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箱をあけよう  作者: ひろりん
西大陸砂の国編
239/240

大神官と巫女姫。

月の女神に最も近い場所として知られている、レナーテ大神殿。

このレナーテの大神殿地下には、禊に使う神の祭壇があった。


神に仕える神官と巫女だけが入ることができる聖なる地下洞窟。

祭壇の天井は低く、祭壇は白い大きな石と額ずくための石板があるだけの粗末なもの。

だが、ここを訪れた誰もが声を無くすほど驚くのは、

星の光を集めたように満月の光で青く輝く聖なる泉の存在であった。


月の女神の力を集めたような美しき青き地底湖。

王と女神がこの神殿を作って以来ずっと、こんこんと湧き出る聖なる泉。

だが、今の泉には、水を見る影もなく、黒々とした岩肌をさらしていた。


かつては、この地下の祭壇の周囲には、

地底湖と呼ばれるくらいに水がなみなみと湛えられていたと言うのに。


水分に溶け出して固まったであろう、つるつるとした花崗岩の岩肌は、

磨きこまれた鏡の様につやつやした光を放ち、

泉の水は、水面から底が見渡せるほど澄み、岩肌と水面で鏡面を作り、どこか神秘的で神々しい。

禊の為に泉を渡る小舟が、まるで宙に浮いているような錯覚を覚えるくらいの透明度から、

この泉のある地下祭殿は、神官達からは女神の目とも、真実の瞳とも呼ばれ、

女神の心を知る場所として、神官達の拠り所ともなっていた。


女神を信仰する神官たちは、女神に対する畏敬の念と女神の教えをそこで学び、

自分の心と信仰に誤りがないか日々自身に問いかけ、厳しい修行を過ごし、

信仰に迷いがなくなった神官は、サマーン王国全土に女神の教えを携えて散っていく。


神官は女神の教えを頑なに守り、祈り、女神と人々を繋ぐ架け橋として、

困窮にあえぐ民に、王と共に救いの手を差し伸べ、国を民を信仰を守ってきた。

そんな神官と民が集まり女神に祈る場所として国のあちこちに神殿があり、

その神殿を纏めるのが、北の大神殿であった。


だが、神の恩恵が消えると予言が有った後、王が身罷られた。

聖なる泉は次第に嵩を減らし、かつての水底であった岩肌は色を変え、

水は濁り、そうして泉は徐々に干上がっていった。


今では、水の匂いさえもない枯れた寂しい場所だ。

その泉の枯れた祭壇を前に、いくつもの影が石板に額ずき、

必死で神を讃え、救済を願い、祈りを捧げていた。


「女神よ、どうか我らの王を御許からお遣わし下さい。

 我らが愛しき王よ、貴方は徳高き星。

 我らは永遠に貴方の忠実な僕、

 女神の慈悲を持って、どうか貴方の民をお救いください」


ずっと座っていた中央の小さな影が、すうっと立ち上がり、

祭壇横の松明の光がぼうっと揺らいた。

影は徐に小さな杖を掲げ、目の前の大きな白い石を、コココン、と叩いた。


音が、周囲の岩肌に響き渡り、コココン、コココオン、ココココオンと奥へ奥へと反響していった。

だが、しばらくすると、影の背後から、長く伸びた、コココココオオオオンという音が帰ってきた。

音は影をすり抜けて、またもや奥に向かって伸びていく。

ぐるぐると回る音の連鎖に、影の周囲に額ずいていた背の高い影が、

小さな影の耳元に布を当て、小さな影に問うた。


「巫女よ、示されませ」


巫女は耳に手を当てて、オンオンオンと響く音の震えをじっと聞いていた。

そうして、音が次第に薄く低くなっていき消えたとき、

巫女は耳元から手を離し、水底の奥への道を数歩進み、左端の足元を杖でコツコツと叩いた。


「ここじゃ」


巫女の言葉に、ずっと後ろで控えていた影が、ツルハシを持ってその場を掘る。

ガツガツと掘った場所から、しばらくするとじわっと水が染み出してきた。

コプコポと音を立てて、水は地中から湧き出でるが、その勢いは弱い。


「おお、巫女姫様、感謝いたします」


ツルハシの横で水差しを抱えていた幾つもの影が、ごくりとつばを飲み込みながらも、

湧き出てくる水の元に水差しの口をあてて、水を少しずつ組みだしていった。


それを後ろで見ていた背の高い影に、ずっと付き従う男がぼそっと言った。


「神官長様、先日よりも水の出が悪いですね」


神官長と呼ばれた背の高い男は、苦々しげに眉を顰めた。


「そうだな。これでは、外で水を待っている信者全ての分は見込めまい」


神官長の言葉に、誰しもが暗い顔をして項垂れた。

この中の誰もが、日に一度、唇を湿らせる程度しか水を口にしてなかったからだ。


「やはり、雨呼びは出来ぬのでしょうか」


その声に、小さな老婆姿の巫女が顔を顰めた。


「すまぬの。今の私の力では、満月の日にほんの少しの雨雲を呼ぶことしかできん。

 月の力は日々増しているとはいえ、まだ雨雲を呼ぶには足りぬ」


巫女の言葉に、問うた神官は首を振った。


「いいえそんな、私は巫女様をお責めしているわけではありません。

 巫女様のお蔭で、枯れた泉からわずかでも水が取れるだけでもありがたいのですから」


その言葉に呼応するように幾人かが頷いた。


「ええ、水呼びの巫女様のお蔭で、我らと民は生きながらえているのですから」

「巫女姫に文句など、決して私どもはそのような」

「私たちは貴方にいつも感謝しているのです」


だが、その言葉を遮るように、神官の一人が呟いた。


「しかし、あれだけでは、とても祭りまでもたぬであろう」


その言葉に幾人かが応えた。


「ああ、確かに」


「レナーテの町の井戸も枯れかけていると訴えがあった」


「やはりそうか」


神官達の不安な顔に、大神官が長く伸ばした白い髭をゆっくりと撫でて、

どうしたものかと頭を悩ませていた。

その時、背後からパタパタと小さな足音が響いた。


足音の主は、小さな紙を振りながら顔を強張らせて大神官に駆け寄った。


「大神官様、火急のお知らせだそうです!」


少女の様に幼い顔の神官見習いが、大神官に封蝋が付いた巻紙を渡した。

大神官は、その手紙を松明の下に歩み寄って、封蝋を開いて手紙を一読していたが、

いきなりその厳めしい顔が崩れた。

そして、ブホッっと何かを吐き出すがごとくに大きな息を吐き、

暫く咳き込んだ後、胸と口元を抑えて俯いて震えた。


その様子に、神官達はどんな大事件が起こったのかと顔を強張らせて、

ゴクリとつばを飲み込み、じっと黙って大神官の様子が整うのを待っていた。

が、そのうちの誰かが、沈黙に耐えられなくなったのか、

肩を震わせて背を丸める大神官に声をかけた。


「あ、あの、大神官様、一体その手紙は・・・」


先ほど手紙を持って走ってきた神官見習いが、息を飲んで大神官の返答を待つ。

そんな彼女の緊張をほぐす様に、巫女姫と呼ばれた老婆が、優しく言葉を紡いだ。


「ほほっ、よほど面白いことが書いてあったと見ゆる。

 そなたがそこまで我を忘れるとは。誰からじゃ?」


大神官は、大きく深呼吸をして背筋を伸ばし、

コホンと息を整えて、小さく笑った。


「失礼いたしました。

 ええ、その通り。大変面白、いえ、大事な事が書かれていました。

 送り主は、マッカラ王国のあのお方からです」


マッカラ王国と聞いて、皆の顔が、ぱぁっと笑顔になった。

混乱を極めるサマーン王国の力が全くあてにならない以上、

隣国のマッカラ王国が、今のこの神殿を支えるもっとも大きな支援者であったからだ。


「大神官様、マッカラ王国からということは」


大神官は、嬉しそうに眼を細めて頷いた。


「ああ、彼は我らに水100樽と十分な食料を送って下さるそうだ!」


そわそわと期待に目を輝かせていた神官達が、一斉に歓声を上げた。


「素晴らしい!水100樽だなんて!」

「十分な食料もですよね」

「ああ。女神よ。マッカラ王国の慈悲深きお方よ。

 心より感謝します。なんと嬉しいことでしょう」

「これで、儀式が滞りなく行える。ああ、女神に感謝を」


彼らの嬉しい笑顔に、大神官は髭をゆっくりと擦りながら言った。


「幸運な事に、先日、マッカラ王国で珍しいほどの大雨が降ったそうです。

 それらの雨水を詰めた水の樽、およそ100樽を、

 祭り用の十分な食料と共に大神殿に寄進されるそうです」


全員が顔を見合わせて喜びに沸き合った。


「それならば、我らが急いで国境まで迎えを」

「そうです、盗賊に襲われでもしたら大変ですから」

「民の中から屈強な信徒を選び、迎えに行きましょう」


その言葉に、大神官はふふふと笑った。


「いいえ、その必要はないでしょう。

 荷は明日にでもマッカラ王国を発ち、屈強な護衛付の荷駄で動くので、

 祭りの三日前に到着する見込みだそうです。

 更に、先導は砂の一族が務めるそうですので、

 盗賊の襲撃など、まずもってないでしょう」


その言葉に、さらに神官達の目が希望に輝いた。 

ただ一人、巫女姫と呼ばれる老婆を除いては。

彼女はしきりに首を傾げていたからだ。


「それは喜ばしいことじゃが、その内容のどこに笑う要素があるのだ?」


「彼の方曰く、これらの寄進は、正式にはマッカラ王国からではなく、

 此度の王の選抜に参加される第三王子からの寄進とされるそうです」


「ほう、そうきたか」


その言葉に、喜んでいた神官達が目に戸惑いを見せた。


「あの、それでは、あの噂は本当だったということでしょうか」


戸惑いの問いを口にする神官達に、大神官は微笑んで答えた。


「はい。此度、マッカラ王国のあのお方の後援をうけて、

 王の選出儀式に参加する4人目の候補者がやってくるそうです。

 先代王の非嫡子にあたる第三王子だそうです」


第三王子。


秘された先代王の遺児。

その噂は昔からあったが、ここにきて真実となるということか。

神官達の眼差しに揺らぎが見えた。


「そんな、では・・・」

「本当だったのか。ならば・・・」

「では、どうしたら・・・」

「しかし、あちらの・・・」


神官とて人の子。選択肢が増えれば、その分迷いも増えるのやもしれない。

大神官は、皆の不安を取り除くべく、態と明るく応えた。


「なにも難しく考える事はありません。

 我らはいつも通り、女神と支援者に感謝して供物を受け取るのです。

 心を込めて、お迎えいたしましょう」


大神官のお付きの侍従が、パンパンと手を叩いて皆の注目を集めた。


「そうです。ここで騒ぐことではありません。

 第三王子の支援は水100樽と十分な食料。なんと喜ばしい。

 女神と彼らに感謝の祈りを捧げましょう。

 ですが、まずは、第三王子御一行に急ぎ宮を用意しましょう。

 手が空いているものは、北の宮の掃除に取り掛かって下さい」


神官達は、ほっと顔を緩めて頷いた。

巫女姫の傍で控えていた巫女の一人が、恐る恐る手を挙げた。


「あの、北の宮は、現在、巫女姫様のお住まいなのですが」


巫女姫と呼ばれる老婆は、笑って手を振った。


「構わぬ、私が他の部屋を使えばよい」


「ですが、他の宮と言われますと、

 東はサマルカンドの王一行が入ってますし、

 西の間はファイルーシャの王一行が、

 南はラドーラ領主一行がすでに入ってますが」


「いや、そうではない。

 私は二間しか使っておらぬしゆえ、

 北の宮で空いた部屋を使えばよいということよ」


巫女姫のお付きの護衛が、不満げに口を尖らせた。


「ですが、警備の面で、客人達と巫女姫が同じ宮というのは不用心です。

 我らの大事な巫女姫に何かあれば、大変なことになります」


いい年をした大人が、子供の様に文句をいう姿に、巫女姫は軽く笑った。


「それならば、彼らが逗留している間は、私は奥の祈りの間に篭ることにしよう。

 あそこなら問題はあるまい」


祈りの間は大神殿の中央の位置し、この禊の地下祭壇の真上にある場所だ。

何重もの扉に阻まれた大神殿の礼拝堂。

その礼拝堂の中二階に、巫女姫専用の祈りの部屋があるのである。


傍仕えの巫女や護衛達が了承するように頷いて、

侍従は干からびた手をパンと叩いた。


「巫女たちは、巫女姫の荷物の移動を。

 セプア、ミトス、客人が訪れる前に、全ての部屋の点検を厳守しておくように。

 ほかの手の空いたものは、北の宮の掃除にかかってくれ」


その言葉に重なるように、巫女姫と呼ばれる老婆は傍仕えに言った。


「私はここでもう少し女神に祈りを捧げるつもりだ。

 水の寄進が届くまで、もうすこしかかるのでな。

 少しでも水の余裕を持たせておきたい。大神官よ、一緒に祈りを捧げてくれ。

 お前たちは先に上に行って荷物を運ぶ準備をしておくれ。

 祈りが済んだら大神官と一緒に上がるので、心配ないだろう」


巫女達と神官達は、水の入った水瓶を担ぎ、それぞれの荷物を手に、

地下からの階段を上り始めた。

その背中をせかすように、侍従の甲高い声が聞こえた。


「いいですか、皆さん。 隅から隅まで綺麗にみがく用に。

 私たちのもっとも大きな支援者となるかも知れないお方ですからね。

 くれぐれも失礼のないように。いいですね」


彼らがいなくなった場所に残るのは、大神官である白く長い髭を持つ背が高い男と、

巫女姫と呼ばれる小さな白い髪の老婆だけだ。

人の気配がなくなったことを確認すると、老婆がふうっと息を吐いた。


「それで?なにが可笑しかったのか?」


「可笑しかったのは、ヨシュアが書いてよこした文章そのものですよ。

 なんとも即物的だと可笑しくなっていたら、

 神官達の反応が、ヨシュアの書いてきた通りなもので、それが可笑しくてつい」


「即物的? なんじゃそれは」


「端的に省略して説明すると、最も効果的な人心掌握術は、欲に訴えることだと。

 そう書いてありました」


「省略?なぜじゃ? いや、欲とは、なんぞや?」


首を傾げた巫女姫に、大神官はゴホンと一つ咳をした。


「王の選出儀式を行うに、候補者達は女神への寄進をするのが習わし。

 第一王子、第二王子からの寄進は、高名な武具や高価な調度品、

 金銀や宝石をふんだんにあしらった華美な装飾品や、

 珍しい色合いが美しい布や高価な香辛料と言った所謂贅沢品。

 ラドーラの次期領主殿は、儀式に臨む者としてではなく、

 あくまで神殿に領主の権利を主張するためにとの意味合いなのでしょう。

 儀式に必要な聖油に干し果実、酒と香料が寄進されました」


「ほう、それぞれに思惑が入った物というわけか」


あのラドーラの若鷹に、どこの誰だかが入知恵したのだろう。

間違っても王に相応しいとは言われぬように、だが、

領主への拝命をお願いするに失礼がないように。

そういう意味合いが取れる。


「ええ、過去の儀式を顧みても、十分な寄進だとは思います。ですが」


聊か困ったように苦笑する大神官に、巫女姫はしかと頷いた。


「そうじゃな。今のこの街や神殿が求めているものは違う」


「ええ、寄進の内容を聞いた神官達の様子をみれば、一目瞭然です。

 今の我々が何よりも求めている物。それは水と食料です。

 そんな中、第三王子と名乗る新参顔が、水100樽と十分な食料、

 そして、マッカラ王国からの確かな支持を背負ってやってくるのです。

 神殿と民の支持は、一気に第三王子のものとなるでしょう」


「先程の神官共の様子をみてもそれは明らかだろうの」


あと数日待てば、溢れるほどの水と食料が届くのだ。

寄進という形ではあるが、100樽あれば、神殿に住まう者達だけでなく、

水を求めて神殿にやってきた民達に施しが出来るだろう。

彼らの表情は一気に明るくなった。


「実は、笑ったのは、それだけでなくてね。

 第三王子は、なんと、彼の支援者を引き連れての訪問となるようです。

 寄進用の水100樽と食料の他に、様々な行商人も一緒に来るそうです。

 彼らは祭りを賑わせる為、新たな王を寿ぐ為に、

 街のあちらこちらの店舗をすでに借り受ける契約を済ませているそうです」


「行商人? 支援者もそうだが、随分早手回しではないか」


今回の祭りは大きいが、諸事情により祭りに出店する店舗は多くない。

特に、飲食関連は買い手も売り手も、全く足りてない状態だ。

空き店舗はすぐに見つかるだろうが、すでに契約を済ませているとは。

先んじて何かあるのかと疑いたくなる。


「更には、炊き出しをするので、大神殿の許可をよろしくと無心された」


「は? あのヨシュアがそなたに無心? その手紙でか?」


明らかに驚きを隠せない巫女姫に、大神官がにっこり笑った。


「ヨシュア曰く、飢えている民は動物と変わらない。

 そんな民には、正式な王だの女神だのと浅学を垂れるより、

 腹で覚え込ませるのが一番手っ取り早いであろうと。

 第三王子の名で、神殿の後押しで、大体的に炊き出しをするらしい」


巫女姫の頬がひくりと引き攣った。


「ど、動物」


今のレナーテの街は、祭りに集まった人達の好景気とは裏腹に、

水と食料を求めてやってきた民達があちらこちらに倒れていた。

言い方や目論見は兎も角、飢えた彼らに施しが出来るのであれば、

それはそれでいいだろうと、巫女姫は不満の言葉を飲み込んだ。


「相変わらず、ヨシュアは歯に衣を着せない文章を送ってよこすものだ。

 読んだ途端に、私は笑いと共に、背中に冷汗をかいたよ。

 女神信仰の柱である私に、このような言い回しで願い事をしてくるのだから。

 本当に困ったものだ。私が端的に省略と言った意味が分かったかね」


「あ、ああ、そ、そうだな。さすが大神官だ」


あれは、もともと神だの女神だのと言った存在に疑問を持っていた。

ならばこその言い様だろうとは思っているが、余りにもあけすけだ。

親しき仲にも礼儀ありという言葉が、頭にちらついた。


「まぁ、ヨシュアの狙いは、他にもあるだろうね。

 万が一という観念から、女神に第三王子が選ばれなかった場合、

 民の力で彼を守るつもりなのだろう。

 新しい王が、彼を害すことが出来ぬ様に、

 民の支持を目に見える形で示すつもりだろう」


神殿で仕える者として、女神の力を信じていないわけではないが、

欲深い人の闇に飲み込まれた運命の女神は、時に非情な結果を齎すことがある。

女神が守っていた嘗ての王が、弑逆された時の様に。


「そ、そうか、流石はヨシュアだ。

 先の先まで見通す眼力も、それを理解するそなたも大概ぞ。

 で、ヨシュアは、いつこちらに来るのじゃ」


なんだかんだ言って、お互いに解りあっている馴染相手だ。

巫女姫の知らぬうちに互いの思惑を理解し、笑って受け入れているところに、

ちょっとだけ疎外感を感じていた。

 

「いや、残念ながら、ヨシュアは今回は留守番らしいよ。

 まぁ、彼が動くとマッカラ王国や周辺国が兵を出しかねない。

 それを危惧しているのだろう」

 

巫女姫は、眉間に縦皺をつくり、口を横に引き絞った。


「アマーリエ、そんな顔をすると、ヨシュアに嫌われるよ。

 そなたは気に入らぬかもしれないが、手としては悪くない」


久々にその名前を呼ばれた巫女姫は、苦々しい顔を緩めるために頬に手を当てた。


「真に王となるべき人間が、奇策を用い大勢の人間に阿るなど聞いたことがないわ。

 そうであろう、ジーク」


頬を引き攣らせながら笑うアマーリエに、大神官のジークは苦笑した。


「ああ、そうだね。だけど、口には気を付けて。

 だってそうだろう、彼が王となるかは、まだ決まってない。

 

 なにしろ、副神官長達があの男を王に押すのは無理ないからね。

 有能で知られたラドーラの領主は、実は先々王の落とし種だったと解って以降、

 この神殿の約半数が、彼を王にという方向に向かっている。

 何しろ、次期領主でその実力を自他ともに認められていると噂の息子は、

 血筋も評判も、王としての資質を持つに相応しいと思わないはずがない」


ジークは白くなった髭先を指で削るように撫でる。

これは、ジークの昔からの癖。


「だが、本人がその気はない」


アマーリエは祭壇を見つめ、祭壇にある白い大きな石を見つめた。

やる気がない王を王に据えたとて、よい結果は得られないであろうと言いたいのだ。


女神が本当に民の為に王をよこしてくれるのならば、

ラドーラの民と領地を守るべく育ち、それ以外は知らぬという男は論外だろうと思う。


調査ではラドーラの民は、次期領主グレンを殊の外敬愛しているらしい。

わしらの若様と、誰もが嬉しそうに口をそろえて言っていたと聞いた。

グレンも、ラドーラの民は愛するが、たとえ王に選ばれても他は知らんと、

最初から頑として聞く気がない様子だと服神官長が困った顔をしていたのを思い出した。


そもそも、一度決めたら頑固なまでにその考えを変えない。

砂の一族の気質をそのまま受け継いだグレンは、王には向いてないと、

アマーリエは散々言ってきたのだ。


「ああ、そうだね。本人はラドーラ領主以外になるつもりはないらしい」


そんなアマーリエの意図はわかっているとばかりに、ジークは、ふぅっと長い溜息をついた。


「ならばそこは」

「今の我らには優秀な王が必要なのです。わかっているでしょう」


怯んだアマーリエに厳しい声でジーク大神官が言葉を遮った。


「ああ、わかっている。 儀式で女神の力を真に受け取れる者が王となる。

 例え、本人が望んでいなくとも、女神が望むならば、本人に選択肢はない」


苦々しげに口に出したアマーリエの言葉は、明らかに女神の意図をけなすもの。

人では決して及ばぬ何かに操られるを良しとしない。

頑固なまでの砂の一族に気質をこのアマーリエも持っていた。

そんな彼女の気質を愛すべきものと微笑みながら、子供に言い聞かせるように、

ジークは物事の道理をいつものように説いていく。


「そうです。我々ができることは、

 女神のお力が正しき方向に向かうと信じるしかないのです」


ジークのよく知る先生のような表情に、アマーリエは手を軽く振って皮肉を込めた。


「ゆえに、明らかに偽とわかっていても、我らは黙ってただ受け入れろと?」

 

ジークは深く頷いて、アマーリエの手を取ってその甲を撫でた。


「そうです。偽王と呼ばれている二人の王とて、可能性は無きにしも非ずなのです。

 なにしろ、本人たちは王の子だと主張しているのですから」


アマーリエの目が驚きで見開かれた。


「待て! あの二人には、王たる印はないのであろう」


ジークは面白そうに肩をすくめた。


「ところが、彼らの体には王の血筋を示す痣があるそうだよ」


アマーリエは、記憶を辿るように額に指を置き、反論した。


「は? なんじゃそれは。

 彼らが生誕した折に、先代の大神殿の長が確認しておるではないか。

 その時の記述には、背にも腹にも頭にも、そんな印はなかったと。

 蒙古斑のまちがいではないのか?」


興奮してきたアマーリエの背中を、ジークはどうどうと軽く叩いて慣らす。

余り大声を出すと外に控えている護衛に気づかれる恐れがあると遠回しに言いたいのだ。


「彼ら曰く、先代の大神官は老齢だった故、小さな痣を見逃したのであろうと」


ジークの気遣いも虚しく、アマーリエは誰かに聞かれることも厭わず叫ぶ!


「そんな馬鹿な!」


さすがにその声は大きすぎたのか、ジークはとっさにアマーリエの口を塞いだ。

外から護衛が申し訳なさそうに声をかけてきた。


「大神官様、巫女姫様、いかがなされましたか?」


ジークは、階段上がった先の扉の向こうで顔を覗かした護衛に何でもないと笑って答えた。


「問題ないよ。巫女姫のいつもの癇癪だ。

 ああ、そうだ、少し力を使いすぎて疲れているようなので、

 傍仕えに甘味を少しだけ用意するようにと、伝えてくれるかい?」


「はい。了解しました」


護衛は、ホッとした顔で頷いて、扉を閉めた。

口を押えられたままのアマーリエは、乱暴にジークの手を払い落とした。

そして、もちろん小声で文句を言い返した。


「だれが、癇癪持ちだ!いつまでも子供扱いをするでない!」


「そんなところがねぇ。それより、正直な話、彼らを拒否することはできないんだよ。

 なにしろ、彼らの出生の際に取り上げた乳母も神官も、すでにこの世にはいない。

 これが生来の印だと声高に叫んでいる彼らに、違うと言い切れる要素がないのだよ」


話題をもとに無理やり戻したジークに眉を顰めるも、

アマーリエはイラつきを抑えるべく、ぎゅっと服の端を掴んだまま反論した。


「ふ、ふん、自分達で附けたに違いないわ。

 信じられぬと突っぱねてしまえばよい。

 女神の使徒たる我らが、偽者を持て成すなど、愚の骨頂ではないか」


偽王を抱く連中などはさっさと放逐し、真なる王の選定だけをすればいいと、

アマーリエが何度も言っていたのは知っている。

だが、偽王を抱く彼らとて馬鹿ではない。

彼らは人を簡単に殺めることができる力を持ち、狡猾で、ずる賢い存在だ。

大神官としては、王が無事選定されるまでは、誰にも儀式を邪魔させるわけにはいかない。

ゆえに、全てが終わるまで問題が起こらないように、大神殿を恙なく差配するのが、大神官としての務めである。


「アマーリエ、君は幾つになっても直情的だね。

 だけど、この神殿の大神官として、それはしないし、できない。

 我らは、儀式を最後まで行う使命がある。

 この機を逃せば、恐らく我が王は永遠に失われる。

 我らの生きてきた意味が消え、死んでいった哀れな同胞が永遠に報われない」


大神官らしい厳しい顔で、ジークはアマーリエを見据えた。


「大神官ともあろうものが、逃げ腰をよしとするとは情けないわ」


そんなジークに、もはや言うだけ無駄だと解っているのであろうが、

ついぞ口上を述べてしまうアマーリエであった。


「情けない? そうかもしれない。

 だが、3人の候補者の力はいずれも拮抗している。

 どこをつついても、無事で済むはずがない。そうだろう」


ジークの言葉に、現在、この北の神殿に逗留している候補者3人と初顔合わせの印象を思い出した。


武力と恐怖で民を支配し常に血を求める傲慢で冷酷な男。

この男は、人を人とは思っておらぬ。


金と女を抱きしめて高笑いし、人を値踏みするような目で見た狡猾な奴隷王。

神殿の若い巫女を舐めるような目で見ていた。


精悍で爽やかな風を纏わせる、ラドーラの若獅子。


初の顔合わせで見た顔は、どれもこれもアマーリエの理想から大きく外れた者だった。


どれもこれも、アマーリエにとって王たるに相応しい者だとは思えなかった。

だが、どちらも大きな権力を、力を有してきた者達だ。

この国における彼らの影響力はそれなりに多い。


「そんな猛者の中に参戦するんだ。

 ヨシュアが用心するに越したことはないだろう。

 だからね、炊き出しの許可状を用意するよ」


アマーリエにとってヨシュアの名前を出せば、印籠を出されたごとくにアマーリエが黙る。

そのことを、ジークはよく知っていた。


「わかった。 だがのう、王たる威厳というのは」

「この場合は、威厳より、まずは命が大事だよ」

「う、うむ」


さらに意見を掘り返そうとしたアマーリエの言葉を、ジークが遮った。

そして、話題にしなくてはいけないもう一つの問題を尋ねた。


「話は変わるけど、君が預かっている彼女は、祭りの前にあちらに返すのかい?

 随分と物騒な脅しをかけられているみたいだけど」


春を思わせる柔らかな眼差しで、大神官は物騒な事柄を口にする。

同時に、光で溶けてしまいそうな儚さを併せ持った、彼女を思い浮かべた。


「いいや、禊が行えぬゆえ、祭り当日まで私が預かるつもりだ」


ぎりぎりまで保護するであろうとは思っていたが、まさか祭り当日までとは思わなかった。そんなことをすれば、あれらが何をこの神殿にするか、まさかわからないとは言わせない。ジークが、考えを変えるよう説得をしようとしたが、今度は逆にアマーリエに遮られた。


「禊は、本宮の沐浴場で行うんだよね。それなら」

「いいや、本宮の沐浴場は壊れておる」

「・・・うん、わかった」


きっぱりと言い断るアマーリエに、ジークは両手を挙げた。

今まで、多くの虐げられた女性達を保護してきた巫女姫。

彼女にとって、懐に逃げ込んだ小鳥は、何をおいても守るべき存在なのだろう。


「もともとの奴らの狙いは、儀式に必要な王家の血筋を引く乙女としての彼女だ。

 欲にまみれた男共にいいように扱われたのでは、巫女としての神聖が落ちる」


彼女に聞いたところ、欲深く女癖の悪い男が彼女を欲しているらしい。

巫女は清めの為、男の手が決して触れぬところに置いておくのが最善だと言えばいい。

つまり、巫女姫の下に。


「解りました。彼らには、祭り当日まで、

 巫女姫が責任もって預かると言っておきましょう」


確か、第二王妃は確か、商業部族ジルアの長の娘だった。

ジルアの王は、この大神殿の大きな支援者の一人だ。

それを絡めてなんとか言い含めようと、頭の中で言い訳を幾つも並べ始めた。


「ああ、よろしく、ジーク」


嬉しそうに笑うアマーリエに、ジークは気は進まないが釘をしっかりと刺すことにした。


「だけど、祭り当日は、彼女は王の元に帰らねばならない。

 それはなぜだか、もちろん君はわかっているね」


アマーリエの笑顔が凍る。


「・・・ああ、わかっておる」


アマーリエは、凍った笑顔のままで目を伏せた。

ジークは彼女の心を慮った上で、来るべき確定した未来を語る。


「すべては女神の為に、我らが王が再びこの地に立つために必要な犠牲。

 情を移し過ぎると君が辛いよ、アマーリエ」


犠牲の単語に顔を互いに顰めるが、アマーリエは希望を捨てきれぬとばかりに首を振った。


「・・・もう遅い、ジーク。私は、もはやあの子を見捨てられぬ。

 だが、そなたも知らぬ女神の使いがくるはず。

 彼の者が動けば、まだ希望はあるやもしれん」


アマーリエの予言で現れたはずの女神の使い。

本当に、存在するのだろうかと、半信半疑で問う。


「・・・本当にくるのですか? その女神の使いとやらが。

 それは、どういった存在なのでしょう」


もし来るなら、どんな容姿でどういった者なのか、詳しく知りたかった。

だが、アマーリエはがくりと肩を落とした。

 

「解らぬ。私の力はもはや、次の満月の水呼びの儀式に使うだけしか残ってないのだ。

 あれから何度か呼びかけたが、神の力の余波なのか、妨害が入って連絡が取れぬのだ」


彼女が女神の使いのことを告げたすぐあと、

この地に最後に残っていた貯水湖が干上がった。

アマーリエは、力の及ぶ限りで、雨呼びを幾度となく行った。

今のアマーリエには、力の余力はほとんどない。


そして、元は神殿の保護を求めて逃げてきた怪我をした哀れな小鳥。

執拗な追手により両目を失って尚、主を守ろうとその身をすり減らし、

主を呼び寄せるための囮として、現在、鎖に繋がれている。


主である彼女は、どうあっても罠に自ら飛び込むであろう。

アマーリエでは、止められない。


「アマーリエ、女神の使いへ希望を持ったとて詮無いことですよ。

 人は、女神の駒。小さな箱庭の傀儡。

 女神の使いが現れたとて、其の者も結局は女神の手のひらの上で踊るだけ。

 我らは女神の歯車にしか過ぎないと、先代の大神官様はおっしゃった」


「ああ、そうだ」


二人は目を見合わせて、互いに苦笑した。


「すべての運命は月の女神の裁定に委ねられる。

 来るべき儀式の日に、私たちは心から女神に祈りを捧げましょう」


いつも言っている大神官ジークの言葉に、

アマーリエはもはや返事をしようとは思わなかった。


時は刻々と迫っている。

人の力で女神の手のひらが逃れることなど出来はしない。


二人は、階段を無言で登っていく。


その後、誰もいなくなった地下祭壇の石が、唸りを挙げる様にブオンと震え、

しばらくしたら止み、またもや震えるを繰り返した。

だが、だれもその異変に気付く者はいなかった。


 


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