リリーの初恋。
「おい、この女二人を簀巻きにしろ」
男達がそういって、私とメイさんを、
あっというまに縄で縛り簀巻きにする。
ああ、なんてこと。
私はチェットの巻き添えと諦めがつくけれど、
あの子は私やチェットとはなんの関係もない。
私の足の調子を慮って、家まで送ってくれた優しい女の子だ。
誰か、彼女を助けてください。
心の中で助けを呼ぶ。
でも、誰も来ない。
そう、いつものことだ。
助けなど待つだけ無駄なのだ。
いつのころからか、そう思うようになっていた。
でも、いつからだろう。
いつ?
子供の頃は助けられたわ。
誰に?
あの人たちに。
現在の自分の記憶と意識の混濁が渦をまく。
そんな中で、誰かに乱暴に担ぎ上げられ、
頭に急に血が下がり、意識が途切れ途切れになり始めた。
(子供の頃、何になりたいって夢はあった?)
メイさんの言葉が頭にふっと蘇った。
それとほぼ同時に何かが頭に当たり、
私は気が遠くなり意識を失った。
********
「リリーの泣き虫。ちび、いじけ虫。
お前なんか、仲間に入れてやらないよ」
そういって、いつもいじめていたのは私の従兄弟たち。
私の両親は共働きのため、
小さい時はおばの家によく預けられていた。
私は、従兄弟達からみて年も離れていたし、体も小さく、
運動神経もお世辞にもいいとはいえない子供だった。
叔母は従兄弟たちに、私の面倒を見るようにと
言いつけるものだから、面倒に思った従兄弟達に、
心無い言葉をあびせられ、どこかにつれていかれて、
放置されるのが殆どだった。
私は、心細くてよく泣く子供だった。
そして、泣けば泣くほど彼らは私をからかった。
次第にいじめが体罰にエスカレートしてきた頃に、
私はミリアとチェットとスミフに出会った。
苛められていた小さな私を見かねて、ミリアが従兄弟達に飛び掛り、
スミフが参戦して、チェットがとどめをさしていた。
それは、あっという間の出来事だった。
余りにもびっくりしすぎて、
泣いていた涙もひっこんだくらいだ。
おぼえてろよってそんな捨てセリフを残して、
従兄弟達は逃げていった。
「大丈夫かい。こんな小さな子を苛めるなんて、
ひどいことするね」
そういって、呆然としていた私に、
手を差し伸べてくれたのはチェットだった。
彼は蜂蜜色の柔らかい髪に黄緑の瞳が印象的な綺麗な顔立ち。
まるで、絵本の中にいる王子様のようだった。
差し伸べられた手にそっと私の手を載せて、
私はお姫様気分を一瞬味わった。
周りの景色さえも目に入らなかった。
王子様は、私に色鮮やかな別の世界を夢見させた。
ぐいっと引っ張っられて立ち上がると、
私とかれらとの身長差はゆうに20cm以上あった。
小さな私にとっては、彼等はとても頼もしい王子様達に見えた。
それからも何度となく、苛められている私を助けに、
颯爽と現れるミリアとスミフとチェット。
20cm下から見上げる私には、
彼らは間違いなくヒーローであった。
彼らは、私より3つ年上で、
驚いたことにミリアは女の子だった。
余りにもケンカが強いので、
女の子みたいな顔立ちの男の子だと思っていたからだ。
チェットはいつもミリアをからかって怒らせて、
スミフがその仲裁に入る。
そんな友人の連携の中に、
私は時折混ぜてもらった。
私は、しがない皮職人の娘で、
中下級層に位置する収入の家庭で育ったが、
三人は私を卑下することなど決してなかった。
幼い時はそれがただ嬉しかったが、長じてきたら、
私にちょっとした優越感が生まれるようになった。
というのも、この界隈ではこの三人は有名だったから。
はっきりとした口調の、世話焼きで、
困っている人を頬って置けない明るいミリア。
その容貌もさることながら、頭が良く皮肉屋で、
裕福な中流階級役人の家の一人息子のチェット。
有名な船大工の棟梁を父に持ち、凛々しい顔立ちと
柔らかい口調の誠実な人柄のスミフ。
この三人は、何時も話題の中心にいて、
近隣の同世代の人々からは憧れに近い存在だった。
その三人にかまってもらえる自分が、嬉しく誇らしかった。
その中でもちょっとだけ意地悪で、
でも本当は誰よりも優しいチェットに恋をした。
顔を思い浮かべたら、心の中に灯りが燈るような淡い初恋。
チェットには、婚約者がいたし、
自分が恋愛対象に全く見られていないことくらいわかっていた。
だから、何も望んでなかった。
ただ、見つめるだけの恋だった。
私の年が15歳を越えた頃、ミリアの両親が亡くなった。
ミリアの父親は石職人だったが、予想外の事故に巻き込まれた。
大規模な不正告発により警邏の捕縛騒ぎが起こり、
主犯格であるチェットの父親が馬車で逃げる際に、
ミリアの父親を撥ねたのだ。
ミリアの父親は即死。
その事故の知らせを聞いた体が弱かったミリアの母親は、
その場で倒れ心臓が止まり息を吹き返すことはなかった。
ミリアはチェットの父親を恨み、チェットに暴言を浴びせた。
その時から三人の関係が変わった。
もともと不仲であったチェットの両親は、
父親の逮捕であっさりと離婚。
母親は実家に帰りさっさと別の男と再婚した。
父親は、不正の証拠をこれでもかと突きつけられ、
観念して拘置所で首を吊った。
チェットは、その頃、子供の頃からの婚約者で
チェットに酷く執心していた法制館で働く上流役人の娘に、
あっけなく婚約を破棄された。
そしてチェットは、2年ほど前から見習いとして働き、
生涯の職場と決めていた法制館の職場を追われた。
「罪人の子供に法制館の仕事は相応しからぬ」と言われ、
辞める様に勧告されたそうだ。
チェットの側には誰もいなくなった。
唯一の肉親である母親も、
チェットと一緒に暮らすことを拒否した。
真面目に働こうにも、
チェットの父親は、不正に金銭を取得した為、
チェットを雇う職場はどこにもなかった。
仕事を得る為に国外に出ることもできない、チェット。
チェットは罪人の息子として国内に止め置かれることが決まっており、
住居を勝手に移すこともできない監視付きな身分となっていた。
彼は苛立ち、事あるごとに人に物に当たるようになった。
彼と親しかった人はどんどん彼から離れて行った。
一度、スミフの紹介で、船のドックで働いていたこともあったが、
盗難騒ぎがあり一番に疑われたのがチェットだった。
犯人は別の人だったのだが、チェットは
その職場には歓迎されず、また彼自身も戻らなかった。
そんな風にチェットの周りの環境も周りの人間も、
がらりと変わった大きな変化の波に耐え切れず、
チェットは変わってしまった。
皮肉がただの皮肉ではなく、
人の心を疑うような猜疑心一杯の言葉に。
頭のよさは、こずるさと人の批判をかわすための
機転のよさに取って代わられた。
優しかった顔立ちは、人を騙すための笑顔に。
皆、チェットから離れていった。
残ったのは、リリーだけだ。
リリーはずっとチェットのことが好きだった。
ずっと見ていたから知っている。
チェットが、皮肉の後には、
そっぽを向きながらも優しい行動をとることも。
文句を散々いいながら、一番にケンカして怪我をしていた
ミリアやスミフの手当てをするのも。
遅れていたリリーの手を取り、
二人の後を引っ張って連れて行ってくれたのも。
チェットが実は、
ずっとミリアのことが好きだったことも。
リリーは知っていて黙ってた。
チェットが皆と距離を置き始めて、
ミリアとも付き合いがなくなって、心の中でほっとした。
絶対に手に入らないはずの彼が、
自分の手の届くところまで落ちてきたのだ。
運命に打ちひしがれるチェットの側に居れる。
そんな自分の運命に狂喜した。
そんな自分にどこか嫌悪しながらも黙っていたのは、
ただチェットを誰にも渡したくなかったから。
だから、18になって成人してすぐに、
酔ったチェットのベットに忍び入り既成事実を作った。
子供が出来たと嘘をいい、チェットと結婚した。
私の両親は、酷く反対したので、
相続分のお金と家をもらって実家をでた。
二人だけの生活。
心躍るはずの新婚生活。
だけど、そこには暖かい家庭などなかった。
子供が出来てなかったことを伝えると、
チェットの優しさは消えた。
チェットは、家にはたまに帰るだけ。
仕事には就かず、たまに帰ったときに、
家にあるお金を持っていなくなる。
蓄えもすぐに底を突き、家も売り小さな借家に移り住んだ。
金目の物は、チェットに売り払われ、
リリーは辛苦を舐めた生活を余儀なくされた。
それでも、チェットさえ自分のものであれば耐えられた。
だけど、チェットはふらっとどこかに行っては、
他の女性の香水の匂いをつけて帰ってくる。
嫌悪感と焦燥感が胸を押し上げる。
チェットを失いたくないから黙ってた。
でも本当は、他の女性に触れて帰ってくる彼に
怒りを覚えていた。
帰ってきても、彼は私を見ない。
側に居るのに、彼の心は私にはない。
気が狂いそうだった。
どんどんやせ細っていく私をみて、ミリアやスミフは心配して、
チェットと別れろって言ったけど別れる気はなかった。
絶対、別れてなどやらない。
彼は、私のもの。
皆、彼を見捨てていたくせに、いまさら何をいうのだ。
それに、ここまで彼につくして、
人生を生活を、ここまで落とされた私に
彼は見返りすら与えてくれてないのだ。
このままでは終われるはずが無い。
次第に、愛情が憎しみを帯び、
執着が偏執を生み出していった。
無限のループにはまって動けなくなっていた。
そんな時、あの子の言葉が、胸に小さな波紋を起こした。
「大人になったら、何になりたかった?
小さい時の夢は? 思い出して?」
ああ、私は、
今の自分のようになりたかった?
違う。
こんなあさましいことばかり考えている、
自分になりたかったはずがない。
私は、小さい時、そうだ。
リリーは、小さな時から父親の工房で、
母親と一緒に皮細工を造っていた。
もともと手先が器用だったから、
父親に褒められどんどん作った。
13歳のとき、初めて作った作品が商品として売られた。
作品を生み出すことに。
売った商品が褒められ認められることに、
私の作品を喜んでくれる人がいることに、
父と同じ様に、遣り甲斐を見出していた。
いつか、皮細工の作品工房を持ちたい。
それが、夢だったはず。
きらきらしていた自分。
未来が、明日が待ち遠しかった私。
あの頃の私は、どこにいってしまったのだろうか。
思い出す度に、今の私の黒い影が薄くなって、
体が心が軽くなる。
「思い出して」
あの子の言葉が放った波紋は、
心の中に大きく広がり幾重にも輪をつくった。
私は、重しから自分を解き放つ自由を始めて手に入れた。
「何になりたかった?」
そう、私は、皮細工の職人になりたかった。
「夢はなんだった?」
いつか、自分の工房を持って、
皆に喜ばれる作品を作り続けたい。
チェットのことは、大きな氷のしこり。
冷たく鈍く光る、石の塊。
あの子のいうとおり、チェットのことは好きで嫌い。
苦しくて、愛しくて、大好きで、憎らしく、大嫌い。
ふとしたことで時折見せる、
チェットの苦々しい顔。
私に対する罪悪感ではなく、
私の思いが重くて重くてたまらない。
そんな顔。
どうしてそんな顔をするのか。
わからなかった。
でも、そうだね、今ならわかるよ。
私のこの思いは、彼を縛り付けるだけ。
ずっしりと重い、彼への依存。
それを解き放つのが、私の為。
私と彼の未来の為。
無限のループから抜け出す唯一の方法。
もう、その方法を実行することに迷いは無い。
チェットを愛してる。
だから、別れを告げよう。
もう、私は一人でも大丈夫。
思い出したから、光に向かっていく方法を。
チェットの重しをはずすこと。
それが、チェットにとってもいいことであるはず。
チェットへの依存は、彼には負担にしかならないから。
心は、決まった。




