オーロフの秘策。
「そろそろ周りがうるさいんだ。
オーロフくん、君ならわかるだろう」
いつもは、がみがみと嫌味ばかり言う、
役に立たないうっとうしい上司が、開口一番にそう言った。
俺は今、頭の血管が切れるくらいに怒ってる。
ぎりぎりと、奥歯をかみ締める音がする。
丸顔でほぼ中心に顔のパーツが寄っているが、
優しい顔立ちとしていると俺の妹は言ったが、
俺の姪はおろか、友人もその言葉を真っ向否定する。
四六時中一緒に行動している俺の部下は、
一度だって優しい顔だなんて言ったことは無い。
大魔神だ、鬼だ、般若だと、口々に言いながら
俺の後ろにいる部下達は、どんどん後ろに下がってる。
「だから一般市民の犠牲を出してもよいと、貴方はおっしゃるんですか」
バン!
大きく目の前の机を叩く。
体を大きく机の方に乗り出して、
顎をしゃくりながら、上司に向かって脅しをかける。
上司は机を楯に、少しずつ椅子を後ろに擦り下がる。
キリギリスみたいな顔に、沢山の冷や汗をかいている。
「そうなる前に、君が何とかすればいいじゃないか」
俺の眉間に、浮かんでいるであろう青筋の数がどんどん増える。
このやろう。
俺達の、今までの努力を無にするつもりか。
「勝手に作戦とは違う行動をして、
邪魔をしているとしか思えませんね」
これが上司でなけりゃあ、襟首捕まえてがくがくと揺さぶって、
頭から水路に投げ込んでいるところだ。
噴火しそうになる感情を、やっとのことで押さえつける。
「しかしだね、誘拐人身売買組織の解明に
もう一年近く掛かっているんだ。
上から、解決をせっつかれた私の身にもなってくれよ」
知るか。勝手に僻地でもどこでも飛ばされろ。
「そうです。一年だ。やっと組織のアジト、
犯人グループの構成などがみえてきた。
だから、今回の作戦を立てたんです」
苦々しげにうなりながら、上司の顔を睨みつける。
「判明してから、一月以上掛かっているじゃないか。
だから、私がちょっとした協力をすると、
もっと解決が 早くなると思ってしたことだ。
それなら感謝したらどうだい。」
さっきまでびくびくしてたのに、とたんに横柄な態度になる。
こいつ、調子に乗りやがって。
俺達が、どれだけの苦労と苦渋を舐めてここまでやってきたか、
しらないとは言わせない。
頭から湯気を出しそうになっている俺を尻目に、
後ろの戸口から冷たい声が聞こえた。
「ほう。それでは貴方が勝手に奴らへの囮とした、
2人の一般市民に何かあった場合は、
貴方の判断と責任ということですね」
その言動の冷たさゆえに、冷徹の男と呼ばれるバルマン副所長だ。
上司の天敵ともいえる実力派で、めきめき実力をつけてきた。
容貌、実績共に、いい男だ。
この上司が僻地にでも飛ばされたら、多分、
こいつが俺達の上司になるんだろう。
それが今なら大歓迎だ。
上司である、警邏のトップ、所長は顔を青くして、
口をぱくぱく金魚のようにさせながら、白目をむきかけている。
この上司にとって厄介な奴に聞かれたらしいが、
今はそんなことを言っている場合じゃない。
なにかあったらって?
それを望むようなこと、言って欲しくない。
「何かあったらだって?
こいつが囮に使った彼女らは、事に及ぶまでに、
なにがなんでも回収する。無事にな。
市民を守るのが、警邏の仕事だ」
俺は、鼻息を荒くしながらバルマン副所長の前に立ち、
堂々と胸をそらして宣言した。
「不測の自体が発生したのは、このへっぽこ上司のせいだが、
こんなことぐらいで作戦はゆらがない。だから変更しない。
俺の部下は優秀だ。臨機応変って言葉を理解しているからな」
後ろで部下達が、両手を叩いて賞賛している。
本当にのんきな奴らだ。
それならこれから、地獄のように働いてもらうとしよう。
「オーロフさん、貴方は思っていたよりもかなり優秀だ。
今回立てられた作戦は、横やりがあったとはいえ、
成功率は高いだろう。
だから今回は、私の部下を協力させてもらいたい」
部下?
鼻の頭に皺をよせる。
「つまり、今回、私も作戦に加えてもらいたいんだ」
何故?
バルマン副所長は、誘拐事件には関係ないはず。
「実は、内密の事ですが、今回、誘拐された子供の一人は、
良家のご子息でね。
ちょっとそのまま他国へ売られてしまうと厄介なのですよ」
な、誘拐された子供の何人かは、警邏でも目星がついているが、
良家の子供なんて報告は出ていない。
「国議会のお偉方から、ぜひに助けてやってくれと要望を受けました。
私としても、無能な横やりに邪魔されたと報告をするのは、
少々面白い物ではないのですよ」
目の前の上司の喉がごくりとなった。
顔色は青白いを通り越して真っ白になっている。
そうだろう、そんなことがわかっていたら、
余計なことはしなかったのにって顔だ。
「そうか、話はわかった。
バルマン副所長、作戦を説明するが、
信頼の置けるものだけに概要を知らせる。それでいいか」
オーロフは、おろおろしている上司をほっといて、
バルマン副所長に声を掛けた。
バルマン副所長は、俺に向き直り、真っ直ぐに俺を見た。
「ああ、それでいい。
警邏の組織も一枚岩ではないからな。
奴らに漏れないように、作戦は秘匿しなければいけない。
それから、今からは、バルマンと呼んでくれてかまわない。
指令系統を乱すのは、本意ではないからね」
俺の顔がにやっと笑った。
話の早い奴は好きだ。
「こっちにきてくれ。
別室で話をする」
どかどかと足を踏み鳴らしてその場を後にした。
バルマンとその三人の部下、
それと俺の5人の部下が一つの部屋に集まった。
「まず、作戦の説明だ。
言っとくが他言無用だ。わかってるな」
全員が、深く頷くのを確認して話を始めた。
部下の一人に頷くと、彼は一枚の大きな地図を広げた。
オーロフは、海辺の近くの宿屋の場所を指さした。
「奴らの根城は、この宿屋だ。
だが、普通に入っても怪しいところは見当たらない。
多分、どこかに別の場所があると想定される。
だから、それを探ることから始めた。
今回、やっとのことで俺の部下を数人を、
奴らの組織に潜入させた。
そいつらの報告で、大体のことはわかった。
奴らは、さらってきた商品を、宿屋から3件ほど離れた、
ある貴族の私邸に閉じ込めていることがわかった。
多分、今回さらわれている子供達はそこにいるだろう」
オーロフは地図にあてている指を、横にスライドさせ、
三件隣の四角い建物の場所を指で軽く叩いた。
「だが、貴族様の私邸なだけに、証拠がないと踏み込めない。
奴らが、そこに商品や、やばい品を集めているのはわかっているが、
運搬方法がわからない。 馬車をつかっている形跡もない。
怪しい奴らが出入りしてるってだけじゃあ、どうにもならない。
たとえ、踏み込んだとしても、
運搬方法がわからないってことは、どこかに別のルートがあって、
そこから、奴らが商品を動かしてしまえば逃げられる。
それに、今はまだ、どこで闇市が開かれているかわからないんだ。
やつらのあの場所を暴いたとしても、
闇市とその取引相手、ルートを潰すことは出来ない。
だから、今回の取引の現場を押さえることにした」
そこまで一気に言うと、顔を上げて全員の顔を見渡す。
「取引は、今夜だ。
へっぽこがした始末は、なんとしてでも無事に取り返す。
今夜の捕り物はデカイ。
売り元と買い元、どっちも逃す気はない。わかってるな」
全員が無言で頷く。
「まず、今回の被害者の一般市民の一人は確保済みだ。
後の一人は、移動の前に確保することは難しい。
助けるとしたら、闇市に突入後だな」
扉をノックする音がした。
一斉に全員に緊張が走る。
「誰だ」
ドアの向こうから、見知った部下の声がした。
「レイから、緊急の伝言です」
オーロフは額に眉を寄せる。
「入れ」
ドアを開けて、部下から伝言を受け取った。
そこには、驚愕な事実が書いてあった。
オーロフは感情のままに、ぐしゃりと紙を握りつぶす。
「何があった」
バルマンの声で、我に返る。
「確保していたはずの一般市民が、奴らの根城に乗り込んだらしい」
どうしたら、そんなことになるんだ。
報告があったとうりなら、確保した一般市民とは、
あの子、メイさんのはずだ。
見た限りでは、腕っ節が強いわけでもなく、
頭が特に弱いわけでもない、普通の女の子だった。
だから捕まったとき、部下の一人が別の場所に移動させておいたのだ。
その報告で、よくやったと褒めたくらいだ。
それなのに、自力で逃げ出した上に、
奴らのアジトに乗り込むなど、どうなってるんだ。
ミリアの怒る顔が目に浮かぶ。
あの子のこと、かなり気に入ってたからな。
「その一般市民は、奴らの仲間だったのでは」
バルマンの指摘に首を振る。
「いや、彼女は3日ほど前に、ハリルトン商会の船に乗って、
この街に来たばかりのセラン医師の娘さんだ。
ありえんな」
「だがなんで、奴らのアジトを知っているんだ。
俺達ですら、つかむのに一年近く掛かったのに」
部下の一人が疑問を言う。
俺は、小さなため息をついて感情をなだめる。
「チェットだ。彼女を放り込んだ倉庫に、
偶然にも チェットがいたらしい」
俺の説明で、部下達が納得したように肩を落とした。
「チェット?」
バルマンが尋ねてきた。
「奴らの所にちょくちょく出入りをしていた若い奴です。
ふらふらと、全く行動が読めない奴でしてね。
今回の取引の動向や、部下の潜入に協力をしてくれたかと
思うと、俺達の鼠になるつもりは無いって詳しい情報はよこさない。
だけど、奴らとの関係を否定する」
「信用できるのか」
「奴の子供の頃から知ってるが、
ここ一番は裏切らない奴だ」
多分。
ミリアとスミフは、そう言い切った。
「だが、一般市民を、それもあんな非力な女の子を、
アジトに連れて行くなど、チェットは何を考えているんだ」
部下の一人が、頭を抱えて悩み始めた。
「悩んだって、始まらない。
多分、もう一人の被害者はリリーだってことをチェットが知って、
彼女に協力を頼んだって言うのが、おおよそのあらすじだろう」
頭の中で組み立てた、大まかなあらすじに
自分で自分を納得させる。
彼女は、チェットに巻き込まれたのだろう。
「なんで、チェットはその倉庫に居たんだ」
部下が、疑問を投げた。
「レイの情報では、チェットは盗みを働いたらしい。
奴らが血眼になって探していたが、昨夜、偶然に飲み屋で
見つかって捕まったらしい」
「何を盗んだんだ?」
バルマンが尋ねる。
「割符だ。チェットの奴、何を考えてやがる」
頭のなかで、チェットの顔と言動が蘇って、
疑問と疑いが思考に広がる。
いつものチェットならば、捕まったのならば、
無理に組織に潜入などしない。
たとえリリーが捕まったとしてもだ。
それに、盗みだって?
奴は、盗みに対しては毛嫌いしていたはずだ。
あの男は執着しているものは、何もないはずだ。
皮肉屋で、どっちつかずで、ふらふらしているようで、
頭の回転がとても速い。
どんな状態でも、感情の揺れというものを全く見せない。
人間味の無い扱い辛い男である。
昔はあんな風じゃなかったが。
人は変わるものだ。
そして、落ちた先から這い上がることなどできる人間は、
そうそういやしない。
「まあ、起きてしまったことはしかたない。
作戦をはじめよう」
頭を軽くふって思考を切り替える。
「潜入させた部下は全部で6人だ。
そのうちの一人が、今回の奴らの運搬ルートに同行する予定だ。
街を見張らせている部下達は100人以上だ」
地図を指差しながら、ところどころに円を描く。
「目星をつけたところ、この6箇所が、
次の闇市につかわれるであろう会場だ。
その近辺に10人づつ配置」
部下に指示を出す。
彼らはは一様に、真剣に聞き耳を立てている。
「それ以外で行われることが、判明した場合は、
潜入班の一人から連絡が入る。
その連絡をうけたら、すべての人員をそちらに廻す」
「連絡は?どうやって受ける」
バルマンはオーロフに尋ねた。
「それはまだ言えない。万が一があるからな」
バルマンはにやっと笑いながら、ふんっと鼻をならした。
「そうだな。それが、懸命だ」
「場所が判明したら、奴らの逃走経路を潰す。
陸と海。両方の経路を閉じる。
検問も強化する」
「今までは、それでも引っかからなかったのではないのか」
バルマンの厳しい顔で、出された指摘に皆の顔が歪む。
「ああ。だが、今回の運搬ルートが判明すれば、
奴らの逃走ルートもわかるはずだ。
確実に奴らの息の根をとめてやる」
それまで、何事も変事が起きないように、
祈るしかほかにない。
彼女やリリー、他の誘拐された子供達、
彼らが無事に救出できるように、
オーロフは、普段は祈らない神と運命に願いをかけた。




