表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オマケ倉庫  作者: 水城
2/7

シスター・オルランド(2)

(1)


「ねえ、リル、あなた喋れるようになったんですって?」


弾む声で、わたしにこう訊いたのは、ロッテだったかもしれないし、エッタだったかもしれない。

どっちだったとしても、きっと大きな違いはないのだ。たぶん……。

だって、どっちもきっと同じことをわたしに訊ねたに違いないもの。

先に口を開いた方が、声にしただけのこと。


ドローイングルームの隅、ビロード張りの椅子に座るリルは、双子の兄たちの妻たちを、交互に見上げた。

カナリア色のドレス。

涙の形をしたエメラルドの耳飾りが、ピンク色の耳たぶの上で揺れている。

あわせ鏡のふたり。ロッテとエッタ。


アーサーの妻がエッタ。ヘンリーの妻がロッテ。

ブルネットの艶めいた髪を、まったく同じに結い上げて、まったく同じに紅いくちびるをほころばせて、笑う。


(2)


「ねえ、リル。あなた、あの熊みたいな髭の大男と婚約したって本当なの?」

今度はエッタが訊いた。ロッテかも知れない。


リルは黙ったまま、ちいさく双子の義姉に頷いた。

伯爵夫人は、ミセス・ターナーに呼ばれて座を外したきりで、もう先から、リルは孤立無援だった。


「あのひと、テディ・バートラム。今は髭はないんですって?」「あら惜しいわね、立派なおひげだったのにね」「あのひと、アンとワルツを踊ってたわ」「そうね、とびきり上手だったわね」「リル、あなた、あの時いなかったのよね」「そうだわ、どうしていなかったのかしら」「そうよ、どうしたの? リル」


リルは金の睫毛を震わせて、まばたく。

一体、どの質問に、そしてどっちの姉に応えればいいの?


リルは、心細くて仕方がなくなる。目頭が熱く痺れた。ひとつぶ、涙がタフタのドレスの膝にこぼれ落ちた。

ぱた、と乾いた音がする。

もうひとつぶ、そしてまたひとつぶ。


ロッテとエッタが、同時に息を飲んだ。

「まあ、可哀想なリル。泣いているわ」「ほんとうに、泣いているわね。お気の毒なリリアン」


リルの前に、同時にまったく同じスワトウ刺繍のハンカチーフが差し出された。右側のハンカチーフには、Cのイニシャル。左側はH。


右斜め前がシャルロッテ? ううん。そんなの簡単すぎる。ワザとハンカチーフを取り替えたのかも。

それに、わたしは、一体どちらのを受け取ったらいいのだろう?


リルは、ますます途方に暮れた。


(3)


「やあ、カナリアたち、ここにいたのかい?」

賑やかな足音をさせてやってきたのは、ヘンリーとアーサーだった。

ヘンリーはすかさず、リルの右斜め前の双子の片割れへと手を伸ばし、その腰を引き寄せる。


……ああ、じゃあ。ハンカチーフは正しかったの? 

いいえ。

ひょっとすると、ヘンリー兄さまたちだって、自分の奥さんがエッタでもロッテでも。

本当はもう、どちらでもいいのかもしれない……。


リルは蒼い両目に、涙をいっぱいにたたえながら、そんなことごとを考えていた。


「おや、リルが泣いてるぜ?」と、アーサーが言う。

「泣いてるな、相変わらず甘えん坊だ」ヘンリーが続けた。


「こんなところに、皆で寄っていたのか、アンはどこだ?」


次にドローイングルームに入ってきたのは、ダチェットの主、長兄オーガストだった。



(4)


「アンは、メイド頭に呼ばれていったわ」「出て行って、もう二十分にもなるわ」

ロッテとエッタが口々に応じる。


その同じ音色の声を聴きながら、オーガストは、リルが涙をこぼしていることに気がついた。

「どうしたのだ? なぜ、リリアンが泣いている?」


「僕たちが来たときには泣いていたぜ?」「ああそうさ、もう泣いていたのさ、オーガスト。僕たちが泣かしたんじゃない」

ヘンリーとアーサーが、次々と言う。


「……お前たちの妻が泣かせたのなら、お前たちが泣かせたのと同じことだろう?」

オーガストは、嘆かわしいと言わんばかりに、ひとつ首を横に振る。


「あら、ダチェット伯爵、お怒りになってはいやよ」「そうよ。私たち、リルにフィアンセの話を訊いただけよ」


ロッテとエッタの言葉に、オーガストの眉間の皺が、くっきりと深くなる。

「僕はまだ認めてはいないからな、リル……テディとの結婚など」


「まあ、伯爵ったら。もう、リルはロンドンでドレスを仮縫いしているのに」「そうよ、凄く素敵なレースなのよ、羨ましいわ」「そうよ、羨ましいわね、私たちも、もう一度結婚したいわ」


「ほう? いったい誰とかね? スタンレー『夫人』」

オーガストの声が、苛立ちに震えた。


「ねえ、伯爵ったら、ヘンリーとアーサーが言う通りね」「ほんとうに、言うとおり」

「何がだ?」


エッタとロッテを、オーガストが鋭く睨み付けた。



(5)


「リルをひとりじめしたくて、いつも双子をリルに近づけないように追い払ってたって」

双子の妻たちは、まったく同時に、同じ声でこう言って、まったく同時に、同じ笑い声をたてた。


「……ひとりじめ? 何を。ヘンリー、アーサー。そもそも、お前たちが、いつもやんちゃばかりして、リルを危ない目に逢わせていたのではないか?!」


「ずるいんだ、オーガストばかり。リルをいじめて泣かせるのは楽しいのにな」「そうさ、面白いのに。オーガストが、ひとりじめさ」「リルは甘やかされてる」「だから、こんなに泣いてばかりなんだな」

ヘンリーとアーサーが、ワザと同じ顔で笑う。


と、双子の妻の片割れが言った。


「ねえ? リル。わたしはエッタ? それともロッテ?」



(6)


ひとつまばたきをしたリルの睫毛から、また涙の粒がこぼれ落ちた。


困惑し、涙をこぼしながらも、リルはふと気がつく。


エッタもロッテも、互いに互いの真似をしているんだわ? わざと。

ふたりの区別がつかないように。

そうよ、昔、ヘンリー兄さまとアーサー兄さまもやっていたじゃない。

エッタもロッテも、本当は、ちゃんと見分けて欲しくなんかないのだわ……きっとそう。


「みわけなんか、つきません……ろってもえったも、わたしが、ふたりのこと、くべつできないほうがいいとおもっているんだもの、とても、いじわる」

か細く震える声ながら、リルが、ついに言い返した。


オーガストが、驚きに目を瞠る。

ヘンリーとアーサーが、グッドウッドの最終局面で、ダークホースが躍り出てきたときのような顔をして、身を乗り出した。



(7)


ロッテとエッタは、顔をみあわせて、同じ顔で笑った。


「そうよ、すぐに区別が付けられるようになられたら、つまらないわ」「本当にね、リルが困るところを見るのが可愛くて、面白いのに」「絶対、当分は区別が付けられないわね」「そうね。でも、そのほうが、あなただって楽しいわよね? リル」「でも、時々、泣いたりするのは気の毒ね」「そうね、でも泣くのも可愛いわ」「それに面白いわね」「私たち、意地悪かしら?」「ちょっと意地悪かもね」


義姉たちのやりとりを聞きながら、リルはふたたび涙をこぼし始める。



(8)


「皆で集まって何しているの?」


天使の羽音をさせて、部屋に降り立ったのはダチェット伯爵夫人アン・マリアだった。

そして、「リル? どうしたの。泣いてるのね」と言って、部屋の隅の椅子で震えている気の毒な義妹に駆け寄った。


リルはアンに飛びついて、泣きじゃくる。泣いている理由など、とても説明出来はしない。


ダチェット伯爵家の双子の方はといえば、さすがにばつが悪そうに、煙草入れから煙草を取り出したりなどしてみせ、双子の妻たちは、悪びれた風もなく肩をすくめる。


ひととおり、リルの背を撫でて宥めてから、アンは顔を上げて振り返ると、まっさきに夫のダチェット伯オーガストを、ひたと睨み付けた。


「アン、誤解だ。僕はなにも……誓って、僕はなにもしていない。本当だ」


とまどいうろたえるオーガストに、双子夫婦たちは、しめしあわせたように、冷たい視線を投げつけた。


「オーガストが泣かせたんだ、義姉さん」「伯爵が、リルをいじめたのよ、アン」



(9)


「……オーガスト?」

アンが氷の声で呼びかける。


「あなたってひとは、いつまでそんな子供じみたことを……そんなにテディとの結婚が気に入らないの? 妹を泣かせて嬉しい?」


「オーガストは、『まだ結婚を認めた訳じゃない』って言ってたよ。義姉さん」

「そうなのよ、アン。もう、リルのドレスだって縫い上がるのにね」

双子たちが、追い打ちをかける。


いま、孤立無援となったのは、ダチェット伯爵だった。


オーガストは、一声呻くと、眉間の皺を、これ以上ないほどに深くし、長い長い溜息をついて俯いた。

(おわり)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ