塔の秘密と鍵。
ガチャガチャと体につけた剣帯の金具が、体の走るリズムに合わせて、
跳びはね、耳障りな音を立てる。
いつもなら、耳になじんだこの音が、今日は酷く苛立ちをあおるように聞こえてくる。
いつもの歩きなれた王城の道が、今日に限って長く感じる。
走っているのに、いつもよりも時間の進みが遅いとすら思ってしまう。
それに、さほど遅い時間でもないのに、誰にも会わなかった。
つまり、すれ違う者も、走っているステファンを咎める者もいなかった。
もし、顔見知りとすれ違っていたなら、
いつもと違うステファンの様子に、疑問を抱いていただろう。
それほどまでに焦った顔つきで、ただ真っ直ぐに走っていた。
いらいらしながら、ステファンは王の執務室に、向かっていた。
王の執務室は、三階の王城のほぼ中央と、二階の王の部屋の近くの二部屋。
本来なら、現在の時間は、3階の執務室にいる予定だったが、先程行ってみると、
王は二階の執務室へ本日は移動していた。
急いでいる時には、その移動距離にも舌打ちしたくなる。
王のいる二階の執務室まで、飛ぶように走り、息を弾ませたまま、
部屋の扉をいささか乱暴にノックした。
「なんだ。」
中から、少し不機嫌そうな低い王の声がした。
ここは、王の自室に程近い執務室。
通常、この部屋での王の仕事は国政に関わることではなく、
どちらかというと、王個人の資産や所有地などの決済など、個人的な物事
の為、いつも付いている沢山の侍従達はいない。
警護のものが二人、廊下の入り口と部屋の前にいるだけだ。
だから、ここに王がいるときは、あまり邪魔をしないのが、通常である。
ステファン自身も、この部屋を訪れたことは無かった。
扉が、人一人が入れるくらいに開けられ、中から執事のセザンが出てきた。
「どうかなさいましたか? こんな時間に。」
いつものように、柔らかな笑みを浮かべるセザンに、
笑顔を返す暇もなく、口早に用件を述べた。
「ステファン・リグ・ファシオンです。
王に至急の面談の必要があり、罷り越しました。
どうか、至急、お取次ぎを。
これは、ゼノ総帥からの指令でもあります。」
その言葉に、中から王の言葉がすぐに返される。
「入れ。 至急の用件とはなんだ。」
ステファンが、中に入ると、王は執務室の机に
沢山の書類を乗せ、その山に埋もれるように、座っていた。
手に持った羽ペンは流れるように、紙の上を滑っている。
現在、時刻は夜半に入り始めた頃合で、裁判を間近に控えたここ近日は、
王の執務室は夜遅くまで、灯りが消えることは無い。
それ故だろう。
後に回された王個人の仕事は、机の上の山積し、
果てがないのではないのかと思えるほどだ。
我らが国の王は、勤勉で、自己に厳しく、全てに平等であろうとする為、
いつも冷静さを欠くことが無い、冷徹かつ厳格な王。
これが、現在の王に対する人物評価である。
目の前の男は、王であることにいつも、自身を厳しく追いやる。
その様子には、いつも、感心させられる。
王に対しての評価は、現在の様子でさらに納得させられる。
だが、ひとつだけ、首をひねる要素が、いた。
「なんじゃの。 こんな時間まで働かしておるのか。
ゼノは人使いが荒い奴じゃの。
ステフ、残業代を、ちゃんとゼノから取れるように、しっかりの。」
カップを揺らして、まだ湯気の立つ紅茶をゆっくりとすすっているのは、
本日、図書館で散々こき使われた相手、ポルク爺さんである。
王の執務室に唯一ある長椅子タイプのソファセットに、
半分以上隠れるように、ちょこんと座っていた。
左手は、机の上に並べられた焼き菓子の一つをしっかりと掴み、リスの様に
頬を膨らませながら、口を動かしていた。
何故ここにポルク爺さんがいるのかと問いたいが、
その場の雰囲気にただ飲まれる。
山と囲まれた書類に格闘している王と、
それを横目に、優雅に紅茶を飲んでいるポルク爺さん。
その空気の差異に、現実ではないかのような、錯覚を覚える。
思わず言葉が告げられなくなりそうだった。
「ゼノからの緊急とは、どういうことだ。
簡潔に述べなさい。」
王の地を這うような低い声が、ステファンに用件を告げる為の後押しをした。
改めて、王に向き直り、声を出す為に、ごくりと軽くつばを飲み込んだ。
「以前から探っていた情報漏洩の犯人が、そして、それに関わる人物がわかりました。」
王の羽ペンの動きがピタッと止まった。
「突然だな。 夕刻の報告では、全く進展が見られなかったはず。
だが、裁判の前にわかったことは僥倖と言おうか。」
王の視線が、紙から、ステファンに注がれる。
王はそのまま、腕を軽く組み、背もたれに凭れ掛かり、体を深く座りなおす。
使い込まれた椅子の背もたれが、ギッと軋む音を立てた。
「ふん。 遅すぎるくらいじゃの。
まあ、ゼノも仕事をしておったということじゃろうから、
あまり責めてもいかんのう。」
紅茶のお替りを求めて、ポルクがセザンに空になったカップの淵を軽く叩く。
セザンは、流れるような所作で、紅茶をそのカップに注いでいく。
そのゆっくりとした雰囲気に抗うように、ステファンは
そのまま、早口で言葉を続けた。
「情報を流していたのは、侍従長でした。
そして、その仲間が、この城に随分前から、入り込んでいたようです。」
ステファンの予想外の言葉に、王の目が、大きく開かれ、
ゆったりと組んでいた腕を乱暴に解いた。
「なんだと。 どういうことだ。」
地を這うような王の声が、ステファンの耳に、ひやっとした冷たさを感じさせた。
冷気に囚われる前に、言葉を立て続けに前面に出す。
「本日、裁判に関わる幾多の証拠物と資料が無許可で持ち出されていることが
判明しました。 そして、それを持ち出したのも、侍従長であることも。
資料は我々が回収して、現在ゼノ総長の元にあります。」
「ほほっ、侍従長とな。
こりゃまた、アヤツの面白いのは顔だけではなかったの。」
事態をやや面白がっているかのような、ポルク爺さんの言葉に
被さるように、王は長いため息を吐いた。
そして、机に肘をつき、両目を軽く閉じた。
「わかった。 捕まえたのか。」
その言葉に、ステファンは首を振り、答えた。
「いいえ。 侍従長は、我々の動きを察知したらしく、仲間を引き連れ、
現在、北の塔へ向かった様子なのです。」
「は? 北の塔だと? まさか……」
立て続けの予想外の事柄に、王の声が、一段高くなる。
「はい、現在、王妃様と侍女が一人、北の塔にいらっしゃいます。」
ガタン。
王のどっしりとした椅子が、大きな音を鳴らして、床に倒れた。
「王妃は、無事なのか。」
ばさばさと机の上から雪崩落ちる書類の山にも頓着せず、
王は、すぐさま、ステファンの側に掛け寄った。
その表情は、今までに見たことが無いくらいに、人間味があり、
目の前の男が、血の通った人間であったと思い起こすに十分な程、慌てていた。
「わかりません。 今、ゼノ総長と軍部、及び、警邏の方々で、
北の塔を取り囲んで居られると思います。
王妃様と侍女の救出、及び、侍従長一派の捕縛の為、
軍部が王城内を騒がす許可をいただきたいと総長が申しておりました。」
この居城は、王城。
王の許可がないと、軍部とて、騒ぎを起こすわけにはいかない。
ゼノ総長が、ステファンを走らしたのは、その為である。
「ああ、すぐに、書類を起こす。
だが、くれぐれも王妃の身の安全を留意せよ。
そう、ゼノに伝えてくれ。」
「わかりました。」
すぐにきびすを返そうとしたステファンを、ポルク爺さんの声が引きとめた。
「ステフ、鍵はどうなっておるんじゃ?」
鍵?
何の鍵だ?
そういえば、父からも、鍵の有無の確認をと、言われていたことを思い出した。
ステファンが眉を寄せていると、ポルク爺さんが、紅茶をぐいっと飲み干し、
飛び降りるように、ぴょこんと長椅子から立ち上がった。
「北の塔の鍵じゃよ。 この城の塔の鍵と扉には、細工がしてあっての。
その鍵は、複製は不可能なほどに精巧な細工が施されておるんじゃ。
そして、その鍵なしで、扉をこじ開けたら、塔はぺしゃんこじゃぞ。」
「は? え? それは、どういう。」
「ポルク爺さん。 どういうことだ。」
王とステファンの二人に詰め寄られるのを避けるべく、
ポルクは長椅子の端に立った。
「王よ、ハインツ坊主のままかの。
建国史をお前さんとて読んだじゃろうて。」
「建国史ですか、それは諳んじてます。
それには塔のことなど、なにも明言されておりませんが。」
ポルク爺さんは、出来の悪い弟子であるかのような王の言に、白い眉を寄せた。
「この城が建てられたとき、4つの塔も建てられたと習いました。
そして、起源は、隣国との諍いの最中であったと。」
ステファンの言葉に、ポルクが機嫌を直して、勢いよく続ける。
教壇に立つかのように、腕を軽く振りながら、熱弁を振るう。
「そうじゃ、この城はもとは、今は無い隣国と国境線にあった。
その為、城砦としての機能を備えておるでの。
特に、塔には攻め入られた時、見張り台として。
また、万が一の時の為の仕組みなどが、塔にあるのじゃ。」
「万が一ですか。 それは…」
「つまり、敵に踏み込まれ、捕まりそうになった時のため、
敵に捕まる前に、自害する為の細工じゃよ。」
「自害ですか? 塔が潰れるのが?」
「さよう。 より多くの敵、特に大将をおびき寄せ、
道ずれに自害する。まあ、戦時中によく考えられた思考じゃて。」
白いひげをゆっくりとさすりながら、うんうんと頷く。
普段であれば可愛いしぐさかもしれないが、言っていることは物騒極まりない。
「ポルク爺さん、つまり……」
王の顔色がどんどんと白くなる。
目を見張ったまま、動かない王はほっといて、ステファンは言葉を続けた。
「それ避ける為には、鍵が必要なんですか?」
「そうじゃ。」
「昔から、この城の鍵がそれぞれに3つしかなく、複製も作れないのはその為じゃ。
特に塔の鍵は、必ず、厳重に管理しろと、ワシは口がすっぱくなるほど言っておったのを
お前さんは忘れたのか。」
ポルク爺さんは、いまや真っ青な顔に変貌した王の足元に歩み寄り、
下から王を見上げた。
「鍵は、どこにあるんじゃ。」
白い髪の間から、鋭い眼光が王を捉えた。
その強い眼差しに促されるように、王の口が開き、そして、また閉じた。
「私は、知らない。
鍵の管理は侍従長がしていたはずだ。」
苦々しげに答える。
侍従長の単語に、王の目に不安と苛立ちが生まれてきていた。
「現在、鍵の一つは侍従長が、一つは王妃様が、
最後の一つは侍女の誰かが持っていると思われます。」
セザンが、横からそっと王に口ぞえをした。
「ネイシス侍女頭にお尋ねすればわかるのでは?」
セザンの言に、ステファンが首を振った。
「現在、王妃様と一緒にいる侍女が最後の一つを持っていることは、私が確認してます。
つまり、鍵は全て、塔の内部にあると言うことです。」
ステファンの言葉に、その場の空気が重いものに変調した。
王をはじめ、セザンもステファンも、その、
どうしようもない袋の鼠状態に、ただ唇をかみ締める。
「のう、ステフ、ゼノはこのこと知っておるかのう。
お前さんは、ゼノの行動を予測して、動く必要があると思うんじゃがのう。」
ぽてぽてと、ステファンの側にポルク爺さんは歩いてきて、ステファンの服の裾を掴んだ。
「あの短気で能天気かつ、脳筋自慢の部下ばかり抱えている、
行き当たりばったりのゼノ坊主の部下がやりそうなことといえば、わかるかの?」
ステファンの脳裏に、父とロイド軍団長の顔と、
先に走っていったワポルとその仲間達の顔が浮かんだ。
確かに、脳筋自慢と言われても仕方ない仲間達を否定できない。
そして、とたんに目を見張る。
「もしや、力ずくで扉を破るなんて無茶を……」
そのとたんに、大きな音が王城を揺るがせた。
ドオン。
音は北の塔の方からしている。
「どうやら、しておるようじゃの。」
ポルク爺さんは、ステファンの裾から手を離し、
ステファンの背中付近に手を伸ばし、背中を強く叩いた。
「ほれ、今のことをゼノに急いで伝えるんじゃ。
急がないと、皆、ぺしゃんこじゃぞ。
侍従長の愉快な顔が潰れて伸ばされるのは、楽しみかもしれんが、
王妃の綺麗な顔が見れなくなるのは、寂しいでの。
なにより、ワシの手伝いがステフ一人だと花も味気もないというものじゃ。
メイちゃんを助ける為にも、ホレ、走れ、ステフ。」
ポルクの面白がっているような声を後に、ステファンは王の執務室から、
走り出し、真っ直ぐに北の塔に向かって行った。
脳裏には、自分を励ましてくれたメイの笑顔が浮かんでは、消える。
ステファンは、今、自分が失うかもしれないものの重みを、心の底から痛感していた。
そして、誰にとは言わないが、ただ願い、祈った。
(頼む。 間に合ってくれ。)




