しつこいです。
「見つけたぜチェット、お前だけは許さねえ。
俺を騙しやがった上に、俺の顔を潰しやがった」
私は馬車の中にいたので、顔は見えなかったけど、
この声は、さっき捕まって警邏に連れて行かれたボスの声。
「捕まった時にお前を見かけたって、部下が言ってたんだ。
お前は、俺を警邏に売りやがったんだろう。
以前にあれだけ目をかけてやったのに。
恩をあだで返す畜生だ、お前は、チェット」
何をいってるんですか。
恩だの、目をかけるだの。
人身売買の悪人が、いうセリフではないですよ。
馬車から、慌てて外に出ようとしたら見えました。
ボスの手に、鈍く光る刃物が握られていた。
刃渡りは20cmくらいのアーミーナイフのような反った刃物。
ぎらぎらと怪しい光、憎しみと怒りで濁ったボスの目。
顔はにたにたと笑ってます。
その目に映る悍ましい光に、背筋に怖気が走ります。
二の腕に、首筋に、寒疣が、ぽつぽつと浮き上がってきます。
こいつは狂ってます。
変質者の上です。
正気ではないと私の勘が告げてます。
警報が、頭の中でがんがんなっていた。
冷や汗が、背中をつうっと流れ落ち始めた。
奴をおとなしくする方法は、無いものでしょうか。
「どうして、ここにいるんですか?
警邏に、連れて行かれたはずではないのですか?」
とりあえず話を逸らす。
「あん? お前も居たのか。
楽しみが増えたな。 チェットの次はお前だよ」
ひえええ。
話を逸らすどころか、真ん中にいっちゃった。
「警邏には、俺が以前から鼻薬をきかせている奴らがいる。
そいつらをつかった。 俺は、今、捕まるわけにはいけないからな」
なんたることですか。
警邏の人たち、たるんでます。
悪人を捕まえるのが仕事なのに、わざわざ逃がしてどうするんですか。
「それで、そのまま国外に逃げたら捕まらないのに。
今、ここにいるって馬鹿じゃないの?」
(はやく、どこかの国にでも行ってくれ)
チェットさん、チェットさん、
火に油を注ぐ行為って、たとえはご存知でしょうか。
狂った男をさらにあおってどうするんですか。
馬鹿ですか。
馬鹿でしょう、貴方。
「くくくっ、この雨なら、お前達を殺してからでも十分逃げられる。
俺にとっちゃあ恵みの雨だ。 ああ、俺は、神様の使いだったっけな。
なら、当然だな」
こらあ。
何、神様の使いを名乗ってるんだ。
神様の守護者であるだけでも、大変なんですよ。
使いなんてなったら、人生棒にふったも同じなんですよ。
考え直し、いえ、言いなおしをした方が良いと思います。
「そう、それなら、最後に言っとくけど。
この場所を、俺が警邏に知らせたわけじゃないよ。
お前達が、自分で知らせたんだ」
(知らないのは、お前達だけだよ)
うん?
訳のわからないことを。
「はん? 何言ってやがる」
ボスも、眉を顰めてる。
わからないよね。
チェットさん、説明プリーズ。
「匂いだよ。お前達全員からしているはずだ」
(長く消えない強い香りだ)
匂い?
鼻をすんすんと動かしてみる。
この雨じゃあ、匂いらしい匂いは、雨の匂いでまぎれてしまいます。
だけど、確かにボスからも、かすかに地下水路でかいだ
キツイ香水の匂いがしていた。
皆して、香水フリークでしたか?
「匂い? 香水など誰もつけてなかったはずだ。
現に俺は匂わなかった」
え?
あんなに香っていたのに?今も匂いは消えてないのに?
さては、皆、鼻つまりですか。
「人の嗅覚では殆ど匂わない。
テルダの実に、あるものを加えた物は、
犬にとって、とてつもなく芳しく匂う香りを放つらしい。
それは、人の体内に入っても変わらない。
調教師が、良く使うんだそうだ」
犬、犬だけなんですか?
人間は?私は?
「テルダの実だ? そんなもの食った覚えはねえ」
「食った覚えはなくても、飲んだ覚えならあるんじゃない」
(まあ、入れたらいいよと警邏を誘導したのは、俺だけど)
チェットさんは、表情を全く変えずに、
リリーさんを庇うように、すっと前に立った。
「以前に言ってたよね。 新しい酒屋からの仕入れ。
確か、三月程前からその酒屋から安くお酒仕入れていたんだろ。
その酒屋は警邏の仕込みだ。 あんなに安い値段でかなり上物。
脅されてたって、オカシイと思うのが普通だろ」
(その酒屋を紹介したのは俺)
なんと。
ボス、人身売買だけじゃなく、壷売りだけじゃなく、
追いはぎもどき、までしてたんですね。
悪人も、多種多様な仕事、こなさないといけないんですね。
それにしても、チェットさん。
あっちこっちに、顔出し、いえ、口出ししてるんですね。
「警邏は、お前達が地下水路を使うことをわかってた。
だが、水路は複雑だ。行き先がわかってれば別だが、
案内がないまま入ると確実に迷う。
だから、犬を案内に、水路の上から追ってきたらしい」
(水路を使うってのを教えたのも俺。でも水路の入り口までは教えてない)
ほう。
オーロフさん。
犬まかせとはいえ、なかなかやるじゃないの。
残念なコロンボなんて言って悪かったかしら。
でもチェットさん、それ、すでに、
ボスを売っているのと同じだと思うんですけど。
「水路の上からだと。馬鹿な」
チェットさんは片手を軽くあげ、にこやかに笑って言いました。
「俺は、その警邏連中の後を追って、ここまで来たんだ。
だから、俺がこの場所を警邏に教えたってのは間違い。
そもそも、市場の場所は毎回変わるはずだろ。
側に居ない俺が、どうやって場所を知ることができるのさ」
(わからないから、警邏の後をつけるしかなかったんだ)
雨の激しく道を叩く音が、心臓の音と一緒になって、
どんどん、ばくばくと行進曲のように、聞こえてくる。
真っ暗な空から、ごろごろと雷が遠くで鳴っているのが聞こえた。
不吉ですよね。なんとなく。
でも、ちょっとだけ、チェットさんの意図がわかってきた。
話を長引かせて、オーロフさんが、帰ってくるのを待つつもりなんですね。
頑張れ、頑張れ、チェットさん。
ボスは、鼻で笑いながら、持っているナイフをちらつかせる。
右手、左手とおもちゃで遊ぶように、ナイフを持ち替える。
その度に、ナイフの鈍い光が、ちらちらと目の隅っこに写る。
「ああ、そうかい。 なら、これは、どういうことだ。
お前から取り返した割符は、偽物だった」
男の狂った目が、厳しくチェットさんを見据えていた。
「知らないな。俺から、割符を取り返した奴らがすり替えたんだろ」
(偽者に騙されたほうが馬鹿だろ)
チェットさんは、首を振りながら軽い返事で答える。
嘘は駄目だけど、この場合は、嘘も方便だよね。
うーん、ことわざって便利だよね。自分を納得させるのに。
「大体、何でお前は割符を盗んだ。
お前には、必要ないものだ」
「さあね。 理由なんて、俺にもわからないさ。
面白そうだったからってのが、一番近いかな」
(そろそろお前達が、うっとうしかったからな)
鬱陶しいって、チェットさん。
それだけのために、あんなにぼこぼこにされたんですか?
男の目が、どんどん険悪さを増してくる。
頭から、だんだん湯気が出てきそうな感じです。
「ふざけるな。 誰かの依頼だろう。
俺を陥れる為に盗んだ。 そうだな」
口からつばを飛ばしながら、大きな声でチェットさんを責める。
そのつば、こっちにも飛んでます。
汚いので、ちょっとだけ横によけました。
「依頼ねえ。
俺に依頼なんてする奴が、この街にいるわけないって知ってるだろ」
(頼まれることなんて、絶対ありえないから)
チェットさんの皮肉げにゆがめた顔が、忌々しそうに事実を語ってた。
そうか、信頼されてないって言ってたっけ。
「そうか、この街じゃないんだな。
なら、隣街の奴らか、もしくは隣国のコーベム街の奴らか。
どっちにしても、お前が俺を売りやがったことは、はっきりしてる」
チェットさんは、わざと大げさに大きくため息をついた。
「わからない人だね。
そもそも、君を売って俺になんの得があるのさ。
俺は、ご存知の通り犯罪者の息子で、この国のこの街から、
一生出ることを許されない。
そんな俺が、隣国や隣町につなぎを取ってどうするのさ」
狂って怒っていた男の目に、戸惑いが浮かんだ。
「隣国に逃亡する為とか……」
間髪をいれずに、チェットさんが切り込む。
「それで、隣国に逃げて、逃亡した罪人の行く先は奴隷って決まってる。
それも、一番扱いの酷い過酷労働奉仕奴隷だ。
俺が、そんな馬鹿なことするわけないだろう。
今、この国だからこそ自由でいられる籠の鳥だ。
俺は、決してリスクを犯さない。 知ってるはずだ」
(居心地の良い籠でいたかったからね)
えーと、チェットさんは、役人さんの子供だったんじゃなかったけ?
まあ、それはそれとして籠の鳥って。
チェットさん、旅行にもいけないのか。
なら、リリーさんと仲良く夫婦旅って言うのは無理なのね。
夫婦の仲直りは温泉旅行に秘訣ありって、
前にみた2時間ドラマで、言ってたのに駄目だな。
チェットさんを見つめていたボスは、チェットさんの言動を
薄目を開いて、いぶかしげに聞いていた。
そして、いきなり笑い出した。
話の初頭に見えていた、戸惑いの光は男の目に見え隠れしていた。
けれど、いきなり笑い出した狂気の笑いに消されていった。
「そうだな。お前はリスクを犯さない。
だが、俺はこれも知っている。
お前は、嘘つきで、真実を言うことは無い。
見事な嘘に、いつもながら惚れ惚れするところだったよ」
全部が、嘘ではないにしろ、
肝心の部分が大嘘なのだから、見事に騙されるところだったってことだろう。
私だって、チェットさんの本音が見え隠れしてなければ、
確実に、チェットさん無実だった説に、一票、投じていたに違いないです。
それに、騙されないボス。
チェットさんより一枚上手だってことでしょうか。
それとも、かなり疑り深い性格かどちらかでしょう。
でも、これで、時間稼ぎ終わりですか。
もう、無理?
雨の中、雨音にまぎれて、沢山の足音が近づいてきていた。
やっと、オーロフさん達が帰ってきたんですね。
待ってました。
早く、早く、ここに来てください。
ボスの耳にも足音が届いたようで、ナイフを右手に持ち替え、
ナイフの握りを逆にして構えた。
チェットさんが、リリーさんを馬車の陰に下がらした。
チェットさん自身は、雨の降りしきる中、軒下から、
少しずつ教会正面の広場に出て行く。
チェットさんの乾きかけていた服も、髪も、再度、ぐっしょりと濡れていた。
髪から滴る水滴が、足元の水溜りに落ちて、小さな雨音を立てていた。
空は、ごろごろと気持ち悪いほど鳴っている。
ボスのナイフの切っ先が、チェットさんのいる広場に向く。
「お前の時間稼ぎに乗ってるうちに追っ手がきたか。
だけど、これで終わらせるさ。
あの世でまた嘘でもつくんだな」
ボスが、真っ直ぐにチェットさんに向かって走った。
ボスとチェットさんとの距離は3m弱。
ナイフは、チェットさんの心臓の位置に向かってた。
そのナイフを見ながらも、チェットさんは逃げようとしない。
それどころか、ナイフを待っていたかのように、両手を下げて、
ボスを受け入れるように動きを止めた。
髪が顔半分を隠していて、表情は見えない。
でも、口角がちょっとだけ上がった。
チェットさん、笑ってる。
どうして。
その笑いに気を取られて、声を上げるのが遅れた。
「危ない、チェットさん、逃げて」
そう、声をあげた時、
チェットさんとボスの間に、リリーさんが走りこんだ。
それは、一瞬のこと。
ボスのナイフが、このままだとリリーさんの背中に刺さる。
咄嗟に、チェットさんがリリーさんを抱きこんだ。
ボスのナイフが、大きく振り上げられた。
私の声が、広場に響く。
「駄目ーーーーー。」
その時、広場の上でごろごろと音を立てていた雷が、広場に激しい光と
音を伴って落ちた。
ボスの振り上げていたナイフに向かって、空から稲妻が落ちた。
稲妻は、ボスのナイフから、足元の地面に向かって、ボスの全身を伝って流れた。
ボスは、怪獣のような鈍い声を一瞬上げたが、直ぐに静かになった。
ビッシャーンっと途轍もない程大きな音で、鼓膜がわんわんと揺れていた。
目の前で落ちた閃光の眩しさに、目がくらんで前が見えなくなった。
何かが焦げる臭いにおいが、鼻についた。
地面から、雨から、伝わってきた電気で、全身がしびれた。
体中から、静電気が発しているようで、手足がびりびりと痛む。
空気が、雨が、電気の檻で周りを囲っているかのようだった。
ようやく、目が見えるようになった時、
チェットさんとリリーさんは、地面にお互いを守るように倒れてた。
目を瞬きながら、2人に駆け寄って、2人の肩を揺らした。
揺らしても、2人は目を覚まさない。
口の前に手をかざすと、息はしている。
ちょっとほっとした。
空が、再度ごろごろと真上で音を立てていた。
このままだと、また雷がここに落ちるかもしれない。
落ちる?
そう思って、そっと落ちた先を見た。
激しく降りしきる雨の中、それは、立っていた。
ナイフを構えたままの姿勢のまま、一瞬で、真っ黒になっていた。
油とゴムと何かが焼ける匂いが雨のなかでも充満していた。
それは、気持ち悪くなるほどの悪臭を放ち、
口からかすかな煙を吐いていた。
そして、全身に電気を帯電しているらしく、
体中から小さな火花が飛んでいた。
ぞっとした。
こんな近くで、落雷をみたのは初めてだった。
「ううう」
私の腕の下にいた、チェットさんとリリーさんの声が聞こえて、
はっと我に返った。
起きて、早く。
早く、軒下に隠れるんです。
私の手が彼らの肩を高速でゆさぶった。
だが、彼等の目は開かない。
ばしゃばしゃと足音が近づいてきた。
「ここです。誰か、手を貸してください」
私は、大きな声でこちらに向かってくる人たちに呼びかけた。




