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箱をあけよう  作者: ひろりん
西大陸砂の国編
237/240

こうして誘拐されました。

最後の数行はメイの視点?(思考)です。

空は青く、雲は薄く細く棚引く。

その雲の間を縫う様に、トンビがピーロロロロロと飛んでいた。


「あ~、長閑だなぁ。平和って言っちゃあそれが一番なのは解っているけど、なんだかなぁ」


門を警備する兵士の一人が空を見上げこうつぶやくと、同僚が隣で小さく欠伸をした。


「ふわぁぁふっ、そうだなぁ、いつもの事だと解っちゃいるが、だれるよな」


兵士たちがちらりと門の内側を除くと、

入国待機所にはそれなりに人がいて忙しそうだが、

自分達が守る出国待機所には誰もいない。


一般的なマッカラ王国への道は、一本道ではあるが、

急勾配故の事故を避けるために、

ぐるりぐるりと山を回りながら降りるような道筋である。

その為、正攻法で下山するにはそれなりに時間が掛かる。

よって、出国待機所は早朝から昼時までがピークで、

昼過ぎから夜半にかけて出国する人間は殆どいない。


「楽といえば楽だけどよう」


「そうそう、こっちの当番の、この時間は、もう暇過ぎて暇過ぎて」


そういいながら、彼は再度湧き上がってきた欠伸をかみ殺す。


「贅沢な悩みかもしれんが、こう暇だとなぁ。時間が経つのが遅いっていうか」


「ああ、いっそ何か起こってくれないか、なんてな」


立っているだけというのも、意外に辛い。

そういいたいのだろうが、その希望は意図しない形ですぐに叶えられる事となった。


「お前達、もっとしゃきっとしろ。だらしない。

 仕事中に欠伸などもってのほかだ。弛んでいるぞ。

 お前たちのような者がいるから、

 兵士など碌に働きもしない無駄飯食らいと言われるのだ」


その声に振り返った門番二人は同時に、ゲッと喉を鳴らした。

どこそこの賢者の孫にあたる、副長を任じられている男だ。

明らかに縁故採用であるこの男は、とにかく文句を言いたがる。


「そもそも門を司る要ともいうべき総長からして、

 平民出身の学の無い男なのが問題なのだ。

 いくら腕っぷしが強くても、脳まで筋肉だとねぇ」


門兵は国の最後の砦。

よって、最終的には体力勝負なところがあるので、

それなりに筋骨たくましい見かけで、荒事もこなせる者が雇用される。

だが、目の前の男は細く薄い、ひょろっとした体躯で、

吹けば飛ぶとまではいかないが、力仕事には全く向かないのが目に見えてわかる。


事実、荒事が起これば、彼は真っ先に休憩室がある門横の塔に隠れてしまう。

だが縁故採用の為、彼の階級は『副長』である。

まぁ、副総長付の助手と言った役職である。

この役職は、主に役に立たない縁故採用者が就く為につくられた役職らしい。


彼の仕事は主に、門での書類整理やちょっとした雑事を任されているだけだ。

力仕事は出来ないのだから、自分の仕事だけをしてほしいと副総長がいうと、

決まって文句をいう。

こんなつまらない仕事ではなく、もっとやりがいのある仕事がしたいと。


向上心があり働く意欲があるといえば聞こえがいいが、

要はプライドが高く頭でっかちのお坊ちゃんが年を食っただけの、

使えない面倒くさい邪魔くさい男である。


総長は、勝手に言わせとけ、どうせ何もできんと放置気味であるが、

上司面で愚痴と文句を言ってばかりの副長に、どの兵士もげんなりしてしまう。


嫌な奴が出てきたなぁと思ったが、なんとなく予測はしていた。

本日は10日に一度の総長の休息日だ。

副総長も、本日は王城出仕予定の為、今はいない。

当代の総長は過去に傭兵や戦争を体験してきている強者で、

普段はだれているが、決める時は決めるという、

それなりに頼りになる男だ。勘も見識も鋭く、腕っぷしも強い。

人を従える気風を自然と纏わせている男だ。

副総長は、行政機関のお偉方や、揉め事や交渉事が上手い。

総長の懐刀と評判が高い。


そんな総長、副総長の両者を苦手としている目の前の文句男は、

いつも彼らがいない時を見計らって現れる。

だから、今日も絶対に現れるだろうと思っていた。


「そもそも、私のような機知に富み常識を弁えた優秀な男が、

 なぜこのような所で、このような些事を毎日行わなければならないのか。

 上に立つ者に先見の明が失われている様で、甚だ遺憾だ」


そういってわが身を嘆くのは何度目か。

相手にすると文句はずるずる続くので、いつもの様に門番達は聞いてるふりだ。


「はぁ、大変ですな」

「そうですか、そうですか」


兵士の誰一人として、彼の言うことを真面目に聞く者はいない。

ということに、目の前の男は気づいているのかいないのか。

今度は、欠伸の代わりに小さなため息が出そうだと二人は思った。


「あと、交代までどのくらいだ?」


こそっと一人が呟くと、もう一人が肩を竦めて答えた。


「まだあと一刻もある。これも仕事の内さ。耐えようや」


聞こえないように呟いていただけなのに、聞こえていたようだ。


「ちゃんと聞いているのか! AとB!」


とんだ地獄耳かもしれないが、AとBと言われた兵士達はそろって首を傾げた。


「なんですか、そりゃ」

「副長、名前を覚えてないからって、余りにも適当すぎやしませんかね」


彼らにもきちんと名前がある。

別に、目の前の男に個人的に名前を呼んでもらいたいとは、欠片も思わないが、こう適当に綽名らしき敬称を付けられると、こっちだって愚痴の一つもこぼしたくなると言うものだ。


「う、うるさい。お前達のような有象無象の者共は、AとBで十分だろう」


目の前の男が、部下の名前を憶えていない事がこの場で判明した。

が、彼らとて、副長の名前を覚えていないのでお相子であろう。

彼らはお互いを見合い、小さく肩を竦めた。


「そもそもだなぁ、お前達の上司を敬う心が薄いのが原因であり、

 私が卒業した頃は、・・・・・・」


ぐだぐだと上司の昔話が始まった。

これが始まると長いんだよなぁ。


所で、この副長の名前って、何だったけ? 

仕事が終わったら、今日はアイダの店にいくかな~


兵士達は、この苦痛から意識を逸らせるために、どうでもいい事を考える。

ちらりと顔色を窺うに副長の話は、最高潮に一人で盛り上がっている。

こちらは早く終われと、じりじりと鬱積が積もっていくのに。


そんな中、城から門に至急の鳥便が届くのを目の端で捉えた。

彼らの背中に、一瞬で緊張の糸がピンと張られた。


「おい」

「ああ」


目の前で未だに文句を言っている男を無視して、真剣な顔で二人は頷いた。


「副長、城から至急の連絡が入ったようです。

 お話を中断いたします。こちらが優先ですので」


一転して雰囲気が変わった事に気が付いて、男の文句が止まった。

一人が男に説明をし、一人が門塔の最上部の鳥の止まり木に向かって走った。


鳥の足に付けてある伝聞を確認して、急ぎ門に取って返す。

指令書の送り主は、ミーア執政官。

国を動かす3人の執政官の一人だ。


「誘拐事件発生。不審人物が出国する気配あり。十分に精査し事にあたるべし」


兵士達が、指令書の内容を確認後、入国待合所の人間に声をかけようとすると、

副長がそれを止めた。


「おい、それは出国に関する指令書だろう。

 なぜ、入国事項を担当している門兵に声をかける」


こいつは馬鹿なのだろうか。そう思いながら彼らは答えた。


「これは門全体で知り得なければならない事項です。

 すぐに総長、副総長に連絡を」


「執政官の早便です。以前の様に、大きな案件になるやもしれません」


以前、賢者の塔の優秀な学者数名が他国の者に拉致されるという事件が発生した。

誘拐犯どもは、そのまま門を通りぬけようとして、

門前で、総長、副総長や沢山の兵士相手の大暴れで、結果、大捕り物となった。

あれが再び起こるのであれば、それなりの布陣で臨みたいと解るはずだ。


なのに、二人の言葉を遮る様に、副長は片手を大きく開いて持ち上げた。


「待て!待て待て!総長、副総長は折角のお休み中だ。呼ぶことはない」


何を言うのか、この男は。


「しかし、こういう場合、我々を統率する司令官がいないのでは」

「そうです、手数の確保という意味でも、あちらにも知らせないと」


訝しげに眉を顰める二人に、男は鼻高々に胸を張った。


「私がここにいるではないか。この知性溢れる有能な私が。

 手数が少なくとも、私が指揮すれば問題ない」


二人の首が一斉に傾げられる。こいつが司令官? 


ムフンと鼻を鳴らして、副長である男は腰の皮袋をポンと叩いた。

皮袋の中には、彼の叔父が発明した超強力催涙玉が入っている。

悪漢共を一網打尽に出来る道具を、特注で作ってもらったのである。

これがあれば、力自慢な馬鹿共など恐れることはない。


「大丈夫だ、いざとなったら我に秘策ありだ。問題ない」


鼻息荒く胸を張る。


学の無い平民の、力だけが自慢の総長が出来る事ならば、

自分にだって出来るはずだ。

いや、自分ならもっと効率よく物事を進められる。

私が取り仕切って、無事事件が解決すれば、

執政官の覚えもよくなり、私の出世は大いに開けるだろう。


妄想の翼が、ラゼロを心地よく羽ばたかせていた。


大丈夫かこの男?無理に決まっているだろう。

馬鹿副長は放置して、すぐに総長、副総長を探しに行こう。

そう結論づけた二人が動こうとしていた所で、ラゼロが止めた。


「おい、お前達は門兵なんだから待機場所を離れるな。

 いいか? 総長達を呼びに行くな。これは命令だ!

 職務不履行で首にされたいのか」


ラゼロが唾を飛ばしながら二人を叱責していたら、大柄な影が見えた。


現れたのは砂の一族の目印である黄色のターバンを付けた屈強な男達。

彼らの中央にあるのは、大きな長方形の木箱と油壺と旅荷。

それを厳重に縄で括り付けた馬たち。

総勢10名からなる一団だ。二人はゴクリと唾を飲み込んだ。


もしこいつらが誘拐犯ならば、自分達では止められない。

そう悟って動こうとしたら、目の前を副長が軽やかに立った。


「私は、ここの責任者であるラゼロ・リッチカンドだ。

 出国には、正規の書類と厳しい検査が義務つけられている。例外はない」


あ、そういえば、この馬鹿副長はそんな名前だった。

だが、今はそんなことを考えている場合ではない。

こいつらが不審人物かどうかの見極めが、

果たしてラゼロに出来るのだろうか。

彼らの不安は尽きない。


意気揚々と声を張り上げた副長を前に、

一人の男が、すっと出てきて笑顔で頷いた。

 

「もちろんでございます。私どもに否やはございません。

 どうぞご存分にお調べくださいませ」


男が後ろを振り返り小さく頷くと、男たちは荷物を全て解いていく。

長方形の木箱とやや大きい3つの油壺以外は、

すべて検査台の上に乗せられる。

ラゼロの命令で門兵二人は、荷物の検査を始めた。


物騒な武器に、水袋に数日分の食事、本に地図、毛布に野営道具などなど。

護衛なのだから武器は解るが、その他に怪しい物は出てこない。

果たして、彼らは普通の出国者なのだろうか。


並べられていく荷物に、従順に従う護衛達。

殊更に丁寧な態度で応対する代表の男。

それらを見て、ラゼロはふと思った。


嫌に素直だ。この素直さは、逆に何か企んでいるのかも。

だが、それをすぐにラゼロの中の誰かが否定する。


いやいや、そうではない。

こやつ等は、私の隠れた威厳に恐れをなし、敬服したのであろう。

そうだ、そうに決まっている


それに、砂の一族を護衛に連れているということは、

それなりに金と権力をもっている輩に違いない。

こいつらが誘拐犯でなく、普通の出国者であったとしても、

上手くいけば、それなりにいい思いができるかもしれない。


ラゼロは、そんな考えに至ってほくそ笑んだ。


「おい、例外はないといったはずだ。それらの荷物も全部下ろせ」


彼が差し出した書類は、正式な出国許可書。

そして、荷は葬礼の為に必要な物と書かれている。

つまり馬の上に括り付けられているのは、副葬品と棺だと普通なら解る。


許可書をちゃんと見たにもかかわらず、その荷を下ろせという。

男は、小さく苦笑いをした。


「申し訳ありません。

 これらの荷はここで封を開ける訳にはいかないのです」


思いがけず反論した男に、ラゼロは顔を顰めた。


「この俺が、調べると言ったのだ。反抗するなら出国は取りやめだ。

 お前達、怪しいぞ。もしや、誘拐騒ぎを起こした不審人物ではないか?

 もしそうなら、今すぐ取り押さえて警備隊に突き出すぞ」


その言葉で、護衛幾人かが殺気を一瞬で纏わせた。

門兵二人の背がぶるりと震えたが、ラゼロは鈍感なのか気が付きもしない。


ラゼロは、本当に馬鹿なのかもしれない。

誘拐事件を起こしたのがお前達であるなら、正直に名乗れと言って、

名乗る誘拐犯はどこにいるのか。

それどころか、こんな言い様をしたら、どんな相手でも怒ってしまう。


護衛達を宥めるように、門兵二人がラゼロの後ろで小さく頭を下げた。


「申し訳ありません。

 これも規則ですので。どうか従っていただけませんか?」


門兵二人のへりくだった態度に、護衛達の殺気が緩やかに解ける。

代表者の男は、小さく首を振って、悲しそうに眉を顰めた。


「そうですか。仕方ありません。ならば、どうぞ。

 只一つ、申し上げさせていただけるなら、

 死の咢にのまれた我らの主の尊厳を、

 多少なりともご考慮いただけると幸いです」


男は、馬の背に括り付けている長方形の木箱と、3つの油壺を下す様に言った。


ラゼロは、下されて初めて理解した。

長方形の木箱は、白木の棺桶で、

それなりに大きな油壺は死に水だと。


死に水と言うのは、死んだあと体が腐らないように抜いた血液や体液の事だ。熱砂が酷い隣国や故国が遠い場合、死体を無事に持って帰る為に施されることがある。防腐処理の為に、死体は体液を全て抜かれ、数日間かけて薬と香草で焚き染められ、棺桶と油壺に分けて運ばれる。死に水を運ぶ際には、成人男性なら3つ分の油壺が必要であると言われている。


「し、死者の尊厳というが、き、規則は規則だ。

 おい、お前達、な、中を検めろ。まずは、つ、壺の方だ」


ラゼロの指示のもと、壺の蓋を覆っていた皮と紐がゆっくりと外される。

むぅっとした血の香りが、蓋を外さないまでも漂ってくる。

ラゼロは、ごくりと唾を飲み込んだ。


「は、早く開けろ。中を検めるんだ」


門兵は恐る恐る蓋をあけると、赤黒い液体が並々と入っていた。

鉄の錆びた臭いに、生臭い油が溶けたような臭い。

明らかに血だった。それも密閉した壺に入れていたため、

酸化現象はさほど発生しておらず、血の色はやや赤黒い程度。


余りの異臭に、ラゼロはハンカチを口元に充てて、目を逸らした。

本来なら、液体の場合は棒を突っ込み、中に何か隠していないか調べる。

だが、ラゼロはそんな事まで思いつかなかったようだ。

兵達が言葉を発しようとしたら、代表の男が申し訳なさそうに声をかけた。


「残り二つの壺も確かめますか?全く同じものですが」


その言葉に、ラゼロは大きく首を振った。


「も、もういい。解った。壺はもう確認した、問題ない。片付けろ」


「ですが」


門兵Bが、棒を入れて確かめましょうと、言おうとしたら、ラゼロに怒鳴られた。


「煩い!私がいいと言ったらいいのだ。お前達は私の命令に従っておればよい」


門兵達は、それはどうなんだとは思ったが、

確かに死に水は気持ちいい物ではない。

残りを開けなくていいならば、それに越したことはない。


「つ、次は、棺桶だ。釘を抜け」


問題の棺の前に、くぎ抜きを手にした門番が立った。

棺は12か所を丁寧に釘で止めてある。

一本一本を抜くたびに、白木が悲鳴を上げているように音がした。


「よし、抜けたな。では中を確認する。鍵を開けろ」


ラゼロの命令で、男は胸元から小さな鍵を取りだし、

そっとラゼロの耳元でささやく。


「今から棺の鍵を開けますが、場を変えるか、手短にしたほうが良いかと」


ラゼロの首が小さく傾く。


「なぜだ?」


棺桶程の大きな箱を門兵の控室などに持っていくには手狭過ぎるし、

棺桶を自分達の生活のテリトリーに入れるのは、どうも気分が良くない。

だが、検査時間を短くとはどういうことだ。


「実は、主は、生前から親しくし、信じていた男に、

 無慈悲にも酷い方法で、殺されました。

 それが、さぞかし無念だったのでしょう。

 主の苦悶の表情が、死してなお、誰かを呪おうとしているようで、

 私どもも正直恐ろしくてならないのです」


男は、懐からハンカチを取り出して、目元をそっと押さえた。


「え?」


ラゼロの顔が明らかに強張った。


「面倒でも遺体をこうして持って帰るのは、

 実は、呪いをこの国に振り撒かない為でもあるのです。

 ちゃんと聖別して供養しないと、恐ろしい祟りが降りかかるやも。

 嘗て、主の血筋に連なる誰それが起こした死後の呪いで、

 国の半分が死に絶えた伝説があるのです」


ラゼロの顔が一気に白くなる。


「の、呪いだと? そ、そんな非効率的な、いや、非現実を」


書類を見たら、彼らの帰国先は、隣国サマーンの北の都、サマルカンドとある。

サマルカンドは、古い歴史のあるサマーン王国北の辺境の都である。

先日、マッカラ学園に通う彼らの仕える高貴な主が、不慮の死を遂げた。

学生であるのに学ぶ姿勢も見せず、生活態度も横柄で、

いろいろと問題の多い人物だったが、隣国の要人であったことは確かだ。

その不運な主を家族の元に返すべくが、この一団というわけだ。


そのことにようやくラゼロは思い至った。


「そうでしょうね。私もそう思っていました。

 非業の死を遂げた、主の死に顔を見るまでは」


そういって、男は自分の右袖をさっと捲ると、

その皮膚には、内出血のような紫の痣とオレンジ色の斑点が浮かんでいた。


「これは、死に至る伝染病の初期段階の症状です。

 いづれ、私も主の元へ、遠からず侍ることになるでしょう」


悲痛な顔で淡々と話す男とは対象に、

がたがたと小さく震え始めたラゼロは、少しずつ後ずさりする。


「実は、この伝染病ゆえに、出国の手続きに時間が掛かりました。

 普通の護衛には、引き受けていただけず、

 大金を叩いて、ようやく砂の一族の護衛を頼むことが出来たのです」


そういって、男はラゼロに小さく微笑む。

だが、ラゼロの視線は棺桶からはずれない。


「ですので、主の顔は見ない方がよいのではと、ご忠告申し上げたいのです」

 

ラゼロは、ガクガクと首が取れるくらいに首を縦に振った。

そして、今の話が全く聞こえていない門兵Aに棺桶の傍に立つ様に指示し、

門兵Bに床に座って死者が確かに横たわっている事を確認しろと命令した。


「い、いいか、開けるのはほんの少しでいいからな。

 隙間をそっと、開けるだけで、それだけでいいからな。

 し、死者の尊厳の冒涜など、人として、そう、人としてだ。

 し、し、し、てはならない、からな」


門兵Aは、首を傾げながらも頷いた。

だが、Bは反論する。


「しかし、きちんと開けなければ、箱の中を調べる事など出来ません」


そんな門兵に、男はポンと腕を叩いてそっと言った。


「実は、きちんと防腐処理が終わっていないので、臭いが酷いのです。

 先程の瓶よりも、かなり臭います。

 副長様は、それを危惧されているのでしょう」


ぱかっと開けてしまえば、死者が腐った臭いが充満すると言いたいのだろう。

門兵達は、腰布を鼻と口に巻いて、臭いに備えてから頷いた。


「では、開けますね」


「わ、解った」


こくこくと慌てて頷くラゼロの前で、男はにっこりと微笑み、

ゆっくりと棺桶の鍵を外して、その蓋をゆっくりと開けた。

ほんの少しの隙間が開くと同時に、何とも言えない異臭が襲ってくる。


酷い腐敗臭と強烈な薬の臭いが相まって、

門兵やラゼロの鼻と喉に刺激臭となって攻撃する。


そして、見えたのは、きらきらした布の上に横たわる死体らしき塊。

ごくりとラゼロが喉を鳴らした時、不意にガタリと棺桶が動いた。


「ひっ!」


ラゼロが悲鳴を上げ、門兵二人が訝しげに眉を顰めると、

男が棺桶の端に力なく倒れ込んでいた。


「ああ、すいません。急に立ちくらみが」


更には、門兵二人の視線が男に注がれていた時、

棺桶から枯れ木の様に細い茶色い腕が、ぽろりと投げ出された。

その手は、何かを今にも掴みそうに指を丸く曲げていて、

ラゼロの妄想を増長させた。


「ひ、ひぃぃぃ、し、閉めろ、蓋を、今すぐにだ」


門兵二人は、ラゼロの悲鳴に近い指令に眉を顰めつつ、

出ていた手を丁寧に棺に戻し、きっちりと蓋をしめた。

手は、明らかに人の手であり、死体。

それを確認できたので、ここは良しとすべきだろう。

そう二人が結論つけていたら、男がラゼロの傍で小さく呟いた。


「どうやら我が主は、まだこの国に未練があるようです。

 検査に納得がいかない様ですし、ここは、貴方たちの規則通り、

 もう一晩、ここで、貴方たちと過ごしても・・・」


ラゼロは大きく首を横に振った。


「も、問題ない。しょ、書類もそろっているし、しゅ、出国を許可する。

 おい、お前達、は、早く、早くしろ。

 一刻も早く、ここからこいつら追い出せ」


なんて言い草だとは思ったが、男がさっと動いて棺に鍵をかけた。

釘を打とうと門兵Aが近づくと、男は悲しそうにそれを制した。


「釘は結構です。

 どうやら我が主の棺は、貴方の上司の不興を買ったようです。

 私どもは一刻も早く、この国から去り、故郷に帰りましょう」


男の視線を受けて、護衛の男共が素早く動く。

3つの油壺と棺桶が、すぐさま馬に括り付けられた。

そして、いつの間にか全ての荷物を身に着けていた男が、深くお辞儀をした。


「もう二度と、貴方とここでお会いすることはないでしょう。

 どうぞ御達者で。お世話をかけました」


男の丁寧な挨拶にも、ラゼロは口元からハンカチを離さず、

さっきまでその手に持っていた出国許可書を指でつまんで机に置き、

ハンコをおして、ささっとサインをした。

許可書を手渡しする際には、指先でつまんで渡していた。


いくら臭い思いをしたからと言って、失礼過ぎる対応だろう。

そう思って、門兵達が一言物申そうとしたら、

男は、出国の書類と交換に、チャリンと音のする小さな皮袋を、

ラゼロの手に落とした。


ほんの少しだけ、ラゼロの口角が上がる。

そして、ゴホンと咳を一つ吐いて、形式通りの別れの挨拶を口にした。


「ああ、良い旅を」


門兵二人が、ラゼロの背中を何か言いたそうに見つめる。

ラゼロが賄賂を受け取った事もであるが、

出国の検査の全てに置いて納得がいかないという視線だと、ラゼロは思った。


本当に門を開けて彼らを解き放って良いのかと躊躇する二人を見て、

ラゼロはイライラしながら怒鳴った。


「早く門を開けろ。見ろ、次が閊えているんだ」


次と言われて二人が振り返ると、

珍しい事に商人の一団と学生らしき一団の二組が列に並んでいた。


もしかして誘拐犯は、このうちのどちらかも知れない。

指揮を取ると意気揚々だったラゼロは、今は気が抜けたように、

椅子に座りこんでいる。その顔色がずいぶん悪い。


「副長、御気分が随分悪そうです」

「すこしお休みになった方がよいのでは」


今度こそ、ラゼロに邪魔されずに、きちんと精査しなければ。

そう思って、門を開けて、彼らを送り出した。


その後の二組の出国者は、もっと何も問題がなかった。

一つは馴染みの商人で、朝から腹を下した為に出国が遅れたらしい。

持っているものは、商売道具の櫛や剃刀などの小間物で、

大きな荷物は持っていた野営道具のテントのみ。

もう一つは、王立学園の校外実習で、日暮までの短時間の出国となっていた。

軽装装備の先生と生徒数人の団体は、疑う余地もなかった。


その後は、誰も現れない。

彼らの中で、じわじわと最初の男達を疑う心が滲んできていた。


それから一刻を過ぎた頃、ミーア執政官とステラッド乗りのジュノが、

休みであった総長と、城に居た副総長を連れてやってきた。


そこで判明するのである。

やはり、誘拐犯は砂の一族を引き攣れたあの男の率いる一団だったのだと。

怪しいと思ったにもかかわらず、ラゼロが誘拐犯を目の前で逃がした事が。


そうっといつもの様に逃げようとしたラゼロの襟首を、

副総長が遠慮なく引っ張って、怒れる総長の前に連行した。


「怪しいと一度でも思ったんだったら、増援を呼んで捕縛するか、

 俺か副総長が戻るまで、門で止めておくのが通例だろう。

 なぜ、きちんと検査をしようとしたこいつらを止めた。

 なぜ、そんな勝手な事をした。お前には常識がないのか!」


怒る総長は鬼にも負けないくらいに恐ろしい。

ラゼロは総長の余りの剣幕に、顔を真っ青にしてブルブルと震えていた。


「奴らの様子だとか、何を話したとか、

 言いたいことがあるなら、言った方がいいですよ」


副総長の突き放したような言い方に、ラゼロはこくこくと頷いた。


「あ、あの、し、死体の呪いが、高貴な血が、伝染病が・・・」


おろおろと、主要な単語だけを繋いだ言い訳に、

総長の米神の血管がブチリと切れた。


「この、役立たずの大馬鹿チキン野郎が!」


総長の怒声が門に響き渡った。

ミーア執政官とジュノは、老師に報告すべく、ちょうど来たステラッドに飛び乗った。



*********


メイは魘されていた。


う~ん、う~ん・・・・臭い、臭すぎる。

何かがすぐそこで腐っている臭いがする。

臭いの素から遠ざかろうと、何度か体を捩じるが、

何かが体を覆っており、寝返りが出来ない。


私は寝相が良い方だと思っていたが、

布団を巻きつけて寝たのかもしれない。


あれ? 布団を巻きつけるって寒い場合だよね。

寝ながら疑問に思った。今の季節って、冬じゃないよね。


いや待って、暑い気もするが、どこか寒い気もする。

ええっと、暑寒いという現象は、一体どう表現すればいいのでしょうか。

炬燵でアイス? いやいや、そんな感じではなく、なんというか、

喉に毛糸のマフラーを巻いて、背中に氷枕をあてている感じと表現するべきか。


くだらない事かもしれませんが、一応、悩んでみようと思ったのですが、

何故だか考えがあっという間に霧散して消えました。

顔に固い何かが当たっているような気もします。これ枕?


そもそも、私、何時ねたっけ?

う~ん、それにしても臭い。

臭すぎて思考がまとまらないというか、鼻が曲がるって感じ?


そういえば、生ごみって基本焼き場行だけど、

一部は夢の島に行くって聞いたことがある。


浮浪者が夢の島で寝泊まりすることもあるって、テレビで言ってた。

夢の島で寝たら、こんな匂いがするのだろうか。

その浮浪者達って、風邪気味で鼻が詰まっているのかも。


あ、髪の毛先が微妙に鼻の下を擽って痒い。

う~、鼻の下を掻きたい。

指を伸ばしてと頭に指令を飛ばすが、何故か私の手はその指令を無視する。


いえ、それどころか、頭の先がどこか痺れているようで、

全てがぼうっとしていて、動けない。


頭の端で、ごとりと音がした気がして、唯一動く右足を少しだけ動かしたが、

頭上からバンっと音がして体が硬直した。


誰かが何かを言っている声がするが、夢の向こうの出来事の様に、

全てがぼんやりで、何を言っているのか解りません。


これは夢?

どうせ夢ならば、レヴィ船長やカースを見たかった。

私の夢の癖に、なんて融通が利かない。


みんな、元気かな? 照はカースと仲良くしているだろうか。

皆、私が居なくて寂しいなんて、少しは思ってくれるかな。

私だけが寂しいなんて、本当に寂しいし。


そう思ってたら、胸の球がゆるりと温かくなり、

ポンと、レヴィ船長とカースの映像が頭の中に浮かんだ。


おお、見たいと思ったら見える物だね。やっぱり夢だからね。


二人とも、体をすっぽり覆うコートみたいなのを着ているのに、

スタイル抜群って解る。

きゃぁ~久しぶりのレヴィ船長とカースだ。相変わらず素敵です。

二人とも真剣な顔して、何を話しているのだろう。

周囲が見れないかな?


そう思ったら、視界が少しだけ広がった。

目の前には、老師様とカナンが座っている。


あれ?知らない人も。小さなお婆ちゃん?

熊みたいだけど、左腕がない人も知らないと思うけど。

知らない人を夢に見るってあるの?

いや、知らないだけで、どこかで会っているはずというオチに違いない。

だって、夢だもの。


それに、サーリア先生も、ヤトお爺ちゃんもいた。

あ、カースがサーリア先生と何か話している。

今日の先生は、美人さに磨きがかかっている気がする。キラキラしてる。


いいなぁ、私もカースやレヴィ船長と楽しくお話ししたいのに。

こうして夢の中で見るだけって、なんだか、悲しくなってきた。


映像がふっと消えた。


ああ、眠い。

なんだか、さっきよりもずっと眠くなってきた。

夢なのに、夢を見ているのに、どうして眠いなんて思うんだろう。


次に見る夢は寂しくならない夢がいい。


レヴィ船長とカースのカッコよさを船員達とじっくり話しあった時の事とか。

皆の素敵な笑顔特集だとか。照のツンデレ表情とか。セランの大きな手とか。

バルトさんの調子が外れた歌とか。いや、それはいらないか。


あ、なんだか楽しくなってきた。

そういえば、いつの間にか臭い香りがしなくなっていた。

今度はいい夢が見れそうです。




 

ここでようやく、ヤト爺ちゃんが飲み物を噴き出した所に繋がります。

ちなみに、この後、総長が兵を率いて山を下り、国境付近にまで追って行ったが、

砂の一族の一団は、あっという間に国境を越えていて追いつけなかったらしいです。

総長に怒鳴られたラゼロは自主退職し、二人の兵士は減給3か月の処分が決まりました。

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