協力者が必要です。
気がついたら夕日は沈み、窓の外は暗くなりかかっていた。
大変だ。
ゆっくりのんびりしている場合じゃないです。
チェットさんは、今夜、取引があるっていってたよね。
「チェットさん、日が暮れます。急ぎましょう」
チェットさんを見ると、彼は部屋の中の物で
使えそうなものを物色していた。
ナイフとか、はさみとか、かみそりとか。
それ、全部持っていくんですか?
重たそうです。
でも、護身用にちょっとあると安心かもしれない。
さっきのガラスのかけらは倉庫に置いてきたし。
私も何かと思って机の上を見ると、
ごてごてと掘り込まれた装飾過多な木のペーパーナイフと
羽ペンとインク壷があった。
うーん。
ペーパーナイフって、紙を切るためのものだよね。
でもこれ、結構切れそう。
それを、借りることにしました。
ポケットが無いので、チェットさんを見習って靴の中に隠しました。
足の裏が切れませんように。
ねこばばではありませんよ。あくまで借りたのです。
使い終わったら警邏に届けておくつもりです。
すべては、臨機応変にいくためです。
いろんな事に対応してこそ、良いようになるのです。
ミリアさんも、いろんなお客さんを見事にあしらいながら、
店の給仕に会計にと、すべるようにこなしていた。
姉御って呼びたいプロの技。
ああそういえば、ピーナさんのお店、
無断でさぼった形になっちゃった。
今からの時間は凄い忙しいのに。
ミリアさん、オルトさん、ごめんなさい。
両手を胸の前で組み、心の中で合掌する。
気を取り直して、チェットさんに声を掛けようとしたら、
ドアの向こう、廊下の方から人の足音が近づいてくる。
誰か来る。この部屋に近づいてる。
どうしよう、どうしたらいい?
両手をあわあわと動かしていたら、チェットさんが、
小さな声で言った。
「静かに。隠れて」
そうです。
隠れるのです。
チェットさんは、窓際のカーテンの陰に隠れました。
あっという間でした。
で、私は、どこに隠れればいいのでしょう。
チェットさんの方を見たけど、隠れたまま。
自分の判断でって事だよね。
でも、この部屋って、クローゼットと机くらいしかない。
隣は洗面所だから、そっちへ行くべき?
足音はどんどん近づいてくる。
何人かの声もしている。
あの声は、アイツの声に似ている気がする。
市場であった怪しいぐりぐり目の男。
もし、奴らがトイレに帰ってきたなら、
洗面所は逃げ場が無い。
ならクローゼットだ。
急いで、クローゼットに向かおうとしたけれど、
先に、ドアが開いた。
駄目だ。間に合わない。
反射的に頭を屈め、一番近い机の下に隠れた。
机の下に入り、一番奥まで体を精一杯縮めて、
机の影に体を潜ませた。
「商品の状態が悪い?取引は今晩だぞ。
何とか持たないのか」
聞いたことのある男の声が、苦々しげに喋ってた。
やっぱり、あの男だ。
ばくばくする心臓と、今にも息切れしそうな呼吸を
なんとか宥めるために、片手を口にあて、
もう一方の手で胸を押さえた。
小さく呼吸して、音を立てないように身を固め、
状況を判断するために聞き耳をたてた。
商品?
状態を持つって生ものなのかしら。
牡蠣とか、魚介類とか、日持ちしないものとか。
「それは危ないですぜ、ボス。今晩は持つかもしれないが、
明日になって商品が駄目になってたら、
欠陥品を売りつけたことになって、信用がぱあです。
次からの取引が旨くいかなくなる」
野太い声が男に説明をする。
あ、なんとなく落ち着いてきた。
呼吸も心臓も通常通りに戻りつつあった。
聞き耳を立てながら、
机の下でその通りですと頷いた。
商売は、信用が第一。
悪党でもわかってるじゃない。
「はん。それもそうだな。
今、数は、10丁度だったな。 そうだな。
ちょっと生きのいいのを、どこかで見繕ってくるか。
おまけを一つか二つ、つけりゃあ何とかなるだろ」
余りにも簡単な口調で言う。
おまけ?
今から、魚屋さんにいくのかしら。
でも、生きの良いのは朝一番よね。
だって、漁は朝だもの。
それともおまけだから、御菓子でもそえるのかしら。
「今は在庫で、二階にとんでもなく痩せた女と、
倉庫に変った毛並の小さいが元気のいいのがいるはずですが」
野太い声が驚愕の事実を私に知らせた。
今、二階のとんでもなく痩せた女って言った?
私が出会った酷く痩せた女の人っていったら、
リリーさんしか思いつかない。
この国の人達って、基本肉付きがいい人が多いのです。
ほら、胸とか腰とか。
それが無いのは子供とか私とか、あとはリリーさんとかです。
在庫って言った?
リリーさんが在庫なの?
雷に打たれたような衝撃が、心と頭に落ちた。
それならば、さっきから話していた商品は
魚介類や御菓子でなくて、人間ってことですか。
そうでした。今更ながらに気がつきました。
馬鹿です。私。
リリーさんが売られるってことで、
私達はここに乗り込んだんですよ。
いまいち現実についていってないよ、私。
だから、すぐにわからなかったんです。
彼らの会話が、人身売買の事で、
商品っていうのが、生きている人間だっていうのが。
しっかりしろ、私。
ちゃんと現実をみよう。
目の前に起こっていることは現実。
顔を叩きたいところだけど、今は無理。
だから、今は頬を代わりにつねる。
痛みで、涙がじわっと出た。
「そうだな。チェットは確保したし割符も戻った。
チェットは取引が終わった後、
あの嘘吐き舌を焼いてから海の藻屑にしてやるさ。
そうなると、保険のあの女も用済みだな。
倉庫の方は俺が楽しんでから、売るつもりだったが、
どうするかな」
倉庫の方というのは、もしかして、もしかしなくても、
私のことでしょうか。
「あの女とチェットのせいで、俺は市場で警邏に捕まって、
散々な目にあった。
まあ、金を積んで早々と出てこられたけどな」
ちっと舌打ちが聞こえた。
顔を確認できてないけど、ボスと呼ばれていたあの男は、
やっぱりあの男です。
「ボスが楽しんだ後だったら、商品として売れねえ。
正気でないと価値が落ちる」
正気って、何をする気なんですか。
「くっくっくっ。気の強い生意気な女をひいひい泣かせて、
正気でなくなるまで、突っ込むのが楽しいんだがな」
血の気がざあっと引いていきます。
こいつ、間違いなく変態だ、変質者だ、異常者だ。
「ボス、今回はどうしますか」
自分のことが含まれているとわかると、
途端に、息がつまる。
「状態が悪いのは、2つか。
しょうがねえな、今回はあきらめるか。
倉庫のをこっちに運ばせろ。急げ」
手が小さく震え始めた。
震えを止めようと、ぎゅっと胸に手を抱え込む。
「うん? ちょっと待て」
ボスの声で、出て行きかけてた男の足音が止まった。
いつのまにか、外は夜の景色に変わり、月の光が差し込みはじめていた。
月の光は机の上を照らして、机の影を長く伸ばしていた。
私は、気がつかなかった。
月のひかりが机の下をも照らしていたことを。
その結果、影に私の足が映っていた。
男はにやりと笑い、こつこつと足音を響かせ、
机の側までやってきた。
そして、机の上をドンっと叩いた。
何が起こっているのか、全く理解できていない私は、
それにびっくりして、縮めていた頭を机の下にぶつけてしまった。
ごんっと大きな音がした。
目から星が出てきていたが、
後ろ頭を抑えようと伸ばした手を取られて引っ張り出された。
「これはこれは、わざわざここまで尋ねてきてくれるとは。
感動の再会だね。お嬢~ちゃん。
それとも誰か気の利いた奴が、ここまでつれてきたのか」
男は私の髪をつかみ、ぐいっと状態を上にそらした。
男の目が、楽しそうに私の顔を眺めた。
「くっくっく。どっちでもいい」
男はずるりと舌なめずりをした。
その様子に背筋が凍る。
頬に男の手が触れ、つうっと撫でた。
気持ち悪い。気持ち悪い。
顔を逸らそうにも、髪を掴み揚げられているので、
それもできない。
「ボス、それは商品だ。
今決めたはず、やめてください」
野太い声が男の行動を静止させる。
涙目でその男を見ると、
感情の動かない死んだ魚のような目をした体の大きな男だった。
ちっと、男の舌打ちが鳴らされた。
「残念だ。だが、お前にとっては遅いか早いかで、
たいした違いはないさ。今夜の市で、
売られていく先は地獄だからな」
男の手が、私の髪から放された。
その途端に、私の体は重力に従い下にどさっと崩れ落ちた。
「縛って、商品の中に入れておけ。
もう一人もだ。急げ」
近づいてきた大きな部下の男が、
私の手をぐいっと引っ張って、部屋から連れ出した。
部屋を出たところで、手を前にして縄で縛られた。
ぐるぐる巻きではないけれど、
この手首の縄は、きつく巻かれていて痛みます。
入り口よりのドアが開けられ、私は背中をどんっと中に押されて、
部屋の中で顔を下に転んだ。
顔を下にしなくても、いいじゃないですか。
ほっぺたすりましたよ。
商品ならば大事にしましょうよ。
体を横にずらして、男達をきっと睨みつけた。
「すぐに、お仲間の女もここに連れてきてやる。
出発までわずかな時間、慰め合いでもするといい」
男の顔は廊下からの逆光で見えないが、
声の調子から、にやにや笑っているんだろう。
この変態!
バタンとドアが閉まり、男達がいなくなった。
ドアが閉まると、部屋の明かりは月明かりだけになる。
ため息をついた。
助けに来て捕まってたら、馬鹿アホカスだ。
三重苦ってなもんだ。
後ろから、すすり泣く声がした。
体を起こして、部屋の様子を伺う。
そこは、大きな部屋。
部屋の様相よりも気になるのは、
床に放置されたまま、転がったりしている10人ほどの影。
ただ寝ているわけじゃないのは、
猿轡に縄で縛られているから。
簀巻きじゃないんですね。
ちょっと以前の私の方がグレードアップ?
良く見ると女性が3人、後は、年代、性別はばらばらだが、
大まかにいうと子供だった。
2,3人は気がついているらしく、
私が入ってきたのを見て、うううって唸っていた。
この人たちは?
そう疑問に思ったと同時にわかった。
今夜の人身売買闇市に連れて行かれる人達だ。
多分、猿轡をされているのは、誘拐されてきた人たちだ。
彼らをみて、無意識に喉がごくりと音を立てました。
耳の後ろがちりちりとします。
うううっとうめき声を立てている男の子。
しくしくと泣いてばかりの女の人。
あきらめた様子で、放心している女の人。
ぐったりとして意識の無い子供。
どこかが痛むように体を丸めている子供。
皆、目に絶望が浮かんでいた。
全員の顔を改めて見渡すと、一人だけ違った様相の子供がいた。
うめいている男の子。
目は強い光を放っている。
多分、年は13,4くらいだろう。
周りの子供達に比べ、割と小奇麗な格好。
銀の髪に紫の瞳をもつ綺麗な男の子。
その目は怒りに燃えていた。
彼は、見ていた私の方を睨みつけ、
うううっとうめき声を上げる。
私は彼に近づいて、彼の猿轡を不自由に縛られた手で何とか外した。
少年は、ぷはっと大きく息を吐き、目を瞑り深呼吸をした。
彼の口の周りには、猿轡の跡がくっきりとできていた。
「大丈夫?」
私は、反射的に尋ねてた。
男の子は目を開けて眉を寄せ、私の顔を見た。
「この状態を大丈夫と言うのは、ありえないだろう」
ああ、そうですね。
ごもっともです。
全然、大丈夫にまで到達してません。
「そうだね」
しゅんと肩と眉が下がる。
「まあいい。ここはどこなんだ。
出発って、どこかに移動するのか。
お前、知ってるか?」
少年は、随分偉そうです。年下の癖に。
でも、発音がかなり綺麗なイントネーションです。
「市場です」
男の子は首を軽くかしげて聞いてきた。
「もう夜だそ。今から移動するのか?」
そうですよ。
「ええ、闇市は夜なのです」
知らない言葉なのでしょう。
顔に疑問符が貼り付けられている様子でした。
「闇市?」
「はい、そこで、私達は売られるそうです」
はっきり、きっぱりといいました。
真実を知ることは大事です。
男の子は紫の目が、こぼれるかとばかりに大きく開いて、
びっくりしてました。
私の方こそびっくりだよ。
ここにいる殆どの人は状況をわかっているのに、
君はわかってなかったなんて。
私ですら理解しているのに。
ええい、それどころではありません。
時間がないのです。
奴らが帰ってくる前に、話さなくてはいけません。
男の子の目を真っ直ぐにみて言いました。
「一緒に、協力しませんか?」




