高所恐怖症になりそうです。
ドオンという激しい何かがぶつかる音がした。
それと同時に、私達のいるこの塔がぐらっと揺れ、天井から
ぱらぱらと埃が落ちてきた。
何事でしょうか?
床ガラスの部分から見下ろしたけど、下にいる5人が何かしたわけでは
ないようだった。 なにしろ、下の状態も混乱している。
「おい、何があった、お前たち、下を見て来い。」
侍従長の指示で、警邏の制服を着た二人が、扉の向うに消えた。
そうしていたら、またもや、ドオンという音がして、塔が揺れた。
この塔は石造りだから、何かがぶつかってもちょっとやそっとのことでは
壊れないだろうが、爆弾とか爆発物をぶつけられたら、ちょっと危ないかも。
そういえば、テロリストが某有名なビルに突っ込んだのは、飛行機だった。
この世界には、飛行機はないので、それはないだろうが、
爆弾とか爆発物はあるかもしれない。
紫が、鉤フックのついた、所々に結び目があるロープを
天窓の近くに投げて、引っ掛けた。
「紫? まだ天窓は開けられないんだよね。」
「ああ、だけど、隙間から様子を見ることは出来る。
黒い布で、先に天窓を覆った後、布とカーテンの間に顔を入れて、
カーテンを真ん中部分だけ引き、窓を少しだけ開ける。
そうすれば、隙間からだけだが、外の様子がわかる。」
うん?
それって、窓から顔を出せるって事?
ドオン。
また、塔が大きな音と共に揺れる。
紫は、慣れている様子で黒布を持ったまま、
するすると結び目のついたロープを登っていった。
天窓から、ここまで、約3m弱。
図書館の脚立よりも高いところにあります。
無事に天窓に着いたら、黒い布を窓全体を覆うように
上手に両端を窓の桟にあった、少しだけ頭の出ていた釘に
結ぶ様に引っ掛ける。
そうして、紫自身の体を、布とカーテンの間に入れて、
カーテンをシャッと引いて、天窓の鉤がカチャリと開く音がした。
確かにこの方法だと、光はわずかしか入らないし、
なんとか外の状況を覗見れるだろう。
「……ああ、これはまた。」
紫が、なんだかあきれたような声を出してます。
何が起こってるのかわかったんですか?
「紫、なにかわかった?」
私は、小声で紫に話しかけますが、紫は聞こえているのか、いないのか、
独り言をぼそぼそとつぶやいています。
「本当に、短絡的というか、単純というか。」
え? 何?
何が起こってるの?
「力技って、まあ、それしか方法が無いのかもしれないけど、
その結果をわかってるのかな。」
だから、ナンなのですか。
「紫、教えてよ。」
ロープの下で端を持って、ちょっと揺らしました。
「うん? ああ、ちょっと待って、今、降りるから。」
紫が降りている間にも、またもや塔は揺れ、
天井のどこかの軋みも耳に届いた。
紫の足が床につくとすぐに、紫がこちらを向いて、話し始めた。
「軍部の連中が、この塔の扉を力尽くで破ろうとしているんだ。
これは、その音だよ。」
「力尽く?」
すぐ下の侍従長達からも、似たような情報がもたらされる。
「大変だ、塔の入り口は軍部の奴らに、ぐるっと囲まれてる。
それに、奴ら、この塔の入り口の戸を、長い槌のようなもので壊そうとしてるぞ。」
またもやドオンっと、大きな音がした。
下の5人は、その音と、もたらされた情報で、あたふたとしてます。
なるほど、これが、槌で叩いている音なのですね。
入り口の扉を破るって壊すって事だよね。
それなら、もうちょっと待ってれば、助けがくるってことではないの。
よかった。
ちょっとほっとして、紫を振り返ったら、紫の表情はなんだか冴えない。
首をかしげて、紫の顔をじっと見つめながら、尋ねた。
「どうかしたの?」
「確信はないよ。
でも、多分、扉を壊すと、この塔も壊れる。」
はい?
「それは、どういうことですか?」
黙々と、下を向いて手を動かしロープを作っていた王妃様が、
突然に私達の話に参加した。
「これは、僕がずっとここにいて感じていたことだけど、
この塔にはあちこちに仕掛けや細工がある。
この部屋もそうだし、入り口の扉にしても、そうだろ。
それらの仕掛けが動く時、この塔のあちこちで音が反響するんだ。
多分、この塔の壁にそって、別の仕掛けがあるんだと思う。
それが、鍵の動きと連動しているんだ。」
音が反響ですか?
そういえば、この塔の階段って、いやに音が響くと
思ってましたよ。でも、それって、塔だからだと思ってた。
「壁に沿っての仕掛けとは、どのようなものなのでしょうか?」
王妃様は、手を止めたまま、何かを思いだすように、空中に視線をさまよわせた。
「僕は、この部屋から出たことが無い。
でも、この部屋に続く道が螺旋階段になっていて、
二階の渡り廊下が、出入り口になっていることくらいは知ってる。」
「うん。そうだね。」
私は、大きく頷く。
「なら、一階は?
一体何があるのか知ってる?」
は?
一階ですか?
外から見た感じでは、出入り口なんて一階には無い。
どちらかというと、一階部分は塔の土台だと思っていた。
「一階に、仕掛けがあるのですか?」
「多分、塔全体の仕掛けの大元がそこにあると思う。
鍵が回るとき、必ず、ガコっていう小さな音が、幾つか連なって、
そのあと、カラカラってなにかが廻る音が、
上から下に、順に音が廻るんだ。」
ガコっに、カラカラですか。
「鍵が、その音に連動していることに間違いはないのですね。」
紫が軽く頷いた。
「メイが今朝、入ってきたとき、いつもと音が違ったんだ。
多分、いつもと違う様に鍵を回したのかではないかと思うけど、
いつもより音が長かったし、この塔の壁からも音が聞こえたんだ。
ほら、今もしてるよ。 聞いてみて。」
紫に促されて、ベッドの脇の壁に耳をびたっとつけてみた。
確かに、キリキリ、カラカラって何かが廻っているような音がしていた。
例えで言うなら、キリキリは、ロープとか何かをねじるような音、
カラカラは、自転車の車輪がただ廻っているような、あんな音だ。
「それから、螺旋階段の中央の柱が空洞になっていることも。」
階段の中央の柱って、つまり、降りるときに手を付いて
ぺんぺんと壁を叩きながら降りていたあの壁が空洞ってことですか。
「そう、だから、塔での会話は、この塔の空洞部分に近いところなら、
全部、聞こえるんだ。 それも、はっきりとね。
だから、メイが忘れ物したって、帰って来ることも、
下の奴らと貴方達の会話も聞こえた。」
そうか、だから、あんなにすぐ、紫が部屋に入れてくれたんだ。
本当に、間一髪のタイミングでしたよ。
「ここから、塔の内部の会話が全て聞こえるのですか?」
え?そうなの。
下の部屋からでなく、この部屋からなのですか。
どうやって?
「そう、こちら側の壁が、空洞になってる。
だから、壁に耳を当てると、大概の音は拾える。」
紫は、ベッドが置いてある、木の床側の壁を指差した。
ドオン。
また、あの音がして、塔全体が揺れる。
もう一度、壁に耳を当ててみたら、先程までとは比べ物にならないくらいに喧しい音が
塔全体に響き、塔自体が悲鳴をあげているかのような軋んだ音がしていた。
「ねえ、紫。 この音って、酷くない?」
「そうだね。 酷いね、ここからでも聞こえるよ。
仕掛けが、大きく動いているということだろうね。
多分、扉が壊されたら、この塔は、壊れると思う。」
大変だ。
助けを待っている場合じゃない。
助けに来てくれた人達も、私達も塔と一緒にぐしゃぐしゃだ。
紫は死にたいって言ってたけど、こんな死に方に、ロマンも夢もありゃしない。
この塔の製作者よ、出て来い。
一言、もの申したい。
たとえ、私は死ななくても、ぐしゃぐしゃになるのは、確定。
ということは、ゾンビ、もしくは、ホラー映画出演まっしぐら。
それも、比較的ぐちゃぐちゃな一番メインで、グロテスクな端役だ。
絶対に、いやだ。
乙女としても、心のそこから、遠慮したい。
壁から、耳を離して、ぐっと顔を上に上げる。
「扉を壊さないように、外の人達を説得しましょう。」
紫は、私の顔を見ながら、楽しそうに笑った。
こんな時なのに、なんで笑ってるんでしょう。
「どうやって?」
どうやってですか。
うーん。
「手紙を書いて、窓から投げるとか。」
「無理だね。 渡り廊下があるのは、この窓の反対側になるんだ。
窓から投げても、木に引っかかるだけだと思うよ。」
そういえば、紫が窓のところに座っていた時、白い布が揺れてなければ
さっぱり気がつきませんでした。
紫を確認する時、渡り廊下の端っこに体を乗り出すようにして
やっと見えたくらいだった。
「窓から腕を出して、旗のようなものを振ってみてはどうでしょうか。」
王妃様も頭をひねって考えている。
「この窓の側の木々は、日当たりがいいらしく、葉の生育がいい。
上からならともかく、下からは殆ど見えないだろうね。」
そう言われて見れば、この周りの木って、見通し悪かったよね。
うっそうとしてるっているか、なんと言うか。
だから、この塔付近の、地面に近いところは昼でも暗い。
「なら、ロープを木に結び付けてぶら下がっていけば、
木をつたって、私達、降りれるんじゃないかな。」
頭の中で、ターザンがよぎった。
あんな風にいくわけないけど、雰囲気として、そんな感じ。
「アデルと同じ目にあうよ。」
は?
「アデルに、彼女に何をしたのです。」
紫は、首を軽く右にかしげ、両肩を竦めた。。
「彼女は、最初、僕をこの塔から、連れて出ようとしたんだ。」
アデルさん、紫を助けたかったの?
もしかして、アデルさんはいい人でしょうか。
王妃様は、ぎゅっと自分の手を自身で握り締めていた。
「何故、そんなことを……」
「王妃の秘密であり、前教皇の血筋の男子って触れ込みで、
隣国に僕を売るつもりだったんだよ。」
んな。
紫も人身売買されかかったの?
隣国よ、神の国のはずではなかったのか。
さっき、アデルさんをちょっとでもいい人かもと思ったのに。
心の中で、大きくXマークをアデルさんにつけた。
「僕がここにいるときに、急に上がってきて、話を持ちかけられた。
優しい口調で、ここから出してあげるって言った。」
そうそう、誘拐犯とか、悪いこと考えている人は、
いかにもな口調で声掛けるんですよ。
あと、人の欲望の裏をつつくと言うか、そんな感じで。
私の場合は、幸せになれますよって、壷を売りつけられそうになったのは、
つい、先日のことです。
そんなに幸せ募集中って、顔にかいてあるんだろうかと、
思わず、後で、鏡をじっと見つめてしまった。
まあ、引っ張っても、じっと見つめていても、顔は変わらないのです。
「いつもは、愚痴とか不満しか口にしない女が、
いきなり優しい口調で、猫なで声で話しかけてきたんだ。
すぐにおかしいと思った。
だから、王妃の秘密は、他にもあって、そっちの方がもっと金になる。
それは、外に、隠してあるって言ったんだ。」
「外にですか?」
「そう、それで、アデルはこのロープを持ってきて、
あの窓によじ登ったんだ。」
え?
なら、アデルさんは、その秘密の何かを探すために、
自分で、窓に上がって落ちたってこと。
「事故だよね。それ。」
「そうだね。 僕は見てただけだよ。
アデルが、天窓の外って勘違いしたのも、否定しなかったしね。
窓のすぐ横の木の枝に、古い鳥の巣があったんだ。 けっこう大きいの。
そこに隠してあるって勝手に思ったらしくて、
ロープを足場に木に巻きつけて、木に渡ってたら、落ちたんだ。
鳥の巣ごとね。」
紫は、淡々と事の真相を説明をしながら、ちょっと苦笑した。
「外の木は、以外に脆いんだ。
人間の体重が支えられるほど強くない。」
うーん。
もしかして、ロープが足で絡んだままで落ちたのだろう。
だから、片足が体から離れたのかもしれない。
それで、バラバラに。
バラバラ事件の真相は、事故でしたか。
ふう。
金になるって言葉に釣られたんだね。
欲は身を滅ぼすって某テレビで有名な黄門様も言ってたよ。
「なぜ、貴方は、アデルと一緒に行かなかったのです。
私を恨んでいたのではないのですか。
ここから出て、自由になりたかったのではないのですか。」
マリア王妃は、そんな紫の顔を始めてみるかのように、
いささか驚いた表情で紫の目を見つめていた。
「恨むって何故?
貴方を恨んだって、僕は何も変わらない。
それに、自由って、何?
僕は、何もわからない。
でも、アデルと一緒に行くことは、貴方とシオンを苦しめることになる。
テアばあさんは、いつもそう言っていた。
それは、決してしてはいけないことだとも。
それに、アデルの言う自由は、僕が望んでないものだ。」
紫の目は、死を望んでいた時と同じ、何かに達観したような目をしていた。
私の頭の中で、警告音が甲高く鳴り響く。
「貴方の望みとは、なんです。」
王妃様は、紫に、話を進めるように促す。
「僕が、この世からいなくなること。」
とっさに、紫の顔を私の方に向けて、両手で紫の顔の両脇をしっかりと押さえた。
紫の視線を私に、しっかりあわす。
「駄目。 紫。
それは、楽な考えに取り付かれたアデルさんと同じだよ。
死ぬことは、逃げだって言ったよね。」
紫は、私を見ながら、消え入るように笑った。
「もう、逃げでもなんでもいいよ。
楽になりたいんだ。」
その言葉に、私の脳裏に、紫の姿が彼に重なって見えた。
(楽になりたいんだ。苦しいんだ。)
聞いたはず無い、彼の最後の言葉。
耳鳴りがし始め、自分の呼吸音と心音とで割れそうに痛み始める。
思わず、右手を挙げて、紫のほっぺたを叩いていた。
バッチーン。
「死んだら楽になれるなんて嘘よ。
もっと苦しいに決まってる。
紫は、何も知らないから、そんな風にいえるんだよ。」
涙が、次から次に溢れてきた。
どうして、どうして、あんなことをしたのよ。
そんな言葉が頭の中でぐるぐると廻る。
これは、八つ当たりだ。
そんなことわかっていても、自分を止められない。
「さっき、死んだことがないから、わからないって言ったじゃないか。」
紫は叩かれた頬に手をあてて、呆然としながら、言い返してきた。
「ええ、そう。 死んだこと無いから、死んだ後のことはわからない。
でも、勝手に死なれた後、周囲の人達が、苦しくて苦しくて、
逃げたくても逃げられない、そんな苦しみの中に置かれるのよ。
それを見たら、死んだ人間が、苦しみを与えた本人が、苦しくないなんていわせない。
シオンや王妃様の為を考えるのならば、それを、わかろうとしなさいよ。」
「僕の周囲には、誰もいない。」
「馬鹿。紫の大馬鹿。マヌケに、とんとんちき。
私も、マリア王妃もここにいるじゃない。
王様もそれに、シオンだって、紫の死を知って必ず苦しむ。」
涙が、とめどなく流れる。
泣きながら話すと、呼吸が苦しくなる。
ひっくひゃっくと息をつむぎながら、紫を睨み返す。
「なら、僕はどうすればいい。
教えてよ。メイ。
僕の未来って何?
真実って、何が違うの?
考えても、僕には、なにもわからないんだ。」
紫が、泣きそうに顔をしかめた。
先程、紫に言った宿題についてだ。
紫の未来なんて、私にもわからない。
私は、神様じゃない。
答えなんて、本当は、初めから持ってない。
でも、死の選択肢は、ここで、この場所で、
紫には必要ないって事だけは、断言しなくちゃいけない。
紫を、死の憧憬から逸らしたかった。
「紫は、何も知らないから、未来が見えないんだよ。
知ろうとしないから、真実を見つけられないんだよ。
それならば、知ればいい。」
そうだよ。
知らないならば、知ればいい。
「何を知るのさ。」
「すべてよ。」
「は?」
私の突然の言葉に、紫は目をぱちぱちと瞬かせた。
「そう、紫の知りたいことすべて。
ねえ、紫、空は何故青いか知ってる?
ねえ、紫、水はどうして冷たいか知ってる?
子供の頃、疑問に思わなかった?
雨の後にはどうして虹がでるのか、知ってる?」
「え? 何? 知らないよ。」
「一瞬でも、知りたいと思ったことない?」
「……あるけど。」
「なら、調べて、体験して、知ろう。
紫、知ることは可能性が増えることだよ。
いろんな事を知って、未来が変わっていくの。
沢山の不思議を知って、沢山の疑問を解明するの。
そうしたら、それらは紫に未来を、そして、
紫にとっての真実を見せてくれる。」
「どうやって。 僕はここから出られない。」
「どうして、決め付けるの。
いつか、出られる日が必ず来るわ。
その時を信じて待つことは、苦しいことじゃない。
知るためには、本を読んで、物事を観察して、人と話すこと。
マーサさん、ローラさん、ネイシスさんとだって、話が出来るじゃない。
私だって、知ってることは話すし、
本を図書室から借りてくることくらい出来るわ。」
「そうですね。
私も本を持ってくることは出来ると思います。」
王妃様の言葉で、紫が眉を顰めた。
「どういう心境の変化ですか?
貴方にとって僕は、悪魔なんでしょう。」
「そうね、確かに、そう思ってました。
でも、貴方は悪魔ではないと、わかったのです。
なぜなら、悪魔は、自ら死を望まないでしょう。」
マリア王妃の目は、まだちょっと迷いがあるかのように、
周囲をさまよう。
そんなマリア王妃に向ける、紫の目は厳しいままだ。
「本なんかを持ってきたら、僕の存在が外にばれるかもしれないよ。
貴方にとって、それは避けたいことではないの。」
マリア王妃は、小さくため息をついた。
「今更でしょう。 こんな騒ぎになった以上、
貴方のことが表に出るのは、避けられない。」
「だから?」
「貴方は知らないかもしれませんが、隣国の教皇であり、
貴方の祖父である方が、お亡くなりになりました。
その後、今まで絶対だと思ってきたものが、変わってきているのです。」
そうだね。
国の頂点が変わると、国の方針も変わるよね。
「それで?」
「貴方が、この部屋で全てを聞いていたなら、知っているでしょう。
テアが、私がしてきたことも。
そして、アデルがしていたことも。」
うん?
アデルさん、まだ、他にもいろいろやってたの。
「ああ、大体は知ってる。」
「ならば、わかるでしょう。
私のいままでの行動は、この国を裏切っていたことだと。」
「でも、それは、貴方にとって、正しいことだったんだろ。」
「ええ、神に誓って、私は、正しいと信じて疑わなかった。」
「疑わなかった? 過去形なの?」
王妃様は、目を細めて、細い息をゆっくりと吐いた。
「今まで、正しいと思って従ってきたものが、一斉に間違いに変わる。
教皇が亡くなった時から、全てが反転しました。
司教様たちは、神が間違っていたなんて、今更、認められるわけが無かった。
だから、私は、わかっていて、しらない振りをしていたのです。
私も、私の神を否定することが出来なかったから。
だけど、私は、神の教えと言うものの根本を、先程、勘違いしていたと
メイに気づかされ、私がしてきたことは、私の責任だと、やっとわかったのです。
その考えに落ち着いてきたら、自分でも驚くことに、
神が全てではないということに、安堵すらしているのです。」
王妃様は、自分の心に問うように、胸に手をあてて、
ゆっくりと考えを述べていた。
その目は、凪の海のように、落ち着いている。
「私は、神に、周囲に無理強いされて今の自分になった。
そう、思ってました。
司祭様の言葉を疑うことすら、考えもしなかった。
私の未来も運命も、神に握られ、自分では抗うことすら出来ないと。
神を恨み、私の運命を呪い、私が私でいられなくなった憤りを、
唯、嘆いて、唯、生きていた。
そう、貴方と一緒で、知ろうとしなかったからです。」
マリア王妃は、私を振り返ってじっと見つめ、また、紫を見た。
「事が露見したら、貴方は王妃ではいられなくなるよ。」
「そうですね。
私は、すでに、隣国にとっても、この国にとっても用無しのようなもの。
だからかもしれません。 こうなって、全てが明るみに出そうになる今、
私は、唯、安堵しているのです。」
今度は、王妃様が、諦めですか。
でも、やけっぱちっというのとはちょっと違うような。
「私は、貴方が怖かった。
貴方は、もう一人の私だから。
本当の悪魔は、私なのかもしれません。」
それは、どういうことでしょうか?
疑問をぶつけようとしたら、下で、
すっかり忘れかけていた侍従長さんたちの声がしました。
そういえば、ドオンって扉を破ろうとしていた音がいつの間にか止んでいる。
「おい、ここに、なにかあるぞ。
これ、なにかの細工じゃないのか。」
はっと気がついて、下をみたら、拝殿の飾り棚の下を触ってます。
のうー。
見つかった。
どうしよう、どうしたらいい。
誰かに助けを呼ばないと、多勢に無勢で、酷い目にあうかもしれない。
どうしたら、外の人達をここにつれてこられる?
鍵、そう、鍵があれば、外の人達が入ってこれる。
「紫、 見つかったみたい。
今から登って、天窓開けて、鍵を下に投げてみる。
うまくいけば、警邏の人達が鍵を見つけてくれるかも。」
あわてて、ポケットから鍵を二つ取り出して、
赤い魚の手ぬぐいに包んで、ぎゅっと結んだ。
王妃様が、出来上がったばかりのロープをそっと渡してくれたので、
それを手ぬぐいに結びつける。
ロープを肩に巻き上げて、天窓の下に立ち、
天窓にかけられたロープをつたい、天窓まで上がって、カーテンを引き、
窓を大きく開けた。
体を乗り出すようにして、包みを結びつけたロープを持った手をぐっと外に向けた。
ばらっと肩に巻き上げたロープも外に落とす。
鍵が入った包みは、出来上がった5m近くのロープの端でぶらぶらと揺れていた。
そこから見える景色は、今までに無いくらいに高い。
月の光がぼやっと景色を浮かびあがらせ、夜の風が下から吹いてくる。
前髪が、風にあおられて、逆立つ。
体が、半分風に持っていかれそうになって、ぐらぐらと揺れる。
た、高い、高い、高い。
こ、怖いいいいい。
高所恐怖症になりそうです。
ジェットコースターなんて比べ物にならない。
この不安定な体勢と風と高さで、泣きそうなくらいに怖い。
こんなところに平然と座っていた紫を、尊敬いたします。
男達が、この部屋へ入り口の細工に気がつき、階段を登ってくる音がした。
ぶるっと首を振って、恐怖を払う。
ロープを振り子の要領で右左に強く振り始めた。
すれ違う木々にぶつかって、枝が折れる音がした。
ロープの強度が心配になる。
照、鍵を今から投げるから、お願い。
下に多分、ステファンさんがいるから、届けて
こんな騒ぎになってたら、必ずそこにステファンさんはいるはず。
(駄目よ。 私が、離れた場所の風を操るには、
ここから、メイから離れないといけないのよ)
照の慌てた声が聞こえた。
私は、大丈夫だよ。
照にしか頼めないし、照にしか出来ない。
お願い。
鍵をステファンさんに届けて。
振り子が一番に高くなったところで、
視界の一部にしか見えない場所である、渡り廊下に向かって、大きく放り投げた。




