第三理― <対峙>特別遺失物取扱課
話題が逸れに逸れているクレアの空想と現実が入り乱れる日本講座を半ば強制的に終わらせると、クレアの提案で移動を始めた。
何の用意もできていない状態で同じところに留まるのは危険、ということらしい。そんな感じで、前をキョロキョロしながら歩くクレアの後ろを、自転車を牽き牽きついていくのだった。
「さっきは話が逸れてしまったけれど、結局ミズハは何処に所属しているの?」
「話を逸らしたのはクレアだけどね」
「まさか特別遺失物取扱課なんてことはないわよね?」
「やっぱり人の話を聞かないんだね、って……ナニ……?」
「知らないの? ってことは裏返せばあそことは接点がないってことね。彼らは日本の公的機関の中でも実力行使で摂理内包や受呪者を管理しようとするって聞いてるから、あまり好かないの。ミズハがそうじゃないなら少しだけ安心ね」
なんだろう……? 実力行使とか話が穏便じゃなくなってきた。わからない言葉があるのを別にしても、まるで別次元の話だ。さっぱりわからない。
混乱して何も答えられないボクをどう思ったのか、クレアはさらに語り続ける。
「強すぎる力はいつの時代も縛られるものだけれど、受呪者が人に害を与えるっていう偏見があるのが困るのよ。確かにそういう連中もいるにはいるけどごく少数なのよ? 同じ人同士で傷つけ合う割合の方がよほど多いわ。ひとつひとつの存在感が大きくて、呪いの副次能力が派手だから目立つだけ。ミズハはどう思う? 受呪者が本当に人を害すると思う?」
……ちょっと待った。
そもそもクレアが何について話しているのか。日本語とはいえ、固有名詞なのか専門用語なのか途中で別言語ばかりが入ってくるせいで理解がまったく追いつかない。
でも、その中で気になる台詞が一言ある。
「むしろ摂理内包の方が危険だと思わない? 彼らは何をしなくても周囲をねじ曲げてしまうのだもの。……あら? どうして鳩が鉄砲を食らったような顔をしているの?」
「……呪い?」
豆が抜けているクレアの言葉に対するツッコミを放棄して訊ねると、
「呪いがどうかしたの?」
そう言って足を止め、クレアはボクの方に振り返った。
「呪術……とか? オカルトみたいに」
「違うわ。偽装魔術はあくまでも魔術だもの。大抵は中途半端に流出した技術を鵜呑みにして、暴発したり不発だったりするのだけれど」
今度は魔術か……。
普通ならここで、真性の中二病かはたまた電波かと適当にあしらって補習にでも向かうところだろうが、あの鎌少女を見てしまった直後では信じる信じない以前に状況説明ぐらいは聞いておきたかった。
「呪いはもっと根元的な力。人間の強い感情ベクトルによって生み出される怨み辛みの負の縁現象。まさかそんな初歩的なことまで知らないってわけじゃ――」
言葉が、止まった。
クレアの目が大きく見開かれ、まるで人を殺してしまった後のように表情が歪む。そしてその顔を隠すように、クレアは口元を手で覆った。
後悔と自己嫌悪。
今にも吐きそうなほど青ざめた顔には、驚くほどにはっきりとそれが見てとれた。
「ちょ、ちょっと……待って……」
さっきからボクが言いたかったことを、逆にクレアが口にする。
「ミズハ、貴方、知らないの……? まさかこれまで……“こっち側”との関わりがなかったわけじゃ……!?」
「うん、こっち側とか言われても……正直さっぱり……」
さっきまで上機嫌に話していたクレアが、突然難しい顔をする。
「私は――なんてことを……」
その時だった。
「これだからお前のような高格付けの放浪者は困るんだよねぇ」
ビクッ!
クレアの肩が跳ね、声のした方向、進行方向に向き直ると、そこには一人の少女が斜に構えて立っていた。
(うちの制服……?)
今朝、久遠が着ているのを見たばかりのうちの高校の制服だった。
お洒落初心者の久遠は高校二年生になっている今でも制服に着られている感じだけど、目の前の彼女は白いブラウスの上にブレザーでなく薄黄色のカーデを着ているせいか、全体を着こなしている感じだ。
「あんまり手間かけさせないでよ。私たちだって暇じゃないんだからさ」
青みがかったような目立つ銀髪をボブカットにし、スカートの下から見えるほど長い一筋の後ろ髪だけを元で結っている。身体は年相応よりも少し幼げのプロポーションだけど、その顔を見た最初の印象は良くも悪くも人形みたいというものだった。
細やかに造り込まれたその顔は、作り物を見ているような感覚が拭えない。
「貴女は誰ッ!?」
クレアが強い口調でそう言うと、その繊細な造形に似合わない仕草で髪の毛をがしがしとかき乱し、
「私は『特別遺失物取扱課』特務C班、通称“クラックポット”に所属するリリス=イージスエイル=初音。気軽にリリスって呼んでよね」
そう言って両手を広げ、スタスタと歩み寄ってくる。
その瞬間、クレアはボクをかばうように手をバッと横に突き出し、
「それ以上近づいたら“壊す”わよ」
ドスの利いた物騒なその言葉に、リリスがピタリと足を止めた。
「危ないなぁ。あんまり痛いのは怖いし、あんまり怖いのは嫌いだし。さてさて私はどうするべきかね」
少しふざけたような余裕ぶった声色で腰に手を当て、困り顔を作って見せるリリスは、少しうつむいたかと思うと、
「そだ」
ポンと手を打った――瞬間、
「私は
『主よ、罪無き者を人質とする私をお許し下さい』
と胸の前で十字を切った」
突然背後から聞こえた声に無数の金属音が連鎖するように重なり、直後、思わず飛び退きかけるほど冷たく細い何かがボクの首筋に押し当てられた。
「『まったく困ったものだ』
としか言いようがない。
『管理外の人外が好き勝手に振る舞い、一般人に境界線を越えさせたなんて上に知られれば、私たちの管理責任が問われてしまう』
と私は論拠を述べる」
まるで何かの文章を、台詞や地の文の区別関係なしに音読しているような声と共に、巨大な鎌が、刃を回り込ませるように後ろから首に突きつけられていた。
振り返れば首を落とされる。
声を出しても首を落とされる。
その幼げな声には、それを瞬時に理解させるほどの殺気が宿っていた。
「彼は“理解して”いないから大丈夫なはずよ! 今すぐ解放しなさいッ!」
リリスに背を向け、ボクの背後の何者かに強い口調で必死に訴えかけるクレア。
しかしボクの背後の人物は何も答えず、代わりにリリスが口を開いた。
「これだから西洋育ちの人外はダメなんだよね。親密な人間関係に憧れを抱くのはわかるけと、日本語の機微もわからない内から先走りすぎ。ほら、何の庇護もない一般人を引き込んじゃったわけだし。ま、彼が“理解したのかしてないのか”、それを調べるのも不本意ながら私たちの仕事だからね。ただでさえこの地区は管理しなきゃいけないモノが多いのに、湧いて出たあなたのために始末書書かされてちゃたまんないわけよ」
説明が何もなく、わからないことがあまりにも多すぎる。ボクが何を理解してないというんだ……?
いつもと同じように過ぎると思っていた日常で、ボクはどうしてありえない大きさの刃物を向けられて、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされているんだろう……?
意識のピントが現実と食い違い、思考が自分でも予想だにしない方向に空回りする。
「卑怯者……」
ギリ、とクレアが歯を噛み締める音まで聞こえるような静寂に包まれる。
「卑怯上等、卑怯常套。人外が人道を語ってどうするのさ。それに私たち特失課は法の下の無法者だからね。あなたと違って何をしても合法ってわけ。さて、死人なんか出したくないし、大人しく管理下に入ってくれない?」
くすりと、言葉遣いに似合わない可憐な微笑みを浮かべたリリスは、チラと一瞬――流すような視線を周囲の何処かに向けた。
そこで初めて気づいた。大通りなのに人どころか、車すら通っていないという異常に。
すぐそこの交差点にも車の信号待ちがなく、バス停に人が並んでいることもない。まるでゴーストタウンのようにひっそりと、時間が止まってしまったかのように幽玄の空間を演出していた。その息苦しさが極まって、まるで身体の中に大きな金属球を突っ込まれたような重苦しさに思わず目を閉じる。
「何か言ってくれないかな、はぐれ人外。それとも、もしかして自分以外の人外に会うのは初めての新入り? となるとやっぱり――」
調子よく話していたリリスの声が途切れ、ザッと地面を擦るような音が聞こえる。目を開けると、リリスは目を見開いたまま硬直していた。
その視線の先には――クレアが。
「“はぐれ人外”? “ルーキー”? 貴女を基準で考えるのはやめてくれないかしら、ルーキー」
クレアは見覚えのある鎌少女の首を右手で掴み、頭上高くに掲げていた。
リリス同様にうちの高校の制服を着て、黒髪を左サイドテールで結んだひどく小柄な少女の身体はクレアの華奢な腕に掴まれぶらぶらと揺れる。脱力しきったその少女には生気が感じられない。
そして、直前まで首筋に当てられていたはずの鎌は消え失せ、背後に確かにあった気配も、今は嘘のようになくなっている。
――何があったんだ……?
「あら?」
突然、クレアが驚いたような顔をしてその鎌少女を見上げ、そして呆然としているリリスの前に軽々と放り投げる。
人を。
何の躊躇いもなく。
ドサッ、と思いのほか軽い音が耳に入ってくると、同時にリリスの表情が歪んだ。
「ミコ!」