽物か、猛の目には判別はつかない。

 しかし、そんな事よりも。

 少女が薙いだ右手の刀が、霧を両断すると。霧は薄く大きく広がった。まるで少女を包み込もうとするかのように。


「リクドウ……」


 小さく呟かれた少女の声は、何故か猛の耳にはっきりと届いていた。

 広がりを見せた霧に、少女は刀を構え直し、小さな気合いと共に真っ向から突き付けた。

 その動きに併せて、ひゅるりと笛の音にも似た空気が、少女の刀から発せられた。

 手応えなどあるはずがない。しかし、少女が貫いた霧は、まるで意識を持ってでもいるのか、覆い被さろうとする動きを止め。少女の持つ刀の刀身へと、吸い込まれるようにして消えた。


──……何だよ……今の。


 あれほど鬱陶しかったはずの夜風も、気にならなくなっている。

 外灯の下。少女は鈍色に光る刀身に視線を落とし、髪を纏めていた布を解くと、ぐるぐると無造作に刀身に巻き付けて、猛に気付く事もなく、児童公園を後にする。

 少女が去った後も、猛は目の前で起こった出来事が信じられず、猛はただただ立ち尽くすのみだった。




 翌日。

 我に帰った猛が家に帰った時には、二時近くになっていた。

 奇妙な出来事を目の当たりにして、なかなか寝付けずにいた猛が起きたのは、昼前の事だった。


「タケッ!起きなさいッ!」


 姉の瞳の焦りにも似た声に、夢の中をさ迷っていた猛の思考は、瞬く間に引き戻された。


「何……どーしたよ、瞳」


 寝惚け眼でもそもそと起き出す弟の部屋に、ノックも無しに入った姉は、焦燥も露わに口を開いた。


「お祖父ちゃんが倒れたって。五分で家出る用意してッ!」

「え……?祖父ちゃんが?」


 思わぬ言葉に、猛は呆気に取られたように、ポカンと口を開けた。

 冗談にしては質が悪い。そう思いはした物の、瞳の様子からは冗談の色など微塵もない。


「さっきお祖母ちゃんから連絡があったの。車の用意するから、早くしなさいッ!」

「あ、わ、分かった」


 乱暴にドアを閉めた瞳に、猛の声は届いたかどうか。

 それでも、猛は慌ててベッドから這い出すと、脱ぎ捨ててあったジーンズを履く。顔を洗うのもそこそこに、朝食代わりに、昨夜買ったままだったサンドイッチを頬張りながら、携帯と財布だけを手に部屋を出た。

 マンションの駐車場で、瞳と母親の早苗、妹の香と四人で車に乗り込むと、激しいエンジン音を立てて、車は国道へと向かった。


 猛の祖父は母方一人しかいない。

 父方の祖父は瞳が産まれる前に亡くなっており、孫である瞳・猛・香の三人は写真でしかその姿を知らない。

 祖母は両方とも健在だが、父方の祖母は伯父夫婦に引き取られ、年に数回会うかどうか。

 それに比べて、母方の生家は車で三十分ほどの距離にあり、猛には父方の生家に比べて馴染みは深い。

 つい先日。お盆に会った時には、祖父は元気な姿で居たので、まさに寝耳に水の出来事だった。


 祖父の家に着くと、待ち構えていたかのように、祖母が出迎えた。

 祖母の話では、いつもと変わりない様子だったが、洗濯を終えた祖母が部屋に戻った時には、祖父は居間で倒れていたらしい。

 慌てて早苗に連絡を取り、その後医者に来て貰ったそうだが、医者の話では今夜か明日かと頭を垂れるばかりだったそうだ。


「顔、見てやって。……最後になるかも知れないから」


 静かに告げる祖母の顔には、覚悟にも似た沈痛な色が濃い。

 祖母の勧めに従い、祖父の様子を見に行くと、祖父は穏やかな表情で眠っているだけのように見えた。


「お祖父ちゃん……」


 グスンと鼻を鳴らす香の肩を抱き、瞳はそれでも気丈な様子を崩さない。

 実の子である早苗は、祖父の手を握り締めると、口の中で何事かを呟いた。

 微かに猛の耳に届くその言葉は、感謝の言葉だった。

 耐えきれず泣き出した香をきっかけに、最初に部屋を出たのは瞳と香だった。

 次いで、祖母の様子が心配だからと、早苗も名残惜しそうに部屋を出る。

 それまで黙って戸口で佇んでいた猛は、ゆっくりと祖父の枕元に歩み寄ると、黙って祖父の顔を眺めていた。

 身近な親類が亡くなる。そう言った経験のない猛には、どうして良いのか分からなかった。


「祖父ちゃん……」


 固く閉じられた瞼。

 それまで祖父の顔をじっくりと眺める事などなかったが、こうして眠る祖父の姿は、いつもと比べると幾分やつれているように見えた。


「猛」


 不意に背後から掛る声に、猛はゆっくりと顔を上げる。

 戸口の方を振り返ると、いつの間に立っていたのか、祖母が此方へと歩み寄って来るところだった。


「どうしたの、祖母ちゃん……?」


 力なく。それでも笑みを向ける猛に、祖母は静かな笑みを覗かせると、猛の隣に座った。


「押し入れの中に、桐の箱があるんだ。持って来てくれるかい?」

「え……あ、あァ」


 言われるままに立ち上がり、猛は押し入れを開ける。

 祖母の言う桐の箱はすぐに見付かった。衣装ケースの上に置かれた、一メートルほどの細長い箱。大きさの割に重量感のあるそれを手に、祖母の元へと戻ると、祖母は静かな笑みのまま口を開いた。


「開けてごらん。お祖父ちゃんが、猛に渡さなきゃならなかった物だ」

「俺に?……何?コレ」

「良いから開けてみなさい。代々、相馬の男の子に伝わる物だ。お祖父ちゃんには息子はいなかったから……次は猛の番だ、って」

「……ふゥん」


 首を傾げつつ蓋を開ける。中には白い布に包まれた、細長い何かが納められていた。

 何も言わない祖母の視線は、その包みではなく、猛に向けられている。

 猛は妙な居心地の悪さを感じながらも、箱を畳の上に置き、包みを両手で取り上げた。

 カチャンと金属が擦れる音。布越しに感じる、固い何かの感触。


──まさか……。


 ふと感じた予感に猛が布を取り払うと、そこから顔を出したのは、映像でしか見た事はない、所謂刀の柄の部分だった。


「何だよ、コレ」


 驚きで目を丸くする猛だったが、祖母には驚いた様子はない。

 恐らく、中身を知っていたのだろう。


「……猛」


 微かな声が猛の耳に届く。

 聞き覚えのあるその声は、祖母の穏やかな声ではない。声の主へと視線を移すと、眠っていたはずの祖父が、薄らと目を開けていた。


「祖父ちゃん!?目ェ覚まし──」

「……太刀、【六道】」

「え……?」


 小さく呟かれた言葉。

 聞き覚えのある響きに、猛は思わず口を閉ざした。


「……鬼を」

「鬼……?」

「次は……お前の番だ。……頼んだぞ」

「え。何……」


 言われた意味が分からず、猛は太刀と祖父を交互に見る。しかし祖父はそれ以上口を開く事もなく、再びゆっくりと目を閉じた。


「何だよ、鬼って……。祖母ちゃん、何か知って──」

「いいや」


 猛が問い掛けるよりも早く、祖母は静かに首を横に振る。


「お祖父ちゃんは、何も教えてくれなかったよ。……多分、もう誰も、分かる人はいないだろうね」

「ハ?」


 思わず素頓狂な声を上げた猛だったが、その声に応える者はない。

 静かな空気の中、窓際に吊された風鈴の音が、やけに耳障りに響いていた。




 祖父が死んだのは翌朝の明け方近くの事だった。

 お通夜やらお葬式やら。猛には初めての事だらけで、訳も分からぬ内に全てが終わった。

 結局、祖父から受け継いだ太刀【六道】の事は何も分からずじまいだったが、元々物事を深く考えるのが嫌いな為か、桐の箱ごと自分の部屋に持ち帰ってからは、太刀を眺める事はなかった。

 お葬式の翌日は始業式。夏休みの宿題は、結局半分ほどが手付かずだった。学校に連絡は済んでいたので、忌引で休む事も出来たのだが、家に居てもやる事もない。

 宿題は友人に見せて貰うのが一番だ、と、猛は夏休み前と変わった様子もなく登校した。


「うはよー」

「おー、タケ。大変だったなァ」


 友人の一ノ宮雅人が、白い歯を見せて手を掲げる。

 猛は鞄を座席の背もたれに掛けると、椅子を引きながら苦笑を漏らした。


「別に。大変なのは宿題の方だ」

「うェ、マジで?まさか数学、真っ白だったり?お前だけが頼りなんだけどォ~」


 得意教科の数学と物理は何とか格好は付いているが、それ以外は手付かずと言っても過言ではない。

 さほど成績の変わらない一ノ宮だったが、幸いな事に一ノ宮の得意教科は猛の大嫌いな英語だった。


「英語は真っ白。数学と交換してくれ」

「イヤンッ、俺も白いぜ?」


 態とらしく体をクネらせながら、一ノ宮は鞄を漁り、課題プリントの束を取り出す。

 言葉の割にしっかりと要点の押さえられてある英語のプリントを受け取ると、猛は始業式の鐘が鳴るまで、と、英語のプリントと格闘し始めた。

 平凡で。退屈で。いつもと変わらない日常の始まり。他の誰もが、教室の彼方此方で、猛や一ノ宮と同じような遣り取りをしている。

 そんな日々の始まりとも思える一日を過ごした猛だったが。


「あー、ちょっとちょっと、少年ッ」


 放課後。

 何とはなしに街中をブラついて帰ろうとした猛に、一人の男が声を掛けた。

 身長は猛と同じか、僅かに高いくらい。

 偏光サングラスのせいで正確な年齢は分からぬ物の、恐らく二十代半ばだろう。

 和柄の開襟シャツに、擦りきれたダメージジーンズ。両手に填められたグローブと言った出立ちは、そこはかとなく怪しさ満開。


「何すか?」


 露骨に怪訝な表情を見せた猛だが、男は気にする様子もなく、軽い足取りで歩み寄ると、ぴっと人指し指を突き付けた。


「最近、身内に不幸があったろ?」

「……ハ?」


 軽薄な笑みを浮かべた男の言葉に、猛は益々表情を歪めた。

 あからさまに警戒の表情を浮かべられ、男は人指し指を引っ込めはした物の、軽薄な態度を崩す様子はない。


「何すか、アンタ」


 険を含んだ猛の声音に、男はニヤリと口許を歪めると、さながら虫でも追い払うかのように、顔の前で右手をヒラつかせた。


「オレ?占い師」

「占い師ィ?」

「そッ。少年に妙な相が見えたんでね。ちょいと気になって──」

「間に合ってっから。そう言うの」


 飄々と告げる男の言葉を遮るようにして、猛はくるりと背を向ける。

 そのまま歩き出そうとした猛だったが。


「まァ、待ちなって。一坂猛クン」


 迷う様子もなく自分の名前を呼ばれ、猛の歩みはひたりと止まった。


「……何で俺の名前」


 見も知らぬ男に、教えてもいない名前を呼ばれるほど、猛は有名人のつもりはない。


「誰だよ、アンタ」


 振り返った猛は警戒心丸出しで男を睨みつける。

 男は離れた分の距離を足早に詰めると、サングラスを軽く押し上げた。


「タチ、リクドウ。今は君の物だよな?」


 その名を耳にするのは三度目だった。

 一度目は、夏休みの夜、見知らぬ少女の口から。

 二度目は、つい先日、祖父の口から。

 驚きもあったが、何故目の前の男がその名を知るのか。猛には其方の方が気になって仕方がない。


「質問に答えろよ。それに……何でアンタが、リクドウを知ってんだ」


 苛々と早口でまくし立てる猛を見下ろし、男は右手をポケットに突っ込んだ。


「オレは相馬葉月。キミの遠縁だ」

「……え?」

「その様子じゃ、大爺サンが何も告げずに逝ったってのも、噂じゃなかったみたいだな。時間があるなら来いよ」


 ニヤリと。口許に笑みを浮かべた男は、言うだけ言って踵を返す。

 ここ数日の間で、驚く事が多すぎて、言語中枢が壊れたんじゃないかと思うほど言葉を失った猛だったが。脳裏でそんな事を考えながらも、男の姿を見失う前に、慌てて男の──葉月の後を追った。


 猛と葉月は、喫茶店で向かい合わせに座る。

 暫しどちらも無言だったが、葉月は煙草を一本吸い終えると、ようやく落ち着いた様子の猛へと視線を向けた。


「オレは相馬の分家の産まれでね。つっても、三男だから、本家とは本来付き合いも少ねェんだけど。色々と事情があって、キミのお祖父さんとは親しかったんだ。葬式には間に合わなくて、申し訳ないと思ってる」

「別に……」


 淡々と紡がれた言葉の裏には、僅かに悔墾の色が見えた。猛は小さく首を振ると、葉月を見た。


「オレの事情はさておき、キミが太刀【六道】の正式な継承者になったからにゃ、その事を話すべきだろう。キミは、大爺サンから何か聞いたか?」

「いや、全然。鬼がどうとか言ってたけど。それ以外は何も。祖母ちゃんも、もう知ってる人はいねェんじゃねェか、って」

「成程。大婆サンは相馬の人間じゃねェからな。大爺サンが何も言わなかったのも無理ねェか」


 フム、と軽い頷きを見せ、葉月は温くなり始めたコーヒーで唇を湿らせた。


「少し長い話になる。取り合えず、質問は後回しな」


 葉月の前置きに猛が小さく頷くと、葉月はフッと笑い含みの吐息を吐いた。




 キミが大爺サンから譲り受けたのは、【六道】の中でも神刀と呼ばれる太刀だ。【六道】にゃ、他に小太刀、小柄の二種類があって、太刀とで三刀一揃い。

 もっとも、小太刀を継承するのは、オレやキミのような相馬の人間じゃなく、昔相馬の臣下だった、跡部と呼ばれる家系だ。

 相馬本家が太刀。跡部が小太刀。相馬分家が小柄を受け継いでる。

 オレはその小柄の正当な継承者なんだが、……現在小柄は消息不明。

 分家の三男って立場のオレが、小柄の継承者ってのも、色々と理由があってね。まァ、それは追々分かると思うが。

 事情が事情なんで、今は太刀を持つ本家の人間の、サポートみたいな事をやらせて貰ってる。

 跡部は知らないが、太刀【六道】は代々相馬の嫡男が受け継ぐ事になっていた。

 だが、キミも知っているとは思うが、大爺サンには息子がいない。そこで太刀の所有権は、相馬本家の血を引く唯一の男児──すなわちキミへと移った。

 あーあー、言いたい事は分かるさ。キミは今まで相馬とは関わりが少ないって言いてェんだろ?

 だから、オレはキミに会う必要が出来たのさ。大爺サンから話は聞いてたけど、キミはまだ【六道】を扱うには少しばかり早いからな。

 あと……【六道】は【ロクドウキ】と呼ばれる魑魅魍魎を祓う事の出来る、世に二つとない刀だ。

 【六道鬼】ってのは、早い話が妖怪の事。その姿は様々だが、不定形な奴から人の姿まで、その名の通り六種の鬼がいる。

 キミも名前ぐらいは知ってるだろ?地獄とか餓鬼とか。それを六道って言うんだが。

 衆生六道で悪行を働く奴を総じて【六道鬼】って言ってね。普段は目に見えないが、【六道】を持つ者には見える。

 ついでにお祓いの真似事もしなきゃなんない。

 大爺サンはその任を全うした。次はキミの番って訳だ。

 あー大丈夫。剣術なんて知らなくても、太刀が教えてくれる。相馬の血と肉体を受け継いだ人間なら、太刀【六道】は間違いなく力を発揮してくれる。

 心配する必要はないさ。




「──オレの話はコレで終わり。何か質問は?」


 短くなった煙草を灰皿に押し付け、葉月は首を傾げて見せる。

 黙って話を聞いていた猛は、冷めきったコーヒーを口にする。

 事情の大体は飲み込めた。

 あまりに突拍子のない話で現実味がないとも言えるが、嘘だと否定する気は何故だか起きなかった。

 刀を──太刀【六道】を直接目にしていたせいもある。表情を見せぬ葉月の声が、やけに真面目だったせいもある。

 しかしそれ以上に。

 猛の中で、何かが大きく渦巻いていた。

 それが相馬の血と言う物のせいなのか。猛には分からなかったが。


「あのさ」

「ン?」


 暫しの沈黙の後。躊躇いがちに口を開いた猛に、葉月はコーヒーを飲みながら視線を傾けた。


「小太刀もあるんだよな?」

「あァ」


 猛の言わんとする事が飲み込めず、葉月は訝しげに眉を寄せる。


「跡部の人間が持ってるけど。それがどうかしたか?」


 先程の説明と同じ事を繰り返し、コーヒーカップをテーブルに戻す。

 猛は何とはなしにその行方を視線だけで追った。


「その跡部の……今の小太刀の持ち主って……葉月さん、知ってる?」

「そりゃ、ね。【六道】の管理は相馬分家の仕事だし?」


 あっさりと返って来た答えに、知らず猛は喉を鳴らした。

 予感があった。いや、予感と言うにはあまりにも確信に近い。


「それって、もしかして──」


 神妙な面持ちで猛が言葉を続けようとした瞬間。


──メールだよンッ。急ぎだよンッ。


 何とも間抜けな人工音声が二人の間に響いた。


「あー、悪ィ。ちょっと待って」


 パクパクと金魚の如く口を動かす猛だったが、葉月は気にする様子もない。

 携帯を取り出し、届いたメールを読み始めた葉月を眺めつつ、猛は深々と椅子に座り直した。

 頭の中で断片的に散らばった映像は、葉月の話を聞くうちに、徐々にあるべき所へと当て填っていた。

 恐らく。深夜の公園で見掛けた少女は、跡部の人間だろう。手にしていたのは小太刀【六道】

 彼女が対峙していた霧のような物は、【六道鬼】とやらに違いない。

 ならば。自分はきっと、また、彼女と会う事が出来るだろう。

 不意に浮かんだ考えに猛は一瞬眉を顰めた。

 何故、そんな事を考えたのか。それと同時に、微かに沸き上がる感情は何なのか。


──一目惚れ?……まさかね。


 フンと苦笑混じりに笑いながら、残り少なくなっていたコーヒーを飲み干すと。


「百面相か?」


 ニヤニヤと笑う葉月と目が会った。

 いつの間にやら携帯の姿はなくなって、代わりにコーヒーカップを手にしている。

 相変わらずサングラスを掛けているから、視線が交わったかどうかは定かではないが。それでも、猛は確かに葉月の視線を感じていた。

 愉しげな。例えるなら、子供をからかってでもいるような。そんな視線。


「別に」


 何とはなしに決まりが悪くなり、猛はふぃと視線を外す。年の割に子供染みたその態度に、葉月は喉の奥を震わせながらコーヒーカップを傾けた。


「それよか、質問があったんじゃねェの」


 問い掛けを零し、冷めきったコーヒーを何とも不味そうに飲み干す。暫し無言を返した猛だったが、質問する気負いを削がれたからか、小さく首を左右に振った。


「いい。また今度で。どうせ、また会えるんだろ?」


 葉月さんにも、跡部の人にも。

 そんな言葉を飲み込んで葉月を見据える。葉月は口許に薄い笑みを覗かせると、コーヒーカップをテーブルに戻した。


「まァね。鬼退治のコツ、教えない訳にはいかないし?……暇が出来たら連絡ちょーだい」


 ゴソゴソとジーンズのポケットを漁り、財布を取り出した葉月は、中から名刺を一枚抜き取った。

 名刺に記されているのは、名前と携帯電話の番号とアドレス。それを猛に手渡すと、葉月は伝票を手に立ち上がる。


「たぶん、そろそろだと思うんだわ。キミが『見える』ようになるのも」

「『見える』?」


 不可解な言葉に猛は眉を顰める。葉月は猛を見下ろすと、ニヤリと口許を笑みの形に歪めた。


「ゆっくりと、でも確実に【六道】の能力はキミに伝わっている。遅くても、大爺サンが死んで一週間後には、キミにも【六道鬼】が見えるようになるハズさ」


 伝票をヒラつかせながら葉月がレジへと向かう。

 葉月の言葉に言い知れぬ不安を抱きながらも、猛も後を追うように席を立った。


「ま、不安なら【六道】を抱いて寝れば良いさ。【六道鬼】は、見えたところで、すぐに襲い掛ったりはしないからね」

「はァ……」


 財布を取り出そうとする猛を制し葉月が支払いを済ませる。

 軽い口調に曖昧な返事を返しながら、猛は財布を鞄に仕舞うと、葉月に続いて喫茶店を出た。

 街は夕暮れに包まれて、帰宅する人やこれから遊びに行く人達でごった返している。そんな、見慣れた風景。だが、何かが少しづつ違って見えるのは、たぶん猛の気のせいではないだろう。


「じゃァな。オレ、コッチだから」


 猛の家とは反対方向を指差した葉月は、薄い笑みを残して歩いて行く。猛は、今までとは何かが変わりつつある風景に紛れて行く、葉月の後ろ姿を見送りながら、大きな不安と微かな興奮を覚えていた。




 二学期が始まって四日目。

 その異変は突然起こった。

 その日は朝から猛の体調は思わしくなかった。

 朝起きた時には何ともなかったのだが、学校に着いて暫くすると、妙に胃が重く感じた。大した事はないだろうと、猛は気にする事なく授業を受けていたが、時折酷く胃が痛む。

 その痛みは徐々に強さを増し、放課後には、胃全体が何かを訴えるように、キリキリと絶え間なく軋み始めていた。


「何だろ……盲腸とかか?」


 検討外れな事を考えながら、荷物を鞄に詰め込む。

 中学までバスケ部に所属していた猛だが、高校に入ってからは部活に所属していない。理由の半分は勉強だが、あとの半分は面倒だからだ。

 吹奏楽部に所属している一ノ宮は、練習があるとかで一足先に教室を出ている。残った生徒達も部活や用事がある為か、半数以上の姿が見えない。

 猛は荷物を纏め終えると、痛む胃を押さえながら席を立った。


「またな」

「おー」


 教室に残る級友に挨拶をする。級友達は、猛の様子にも気付かずに、すぐに自分達の雑談へと意識を戻した。


「タケ」


 昇降口へ向かう途中。ヒラヒラと手を振る人物の姿に、猛は足を止めた。


「よォ」


 高村浩介は猛が足を止めたのを見留めると、猛に近付いた。


「今帰り?」

「あァ」


 一年の時に同じクラスだった高村は、特別仲が良かったと言う事もないが、仲が悪かったと言う事もない。

 一ノ宮と同じ吹奏楽部なので、一ノ宮を交えて一緒に遊んだ事もあるが、二年になって高村が部活を辞めてからは、クラスが違う事もあって、めっきり話す回数も減った。

 噂では、勉強の妨げになるからと、親に部活を辞めさせられたそうで。今では気にしてはいないようだが、辞めた当時は、本人もあまりその事には触れたがらなかった。


「浩介も?」

「いや。これから塾。だりィ」


 へっと苦笑にも似た自嘲気味な笑いを零し、高村は肩を竦めた。

 高村の親は教育熱心らしく、小学生の頃から塾通いは日課だ。部活を辞めてからは、更に塾の数を増やしたとかで、昼休みにテキストを手に食事をする高村の姿を、猛は何度か見掛けていた。


「夏休みもカンヅメ状態だったし……少しは気晴らししたいよ」


 困った笑顔、とでも言おうか。諦めの混じったその表情に、猛は気の毒だと思う。

 しかし、ここで気晴らしに誘っても、高村が頷く事はない。そう分かっているからこそ、猛はわざと明るい声を上げた。


「流石。成績良い人間は、やる事が違うな」

「人事だと思って軽く言うなよ。なんなら、代わってやってもいいんだよ?」

「いや、遠慮する。浩介の頭が貰えても、勉強浸けはゴメンだ」

「分かればよろしい」


 首を竦めながらおどける猛に、高村は眼鏡の奥の双眸を細め、冗談めいた声音で笑いを漏らす。

 つられて猛も喉の奥で笑いを零したが、不意に胃が何かに強く握られたように痛みを増し、制服を掴む手に力を込める。


「どうした?調子悪いのか?」


 眉間に皺を刻んだ猛の様子に、高村の眉が僅かに顰められた。

 胃痛は一瞬で治まりはしたが、それでも小さな痛みは残っている。さほど視線の高さの変わらぬ高村を見て、猛は小さく頷いた。


「あー……何か、胃が。胃癌だったらどうしよ」

「馬鹿言え。風邪も避けて通る、不健康優良児の癖に」

「何だよ、それ」


 大した事はないと思ったか、心配そうだった高村の表情が和らぐ。胃に手を沿えたままの猛だったが、高村の言葉に思わず苦笑を漏らした。

 どうせ目的地は一緒だからと、二人は昇降口に向かう。校舎を抜け校門を潜っても、電車通学の猛と駅近くの塾に向かう高村は、道のりが同じ。

 同じように帰宅する生徒や、大学部の生徒に混じって、駅までの道を歩く。その大多数と同じように歩きながら、二人は取り止めのない雑談を交していたが、不意に高村は腕時計に視線を落とした。


「悪い、遅れそうだ。お先。……胃、お大事に」

「あァ。また明日な」


 声を掛けた時同様、ヒラヒラと手を振りながら、高村は小走りに雑踏へと姿を消す。

 猛も同じように高村に向けて手を振っていたが、不意に訪れた違和感に、その動きを止めた。


──あれ?


 猛が見送る、高村自身に変わったところはない。だが。

 視界に霧が掛ったように、高村の後ろ姿が霞んで見える。思わず目を瞬かせてみたが、その霧は晴れない。

 それどころか、その霧は高村だけに掛っているようで、他の通行人達は猛の視界にくっきりと写っている。慌てて目を擦ってはみた物の、再び確かめようとした時には、高村の姿は雑踏の中へと消えていた。


「なんなんだよ。……病気か?」


 気付けば。

 あれほど感じていた胃の痛みはなくなっていた。



 家に帰った猛は制服を脱ぎ捨てると、帰宅途中コンビニに寄って買った雑誌を読み始めた。

 ベッドに寝転がり、パラパラとページを捲る。目的の記事以外は流し読みをし、夕食までの時間潰しをしていると、篭った電子音が耳に届いた。雑誌から顔を上げてみると、傍らに放り投げてあった鞄のサイドポケットから、微かに点滅する光が見える。

 腕を伸ばして鞄を引き寄せ、携帯電話を取り出す。寝転がったままメールの着信を確認すると、その相手は葉月だった。


『今日の報告希望。

 今ならオレの愛を返信出来るヨ?』


 どうやって猛のアドレスを入手したのかは知らないが、昨日も一昨日も、葉月はこうして猛の様子を訊いて来る。初めてメールが届いた時には、驚きのあまり電話で問い詰めたのだが、のらりくらりとかわされた。

 訊くだけ無駄だと悟った猛は、それ以降、気にしない事にしている。【六道】の管理が相馬分家の仕事、と言っていたから、たぶん何かしらの情報網があるのだろう。


『別に何も。明日、休み明けの実力テストで凹んでるけど。

 言っとくけど、愛はいらない』


 片手で返信の文章を打ちながら、ベッドの上で体を起こす。送信しようとボタンを押し掛けた猛だったが、ふとその手を止めると眉を寄せた。


「……アレ、何だったんだろ」


 無意識に呟いた言葉は、帰り際に見た高村に掛る霧の事だった。

 今となっては、確かに見た、と言う自信はない。もしかしたら自分の勘違いかも知れないし、そうだとすれば、わざわざ報告する事もない。

 しかし、勘違いじゃなかったとしたら。

 携帯の画面を睨みながら悩む事数分。

 猛は今まで打った文章を削除すると、新たに返信の文章を打ち始めた。


『ちょっと報告。

 何か、霧みたいなモンが見えた。……ような気がする。自信ないけど。

 あと、今は何ともないけど、朝から妙に胃が痛かった。

 これって、何かあると思う?

 愛のない返信希望』


 手早く返信作業を済ませ、待つ事一分。

 再度鳴った着信に受信メールを開くと、短い一言が届けられていた。


『晩御飯、何時?』


「何だよソレ!」


 本人が居ないにも関わらず、思わず突っ込みを口にする。


「何なんだ、こいつ。馬鹿か?」


 ブツブツと文句を呟くも、律儀に返事を返してしまうのは、自分の疑問に答えられる人間が葉月しかいないと分かっているからで。


『もうすぐ』


 十秒も掛らずメールを送信する。その返事は、猛が送った時よりも早い、五秒ほど後に届いた。


『食い終ったら、家出ておいで。学校の前で待ち合わせ。

 六道、忘れずに』



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