第六理― <説明>裏のシステムと裏事情
「――要するにそういう人外どもが人類に危害を加えないように統括管理するために日本国内に設置された国家特務機関が、俺たち特別遺失物取扱課、通称“特失課”ってワケだ」
剣斧使いの少年テクスは、小一時間に及ぶ長ったらしい説明を終えて手に持っていた水性ペンをその辺に放り投げ、どかッとテーブルの上に腰かけた。
「さて、概ねこんな感じだが、何か質問はあるか?」
「う~ん、そうだね……」
ここでまるごと全てがわかりませんでしたと答えるのは簡単だけど、まずはどうしてボクがここで謎の授業を受けるハメになっていたか。
それをもう少し遡って順番に説明していかなきゃいけない。
具体的には釘十字神流という全身黒ずくめの幼い女の子が現れ、始まった時と同じぐらい唐突にあの場の争いが収束した直後だった。
それまで車の気配すらなかった海浜公園前の大通りに、数台の黒いセダン――スバル・インプレッサG4が次々と乗り付けてきた。リリスが言うにはクレアと交戦した現場の後処理をしに来たらしい。そこでボクは、周囲の悲惨な光景を改めて再認識させられ納得する。
鎌少女の持っていた、漫画とかで死神が使っていそうな禍々しいフォルムの大鎌。
テクスの持っていた、刃渡り百五十センチあまりの巨大な剣斧。
柄がまっぷたつにされてはいるが、これまた大きな薙刀。後でクレアに聞いた雑学だが、薙刀というよりは長巻という武器に近いらしい。これは太刀などの刃に長柄をつけたものだとか。
蜂の巣にされた挙げ句、下手すると日本刀よりも鋭利で大きな何かで両断された大型車。
激しく損傷したコンクリートブロックと対物ライフルの実弾。
ばら蒔かれた小銃の空薬莢と実弾・空弾倉と本体。機関銃も空薬莢と実弾が地面に散らばり、路上に放り出された本体は湯気を上げている。
あちこちに法律違反の証拠が溢れ返っていた。今まで法に触れるようなことは一度もしてこなかったボクでも、このまま放置して帰ればどうなるか容易に想像できる。
車から下りてきた黒スーツの男たちが神流の指示で黙々と作業に取りかかるのをぼんやり眺めていると、男たちの乗ってきた車の内一台を半ば強制的に接収したらしいリリスが中に積まれていた謎の機材や段ボール箱などをかなり無造作に車外に放り出し、ボクとクレアに乗るように促して自分は運転席に乗り込んだ。
特失課をやたらと毛嫌いしていた様子のクレアが何故か神流に指示されるままに素直に車に乗り込んだその時点で逃げ場はないと悟ったボクが、少し危なげなリリスの運転で連れてこられた建物。
聞いたところによると、特失課が管理している支部のひとつという話だった。
残念ながら遮光ガラスになっていて建物の外見は見られなかったが、内装は白い漆喰塗りの壁に黒い石材模様のタイル張りと何処にでもありそうなものだ。
そしてその中の一室。応接室と会議室の中間のような小綺麗な部屋に通されたボクとクレアは、何か検査などをされた覚えもないのにテクスに『手遅れ』と宣告され、今に至るというわけだった。
かなり省略した部分もあるが、大筋はこんなところである。
ちなみにその間ずっと、クレアは殊勝な顔で部屋の隅っこに縮こまっていた。どうやら彼女にはボクを現状に巻き込んだ責任があるようで、その負い目からしばらく大人しくしていることにしたらしい。
肝心の説明の方は専門用語のオンパレードなため何がなんだかさっぱり理解できなかったのだが。九割以上は右から左へスルーである。客観的に見れば、残念なのはボクの理解能力とテクスの説明能力だ。
相乗効果恐るべし。マイナスファクターに使うとは偶然と運命を司る女神様も悪戯好きな性格らしい。
冗談はさておき。
わかったことはたったの二つ。
一つは、テクスは字と絵が壊滅的に下手だということ。これはホワイトボードの上を跳梁跋扈する無数の“動かないミミズ”が物語っている。こんな人に説明させちゃダメでしょ。
そしてもう一つは、この世界には“ボクが今まで常識的に信じていた常識”以外のものが存在したということだった。
とりあえずそれだけでも理解できてよかった。そうでなければボクは、自分の目で見たものすら信じられない最悪の状況に陥っていただろう。現実乖離もそこまでいけば取り返しがつかなくなることはボクでもわかる。
その時、入り口のドアが開いてさっきの大鎌の少女が部屋に入ってきた。
彼女の名前は不動律巫女。ここに来るまでの車の中で一応お互いの名前ぐらいは把握している。ちなみにテクスには名字に当たるものはなく、テクスという名前しかないらしい。
入り口脇に置いてあったパイプ椅子を手に取ったミコは頭に包帯を巻いていた。巻く時に邪魔だったからか、サイドテールだった髪は下ろしている。
「それ……」
「……。
『大したことはない。心配してくれてありがとう』
と、私は大鳥瑞端に礼を言った」
少し目を逸らしてそう言ったミコは、続いてテクスとホワイトボードのミミズに視線を向け、残念なものを見る目付きになる。
「テクスのいいかげんな説明能力に嘆息しつつ、
『特別遺失物取扱課は建前上“課”として下部組織の体を取っているが、実態は“対遺物抑止独立部隊”。the Anti-Relic Agency of Extra-Legal Forceより、一部ではARAELと称されることが多い』
と気休め程度の補足説明を付け加える」
「通称なんざ好みの問題だろ」
はッ、と鼻で笑いながらそう言い捨てたテクスはめんどくさそうに立ち上がり、ホワイトボードのミミズを抹消し始める。
その様子に再び嘆息したミコは、部屋の隅のクレアに目を向けた。
「『自己申告名称クレア=理=ディストルツィオーネ』
と私は声をかけた」
「……何かしら」
「『当方、特務C班の上司に当たるハルトムート=ヴォルケンシュタイン副室長の判断で、貴女には選択権が与えられることになった』
と事務的な報告を始めます」
「選択権? 私は別に、まだ貴女たち特失課に従う義務はないと思うのだけれど」
「『はい』
と肯定する。
『だから選択肢は、“特失課の保護管理を受ける”“日本国内から退去する”“特失課以外の私設組織の管理を受ける”あるいは“実力行使による強制排除”のいずれか』
と通告する。
『なお、私設組織については現在リリス=イージスエイル=初音が先方に打診中』
と、暗にあてがなければ場合により選択肢自体が削除される場合もあることを示唆しつつ、補足説明を加える」
「特別遺失物取扱審査法で自由選択させる場合は現行の時間定義で一週間与えられる。ゆっくり考えろ、バケモン女」
テクスは消し終わったホワイトボードを乱暴に壁側に押し込み、そう言い捨てた。
「自由選択だなんて。話に聞いてはいたけれど日本はかなり寛大な国みたいね」
「『この決定は、一般人である大鳥瑞端を守ろうとした言動及び私たちに対する敵対行動の上で私たちの生命維持に多大な損害を与える攻撃意思を見せなかったことに対する正当な評価』
と副室長の言葉の一部を流用しつつ、言葉を婉曲に否定する」
「あら、人助けはしておくものね」
いまいち自覚が薄いのだが、確か巻き込まれた、という状況だったと思う。その時ガチャリというドアの開く音がして、ミコが入り口の方に視線を向ける。
「ミコ、あと任せた」
テクスが出ていくところのようだ。
「『了解。ありがとう、テクス。ご苦労さま』
と私は――」
バンッと勢いよく扉が閉められる音にミコの声がかき消され、ミコはしばらく無表情を貫くとわずかに首を傾げた。そんな様子を見たクレアは、テクスの出ていったドアの方に視線を遣りつつ、口元を隠して含み笑いのような声を漏らす。
上品に振る舞ってはいるが、クレアの目は笑っていた。まるでオモチャを見つけた子供のように。
「『大鳥瑞端』
と私は唯一の被害者に声をかける」
「瑞端でいいよ」
「『了解。それではミズハ、テクスの説明で理解不能な点があれば』
と私は理解状況の報告を促した」
「えっと……ほとんど全部……かな」
気まずくなって思わず苦笑いしてしまったけど、ミコは特に落胆したり呆れたりするような表情を見せるわけでも言葉に詰まるわけでもなく、
「『了解』
と私は頷く。むしろ今まで一度の説明で理解できた例は稀であるため、致し方ないより妥当だろう。
『それでは引き続き、私が再度説明する』
と提案する。
『なお、念のため私の説明許可の確認を取る。説明役は私で構わないか』
と私は少し緊張を覚えつつミズハに問う」
「え? っ……あ、うん。別に」
緊張? と思わず口にしそうになり、慌てて言葉を濁す。
しかしミコは躊躇うような表情を見せて視線を泳がせると、まるで意を決したかのようにボクの顔を見上げ、
「『無視できない個人的な懸案事項が存在するため再確認する……』
と話を切り出す。
『私は一度貴方に鎌の刃を向け、貴方の意思確認を行わずクレア=理=ディストルツィオーネとの交渉材料に使用した。結果私を拒絶し、私の説明役の着任を拒否するなら別の人材を用意しよう』
と私は……」
ミコの言葉が詰まる。
なるほど、そういうことだったのか。
「『ミズハが望めば、私にできる限りの償いをする覚悟はある』
と私は意思表明を含めた提案をする」
「そのことなら気にしなくていいよ。結局何かあったわけでもないし、さっきテクスが人質ってのは名目で保護するとかなんとか言ってた気もするし」
正直、つい一時間前に初めて会った人に償いと言われても、本気で賠償してと言えるほどはっきり物を言える性格ではないことは自覚してる。むしろできるだけ穏便に波風立てないように済ませられないかと考える方が性に合っているのだった。
ボクの返事を聞いてこくり……と溜めるようにうなずいたミコは、
「『では説明を始めます』
と私は心中で礼を繰り返しつつ、床に落ちているペンを拾いに行きます」
それは普通に言ってもいいんじゃないかと。