楽して損する舞台裏
お久しぶりです。
ひっそりと次話投稿します。
この話は、メイが浚われてから数時間後の話です。
古着屋主人であるフィビーは大層ご機嫌であった。
そう、顔が思わずにやけて、含み笑いが止まらない程に。
「ひっひっひっ」
誰も聞いていないのをいいことに、どこぞの魔女のような笑い声をもらしつつ、
机の上に燦然と輝く一枚の金貨をうっとりと見つめた。
「ああ、いいねぇ。硬貨って高価が当たり前って感じで、きんきらと佇んでいる居住まいがなんともはや」
金持ちにとっては、わずか一枚の金貨。
それでも、古着屋を営むフィビーにとっては、頬が緩む値である。
きらきらと光る100クレス金貨。
この一枚でフィビーの懐は、かなり温かくなる。
フィビーが仕事を頼む針子や染め職人は、何らかの理由で普通に働けない社会的弱者と呼ばれる人達。
彼らに支払う手数料を滞ると、彼らの生活は貧困にあえぐことになる。
ゆえに、フィビーは彼らには優先的にお金を支払う事にしていた。
だが、物が売れないとフィビーの手元には金が入らない。
結果、大量の在庫を抱えるフィビーの金策は何時も熾烈を極める。
零細業種に国から出る補助金の全てを使ってもカツカツで、フィビーの懐は何時も寂しかった。
同じ孤児院出身の八百屋の主人から破格の値段で借りている店の家賃だが、
先月、先々月の売り上げが捗々しくなく、すでに三月分を滞納していた。
でも、この濡れ手に粟の100クレスがあれば、3月分払ってもおつりが出る。
はぁぁと息を金貨に吹きかけて、わずかな汚れや曇りをキュキュッと布で磨く。
これで家賃を払って、ああ、そうだ、夕飯にちょっと高い物を食べてもいい。
一度も行ったことがない高級料理店の店先を思い出して、うっとりと目を細め、
厨房から漂う旨そうな臭いを思い出して悦に至っていたが、
頬に添えられた自分の手を見て、思わずぶるぶる首を振った。
あの店の料理は、なんとも言えないくらいに美味しいらしいが、
金額がべらぼうに高い。100クレスなんて、一食で消えてしまうだろう。
そんな無駄使いをしたら、一生涯後悔するにちがいない。
ここは、何回かに分けて使える物。それも消耗品がいい。
そうだ、蜂蜜が先月で切れていた。
いつも買う小瓶ではなく、お徳用サイズの中瓶を買える。
そう決めて、フィビーは、にんまりと笑った。
ああ、それにしても、今日は本当にいい日だ。
こんな日が一年に数日あれば、フィビーの店も楽になる。
ちらりと店先に飾ってあったマネキンをみて、またもやニタリと笑った。
どうやっても笑いが出てくるというものだ。
この100クレスは、あのマネキンに着せていたストールの代金だ。
彼らには、材料も手間も大変に手が込んでいる代物だと言ったが、
実は、まったくといい程、原価は掛かってない。
このストールの材料費は、実はタダ。
手間といっても、フィビーの暇つぶし序に出来た布だ。
数や色が不揃いな上、不良品として廃棄された綺麗だが欠けているボタンをタダで集め、
暇なときにナイフとやすりで欠けた部分を削り、
薄くなって擦り切れた古布を数枚張り合わせ、只で手に入れた大布(新人の試作品で斑が驚くほど出来て売り物には出来ない不良品)を縫い合わせた。
更には、蛇が這った様な奇妙な染め具合と不格好な縫い目を誤魔化す為に、
欠けボタンを縫い付けて模様っぽくあしらった。
見かけは装飾過多ぎみだが、透け感があるようで全くない。光さえも通さない。
通気性が全くなく、遮光性抜群で、ずしりと重い布が出来上がった。
服にも雑貨にも出来ない擦り切れた布地の寄せ集めだから、耐久性に問題がある。
だが、ここまで手をかけたのだから雑巾にするには惜しい。
よって、ストールにした。
ぱっと見た感じは、きらきら光るグラデーションが美しいストールだ。
まぁ、誰かが騙されて買う気になるかもしれないと、
とりあえず20クレスの値段札を付けた。
が、ここは古着屋。来る客は貧乏人ばかり。
勧めても、値切られ半額以下にされかかるが、それでも売れない。
もっと値段を低く設定すればとも思ったが、
片手間に作ったとはいえ、それなりに時間をかけたのだ。
余りに安い値段で売るには、ちょっとだけだが納得がいかない。
ここは開き直って、どんと100クレスの値段札を付けてみた。
そうすると当然だが売れるはずがない。
貧乏人は、値段と品質をちゃんと見る。
いや、貧乏人だからこそ、生地の縫製や丈夫さを確認して必要なだけを買う。
つまり、余分なものは買わない。
よって、在庫となって店のマネキンがずっと被っていた。
そう、およそ三年くらい。つまり不良在庫だ。
それが、ぽんっと売れたのだ。それも100クレスで。
これを喜ばずしてなんとするのだ。
いつもの自分ならば、100クレス握りしめて、喜びの踊りでもするところだ。
だが、頭のどこかで何かが、フィビーの喜びをちくりと邪魔する。
フィビーは首を傾げた。
嬉しいといえば嬉しいが、なんだか微妙にすっきりしない。
お金持ちからは、がっぽり踏んだくるを信条としている自分が、
正当に稼いだお金を前にして、何を悩むというのかと、
そこまで考えて、フィビーはポンと手を叩いた。
100クレスをくれたあの男だ。
フィビーは、あの時の気になる光景を再度思い出していた。
白地に黒がじわりと滲んだような鈍い灰色の髪に暗い茶の瞳、
どこか慇懃な仕草と高級服に身を包んだ男。
フィビーは見ていた。
あの男が、占い師である少女の背後に、音もなく忍び寄ったところを。
ドアには大きなベルが付いていたのに、まるで鳴らなかったと後で気が付いた。
黒猫のようにするりするりと動き、目で追っているにも関わらず、気配を感じさせない。
一見、体つきは細く華奢に見えるが、背中の筋肉は鋼のように鍛えられた美しいライン。
身振りをどんなに大袈裟に装っても、その体の軸が全くぶれない。
そう、あれは、何かしら特殊な戦闘訓練を受けた人間の動きだ。
あのぽやぽやした少女の驚き方と態度から、特に親しいわけではなさそうに見えたが、
どういった関係なのだろうか。それがすこし気になった。
が、こちらは店であちらはお客だ。金と商品のやり取りが終わったら関係はなくなる。
特に深入りする必要も詮索する必要もない。
それに、ああ見えて、あの少女は未来を見通す占い師だ。
自分の危機くらい、片手間になんとかするだろう。
そう結論つけて、にっこり笑ってお金を受け取り、占い師の少女とあの男を見送った。
だが、帰り際、にこにこと機嫌よく笑っていたあの男の仮面が一瞬だが外れた。
最後に振り向きざまに見えたあの表情に、物凄い悪寒が走った。
フィビーに対する、脅しの意味があったのかもしれない。
あの時、目を細めて黒髪の少女を見下ろす視線が、一瞬だが変わった。
暗い茶の瞳に宿る獰猛な光。フィビーの脳裏に過去の記憶が呼びさまされる。
あれは、肉食獣の眼だ。
フィビーだって商人の端くれだ。
商いの為に砂漠を幾度となく渡った事がある。
まぁ、護衛をたくさん連れた他の商隊に混ぜてもらう形だったが、
砂漠の旅の過酷さを幾度となく実感した。
賊に襲われたり、獣に襲われて、這う這うの体で逃げ出したこともある。
賊は話が通じるから、有り金を渡せば見逃してくれることも多い。
旅行きで一番怖いのは、獣だ。
砂漠を渡る商隊の長い列をじっと見つめ、密かに追いすがり、
弱った個体の隙を窺って飛び掛かろうとする恐ろしい獣たち。
闇夜に光る爛々と光る眼。気配を殺した純粋な殺意。
闇からすぅっと出てきて、一気に喉を食い破る恐ろしい獣。
追剥にあって逃れていたフィビーの後ろには、怪我をした青年がいた。
ふと、生臭い臭いに振り返ると、青年の首を音もなく獣が食いちぎっていた。
青年のえ?という最後の言葉と、獣が放つ生臭い息と血の臭いに全身が凍った。
あの時の獣が放つ殺気とギラギラした目は、どうあっても忘れられない。
あの男の視線は、あれと酷く類似していた。
獲物に喰いつく飢えた獣の眼。
一瞬だったが、フィビーは確信していた。
あの男は絶対に普通の男ではない。人を殺す事に躊躇いすら覚えない類の男だ。
そして、獰猛な獣は狙った獲物を簡単に諦めない。
つまり、絶対にあの占い師の娘に何かをする気なのだと。
何時もなら、そうと解っても関与しない。
人には其々の事情があるからだ。他人が関わっても碌なことにはならない。
特に、危険に片足を取られている人に近づけば、火の粉は確実に飛び火する。
だから、適度な距離を置きつつ静観の形を崩さない。
だが、あの占い師さんは、ジュノの知り合いだという。
母親を殊の外大事にしているあのジュノが、
母親との繋がりが深いこの店を紹介するということは、
それなりに気を許している間柄だと思っていいはずだ。
それに、彼女は実は貧乏で、苦労人の労働者で、借金持ちらしい。
その身の上に、一気に親近感が湧いたのは確かだ。
同じ労働者として、ここで見捨てるのは、どうも気分が良くない。
ここはジュノに知らせるべきか。
いや、あの男はジュノの手には負えない。絶対に危ない男だ。
知り合いの兵に知らせて取り締まってもらうとか。
いやいや、まだ何をしたわけでもないのだから、取り締まるのは無理だ。
ただ目付きが怪しかっただけでは、どうやったって取り締まれない。
だが、何かあったら取り返しがつかないかもしれない。
どうしようかと悩み、フィビーは、はぁ、と大きなため息をついた。
その時、カラランと音がした。
顔を上げると、先程から考えていた面が見えて、バクンとフィビーの心臓が音を立てた。
「フィビーさん、どうも。お久しぶりです。今日の景気はどうですか?」
「あ、ああ、ジュノ、き、今日の配達は、もう、終わったのかい?」
思っていたよりも大きく鳴った心臓の音に単純に驚き、
フィビーは無意識に手の中の金貨を机の中に仕舞い込んだ。
明らかに挙動不審なフィビーの動きを見咎めることなく、
首にかけた布で汗を拭いながら、ジュノは店内をきょろきょろと見まわした。
「いねぇな。やっぱりもう帰ったのか」
その言葉を聞いて、フィビーはジュノが誰を探しているのか気が付いた。
心臓の音が、バクバクバクバクと早く打ち続く。
あの占い師の少女だ。
「ど、どうしたの?仕事はもう終わったのかい?
やけに早いんじゃない?」
やや早口で言葉を返すと、ジュノは汗を拭きながら頷いた。
「ああ、なんだかちょっと嫌な予感がしたんで、今日は早上がりにしてもらったんだ」
嫌な予感の台詞で、フィビーの喉がごくりとなった。
「あ、あんたの紹介だっていう、あの嬢ちゃんなら、ちゃんと買って帰ったよ。
もちろん、あんたの紹介だから、思いっきりまけといたからね」
どこか声が裏返るフィビーに、ジュノはすこし首を傾げたが、
マールはもう帰ったと聞いて、すこし申し訳なさそうに笑った。
「ごめん、フィビーさん、商売にならない客ばかりで」
その言葉に、フィビーは笑って首を振った。
「何言ってんだか。アタシ達貧乏人が仲間を助けるのは当たり前だろ。
アンタは少しでも客を連れてきてくれたんだから。気にすることはないよ」
この子は聡い子だ。誰が言わずともフィビーの懐事情をよく知っている。
「でも、アイツ金もってねぇから、碌な売り上げにならなかっただろ」
ジュノはポケットから銅貨を数枚とりだし、机の上に置いた。
ジュノが稼いだ今日一日分の賃金だろう。
フィビーはその金を押し返して首を振った。
ジュノが一人前のステラッド乗りになって、
母親を楽にさせたいと人一倍頑張ってるのを知っている。
ガムシャラに働いて、いつか来る試験の為に、金を貯めようとしている事も知っている。
「いいから、いつも言ってるだろ。金はもらうところからもらうってね。
それに、今回だって実入りがないってわけじゃないんだよ。
だから気にしなくていいよ」
そう言って、鹿の皮でできた靴を持ち上げた。
「へぇ、いい靴じゃん。どうしたの、それ」
「あのお嬢ちゃんが履いていた靴。明らかにサイズか違うから他人様のだけど、
いい靴なんだよ。痛みも少ないし、これなら20クレスは確実に取れる」
ジュノは瞼を数回瞬かせていたが、その後、心配そうに眉を潜めた。
「あいつ、いいのかよ。仕事先で怒られねえかな」
ジュノは、明らかにあの子の心配しているようだ。
「恐らくだけど、前任者たちの置き土産ってとこじゃないかな。
老師様からちゃんと許可を貰っているっぽい事をいってたし」
彼女は、あの高名なマサラティ老師様の所の唯一の従業人だ。
今まで99人が逃げ出したという例の職だ。
呪われるとか、仕事が過酷すぎるという評判の。
中には、着の身着のまま、夜逃げの様に門をくぐって出て行った者もいると噂では聞いている。
それならば、引き取り手のないサイズの合わない服や靴を、あの少女が着ていても不思議はないし、
老師が処分する許可を出したとしても問題ないだろう。
「ふうん。まぁ、アイツに問題なくて、フィビーさんが損してないならいいかな」
そういって、ジュノはポケットに銅貨を仕舞って、頬をカリカリと指で掻きつつ笑った。
この笑い方は、ジュノの死んだ父親そっくりだ。
体も心も大きく暖かで、面倒見がよくて、誰にでも優しかった憧れの人。
ジュノの母親と結婚した時は、少し胸が痛かった。
「フィビーさん?」
思い出が脳裏を支配しようとしていた所で呼びかけられ、はっと気が付いた。
「あ、いえ、あのね。本当に大丈夫なの。
ええっと、あ、そうだ。あのね。実は、あのお嬢ちゃんの連れがお金持ちでね。
例の売れなかったストールがなんと100クレスで売れたのよ。
だから本当に大丈夫だよ」
気が付いたら、あの男の事をジュノに話していた。
「連れ? マールに? さっき店の前で会った時は、一人だったけど。
それ本当?」
ジュノが訝しそうに首を傾げた。
これは、もしかして疑われている?
何をとまでも思いつかないが、気が付けば言い訳を口にしていた。
「ほ、本当だよ。彼女のすぐ後に店に入ってきたし、親しそうに話していたし、
彼女の為に値切って値切って、値切り倒したのよ、あの男。
最初は警戒していたあの子も、最後には感謝してたし。
それに、あのストールをポンと100クレスでお買い上げしてくれたんだから」
ジュノの眉が寄り、剣呑な目付きになる。
ジュノの父親が、幼いフィビーを問い詰めた表情と同じだ。
「100クレスをポンと払う男が値切る?
その男、なんだか可笑しくないか? マールは、ソイツが連れだって言ってた?」
フィビーは、彼女と彼の会話を思い出して、ブルブルと首を振った。
「い、言ってないと思う。いや、言ってないわ、うん。
だ、多分だけど、彼女の反応を見るに、恐らく初対面にほど近い相手だと思うわ」
最初は店内で彼が近づくと、彼女はその分だけ警戒して後ろに下がっていた。
彼女の警戒が解けたのは、そう、値切り交渉の後だ。
「最初は彼女も警戒してたけど、値切り交渉の後は、ホクホク顔で帰っていたわよ。
やけに打ち解けた感じで。だから、多分、大丈夫じゃないかな」
うん、あの男の目付きは怖かったけど、彼女もいい大人だし、
仮にも未来を見通す大占い師様だ。何とかなるだろう。
「マールは本当に、仕方ないやつだな。
でも、怪しいな、その男。本当に普通の男だった?
初対面から、やけに親切で、馴れ馴れしくて、気前がいい奴は、絶対におかしい。
フィビーさんだって、知ってるだろ? そういう奴は、信用できないんだって。
そいつ、もしかして何か企んでいるのかも」
「た、企むって人さらいとか?こんな昼間っから物騒な。勘ぐり過ぎよ」
フィビーの言葉に、ジュノは小さく苦笑いした。
「かもね。でも、アイツ、物凄い騙されやすいから、ちょっと心配なんだ」
フィビーの脳裏に、能天気にニコニコと帰るマールの笑顔が思い出された。
耳の奥で、小さな警鐘が鳴り始める。
「で、でも、あの子はもういい年した大人で、占い師で、未来が見えるって」
未来が見える占い師なら、悪人の企みに乗るはずがない。
フィビーの引き攣った顔をみて、ジュノは緩く首を振った。
「俺も、マールのその噂、知っているよ。
砂の一族の認めた未来を見通す占い師で、雨呼びの巫女かもしれないって噂だろ。
でも俺、本人に確認したけど、それ眉唾だったよ」
え?
「マールは未来なんて見たことないし、雨呼びも勘違いだってよ。
昔から、天気が崩れそうな時は、なんとなく解るって感じらしい。
洗濯物を干すときには便利なんですって言ってた」
は?
「砂の一族のヤトさんが連れてきた訳じゃなくて、砂漠で迷子になっていたところを、
老師様の弟子のカナンさんが連れてきたんだって」
はぁぁ?
「それに、マールはまだこの国の言葉がよくわからないから、
何かを尋ねられたら、解らないって首を振るか、頷くかにしているって。
フィビーさん、もしかして占い師って噂を信じてたの?」
そう言われて、うっと喉が詰まる。
半信半疑で店先のディスプレイに使う服を尋ね、指定された服を飾ったら、
客が来たのだ。これを数回繰り返したが、その都度で程度は違えども、
必ず買い物客が舞い込んだ。
これは、占い師様の力に違いないとちょっとだけ思っていた。
「アイツ、本当に危なっかしいんだ。
言葉も満足に解らないのに、契約書にサインさせられかかるし、
タダでこき使われても、先生に生徒が従うのが当然って笑ってるし」
あ、それは危ない。
「あの書架市場の司書長を、美人ないい人、で済ませるんだぜ。
おまぬけ具合にも程がある。絶対、アイツはいつか騙されて痛い目を見る気がするんだよな」
痛い目と言ったところで、あの男の最後の眼が脳裏に蘇る。
「まぁ、何事もなければそれに越したことはないけど」
心臓がバクバクと大きく音を立てていた。
気が付けば、フィビーは手に持っていた子鹿革の靴をぎゅっと握りしめていた。
「あ、あの、あのね、実は」
「こんにちわ~、フィビー姉。あ、ジュノもいる」
「フィビー姉、ちょっと聞いてほしいことがあるんだけど」
「フィビー姉、ジュノ兄さん、今日は俺達何時もの倍儲けたんだぜ」
フィビーの小さく呟くような声に被さるように、小さな子供達が店に飛び込んできた。
彼らは、孤児院の子供達だ。
院で作った飴を売り、ちょっとした日銭を稼いでいる勤労少年少女達である。
「お、今日もご苦労さん。今日は随分ご機嫌だな。
よっぽどいい儲けがあったのか。よかったな」
ジュノが、一番年長の少年の頭をガシガシと撫でた。
「へへ、俺達もジュノ兄みたい真っ当に頑張ってんだぜ」
鼻の下を人差し指で擦りながら自慢げに笑う少年の脇を、少女が肘で突いた。
「嘘つき!あんな形の悪い出来損ないを高値で売りつけた癖に」
少年は少女の肘を乱暴に払い落とした。
「俺は嘘は言ってねぇ。一生懸命に作った飴だから買ってほしいって言っただけだ」
少年を擁護するように、小さな女の子が少年の服の裾を掴んで言った。
「どうじょうさくせんなの」
あ、なるほど。
「こんなに小さい子が一生懸命に作りました。だから買って下さい作戦ね。
そういえば、私も小さいころやったわ」
うんうんと頷いていると、少女が眉を寄せて言い返した。
「でも、正規の飴と同じ値段で売るのはやりすぎだと思う。
あのくず飴は、売り物にならないから私達のおやつにってもらったものなのに」
「飴は飴だろ。くずだろうが、切れ端だろうが、味は同じだし、
タダな飴が売れた分は、俺達の小遣いになるんだから、いいだろ。
お金を払った間抜けが納得してりゃあ、問題ないさ」
鼻息荒く、ふんと腕を組む少年を見て、フィビーは、わが身を振りかえった。
タダ同然の不良在庫を、旨い事言いくるめて100クレスで売ったのは自分だ。
だが、商売と言い換えるなら、よくやったと褒めてもいい気がする。
「まぁ普通なら、売り手と買い手が納得してりゃ、それでいいと思うけど」
フィビーの言葉に、ぱぁっと笑顔になった少年が、手を叩いて喜んだ。
「だろ? なのに、こいつ、正直に話して返金しようって言うんだ。
冗談じゃねぇよ。話した途端に、騙したのかって怒られて、訴えられるかもしれないだろ」
「でも、騙すのは悪い事だよ。
悪い事したときには、きちんと謝って話をすれば大丈夫だって先生も言ってた」
少女の言っていることは、正しい行いという奴だ。
大きくなると解るが世間はそう甘くない。
だが、子供の内に正しい事を理解するのは必要だ。
そうでないと、大人になってから、世間を恐れなくり、犯罪に手を染める可能性がある。
だから、フィビーとジュノは少女の味方をした。
「そうだね。騙すのは確かに悪い事だ。君たちは、ちゃんと謝った方がいい。
売った相手を覚えているかい?
俺達が付いて行くから、その人の所に一緒に謝りに行こうか」
「そうだね。アンタ達は、ちゃんと理解しないと駄目だよ。
それに、騙して稼いだ金は、アンタ達の将来を曇らせる」
幼いフィビーが同じことをしたときに、一緒に謝りに行ってくれたのは、
ジュノの父親だった。
手を繋いで、一軒一軒訪ねて回って、頭を一緒に下げてくれた。
フィビーの為に、どんな理不尽な言葉を言われても黙って耐えてくれた。
彼は、優しくて、大きくて、いつも温かかった。
だから、フィビーはどんなに困っていても犯罪に手を染めず、
人として恥ずかしくない生き様を心がけるようになった。
味方だと思っていたフィビーが意見を翻した事で、
少年は頬をぷぅっと大きく膨らまして背を向けた。
「なんだよ、フィビー姉ちゃんまで。訳わかんねぇ。
俺は悪くない。絶対に謝らないからな」
その小さな背中に、フィビーは過去の自分を見た気がした。
「ねぇ、おやつ用の切れ端飴をくれた時の先生達の顔を思い出してみて。
そして、熱い飴を、一生懸命に真っ赤な手でこねていた先生達を。
美しい飴一個一個を真剣に作って、丁寧に袋に包んでいたでしょう。
これなら20クレスで売れるわねって。買った人が喜んでくれるわねって。
アンタ達がしたことは、先生達の気持ちを無下にしたことだと思わない?」
この言葉は、フィビーがジュノの父親に言われた言葉だ。
これで理解できなければ、少年の未来は幸薄い物となるかもしれない。
背を向けていた少年の頭が、じんわりと下を向いていく。
少年の袖を掴んでいた小さな女の子の眼に、大きな涙が浮かんでいた。
「・・・兄ちゃん、あの人にごめんなさいをしにいこう」
「・・・ん、そう、だな」
少年は、小さく頷いて女の子の頭を優しく撫でた。
傍で見ていた少女がホッとした感じで笑顔になる。
「じゃ、今から早速謝りに行くか。
で、どんな人に売ったんだ? どこの誰か知っているのか?」
ジュノの言葉に、少女の笑顔が何かを思いだしたかのように強張った。
「あ、あの、相談したいことが」
少女の言葉に、ジュノが首を傾げた。
「いいけど、飴の事?まだ他に何か?」
「そうなんだけど、そうではなくって。
あ、あのね、私、さっき、あの人見かけたから、つい追いかけたの。
あの人、突然倒れて、裏路地で男の人達が、布でぐるぐる巻きで、
そしたら砂の一族のターバンが箱を担いで、私、怖かったから隠れて」
その場面を思い出したのか、少女の顔がだんだんと青くなっていく。
少女の顔と口に出した言葉に、ジュノ達は首を傾げた。
「あの人って誰? アンタ達の知っている人なの?」
フィビーの問いに、少女は頭を縦に振ってから横に振った。
「あの人って言うのは、飴の事で謝りに行こうって言ってた人。
何処の誰だかは知らない。でも最近街中でよく見かける人」
少女の台詞を補佐する様に少年が口を開いた。
「あ、俺、ちょっと知っている。アイツ、塔の学者の従業員だってよ。
学校の先生達と以前にちょっとだけ話していたの、聞いたことがあるんだ」
塔の従業員といっても相当な人数が居る。
せめて外見から特徴が解ればと思い、ジュノが尋ねた。
「塔の従業員なんだな。性別は?年は?背格好はどんな感じの人なんだ?」
三人は目を見合わせて、一つ一つ指を立てて頷く。
「えっと、女の人で、年はジュノくらい、背は低い」
「うん、美人じゃないけど、優しそうで、ぽやぽやした感じ」
ぽやぽや?
「黒髪で、制服に白いエプロンして、大きなカバンを肩からかけてた。
いつも食材市場付近で、買い物してたと思う」
黒髪?大きなカバン?
「いつもお金ないからごめんねって、あやまってくれてたの」
子供達に謝る?どこのお人よしだ。
「いい人だよ。お給料やっともらえたから買えるようになったって言ってた」
「優しい黒い目だったよ。それで、雑貨屋さんの場所を教えてあげたの」
黒い目、雑貨屋?
ジュノの眼が、大きく開かれる。
「まさか、まさかのまさかなのか?」
「ええっと、それって、マールちゃん? じゃないわよね」
フィビーの言葉に、少年がポンと手を叩いた。
「あ、思い出した。お喋りオバサン5人組が、アイツのことマールって呼んでた」
その言葉で、ジュノとフィビーの顔色がざぁっと青くなる。
ジュノは、少女の肩をガシッと掴んで目を合わせ、慌てて尋ねた。
「マール、やっぱり騙されて、じゃない。
倒れたって、路地裏のどこで。ぐるぐる巻きって、なんで?
砂の一族ってヤトさんの事か?箱ってどんな?」
砂の一族の名物爺であるヤトの事は、少年たちも知っている。
少女は首を振った。
「ええっと、油屋のヤキムさんの裏手で、きらきらした布に巻かれてた。
それに、ヤト爺じゃなかったよ。でも、同じターバン巻いてた。
それで大きな箱にあの人を入れて、馬の背に括り付けてた」
ジュノは、少女の手を掴みフィビーに振り返った。
「フィビー、ヤードル執政官か、ミーア執政官に急いで知らせて。
俺は、その店まで行ってくる。多分、マールは人売りに浚われたんだと思う」
フィビーは、あの男の眼を思い出して、ぶるりと震えた。
きらきらした布でマールを巻いたということは、
フィビーのあの渾身のストールは、誘拐に一役買うために使用されたことになる。
「だ、駄目よ。危ないわ。こ、殺されるかもしれないじゃない。
アンタの方が足が速いわ。だから、ミーア執政官の館まで走って頂戴。
私が、下の八百屋と粉屋のオジサン連中に頼んで、一緒に確認してくるわ」
そう、一人で乗り込んで言ったら、殺されるかもしれない。
フィビーの言葉に、ジュノは足を止めて少女の手を離した。
「解った。馬ってことは、すぐにでも出国するつもりなのかも。門の方に連絡を。
フィビーの友達が門番してたよな」
フィビーは咄嗟に、机の引き出しを開けて、中から100クレス金貨を取り出して、
ジュノに投げた。
「持っていきな、ジュノ。何かあったらそれを使っていいから。
あいつ等、今日は非番の筈なのよ。本当に使えない。
でも、出ていく場合はきちんと荷物の一つ一つを門番が確認するはずだから、
時間が稼げるはず。その間に、ミーアさんを門まで連れてきて頂戴。
私も、店を調べたらすぐに門に向かうから」
バタンと扉を開けて、ジュノが外に飛び出していった。
フィビーは、余りの剣幕に泣きそうになっている少女の頭に手を置いて、
よしよしと慰める様に撫でた。
「人間、楽して儲けようとすると、何かしら問題にあたるってことかしらね」
ぽつりと呟いた言葉に、子供達が不安そうな目で見上げた。
「まぁ、今日の所はアンタ達はここにいなさい。
院に連絡して、先生の誰かに迎えに来てもらうから、ここで待機。わかった?
マールの件については、私達が出来るだけの事をするから」
小さく頷いた子供達の頭を、ポンポンポンと優しく叩いて、
フィビーは下へと続く階段を駆け下りた。
次話は、来週です。




