シスターオルランド(3)
「ダチェット伯爵家シリーズ」のおまけ話です。
時代がずっとさかのぼって、双子の子供時代の話です。
(1)
何度追い払っても、仔犬か仔猫のように、ヘンリーとアーサーの後をついてくる。
時々、「さー、りー」と声を上げたり、草に足をとられて、転んだりしながら。
白い、ふわふわとしたちいさなものが、どこまでもどこまでも、後から、追いかけてきた。
そのたびに立ち止まり、ヘンリーとアーサーは振り返る。
だから、なかなか先へ進まなかった。
「もう、帰れよ」「そうさ、あっちへいってろ」
ヘンリーとアーサーは、まったく同じ声でこう言うと、まったく同じように口をひん曲げて見せた。
足を止めたふたりの兄の元へと、金の巻毛に白いリボンを結んだリルが駆け寄ってくる。
手には、ウサギを形どった綿入りの人形を、しっかりと握りしめている。
そして、蒼い瞳でアーサーを見上げると、「さー?」と呼びかけ、ヘンリーを見上げて「りー」と言う。
ヘンリーとアーサーは、顔を見合わせた。
「何言ってるか、解らないよな」「そうさ、猫がミーミー鳴いてるみたいだ」
「僕たちについてくるなら、泣いたりするなよな」
「オーガストの小言がうるさいんだから」
そう言われ、意味が解っているのか解っていないのか、ともかく、リルは双子の兄に向って、こっくりと頷いた。
「……ほら!」
ヘンリーが左手を差し出す。
リルは、ウサギを持っていない方の手で、その指先をギュッと握りしめた。
(2)
ちいさな妹の手を引きずるようにして、ヘンリーとアーサーは、凹凸のある草地を歩き続けた。
やがて、アンテソープから、随分離れたところまでやってくる。
その頃のヘンリーとアーサーは、ウサギ狩りのまねごとに夢中だった。
ふたりは、村の鍛冶屋から、こっそりとくすねてきた古い罠を、前もって、そのあたりにいくつか仕掛けていた。
今日は、その様子を見にやってきたのだ。
「おい、見ろ。ヘンリー」
アーサーが、はしゃいだ声を上げて手招きをする。
ヘンリーはリルから手を離し、アーサーの方へと駆け寄った。
ウサギの足が、しっかりと罠に挟まれているのを見て、双子たちは、頷き合う。そして、アーサーが言った。
「おい、ヘンリー。耳を持っていろよ。僕が罠を外す」
ふたりは夢中で、獲物を罠から取り外した。
リルは、驚きに目を見開いて、血を滲ませた足をばたつかせるウサギを見つめている。
「ほら! リル」
ヘンリーが呼びかける。
「そんな、シーツとタオルでできた、動きもしないウサギなんかよりも、こっちの方が、ずっとおもしろいぞ」
アーサーが、後脚を掴んでぶら下げるようにして持ったウサギを、リルの目の前へ突き出した。
(3)
ヘンリーが、リルの手から、布でできたウサギをひったくるように奪い取る。
震えもだえるウサギの様子に、リルは恐怖をかきたてられた。
大きな蒼い目から、涙がはたはたとこぼれ落ちる。
「泣かないって約束しただろう? リル」
「そうだよ、なんですぐ泣くんだよ?」
ヘンリーとアーサーが、口々にリルを責め立てる。
「ほら、ウサギを持たせてやるから、泣き止めよ、リル」
アーサーがリルの腕へと、ウサギを押しつけた。
まだ幼いリルには、暴れるウサギを抱えていられるほどの力はない。
ウサギはすぐに、リルの腕から跳ね出て、草地へと逃げて行った。
「馬鹿! 何で逃がすんだよ」
ヘンリーは、手にしていたリルのウサギのぬいぐるみを投げ捨て、手負いのウサギを追いかける。
布でできた白ウサギは、遠くのぬかるみの中へと落ちた。
(4)
アーサーとヘンリーは、ウサギを追ってリルの元を走り去った。
ひとり残されたリルは、涙をこぼしながら、腹心の友であったウサギのぬいぐるみを探してさまよう。
泥にまみれて、ぽつんと落ちている白ウサギを見つけ、リルは懸命に駆け寄った。
と、その時。
ばねの軋む音がして、リルは水たまりへと転倒する。
なぜ転んだのかも解らぬまま、泥に身体を冷やされて、リルは震え出した。
最初は、驚きのあまり声も出せなかった。
だが、じきに、リルはすすり泣きを始める。
その泣き声は次第に大きくなり、とうとう、ウサギを追いかける双子たちの耳にも届いた。
「おい、リルが泣いてる」「解ってるよ」
アーサーとヘンリーは、互いの横腹を肘でつつき合った。
泣き声の方へと近づき、双子たちは、ぬかるみの中で転がったままのリルを見つけ出す。
もうひとつ仕掛けていた罠に、リルがしっかりと捕らえられていた。
ヘンリーとアーサーの顔から、血の気が引く。
慌てて、地面に座り込み、ふたりは罠の様子を検めた。
どうやら、罠に挟まっているのはリルのスカートと下穿きだけのようだと解り、双子たちはとりあえず胸をなで下ろす。
リルは、相変わらず仔猫のように泣き続けていた。
(5)
と、遠く蹄の音がした。
「どうしたんだ?! そこにいるのは、ヘンリーにアーサーなのか?」
馬上から、オーガストが叫ぶ。
蹄の音がどんどんと、ヘンリーたちの方へ近づいてきた。
一頭だけではないようだ。
鞍から飛び降り、オーガストが双子たちの方へと歩み寄ってくる。
「リル! なぜ泣いているんだ」
泥だらけで地面に転がっているリルの姿を目にして、オーガストは目を瞠った。
「罠に挟まっているのは、服だけだよ、オーガスト」
「そうだよ、足は罠に入ってない」
双子は、仰天している兄に向って、口々に言った。
そして、厩舎長が現れる。オーガストと共に、遠乗りをしていたところだった。
「お嬢様! 大変だ。早く……」
罠へと手を出そうとするオーガストを、厩舎長が、すかさず制止する。
そして、ひとりで手早く、リルを罠から解放した。
突然転倒した上に、周囲の兄や大人が、こんなにも慌てふためくさまを見て、リルはさらに恐怖にとらわれ、泣き止むことができない。
泣きじゃくるリルを、オーガストが抱きしめる。
「にいしゃま、うー」
リルが懸命に訴える。
ちいさな指先が示す先には、ウサギのぬいぐるみが、ぬかるみの中で転がっていた。
(6)
泥まみれのウサギを、厩舎長が、拾い上げる。
リルが、それを欲しがり腕を伸ばした。
「お嬢様。これはもう、ひどく汚れてしまいましたよ……」
厩舎長は、リルにウサギを手渡すのをためらう。
だが、リルは、聞きわけなく首を振りながら、さらにウサギに向かって手を伸ばした。
仕方なしに、厩舎長はリルに汚れきったぬいぐるみを渡す。
泥だらけのウサギを抱きしめると、リルは泣き止んだ。
ちいさく微笑んで、厩舎長を見上げる。
「ヘンリー、アーサー。お前たち、何を考えてるんだ、こんな。狐の罠なんか持ち出して。しかも、リルまで連れて来るなどと」
丁度、声変わりの最中のオーガストの声は、かすれ気味でひどく聞き取りにくい。
しかし、その声は、激しい怒りに震えており、そのあまりの気迫に、双子たちは文句も言えぬまま凍りついた。
「ヘンリー坊ちゃま、アーサー坊ちゃま。こんなところに罠などをしかけては、遠乗りの馬や、散策の御婦人が足を取られることがありますから、これからはおやめ下さい。よろしいですか?」
厩舎長が、穏やかに、だがきっぱりとふたりを諭した。
これには、オーガストも怒りを収めざるをえなくなる。
「ダーシー、このことは母さんには、伯爵夫人には言うなよ」
オーガストが、厳しい口調で、厩舎長に命じた。
「しかし、オーガスト坊ちゃま」
「駄目だ、ひどく心配するにきまってる。とにかく、リルは無事だったんだ。いいな?」
オーガストは、泥まみれのリルを片手で抱き上げたまま、手綱を取って、鐙に足を入れる。
すかさず、厩舎長が馬の首を抑えた。
そして、オーガストに気づかれぬように、そっとリルの背中を支える。
オーガストは鞍に上がり、片手でリルを、そしてもう片方の手で手綱を取って、厩舎長を見下ろした。
「さあ、戻ろう、ダーシー」
そして、双子の弟たちには一瞥もくれぬまま、館へ向かって馬を駆け出させた。
(7)
結局のところ、館に戻った泥だらけのリルを、大わらわで着替えさせ、湯を使わせたメイドたちの口から、伯爵夫人の耳にへと、事の次第が伝わってしまった。
子を四人もなしたとは思えぬ、まだまだ娘のように愛らしいダチェット伯爵夫人は、公爵家とも縁続きの根っからのお姫様で、リルがキツネの罠に嵌まったと聞くやいなや、失神寸前となる。
アフリカだかインドだかを飛び回っており、ダチェット伯爵は領地に不在だった。
寝椅子に横たわった母を、オーガストが、必死に宥めていた。
「ああ、ヘンリーにアーサー。可愛い双子の坊やたち。どうしてそんなに、母さまを困らせるの? ちいさなリルに、どうしてそんなに意地悪なの?」
青白い顔をして、伯爵夫人が溜息をつく。
「違うんだ、母さま。あれはリルが」
「ヘンリー!!」
ヘンリーの口答えを、オーガストが一喝する。
アーサーがヘンリーの脇腹をこづいた。
……なにを話したって無駄さ、ヘンリー。黙っていろよ。
アーサーの心の声が、ヘンリーにはありありと聞き取れる。
「可愛い坊やたち、もう、こんなひどいいたずらはしないと、母さまに約束してくれるでしょう? お願いよ」
「ごめんなさい、母さま。もうしません」
「もうしません、ごめんなさい、母さま」
ヘンリーとアーサーが口々に言う。
「ちいさなリルにも、ちゃんと謝って頂戴。お前たち、あの子の大好きなウサギを、泥だらけにしてしまったのでしょう?」
伯爵夫人はこう言うと、頭をクッションにもたせかけて、目を閉じる。
オーガストは、双子たちをひと睨みして、部屋から下がらせた。
(8)
夕日は、すでに落ちていた。
だが漂う光の余韻が、まだあたりを、淡く紫に染めている。
ちいさく、星が瞬き始めていた。
大樫の高い枝の上に、ヘンリーが、足をぶらつかせて腰かけている。
薄紫から墨色へと転じていく空の色を、ただぼんやりと見つめていた。
「おい、ヘンリー」
耳元でアーサーの声がした。
いつの間にか、幹を上ってきて、ヘンリーの隣に腰かけている。
ふたりは、しばらくの間、黙って前を見つめていた。
やがて、ヘンリーが口を開く。
「母さまは、オーガストのいいなりなんだ。僕らの言うことなんか何にも聞かないんだ」
「しょうがないだろう? ヘンリー。オーガストは、僕らが嫌いなのさ。それで、リルを独り占めしたいんだ」
「リルなんか、犬みたいに、勝手にくっついてきて、勝手に泣くんだ。勝手に転んだくせに」
「なんで、ああしてついてくるんだろう? リルは、僕らが好きなのかな」
アーサーが、首を捻る。
「解んないよ、そんなの。別にリルは、泣いたっていいけど、オーガストや母さまが怒るから……それが厭なんだ」
ヘンリーが、頬をぷっと膨らませた。
「リルが泣くのはおもしろいよな。オーガストにばれなければ」
アーサーが、ちいさく笑う。そして、ふと真顔に戻って、こう付け足した。
「リルの足が、罠に挟まれなくてよかった」
ヘンリーが大きく頷く。
「泣くくらいはいいけど、怪我するのは厭だからな」
そして、すぐさまこう言い継いだ。
「早く父さんが帰ってくるといいのにな。僕らのこと、嫌わないのは、父さんだけだもの」
「そうだな、ヘンリー。早く父さんの新しい冒険話が聞きたいよな」
「でも、すぐにオーガストが父さんのことをとっていっちゃうだろう?」
「それで、僕らのことを色々言いつけるんだ」
「そうさ、オーガストは告げ口ばかりする」
「陰険オーガストの告げ口野郎!」
あどけなくも、どこか悲痛な、そんな双子たちの愚痴を、傍の薔薇の茂みを手入れしている庭師だけが耳にしていた。
庭師は、こらえ切れずに忍び笑いを洩らす。
(9)
「……なあ、ヘンリー」
すでに、闇に沈んだ庭を見つめながら、アーサーが呟くように言う。
「どれだけ、オーガストや母さまに嫌われたって、僕たちはいつもふたりだから、平気だよな」
と、ヘンリーが、アーサーの手を強く握りしめた。
「そうさ、僕らはいつも一緒さ。これから、ずっとだ。僕たちは離れて生きることなんて、絶対にできない」
「僕たちは違う人間だけど、でも、僕はヘンリーの傍にいないといけないって気がするんだ。離れちゃ駄目なんだ。僕たちは……きっと死ぬ時も一緒なんだ」
アーサーは、自分とまったく同じ顔の兄を見つめる。
ヘンリーも、鏡を覗き込むかのように、弟アーサーの顔を見つめた。
「僕たちは結婚すれば離れ離れになるって、みんな、そう言うけど。違うよな、たぶん僕たちは、結婚なんかしないんだ」
「そうだよ、ヘンリー。僕もそう思う。女なんか、面倒くさいに決まってる」
アーサーは破顔一笑して、こう応じた。
「そうさ、どうせすぐ泣くんだ」
ヘンリーもまた、同時に笑う。
「僕たちの気持ちは、たぶん誰にも解らないな。きっと」
「ああ、絶対、解りっこない」
ヘンリーの言葉にアーサーが応じる。そして、ふたりはまた、顔を見合せて、合わせ鏡のように微笑んだ。
(おわり)
でも、ふたごは、結婚します……。




