楽しみが多すぎます。
お爺ちゃんに呼ばれて、書庫の棚の列に入ると、
背の高い脚立に乗っかったお爺ちゃんが、ぷるぷると手を震わせながら、
脚立の上で、背伸びして本を棚に戻そうとしてます。
反対の手には、4冊の本が、今にも落ちそうになっている。
「無理ですよ。 脚立に戻すのは私がしますから、
降りてください」
ぐらぐらとするお爺ちゃんの左手から4冊の本を抜き取り、
お爺ちゃんの体をぐっと押さえた。
「むう。 昔は、この棚もこんなに高くは無かったのじゃ。
多分、脚立が低いんじゃないかの。
もっと背の高い脚立を用意するか、はしごをかけてくれんかの。
王に進言しなくてはいかんの」
ぜはぜはと息を切らせながら、お爺ちゃんは脚立を降りてきた。
本を受け取り、替わりに脚立にのぼり、本の背表紙を見ながら、
ここだろうとあたりをつけた場所に入れ込んだ。
「なんじゃ。 お前さんは、新人さんじゃないかの。
アデルはやめたと聞いて居ったが、そうか、お前さんが替わりか。
あの性格の悪いこんこんちきの女でも、嫁にもらってくれる奴がおったとは、
ワシの賭けは負けじゃの」
うん?
「賭けですか? 何をかけてたんですか?」
「ああ、この図書館内での小さな賭け事じゃよ。
目くじら立てるほどじゃないがの。
せいぜい祭りの時の景品か、飲み屋で一杯ってとこじゃ」
「はあ、そうですか」
「しかし、あの女が、嫁にいくとは。
この世も末じゃの。
ワシなら、世界が終末に近づこうとも、
あの女だけは、嫁にもらおうと思わんがの」
それは随分な言われようです。
アデルさん、このお爺ちゃんにかなりの嫌われようです。
なにをやったんでしょう。
「ああ、そういえば、もう一人の男はどこへいったのじゃ」
お爺ちゃんは、くるくると頭を回して、あたりを伺っていた。
「先ほど、必要だった本を持って、出て行かれましたよ」
「なんじゃと。 年寄りにばかり働かせて近頃の若いもんは。
怠けてばかりじゃ、絶対に早くはげるぞ」
なんだか、捨て台詞が呪いのようですよ。
「大体、手伝いが午前中に一人、あの性悪女だけというのも無理な話じゃて。
返却本や資料は午後が一番多いというのに。
何度言っても、わしの要望は通らん。
これは、王に直接進言しないといけないかの」
「あ、明日からは、私が今くらいの時間に来ますよ。
午前中と午後の仕事を入れ替えたんです。
ネイシスさんに許可をいただきました。
私が午後にお手伝いにきますから、機嫌を直してください」
お爺ちゃんの白い眉の間に埋もれているつぶらな目がキラッ光った。
「なんじゃと。
あれほどワシが頼んでも午後の手伝いには人をよこさなかった頑固で、
わからずやのギスギス侍女頭が許可をぽんとだすとは。
お前さん、一体、何の弱みを握っておるんかの。
ワシにこそっと教えてくれんかの」
へんなの。
ネイシスさんは、そんなに頑固でも、わからずやでもないですよ。
のうのうっと言いながらまとわりつくおじいちゃんをかわしながら、残りの4冊を棚に戻していきます。
脚立から降りて脚立を棚に立てかけてから、
本が積みあがっているカウンターまで戻ります。
「老い先短い年寄りに、老後の楽しみの一つも与えてくれんとは、
さては、お前さんは鬼畜か」
「誰が鬼畜ですか。
ネイシスさんは、わからずやでも、頑固でもトンチキでもないですよ。
だって、ティーおばさんが洗濯物は午前中がいいって言ってたって伝えて、
午前と午後の入れ替えを頼んだら、すぐにいいですよって言ってくれたんです。 お爺ちゃんの勘違いですよ」
「うん? ティーダのこと、もうそんな風に呼んどるのかの。
こりゃ、ワシの賭けは負け負けじゃの」
ふうって、大きなため息をつきながら、すたすたと歩いているお爺ちゃん。
一体、何をいろいろ賭けてるんですか。
老後の楽しみ、ちょっと多くありませんか。
お爺ちゃんの後に続いて部屋の中央に戻り、改めて部屋を見渡す。
この部屋は、兎に角、広いです。
まあ、図書館の二階全てが、どどんと一室ですから、広いのも当然ですが、
入り口の衝立を廻ってすぐに目の前に見えるのは、
広々としたカウンターと、その前に置かれた大きな机が一つ。
その上に積み重ねられている本の山。
カウンターの後ろには、大きな窓があり、
外に繋がる小さな白いベランダがそこから見える。
そして、カウンターを挟むようにして、
両脇に蟹の足のように伸びている本棚の長い列。
本棚は、棚毎に色分けされ分類表示され番号が振られている。
ここを、司書のお爺ちゃん一人でまわしているほうが不思議も不思議だ。
「おーい、眺めてないで、お嬢ちゃん、
さっさと手伝ってくれんかの。
年寄りを苛めるもんじゃないの」
はっと気がつくと、またもやお爺ちゃん、ぐらぐらと本の塔を作って、
よろよろと運んでます。
「いやいや、そんなに一度に運ばなくても。それは無茶です」
この部屋には、ワゴンのようなものがあればいいのに。
私の行ってた大学の図書館には、確か本を運ぶワゴンがあった。
あれ? 確か、さっき見た王様の侍女部屋には、
本や資料を運ぶ小さなワゴンがあったはず。
あれを、明日は借りてこよう。
お爺ちゃんの後ろをついていって、そこに用意された脚立にのぼり、
たちまち本を棚に戻すと、おじいちゃんは、なんだかニコニコしてました。
「嬉しいの。 アデルのいじわる狐の代わりがお嬢ちゃんみたいな人で
ホンに良かったの。 ワシも仕事が楽になる。 ほっほっほ」
「はあ。そうですか。
ところで、私はお嬢ちゃんではなくてメイと言います。
よろしくお願いします」
脚立から降りて侍女服の皺を伸ばして、習ったとおりに挨拶のお辞儀をした。
「ほうほう。 よい挨拶じゃの。
ワシは、ポルクじゃ。 ポルク爺さんと呼ばれておる。
これからもよろしくじゃの」
ポメじゃなくてポルクお爺ちゃんですね。
うん。覚えました。
「はい」
顔を上げてにっこりと笑顔を返す。
「ところで、メイちゃん。
お前さん、もしかせんでも護衛がついておるのかの」
いきなりの話題転換にびっくりするが、
さっきからお爺ちゃんの話は突拍子もないものばかりなので、
ちょっと息を詰まらせるくらいだ。
「ああ、ハイ。
ちょっとした事件がありまして、侍女全員に護衛がつくようになったんです。
ですから、ローラさんにもネイシスさんにもマーサさんにもついてますよ」
「ああ、北の塔付近で出入りの女中が一人自殺した件かの。
それでこの対応とは、いささか仰々しすぎんかの」
ああ、そんな風になってたんですね。
侍従長さんや、ネイシスさんが、多分そういう風に
混乱を引き起こさない為にしたんでしょうか。
「はい。 でも、塔の教会付近を歩くのに、
護衛の方が一緒だと安心できますから、私は凄く助かってます。
やっぱりちょっと怖いので」
「怖いって、メイちゃんは怖がりじゃの。
死人は生者には何にもできんもんじゃ。
夜這いは生者のみの特権じゃからの。
それでも怖いなら、ここにあるワシの部屋に移動するか?
なに、遠慮することはないからの」
死者っといえば、幽霊だよね。
そうでした。
考えもしませんでした。
あそこで死んだアデルさんの幽霊が出たら。
それを想像したら、背中がぞくっときました。
ぞくぞくぞくって。
「ふぉ?」
え? あれ?
気がつけば私の背中を指で、つうって触っているポルクお爺ちゃん。
「な、何してるんですか? ポルクお爺ちゃん」
「ほっほっほ。 怖いのを追い払ってやろうと思っての。
気持ちよいかの」
思わず、ずさっとお爺ちゃんから距離をとります。
これは、セクハラお爺ちゃんかもしれない。
文句を言おうとしたら、また話題を変えられた。
「外の護衛は信用できる御仁かの? メイちゃんはどう思うかの」
なんだか、鼻先で怒りをかわされている感が否めないが、
出された質問には、すぐに答える。
「もちろんです。 彼は、ステファンさんと言って、
私のもっとも信頼してる方の弟さんなんです。
とっても優しい方で気配り上手ないい人です」
さっきの侍従の失礼にも平然とした顔をしていた。
打たれ強い一面もあるのでしょう。さすが騎士様です。
「ほうほう。メイちゃんが、そこまで褒めるなら良いかの」
ポルクお爺ちゃんは、すたすたと歩いて入り口に向かい、ドアを開けて顔をのぞかせ、戸口に立っていたステファンさんを呼び寄せました。
「ほい。色男のお兄ちゃん。
中に入ってこんかね。ワシが許可をだそう」
「いいのですか? ここには、侍従と侍女しか入れないと伺いましたが」
ステファンさんのとまどった声が聞こえてきた。
「よいよい。 ここでは、ワシが法律じゃ。
王はワシがいいと言ったら、否やは言わんからの」
ポルクお爺ちゃんが先導で、ステファンさんが部屋に入ってきて、
図書館の棚に並んでいる本の背表紙をさっと目で追い、目を見張りました。
「これは凄い。なんと素晴らしい。見事な蔵書です。
そこの書は幻とされているナセルの兵法書。
それもまさかの原本ではないですか。
教本でナセルの兵法の記述の一部があったので、
いつか読んでみたいとずっと思っていたのです。
ああ、こちらはテルマル戦のカゼンス将軍の手記。
国立図書館にも、ここまでの蔵書はありませんよ」
ステファンさんの目がきらきらと輝いていました。
ずっと探していた本がここにって感じでしょうか。
「ほっほっほ。 なんのなんの。
ここには、俗にいう一般書がないからの。
その分、内容が濃いだけじゃ。
それに、ここの本達の殆どはワシが暇に見つけて集めた一品が多いでの。
つまりは後になってワシの私物を寄付したものじゃ」
「これだけの蔵書を寄付されたのですか?」
「そうじゃよ。 ワシが前任者からここの鍵を譲り受けた時には、本の棚は半分以下じゃった。 国の名を冠する場所として鑑みると、あまりに残念での。
ここ数十年は王に頼んで、あらゆるところの書物を集めておる。
やっと蔵書の量も質も、それなりに見栄えが良くなったと自負しておるところよ」
お爺ちゃんは嬉しそうに髭を撫でながら、ステファンさんを見上げていた。
「これだけの本をポルクお爺ちゃんが集めたんですか?」
私の側に歩いてきた2人を出迎えながら声を掛けた。
「ああ、後は、そうさな。
この国の本当の歴史書と言うものかの。
表には絶対に出せない文書がここにある」
「まさに貴重な書物ばかりなのですね。
本当に私のような者が入ってもよろしいんですか?」
ステファンさんがお爺ちゃんの顔を伺う。
お爺ちゃんの真意を探るかのように真剣な顔をしていた。
「メイちゃんが心から信頼しておるものならば問題なかろうて。
持ち出しは困るが、兵法書を読みたいならここで読むとええ。
わからないところがあればワシ自ら教えて進ぜよう。
実をいうと最近寄る年波に勝てなくての。
それなのに返却本はたまるばかり。
背の高い脚立入らずの若いものが欲しかったところじゃ。
メイちゃんは可愛いが、ワシと背の高さは変わらんでの」
その言い方に思わず、ステファンさんは、ふっと小さく笑った。
背の高さが変わらないって、私の方が10cm以上高いですよ。
「信用していただけて誠に光栄です。
ステファン・リグ・ファシオンの名にかけて、
こちらの蔵書の持出しは決していたしません」
「ナンじゃ。 ゼノの子せがれか。
それならば、もっと問題ないの。
早くそれを言えば、もっと早くにこき使えたのに。
メイちゃん、気がきかんの。
やっぱり女性は気配り上手じゃないと、男にはもてんぞ」
ぐさっときました。
ファシオン公爵なんて知りませんし、ゼノって誰ですか?
そもそもステファンさんのきちんとした名前を初めて知りましたよ。
ステファンさんが、ちょっと落ち込みそうになっていた
私の背中をポンポンと叩きました。
「そらそら、ステフは、そこの本を持ってワシについてくるんじゃ。
メイちゃんは、足元の籠に置かれた本を分類分けしてくれるかの。
早くしないと、あっという間に時間は過ぎていくでの」
そうですね。それでは、気を取り直してお仕事しましょう。
まずは、いきなり張り切りだしたお爺ちゃんに言われるまま、
本を分類分けしていきます。
背表紙に張られた布で分けます。
背表紙の上の部分に3cmほどの布が貼り付けられています。
紫、緑、青、赤、橙、黒、白、黄、茶とあらゆる色が張られた本を分けて、
その後、その布に書かれた番号の順に並べ、
さらに、その番号の下の専攻区分に分け、番号順に並べます。
そして、机の上の選別されている本の山に差し込んでいきました。
ステファンさんは、すぐに要領がわかったみたいで、あっという間に、
本の山が片付いていきます。
最初はちょろちょろとステファンさんに、つきまとっていたお爺ちゃんは、
いつの間にか、カウンターに帰ってきていて、古くなった本の修理を始めていました。
お爺ちゃんの顔つきは白い髭と眉と髪に覆われていて、実のところ、あまりよくわからないのですが、真剣な眼差しをしてる気がしました。
籠の中の本の分類が終わったので、
机の上の本を棚に戻す作業を手伝います。
机の端の本達をとって、黄色の棚へ歩いていき、
そこの脚立を開いて上にあがり、上から順に番号どおりに入れていきます。
下の方は私の背でも十分届くので脚立から降りて、屈んで本を戻しました。
その時、ふっと、戻した本の横にあった本の背表紙が目に止まりました。
『黄色の57番、他選の48のド』
あれ?この番号どっかで見たというか聞いた?
(さっき、あの侍従が言ってた番号じゃないの)
あ、そうでした。
照さん、流石です。覚えているなんて、素晴らしいです。
本棚から、その本を取り出して中をぱらぱらとめくると、
中から大き目の栞が出てきました。
その栞は、巻紙のように折られた紙でハシを布で止めてありました。
これって随分分厚い栞だね。
(栞っていうより手紙じゃないの。
これを誰かに渡せって言うことじゃないの)
本をばさばさとしてみましたが他に何も入ってません。
本の内容は50年くらい前の他国の晩餐で出されたレシピ集でした。
文章は少なく、どちらかというと絵が多い本ですが、
めずらしい見たこともない異国の料理集です。
これはお爺ちゃんの趣味でしょうか。
(ねえ、この手紙、どうするのよ)
確かシドさんって人に渡せって言われたけど、シドさんって誰なんでしょう。
ネイシスさんやローラさんに聞けばわかるかな。
「おーい。メイちゃん。お茶入れてくれんかの。休憩にしようかの」
ポルクお爺ちゃんの声が聞こえたので、
とりあえずポケットに手紙をしまって本を元に戻しました。
お爺ちゃんの側まで戻って、カウンターの横の丸いテーブルから、
水差しを持って部屋を出ました。
2階の一番端にある給湯室に行き、水を汲み、
給湯室の床下に置いてある温石入れの箱を開けると、
まだ暖かい温石がありました。
給湯室を見渡したら、棚に鉄の湯挿しがあったので、
水をそれに一杯に入れて底に温石を入れました。
温石は、ちょっと温くなっていたけど、お湯を沸かすには十分です。
すぐに湯は沸いたので、そのままトレイに湯挿しと水差しの両方を乗っけて、
序に紅茶の缶を見つけたので、それと一緒に書庫の部屋に戻りました。
書庫に戻ると、ステファンさんはポルクお爺ちゃんになにやら無理難題を言われて困った顔をしてました。
それを助けるべく、さっさと、丸テーブルに置いてあった紅茶セットの
ポットに紅茶の葉を入れてお湯を注ぎます。
カップを暖め、手際よく入れていくと、花が開くようなうっとりとした紅茶の香りがしました。
「ポルクお爺ちゃん、ステファンさん、お茶が入りましたよ」
お爺ちゃんは、ステファンさんをいじるのをやめ、
嬉々としてテーブルの側に椅子を動かしました。
「ほら、ステフ、お前の椅子とメイちゃんの椅子も持ってこんかい。
折角のめったに手に入らない珍しい茶葉じゃぞ。冷めてしまうじゃろ」
うん?
これ、適当に給湯室にあった紅茶の缶だけど、そんなに高いものなのですか。
「これは、先日の賭けで、お前の父親からふんだくった物じゃの。
妻への贈り物だとほざいていたが、流石にいい香りだの~」
その言葉で、ステファンさんは、ぐっと紅茶をむせてました。
お爺ちゃん、本当に、老後の楽しみ多すぎだと思います。




