産まれそうです。
ビシンさんとセフィーネさんに見送られ、
医師会館を出ました。
建物を出たとたんに大きなため息がでました。
思ったよりも緊張していたようです。
でも、いい人っぽいよね、ビシンさんとセフィーネさん。
そんな人たちに嘘を言ってだましているのは
かなり良心がちくちくとくる。
自分はいい人だとはかけらも思わないが、
セランにまで嘘をつかせてしまったことに、
ちょっと後ろめたい。
私が本当のことを話せる日はいつか来るのだろうか。
異世界から来たって最初の段階すら、
頭を疑われるかもしれない。
でも、いつか。
いつか、誰かにいえるといいな。
うん。
その時、皆にはしっかり謝ろう。
よし、反省終わり。
ぐっと顔を上にあげた。
「考え事は終わったか?」
セランに声を掛けられて我に返った。
私は今、セランに手を引かれて、
道を歩いている真っ最中です。
セランに導かれるままずっと下を向いて、ただ歩いていました。
考え事しているのに気がついていたのだろう。
セランはずっと黙って、私の手を引いてくれていたようだった。
「はい、ありがとう。セラン。
考えるのやめました」
「まあ後で、いろいろ説明してやるよ。
今は先にすることがあるからな。 ほら、ここが商会だ」
セランがピタっと足を止めた店先。
「ハリルトン商会」の看板が大きく掛かった店。
気がつけば、さっきの医師会館の通りとはまったく違う通り。
改めて周りを見渡すと、
あまりの違いに別の街に来たかのような錯覚を覚える。
建物群が全体的に白い。
石畳の色と殆ど変わりない濁った白。
石灰岩や白磁石の成分を多く含んだ石
と大きな木材を組んで出来ている建物だ。
それに建物の背の高さも統一されてなく、
高いものも低いものも同列不均等に並んでいる。
建物自体の大きさもまちまちで、
家と家の隙間も人が一人、十分に通れるくらいある。
猫の小道はここにあるって感じ。
その中でこの私の前にある「ハリルトン商会」。
三階建ての建物で、入り口は普通のお店っぽい。
どちらかというと、西部劇とかに出てくる雑貨屋さんみたいな建物。
壁が石組で出来ている以外はほぼ同じ。
玄関の両脇テラスに、木の椅子と机。
お日様の光が、ぽかぽかと照っている。
お爺ちゃんたちが、そこでボードゲームらしきものを
楽しんでいたり、長話をしていたり、居眠りをしていたりしてる。
玄関先だけ見ると、老人ホームの入り口ですかって聞きたくなる風景だ。
そこが老人ホームでないとすぐにわかるのは、
入り口を入ってすぐ。
部屋は奥行きが長い長方形で、奥から幾つもの仕切りがあり、
内部が奥まで見渡せない造りになっているようだ。
入り口3メートルのところに部屋全体を仕切る大きな長テーブル。
そこに職員らしき人達が、対面に3人程座って、
淡々と業務をこなしていた。
銀行の窓口のようです。
違うのは、窓口業務はお姉さんではないこと。
いかにも、勉強が出来そうな全体的に細いお兄さん達です。
彼等に対面しているこちら側では、正反対に筋肉むくつけき男共。
先ほど、船を下りた船員達の姿がちらほら見えます。
彼等は、あちらこちらで嬉しそうに話をしていた。
ズシリと重そうな皮袋を手に口元がかなり緩んでいる。
どうやら給料を受け取ったらしい。
皆の顔は大層晴れやかだ。
「よう、セラン先生、早く給料受け取ってきなよ。
あんまり豪気なんで、そりゃあびっくりするぜ」
彼は確か、砲弾室にいた人だ。
時折、甲板磨きするときに見かけたことがあるくらい。
名前は、うん、覚えてない。
「ごきげんだな。そんなに良かったのかい?」
セランは、軽く顎髭をさすりながら尋ねた。
「ああ、約束の金額にかなりの色がついたぜ。
だからこれから、独身組でいいとこに行こうかって
話していたとこだ。 先生もどうだい?」
彼は、にやにやと変な顔でセランに詰め寄る。
「せっかくだが今回はやめとこう。
まだ、仕事が残ってるからな」
「なんだよ。船から降りてまだ仕事かよ。
船医ってのは窮屈でしょうがねえ」
「まあ、けが人は待ってくれないからな」
「違いねえ。 じゃあな」
彼は、一緒に行く独身組仲間と肩を組みながら、
警戒に口笛なんかを吹き鳴らし、ご機嫌にでていった。
セランは、じっと二人の会話を聞いていた私の視線に気がついて、
ちょっと苦笑気味に笑った。
私はちょっと首をかしげた。
「娘を置いて遊びにいかないさ」
セランは、私の頭をぽんぽんと弾ませるように叩いてくる。
さっきの彼の会話は、実はさっぱりわからない。
どうやらあの彼は、外国訛りがあるらしく活舌が悪く、
言葉のキレというか、アクセントとかが変に聞こえる。
いままで、セランやカース達の言葉を聞いて
やっとカタコトがわかるようになった私にとっては、
それは大変に上級者向け。
だから、セランの返しの言葉からの情報しか理解できない。
だが、最後の言葉で遊びに行くって言ってた。
どこにいくのかな?
ここの娯楽施設ってナンなんだろう。
映画とかは無いだろうし。
「遊びに行かないの?」
「おい、折角いい父親になろうとしてるんだから、
水をさすなよ」
私の父は、昔、息抜きにゴルフなんぞに行ってた記憶がある。
よく働くには、息抜きに遊ぶことが重要だよって言ってた。
それにくらべ、セランはなんてまじめな父親なんだ。
「セランは立派なお父さんだね」
「おう、そうか? そうだろう」
随分ご機嫌になったセランと一緒に、商会の一階の受付で順番に並ぶ。
「無理はしなくていいからね」
ぼそってつぶやいたら、セランは複雑な顔をしていた。
無理して過労死とか大変だもんねえ。
順番が来たので受付にセランが顔を見せると、
奥から背の低い男の人が現れた。
受付の人の態度から、その人がここでは結構偉い人だと解った。
彼はにこやかに笑って、セランの帰りを喜んでいることを伝えると、
鍵を一つ差し出した。
「預かっていた鍵です。 後で確認をお願いします」
「ああ、いつも世話を掛ける」
セランと彼は、がっちりと握手をすると、彼はにこやかにほほ笑み、
また奥に引っ込んでいった。
受付の担当者が帰ってきて、無事手続きを完了し、
セランは無事給料を受け取ったらしい。
大きな皮袋が机の上に無造作に置かれた。
やっぱりお金を数えているところをじっと見るのは失礼かなって思うので、
ちょっとだけ横目になってみる。
紙幣に金貨、銀貨、銅貨。
ふうん。
硬貨はサイズも重さもかなりありそうだけど、
日本のお金みたいに穴が開いているのはなさそうです。
セランはお金を皮の袋に入れて、口をきゅっと閉める。
「よし、それじゃあ行くか」
セランがきびすを返して、戸口に向かう。
私はセランの後を慌てて追いかけた。
「どこに行くの?」
「まあいいから、ついて来いって」
セランに迷子にならないように手を繋がれて、街を歩きます。
いいけどね。はじめてみる街だし。
どこをどう歩いているのかさっぱりわからない。
今歩いているところは、大通りほど大きくないけど、
人通りがかなり多く、あちこちで大きな呼び込みの声がする。
安さを売りに、大きな声でがなる装飾屋のおじさん。
新鮮さを売りにする八百屋の親父。
今だけ売り切りを口に客を呼び止めるガラクタ屋のおじいさん。
もうじき夕方になるというのに、
一人でも多くの客をつかもうと声を張り上げる。
こんな風景はどこにでもあるんだなあ。
思わず日本で以前に行ったのみの市を思い出した。
なつかしいなあ。
ぜんざい食べたんだっけ。
それを思い出したら、いきなりお腹が軽く音を立てた。
セランがピタッと足を止めて私の顔をみて笑った。
「まだ早いけど、食事を食べに行くか」
私はちょっと眼を伏せて頷いた。
欲望に正直過ぎます、私のお腹よ。
それからすぐに、私達は青い看板が掛かった店のドアを開けた。
「いらっしゃい。まだ、開店時間じゃあないんですよ、お客さん」
店の掃除をしていたお腹の大きなお姉さんが、
のっそのっそとお腹を揺らして近づいてくる。
「ピーナ、硬い事言うなよ」
セランはかなり砕けた口調で受け答える。
「おや、セラン、この時間にここに来るのは初めてじゃないかい」
女性の顔が親しそうな口調に変わる。
「会えて嬉しいよ。体調はどうだい? もうじきだと思うが」
「三人目だからね、慣れたもんさ。でも最近張りが酷くてさ。
中で暴れられると痛くて痛くて。
早く出てきてくれないかねって亭主とよく言ってるところさ」
彼女は大きなお腹をゆっくりとさすりながら、
愛しそうに眼を細める。
お母さんの目だ。
なんとなく、いいなあ。ちょっと心が和む。
「産婆はなんていってるんだ?」
女性は、ちょっと眉に皺を寄せて、小さなため息をついた。
「逆子らしいんだ」
「逆子? 大丈夫なのか?」
「もう一週間待って、戻らなければ逆立ちしろって言われたよ」
「そりゃ大変だ。 無事生まれることを祈ってるよ」
あと一週間で赤ちゃんが生まれるのね。
楽しみだろうなあ。
「ところで腹減ってるのかい? 簡単なものなら亭主に作らせるけど」
「ああ、何でもいいから頼めるか? 俺とこの子の分、二人前だ」
「いいさ、開店前だからまかない飯しかないけどね。
食べていっておくれ」
のっしのっしと歩いて、女性が奥の厨房に消えた。
「ここはなじみの店なんだ。 飯は文句なしにうまい」
おお、それは楽しみです。
実は、レナードさんのご飯に餌付けされている状態なので、
あの美味しいご飯が食べられない日々が続くと思うだけで、
結構がっくりきてるのです。
奥の厨房から、ジュウーっと何かお肉を焼く匂いがしてきました。
いいにおいです。待ち遠しいなあ。
料理をわくわくしながら待っていたら、
外からばたばたと人が走ってくる音がして、
乱暴にドアを開けられた。
「姉さん、ピーナ姉さん。大変だ。
リリーが喧嘩の巻き添えで病院に運ばれた」
ちょび髭の生えたおじさんとひょろと細長いもやしみたいな眼鏡の男の人が、
飛び込んですぐ大きな声で報告した。
奥からすぐに、ピーナと呼ばれていた女性が出てきた。
「なんだって? リリーが? 喧嘩ってなんでまた。
怪我の様子は?」
矢継ぎ早に男共に詰め寄った。
「わかんねえよ。 運ばれてた時には、足を押さえてた」
「喧嘩の相手は例のあの男絡みだって話だ」
「足? それじゃあ命に別状はないんだね。そうよかった。
それじゃあ、リリーは今日は来ないだろうね。
まあ、ミリアがくるから二人で何とか………」
言いかけていたピーナさんの顔が急にきつく歪められ、
そのまま床にがくりと膝を落とした。
「おい、ピーナさん。大丈夫か?」
「しっかりして。ピーナさん」
男二人がおろおろして、急に座り込んだピーナさんを前に
二人で手を組んで、上に下にと手で波をつくっていた。
「おい、お前ら!手伝え!」
セランは二人に大きな声で、はっきりと命令する。
「お前は、産婆を呼びに行って来い。
お前はお使いだ。 薬師問屋に行って、セデノールの粉をもらって来い。
セランが後で払いにくるって伝えとけ」
セランは、腕まくりをしながら奥のカウンターから、
何事が起こったのかと顔を出した、ピーナさんの夫らしき人にも
はっきりと伝える。
「住居は裏の2階だったな。寝室まで運んどけ。
俺は道具を取ってくる。すぐ戻る」
セランは外に飛び出して行った。
ご主人は慌てて苦しむピーナさんの側に駆け寄り、
ピーナさんの肩を抱き手を握り締める。
「ピーナ、ピーナ、大丈夫かい」
「ああ、まだ、だ、大丈夫だけど、うう、あ、あたた」
ピーナさんはお腹を押さえて、絶え間なく流れる汗をそのままに、
痛みをこらえる様に顔を顰めていた。
その横で、ご主人は背中をずっとさすっている。
ピーナさんもご主人も酷く不安そうだった。
逆子だって言ってた。
危険なのかもしれない。
ご主人は普通の体格の人で、身重のピーナさんを
一人で支えるのはちょっと厳しいみたいで、
立ち上がるときに、ふらふらしていた。
私は思わず、ピーナさんの反対側の右手のひじを
支えていた。
「手伝います」
真っ直ぐに二人の目をみて言う。
そして、右側のピーナさんの腰とひじを
バランスを取るように支えた。
ピーナさんもご主人も頷いてくれた。
二人でささえて、裏の離れの二階にピーナさんを連れて行った。
ベットに寝かせると、ピーナさんは痛みでくの字になる。
「ピーナ、しっかりしてくれ。 もうすぐ産婆がくるからな」
ご主人は、ピーナさんの手をしっかりと握ってピーナさんに声を掛けるが、
ピーナさんはもうかなり苦しいみたいで声を返すこともできない。
ただ、痛みにうめき声をあげるだけだ。
ピーナさん、苦しそう。
私は、何か出来ないかな。
周りを見渡したらベットサイドに水差しがあった。
私は、ポケットから手ぬぐいを出して、
水差しの水で軽くぬらし、ピーナさんの顔をそっとぬぐった。
濡れた手ぬぐいの感触に、
ぎゅっと閉じていたピーナさんの目がうっすらと開いた。
「あ、あり、がとう」
そう言ったピーナさんの眼は不安に揺れていた。
「大丈夫だよ。ピーナさん。
ピーナさんも赤ちゃんも、絶対大丈夫」
私は、ピーナさんとしっかりと眼を合わせて断言する。
なんとかして不安なんか吹き飛ばさなきゃ。
「だって、普段はいない名医のセランが、
ピーナさんと赤ちゃんが大変な時にここにいたんだよ。
それって幸運だよね」
ああ、ボキャブラリーの無さが恨めしい。
「だから大丈夫」
にっこりと笑って、ピーナさんのお腹にそっと手をあてた。
痛いのが少しでもおさまるといい。
「それに、お母さんが不安定だと赤ちゃんも不安だよ。
赤ちゃんも頑張ってる。だからピーナさんも頑張って」
手の下に存在するピーナさんのお腹の赤ちゃんにも声を掛けた。
「ねえ、貴方もお母さんに会いたいよね」
(ウン。アイタイ)
頭に直接響く赤ちゃんの声。
不思議と疑問を感じなかった。
「なら、頭を下に出来るかな。くるんって、ゆっくり廻ってごらん」
(クルン? コウ?)
「そう、管に気をつけてね」
(ウン)
お腹の羊水が、赤ちゃんの動きと共に、
ごぼごぼと音を立てているのがわかった。
「不思議ね」
ピーナさんがぼそってつぶやいた。
首をかしげてピーナさんを見ると、
随分と落ち着いてきている。
「痛みが、軽くなった気がするわ」
「赤ちゃんが、協力してくれてるからだね」
「そう」
ピーナさんは弱々しげに、微笑んだ。
「あああ、生まれる。 早く、お願い、誰か」
ピーナさんが必死の叫びを放つ。
ピーナさんの手が私の手を痛いほど握り締めて、
爪が手のひらに食い込んだ。
まだかまだかと戸口をじっと見つめていたが、
それからすぐにセランが道具を持って、
息を切らせて部屋に駆け上がってきた。
産婆さんも、迎えに来た男の人に背負われてやって来た。
薬師問屋に行った男の人も汗だくで返ってきてた。
「ああ、もうすぐだね。
セラン先生と私以外は皆出て行っとくれ。
子供が恥ずかしがってなかなか出渋ると面倒だからね」
産婆さんに体よくあしらわれ、
私とご主人も一緒に来た2人の男の人も部屋の外。
ご主人と私はセランに言われたお湯や布の用意を急いでする。
走って疲れ切った男性二人は一階の店の床に座り込んだ。
お疲れ様でした。
コップに水を入れて彼等の傍にそっと置いた。
大きな鍋にお湯が湧き、ご主人と一緒に盥とお湯、
清潔な布をもって上にあがったとき、
大きな鳴き声が響き渡った。
良かった。
生まれた。生まれたんだ。




