第八理― <世界>複雑に見えて単純な話
「『摂理内包というのは、摂理を内に宿した存在のことを言いますが、これは必ずしも人の形に限ったことではなく竜族や動物、機械の形で生み出されることも少なからずある』
と現状で外部者に開示できるラインを弁えて、話の主旨となる事実を述べる」
ミコはホワイトボードを縦にくるりと裏返した。そしてパイプ椅子を移動させ、
「『その説明のために、まずこの世界の成り立ちについての説明をする』
と私はホワイトボードに説明補助のための図式を書き始める」
ミコは黙々とペンを走らせ、ボードの上の方に扇の円周のような配置で七つの楕円を描くと、
「『はるか昔、この空間には隣接する七つの世界があった。ひとつめが奇跡の生まれる神聖世界“シュトラール”』
と私は列挙を始める」
ミコは七つの中心にある楕円の中に『神界』と書き、その上の余白に『シュトラール』と書き込んだ。
そしてそれと同じように、中心側から埋めていくように次々と楕円に入れていく。
――魔法を操る者の魔物世界“魔界”――
――感情を有する者の人間世界“人間界”――
「『この三つが最初に生まれた原初の世界だと言われる』
と私は重要事項を補足した」
さらに、と前置きをしたミコはホワイトボードに向き直り、続きを説明し始める。
――竜族・亜竜族の支配世界“竜界”――
――遠未来機械の電子世界“機界”――
――精霊崇拝の自然世界“精霊界”――
――伝説・神話・伝承の幻実世界“天界”――
「『現在の世界において、何処から発生したものかはっきりしていない世界の事象・存在は概ねこれらの世界からもたらされたものであり、即ちこれらの世界が融合した結果がこの現在の世界となった』
と現在最も有力で確実とされている通説を語りつつジェスチャーを用いて理解の進行具合を確認する。
『ちなみにそれぞれの世界の名称を憶えようとする努力は現状必要ない』
とさらに理解を容易にする忠告をする」
「え? あ、そう……」
ちょっと残念、と思う辺り、久遠に知られたら残念に思われるのだろう。
別段自分は中二病患者であると宣言するつもりもなければ、公言しているわけでもないけど。しかしそれでも深く考えずにそのテのゲームを購入しては、戦いやら用語やらの世界観に酔ってしまうぐらいにはいかにも思春期らしい性質を持っている。
個人的にはそれほど傾倒していない、たしなむ程度に抑えているつもりなんだけど、客観的には果たしてどうなのだろうと気になってしまう辺りは少なくともその患者らしくない自覚であると言えるだろう。
「ここまでは大丈夫……かな。えっとそれで…………融合?」
「『イエス』
と肯定の相槌を打つ。
『これら七つの世界は不安定で不完全で不適当な存在だった。生まれた時に生じた不具合は歳月を経るにつれて世界を歪めるほどの亀裂となり、訪れた滅びの時、世界に宿る無意識の意志とも呼べる存在は隣接する他の世界との融合を選んだ』
とこの世界の成り立ちの第一段階の説明をする」
「ファーストフェイズ?」
「『最初の融合で、神界・魔界・人間界の三つの世界が滅びに瀕し、互いに引き寄せあって融合した。生命の誕生のように劇的に、水滴同士の合体のように自然に、そして泡が弾けるようにあっさりと重なった』
と比喩を用いて理解の幇助を行う」
ミコは三つの楕円の下からそれぞれ矢印を伸ばし、途中で合流させるとその下に同じく書いた楕円の中に『第一世界』と書き入れた。
「『さらに竜界が融合、これが第二段階』
とさらに経緯を説明を続行する」
左側の楕円と第一世界の下からさらに矢印を引き、その先に『第二世界』の楕円を配置する。
「『そして第三段階。第二世界に機界・精霊界・天界が融合し、第三世界、つまり現在の世界が生まれた』
と私は――」
「ちょっと待ってっ」
「『何か?』
と私は問い返した」
「それってまさか魔法だけじゃなくて、この世界には神も魔物もドラゴンもオーバーテクノロジーも精霊も伝説上の存在なども実在するの!?」
「『イエス』
と私は肯定し、突然言語が丁寧に変化したミズハに違和感を覚える」
いつから世界はこうなった――ッ!?
いや話を聞く限りそれは最初からで、一部の知っている者たちによって巧妙に隠されてきたらしいけど。
確かに平穏平和な日常を和やかに過ごしながらも何処か詰まらないとも思っていたけど、詰まる詰まらない以前にそれが当然で、そういったモノはむしろ空想や妄想の産物でありその枠内から現実に干渉しないからこそ鑑賞程度に楽しめるのだと納得した上でこれまでも現に楽しんできたはずなのに。
正直、ルーラー云々は未だによくわかっていない。ただ異常なほど鮮明な異常を持つ存在なのだと理解してる。むしろそうとしかまだ理解できていない。初めて知った概念で、それまでにはその片鱗にすら欠片も触れていなかったのだから当然以上に必然だ。
だけど、ドラゴンやオーバーテクノロジーの産物となると話は別だった。
昔から真しやかに語り継がれて噂されてきた架空の存在。実在を知らずとも、これらの存在はゲームやライトノベルの世界ではファンタジーやSFの代名詞とすら言える。それなりに長い期間、これほど人口に膾炙している概念は他にない。どんなに現実に則した考え方をする人間でも実在しないこれらの存在に関する概念を知識としては知っている、と断言できる。
我ながら理解の早さにも驚くけど、どれだけ凄い状況に立たされているかが現実味を帯びてきた。
「『説明を続行する』
と私はミズハの様子を見て話を切り出す」
「あ、うん、ゴメン。続けて」
「『結果的にこのようにして世界は融合してきたものの、世界が融合する時々で無視できない問題が発生し、その度に世界はそれを処理してきた』
と私は説明の、ここに至ってはルーラーの本質に関して核心に触れる」
見ると、ボードの図解はさらに『第三世界』へと進められていた。
「問題?」
「『相反する摂理同士の反発現象。全く逆の事象を司る摂理同士は相容れない。融合し、ひとつになった世界では共存できない。だから世界はその内の最適なひとつを残して他の選択肢を切り捨てた』
と私は“問題”の詳細を説明する」
「殆どのルーラーの中身は、その時に切り捨てられた旧理、つまり旧い摂理なのよ」
何故かその部分だけ口を挟んできたクレアが、ぐぃぐぃっとシャルルの背中を押して、ボクの前に立たせる。
「『一例として彼女を用いて説明する。切換・ノウェア』
と私は擬似シャルルの擬似裏人格を解放する」
ドクンッ……。
突然、一拍だけ心臓の鼓動が大きくなった。次の瞬間、思わず勝手に動いた身体が思いっきり後ずさった。そして脇に置いてあったバイプ椅子に躓き、尻餅をついて転んでしまった。
しかしそれでもなお、ボクの身体は目の前のソイツを拒絶していた。
さっきのクレアの暴走以後、小動物のようにビクビクと怯える様子を見せていたシャルルは――――もはや別モノと化していた。
シャルルは全身から黒い靄のようなものを噴き出し、何も見ていないかのような朧気な冷たい視線でボクを見下ろしてくる。その静かな薄笑いを刻む面持ちは鋭利な刃物を彷彿とさせ、本能的な恐怖を抑えようがないほどに圧倒的な狂気と殺意に満ち満ちていた。
その手は黒炎のようなものに包まれ、指先に生成された悪魔のような鋭い爪が黒々とした不気味な光沢を放っている。
「『驚かせて申し訳ない』
とミズハに謝罪し、私はシャルルの裏人格モードを解除した」
スーッとシャルルから邪気が消えていく。そして、ガクンと脱力してへたり込んだシャルルは最初と同じ色の光を発した魔法陣の中に沈み込んでいく。
「い、今のは……?」
「『シャルルの夜の人格とも言われる存在、ノウェア。人格はあるが、シャルルとは異なり理性と倫理観に欠け、また殺戮と流血を好む残忍な性格の殺人者。彼女に内包された旧理は、元々神界の“訪れぬ闇夜”という摂理。これは名前の通り、“神界には夜が存在しない”という自然現象を表している』
と彼女を一例に挙げるに際し、充当と見做した説明を終える」
「白夜みたいなものかしら?」
「『近い』
とクレア=理=ディストルツィオーネの比喩に対して肯定の返事をする」
「なんで夜がないってことがそんな危ない性格の別の人格に繋がるんだ?」
「『旧理とは逆の理に支配された世界の存在であるため、旧理として本来持っている性質の裏に当たる性質を表出する。神界において存在しない夜には、神界に存在するものは存在できない。日没と共に神界に存在していたシャルルに与えられた慈愛などの性質は表に出せなくなり、謂わばたがが外れた暴走状態になる』
と特失課において半ば形式化した説明文を用いて理解を促す」
要するに旧理が『白夜』だからといって単純に『白夜を作り出す能力』になるわけじゃないということらしい。
「『ルーラーは不死ではないが不老。これはルーラーの存在理由に起因する。元々ルーラーは摂理消失によって生じる世界の歪みを時系列毎に分散するための措置であり、それ故に死や消失などの因果律に干渉するルーラー以外は事故・自殺その他の要因によって死亡、消失する』
とルーラーの性質についてある程度詳細に説明する。
『また、ルーラーは対外的に危険な能力を有する個体も存在するため、安全装置として人格と人化、すなわち人類あるいはそれに近いに変化する能力を持つ』
と私はルーラーについての全ての説明を終了し、沈黙を以ってミズハに疑問提示を待っていることを示唆する」
ミコは言葉通りに黙り込み、静かに僕を見上げてくる。
今までの話を反芻する。
何となくだが何とか話自体は理解しているみたいだけど、学校の授業よろしくすぐに忘れてしまうとも思う。具体的には――具体時には放課後に当たる四時頃には。
そんなことを考えつつ、何の気なしにミコに視線を遣り――――疑問が浮かんだ。
ミコを見る。正確に言えばミコの身体を、だが。
ミコはそんなボクの様子に気づいたのか、くっと首を傾げた。そして何を思ったか、ポンッと弾けるように頬を赤く染めた。さらに『やっぱり身体……償……と質……』と何やらぶつぶつ呟くと、顔を上げたところで僕と目が合い、さっと目を逸らした。
どうしよう。何となく彼女の思考回路が暴走している気がしてならない。これは自問自答するよりもさっさと訊いた方が良さそうだな。いろんな意味で。
「ミコ」
「『ひゃっ……はい』
と私はミズハに対し、応答の相槌を打つ。あるいはミズハの提案もといある種の命令を予測し、私は想像に身震いを――」
「ミコは人間なの?」
「『いいえ』
と私はミズハの提示した疑問に対し、否定の言葉を返す」
ミコは直前まで明らかにテンパっていたとは思えないほど冷静にそう答えた。少し怒っているような、しかし若干悲しげに見えたその表情に思わず続きの言葉が口をついて出た。
「ミコは……何なの?」
出てしまった。
「ミズハ、彼女にいきなりそれを問うのは少し酷というものよ。悪いことは言わないから、今はやめておいてあげ――」
「『私のことを知りたい理由は何か』
……と私はミズハの心中を問う」
口を挟んだクレアの言葉を遮るように、ミコがか細い声をあげた。
ボクは、その問いには答えられなかった。少しの間、ボクの言葉を待っていたミコは悲しげに床を見下ろすと、
「『ごめんなさい』
と私は――」
一言だけ残して、部屋を飛び出していってしまった。
「ダメよ、ミズハ」
後を追いかけようとした瞬間、部屋を出るより先にクレアに呼び止められた。そのすぐ後に肩に手が置かれ、ボクが振り返るとクレアは無言で首を振った。
「どうして……」
「貴方はまだ――」
クレアは躊躇うことなく言い切った。
「――彼女の何でもないでしょう?」