噂になりました。
夕方になり、昨日と同じように店の中の掃除をして、
夕食のメニューを教えてもらった。
昨日と違うのは3種類だけ。
あとはすべて一緒。お酒の種類も同じ。
うん。なんとかなりそうです。
というのも、ちょっとコツのようなものをみつけました。
それは、あだな付け。
ほら、覚えにくい歴史上の人物の名前とか、年号とか、
語呂合わせしたり、ニックネームつけたりするじゃないですか。
それと同じように、心の中だけで、
メニューに独自の名前をつけることにしました。
たとえば、本日のお勧めの一つ、
テッシュロニアの白煮込み。
舌をかみそうな名前の魚なんですが、
実は、この魚、赤鯛のように赤いのに、
頭のこぶの部分だけ綺麗にはげているんです。
大学でいつも寝ていた衛生学の講義の先生、てっさん、に
頭具合がそっくりなのです。それに、赤を好んで着ていたので、
それも連想しました。
そのため、てっさんの白煮込みと、私の頭の中で変換されます。
調理されて、白い目になったてっさん。
美味しいのかしら。
いつか、すべてのメニューを食べてみたいものです。
そんな感じで、本日から、
さくさくとメニューを独自の解釈で憶えていってます。
そのお陰か、昨日ほどうろうろすることもなく、
またお客の名前も一様に、何人かは覚えていたので、
割とスムーズに店の中を動き回れるようになりました。
しかし、あだ名の方が先に口から出てしまいそうなのが、
ちょっと困った問題なのです。
頭の中であだなを先に出し、最後の名前だけ口にだすのです。
だから、口を開いてしばらくしないと、
言葉を出すことができません。
まさに一人時間差です。
このタイムラグをいつか解消できるでしょうか。
そうしていたら、見覚えのあるお客さんが来ました。
そう確か、ピーナさんの産婆さんを呼びに走った、
黒トンボめがねのスミフさん。
「やあ。こんばんは。今日はメイちゃん、大変だったんだって」
「こんばんは。……スミフさん。大変って何が?」
「おっ俺の名前、覚えてくれたんだ。 うれしいね。
市場の騒ぎさ。人買いに攫われそうになったんだって」
なんでもう知ってるんだ。
まだ、あれから半日も経ってないのに。
「市場のサラスおばさんが、自分が助けたって、
自慢げに話してたよ。 その話をしてる間、
周りの露店の主人なんかもどんどん話に加わってきてさ。
気がついたら、皆がよってたかって参加して
どんどん他の人に話してるんだよ。
あと3日もすると、町中の人が君のこの事件、
知ることになるんじゃないかな」
がーん。
今日の事件が皆の知るところとなる。
つまり、知らない人についていく馬鹿なことをした
事実を皆が知っているということ。
頭がくらくらしそうだ。
別に秘密にしたいわけじゃないけど。
余りの噂の広まり予想にちょっと怖くなった。
顔がひろまったら、この街中をしばらく、
ほっかむりで歩かないといけなくなるかもしれません。
「まあ、この街の噂はそんなに長くは続かないよ。
だから、気にしないで」
どのくらいなのですか?
人の噂は75日って言うけど、
それくらいですかね。
「えーと、半年くらい?」
もっと長い!
スミフさんは、本日のお勧めのてっさんの
香草焼きを頼みました。
料理はほかほかと湯気を立て、
香草の匂いとチーズの香りがして、
いいにおいが鼻をくすぐります。
ぱりぱりに焼いた魚の切り身の上に
白いチーズソースが掛かってました。
ああ、美味しそうです。
スミフさんは、本当にお腹が減っていたみたいで、
あっという間に食べて完食しました。
スミフさんは、膨れたお腹を押さえて嬉しそうです。
今日一日の疲れが吹っ飛んだって顔してます。
見ているだけで、私まで元気になりそうです。
オトルさんの料理は、疲れた体と心を元気にしてくれる、
最高の食事ですね。
それからも、新しいお客さんが次から次へと来たけれど、
開口一番に言うことは、
「さらわれそうになった子はどの子?」
でした。
本当に、あの市場のおかみさんは、
一体、今日一日で何人の人に話をしたんでしょうか。
迷子放送と同じくらい伝わるのが早いです。
お客さんに、聞かれる度に顔が赤くなります。
机を拭く手に力がこもります。
でも皆、食事終了後に必ず私に、
「知らない人にはついていかないように」とか
「くれぐれも気をつけて」って言ってから帰っていきます。
知らない人ばかりですが、
下町人情ってこういうものなのですかね。
この状態は、情けないような、嬉しいような、
なんだかこそばゆい感じがしました。
都会の知ってる人も知らん振りを経験しているだけに、
ちょっとだけうっとうしいとは思うけど、
でも関わってくれようとする人々の優しさが、
暖かく嬉しかった。
「ああ、アンタが誘拐されかけた子?
駄目じゃないか。知らない人について行ったら」
しかし、本当に、スミフさんの言うとおり、
有名人になったようです。
夜になり、夕食の波が終わった頃に、
今日はお手伝いの女性がもう一人きました。
ちょっと早いけど、まかないを食べようと声をかけられて、
ミリアさんと中に入りました。
本日のまかないは、
てっさんのから揚げ風甘辛ナッツソースかけ、
オレンジ色の大根とホタテの貝柱とえびのサラダ。
ドレッシングはオレンジのような香りがしてました。
てっさんは白身魚の淡白な味わいでしたが、
味としては、鯛というより鱈に近い味でした。
から揚げ風に揚げたてっさんのぶつ切りに、
甘辛ナッツソースが絶妙でした。
サラダも全然水っぽくなく、
えびと貝柱はマリネのような味がついてました。
大根の色は人参みたいなのに、味は大根です。
ああ、今日の幸せ、ここに極まれりです。
もぐもぐと幸せをかみ締めます。
今日一日の苦労が、疲れが、癒される~
食べながらほうっと嬉しいため息。
美味しさに感動します。
今日もミリアさんが、
そっとお茶を差し出してくれました。
まかないをミリアさんと食べ終えて休憩をしていると、
セランが夕食をかねて迎えにきました。
セランはてっさんの白煮込みを食べてます。
一体、どんな味がするんでしょうか。
帰り道に聞いてみたいと思います。
本日は、ちょっとだけ昨日より早く、
お家に帰れるようになりました。
理由は、セランが大魔神のように怒っているからです。
今日一日、セランはお医者様のお仕事が忙しく、
私の噂を聞くまでにはいたらなかったんですが、
この店に来て、皆が、それはもう懇切丁寧に、
セランに今日の一件をとくとくと語ったんです。
今、私達は家へと帰っているところですが、
セランは無言で怒ってます。
無言の帰路に耐え切れず、口火を切りました、
「あのー、セラン?」
「なんだ!」
かなり怒ってます。 語尾がきついです。
でも、言っておかなくちゃいけないことあります。
「今日、身分証明書をもってたから、
市場の皆が助けてくれて、人買いにさらわれなかったの。
セランのお陰だよ。 ありがとう、セラン」
前を歩いていたセランがぴたっと止まり、
私の方を向いて、顔を見てがっくりと肩を落としました。
そのまま大きなため息をつきました。
「そうじゃないんだよ。メイ。
身分証明書の有無は大事だが、大事なのはそこじゃないんだ。
そもそも、まず、人買いなんかに目をつけられるなよ」
首を傾げます。
「でも、これが無いと、売られても文句言えないんでしょ」
「ああ、身分証明が無いと、この街では、
違法移民という形になる。
観光客ですら、持っているからな」
「違法移民?」
「正規なルートで入国してない人間のことだ。
彼らは、一概にはいえないが犯罪に関わっている事が多い」
なるほど、犯罪者扱いなんですね。
あの怪しい男の、私を値踏みするようないやな目つき。
あれは、私が犯罪者と同じだって思ってたから。
あの男に捕まっていたらと思うと、
いまさらながらに震えがはしった。
セランは、正面から私の肩を両手で押さえ、
腰をかがめて、私と目をあわせて真剣な顔で言った。
「この国は、富んでいる。
真昼の太陽のように人々の生活も明るい。
だがその分、闇も深いし犯罪も蔓延している。
毎日の生活は明るいようにみえて、影が差すところは、
とてつもなく暗いんだ。 だから、闇には近づくな」
心から心配している気持ちが伝わってきた。
私は、まっすぐにセランの青い目をみてしっかりと頷いた。
「はい。 セラン、心配かけてごめんなさい」
もう、知らない怪しい男には決してついていきません。
セランはちょっと微笑んで、いつもの様に、
私の頭の上でぽんぽんと手を弾ました。
「まあ、レヴィウスとカースには内緒にしてやるよ。
いずればれるだろうがな」
おお、それでは、今日はもう怒られないのですね。
家に帰って、カースやレヴィ船長に、怒られ1ラウンド
が待っていると思っていましたけどそれが無いのですね。
今日もいろいろあったせいで、凄く疲れていたので、
セランの提案は大変嬉しいです。
足取りも軽くなってきて、家に着いたときには、
気も抜けていました。
でも、帰ってすぐの居間で、
カースとレヴィ船長、バルトさんが、
厳しい顔で私を待ち構えていました。
何事でしょうと思っていたら、カースが
絶対零度の微笑みで迎えてくれました。
「お帰りなさい。メイ、セラン。
本日、警邏の方がこちらにこられまして、
確認をお願いしたいとの事でしたので事情を聞きました。
そして、本人からも経緯を聞きたいとのことで、
明日の午前中にまたお越しいただくようにお願いしました」
怒られラウンドから、逃れることは出来ませんでした。
*******
朝です。 夜明けです。
いつもの癖で、やはり夜明け前に目が覚めます。
昨日と同じく、お風呂にも入らないで寝た、
私の体は大変お酒臭いです。
お風呂に入って、匂いを落としたいと思います。
お風呂の中で、風呂桶に浸かって、
昨日一日を振り返りました。
思い出すだけで、ぶるっと振るえがきます。
(変な男の人には、近づかない)
これは、徹底して頭に刷り込みなさいと
昨日カースに何度も言われた。
変な男の人駄目、変な男の人駄目、変な男の人駄目。
よし、頭に刷り込みオッケーです。
お風呂をでて着替えて、朝食に降りました。
朝食のテーブルには、昨日とほぼ同じメニューが並んでます。
皆でそろって、朝食を食べた後、
警邏の人が来るかもしれないので、
私はそのまま居間の椅子に座ってました。
カースは、居間の机で数字がいろいろ並んだ書類を、
難しそうな顔で見てました。
レヴィ船長とバルトさんは、船の修理の見積もりが出てるとかで、
造船ドックに出かけていきました。
セランは、医師会館と薬師問屋に出かけました。
つまり、今、カースと私だけです。
私は、何かをする予定が無かったので、
私の襟首から、身分証明書のプレートをだして、
じっと見てました。
市場のおかみさん、このプレートみて、
保証人や保護者もいるって言ってくれたけど、
どこに書いてあるんだろう。
プレートの表面には、4桁の番号が3つ並び、
その下に名前、生年月日、髪と目の色、
そして、桜の花びらのようなマークが
1つ、少し空いて2つ並んで、刻まれてました。
どこにも書いてないよね。
それにしても、セランの苗字って長いよね。
でも、セランの名前であわせるとしっくりくる。
名前か、本当はメイではなくて、芽衣子なんだよね。
最近、自分の本当の名前を忘れそうになる。
この世界に来て、もうじき半年になる。
毎日の生活に必死で、振り返る事すら出来なかった。
それにしても、私は皆に甘えてばかりだ。
皆には、私のこととかは一切何も話してないし、
聞かれても無い。
それをいいことに、皆の好意に甘えまくっている自分が、
かなりずうずうしいことは理解している。
その上、セランや皆に嘘をつかせて、
身分証明やいろんなものを作ってもらった。
恩がたまるばかりだ。
恩返しらしい恩返しもしないで、
心配ばかりかけている自分が情けなく、やりきれなかった。
こんな自分は嫌だ。
こんなのは、駄目な女のすることだ。
ぐっと握りこぶしを作り、膝の上で力をいれる。
そうだ。 いつかではなく、今、何か
皆のために出来ることを探そう。
そう思って顔を上げたら、
カースがじっと私の顔を見返していた。
「どうしたの?カース」
「いえ、貴方の顔が百面相をしていたので、見てました」
百面相?
そんなに変な顔をしてたのかしら。
「何を考えていたのですか?」
「最初は、このプレートの意味です」
「意味とは?」
「昨日市場で助けてくれた女性がこのプレートみて、
保証人も保護者もいるって言ってたんです。
どこに書いてあるのかと思って、見てました」
「ああ、役所の人は説明しなかったんですね。
一番下にイルバリの花が彫ってあるでしょう。
花は全部で5つ。用途に応じて彫られるのですよ。
花の、それぞれの位置と形に意味があります」
イルバリの花?
桜のようなこの花の模様のことだよね。
「右端は保護者、配偶者の有無です。
保護者ならば花は先が割れ、配偶者ならば丸くなります。
成人すると、割れた花びらが裏打ちされて、
へこんだ花の状態になります。独身ということですね。
配偶者を持つと、表から丸く彫りこみます。
次の花は保証人の有無。 保証人が要れば、ここに花が彫られます。
真ん中の花は就労許可書、または、就学許可書です。
その次は、職業を示すものをマークでいれます。
セランならば、医師ですから、三角のマークでしたか、
私達は船乗りですので、船のマークがつきます。
そして最後には国籍です。国籍を示すものが示されます」
「そうなんだ、だから、おかみさんはすぐに
私の保護者と保証人がいるってわかったんだ」
こんな小さなものにぎっしりと情報が詰まっているんだ。
すごい万能な迷子札だ。
「考えていたのは、それだけではないのでしょう?」
感心をしていたら、
カースが落ち着いた声で、先をうながした。
軽く頷いて、
「恩返しの方法です」
カースの目を真っ直ぐに、見返して答えました。
「恩? 何の恩ですか?」
「皆にお世話になって、いろいろ心配かけて。
だから、私も何かここで、皆のために何かしたいと
思って考えてました」
「貴方は、すでにピーナのところで働いています。
無理にすることではないのではありませんか?」
「でも、なにかしたいんです。
でないと、申し訳ないのです」
俯いて手を握りこむ。
カースは私のすぐ側に座って、私の頭を撫でて、
頬をなで顎を上げ顔を上げさせました。
「貴方が無事で変なことに巻き込まれない事が
十分な恩返しだと思いませんか?」
優しい目で言ってくれる言葉が、心にしみます。
「駄目です。それでは、私は駄目なのです」
この世界の言葉で、私の心の葛藤を言い表すことは、
酷く難しいのです。だから、ただダメダメだと繰り返します。
神様の守護者として、この世界にいる以上、
変なことに巻き込まれる可能性は絶大なだけに、
それでは駄目なのです。
涙が出てきました。
天才ならば、もっと流暢に説明できるのでしょうが、
私は天才ではないのです。
「それでは、朝食の支度と片付け、それに朝のうちに
家と庭の掃除をしてもらいましょうか」
顔をあげるとカースが微笑んでいた。
瞬きを数回して涙を飛ばしました。
「はい」
にっこりと微笑みかえした。
すこしでも、皆の優しさに報いたい。
ちょっとだけでも、役にたちたい。
いつか皆に本当のことを話すとき迄、
すこしでも恩返しをしておきたい。




