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箱をあけよう  作者: ひろりん
西大陸砂の国編
234/240

作戦会議と騙し合い。

やっとレヴィウス達登場です。

サマーン王国伝来の岩苔を加工した独特な香辛料の香りが鼻に届く。

そこには、普段から食べている家庭料理とは違う、

かしこまった伝統料理の数々の品が、彩りも美しく用意されていた。


カーラーンの手が空いたのを見計らって、サーリアはシャラリと軽い音色を響かせながら手を広げ、桜貝のようなピンクの爪にフッと息を吹きかけて、削った爪粉を宙に飛ばした。


「そろそろかしら?」


サーリアは、カーラーンに綺麗な長い指を伸ばす。

カーラーンは、当然の様に目の前に差し出されたサーリアの指先を、綺麗なレースのハンカチで丁寧に拭いて頷いた。


「はい。それでは皆様、食事を始めましょう。ヤト様はこちらへどうぞ」


カーラーンは、サーリアの従者らしくその手を取って一緒に場を移動する。

何枚も敷かれた絨毯の中央に、円を描くようにして並べられた色とりどりのクッション。

そして、その中央にはいろいろと趣向を凝らした各種料理が所せましと並んでいた。


「ほうほう、ご苦労じゃったな、カー坊」


好きな料理を見つけてホクホク顔のヤトは、オレンジのクッションの上にご機嫌な様子で座る。

当然ながら正面には、こんがりと焼けた骨付き肉の塊がドンっと更に鎮座している。


「おおお、旨そうじゃねぇか、どれ、一つ」


マラドフは、一番大きな羊肉の塊を味見しようとヤトの正面の皿に手を伸ばした。

だが、当然ながら、その手はヤトに即座に叩き落される。

知ってか知らずかわからないが、その料理は、ヤトの一番の好物だ。


「いてぇだろ、なにすんだよ!」


叩き落とされた手を、庇う様に手元に引き寄せたマラドフは、

すりすりと手の甲を撫でて痛みを逃がし、子供の様に口をとがらせた。


ヤトは、解りやすい態度をとるこの大男をにやりと笑って、

彼の眼前に中央の赤豆と緑豆のペーストが乗った皿をデンっと置いた。


「この肉のつまみ食いが許されるのは、年長者だけの特権じゃ。

 マラドフ坊、お前はこっちの豆を食え。

 おお、これはまた豪勢じゃのう、どれもこれも美味そうじゃ。

 あ、ほれ、お前さんはワシの隣じゃぞ」


マラドフは、豆のペーストが乗った皿を見遣って、

何も言わずヤトとは反対側の隣にまわした。

そして、ヤトの隣に大人しく座り、その反対隣の緑と青のクッションをポンポンと軽く叩いて、

レヴィウスらに振り返った。


「レヴィウス、カース、お前たちは俺の横でいいだろ。ここに座れよ」


咄嗟に話題を振られ、その提案については素直に頷いた二人だったが、

正面の豆のペーストの皿は、カースの手によって更に隣に移動させられた。


一般的な副菜である豆のペーストは嫌いじゃないが、一番に食べたいものではない。

第一、これだけの料理があるのだ。

もっと美味い物を最初に腹に納めたいと思って何が悪い。


と、マラドフは口に出さずも他の豪華な料理に目を彷徨わしていたら、

マラドフが狙っていた中央の一番大きな冷製肉の塊も、ヤト爺の皿にどんっと載せられた。


「あ、何時の間に。手が早すぎるだろう爺のくせに。

 俺にもその肉よこせ。俺も最初は豆より肉が食いたい」


だが、尚も肉の皿を引っ張ってヤトから取ろうとするマラドフの皿に、

いつの間にか一周し戻ってきていた豆のペーストを、ヤト爺は大きなスプーンで、どさっと乗せた。


「その無駄な筋肉が弛まぬ様、これはワシの気遣いじゃよ。

 お主はこの豆を食べるがいい。

 そろそろ腹あたりが怪しいのではないか?

 ああ、そうさな、客人は見知った者の傍がよかろうて。

 では、その隣はカーラーン、ノルバ、サーリア、ルカ、カナン、

 そこの爺の順でよかろう」


一般的な食事の作法の大前提として、

各自の皿に取り分けられた物を、口を附けず残すのは不作法とされる。


まぁ、マラドフは別の理由で食べ物を残すという考えは持たないのだが、

マラドフの本日の一番最初のメニューは豆のペーストに決まりだった。


愕然と皿を抱えて、唸り声を上げるマラドフをさて置き、

老師以外の全員がヤト爺の指示通りに誘導された場所に座った。


大きな敷物の上に、円陣を描くようにクッションは用意された中央には、

所せましと色鮮やかな食事が並べられている。


「甘味は? マールちゃんがいろいろ作ってくれてただろ?」


ルカの何気ない疑問に、

カナンはため息をつきながら隅に用意しているワゴンに視線を向けた。


「あそこだ。食後にと用意してくれたのだから、最初から出すわけないだろう」


紅茶と一緒に用意したのは、カーラーンが持ってきた有名菓子店の甘味のあれこれだ。

彩どり豊に並べられた美しい甘味は、たっぷりの蜂蜜と甘すぎる砂糖漬けと、

伝統的なサマーン王国の甘味。メイのつくってくれた甘味は別の場所に移した。


「そうだね。腹ペコ共に食い荒らされるのは、いただけないよね。

 ふふふん。 楽しみ~ ご飯は腹八分にしとかなくちゃね~」


その意見にはカナンも同感だ。

あれは、折角、老師様のお客様が来られるのだからと、

マールが時間をかけて一生懸命に作ってくれた甘味だ。

面倒な話し合いついでの料理の付け合せに出すにはもったいなさすぎる。


竈が来てから、マールが定期的につくる様になった素朴ながらも優しい味の菓子。

カナンはもちろん老師様もルカも大層気に入っていた。

今回は、蜂蜜を使ったもっと濃厚な物のあるのだと、マールが言っていた。


楽しみにしていてくださいねと、にこっと笑ったマールの笑顔を思い出して、

カナンの心に小さな灯りがポウッと点る。


「そうだな」


茶器セットとデザートが乗ったワゴンを、カナンは傍らに寄せた。

ある程度の人数が集まると聞いて、彼女がこっそりと渡してくれた追加の菓子の箱は、

ルカに知られない様、カナンが机の引き出しの中だ。

ルカは大層な甘党で、いつも人の3倍は食べるからだ。


ルカは、楽しそうに口笛を吹きながら、

師様とカナンの皿にも自分と同じだけの量の料理を手際よく乗せていく。


「あ、野菜も食べろよ。好き嫌いすると甘味は無しだぞ」


カナンの手によって、緑の野菜の煮物らしき料理が皿に載せられる。


「あ、酷い。カナン、横暴!非道!野菜帝国の回し者!」


「野菜帝国って、お前は子供か!いいから食え!」


すったもんだする何時もの弟子共の食事風景だが、

静かな食事を好むノルバ総括総長はお気に召さなかったようだ。


「ルカ、カナン」


ノルバが、眉を寄せてその名前を呼んだだけだが、

何が言いたいのかわかったのだろう。

両者の行動は見る間に落ち着いてくる。


そうしてノルバの機嫌を損ねない様に、全員が大人しく皿に料理を取り分け、

カーラーンが部屋の隅の長椅子で未だに本を読んでいる老師に向かって、

ゆっくりと頭を下げた。


「食事の用意が出来ました。マサラティ老師様、どうかこちらに」


示された先には、老師愛用の黒の大き目なクッションが敷物の上に鎮座している。

形を整える為に、カナンが、ぽんっと中央を軽く叩き、四隅の飾り房が弾むように揺れた。


老師の長年愛用しているクッションだ。

以前は、4隅の飾りの内3つは無くなっていたのだが、マールが新しく付け直してくれた。

揺れる房に、マールの撥ねた黒髪の先を思い出す。


クッションからふわりと香るのは、マールが洗濯に使う柔らかなハーブの香り。

先日の晴れの日に、ハーブ水を振りかけて日の光の下で干したクッションだ。

干す前に、マールが洗濯場で箒を持って、

くしゃみをしながら必死でクッションを叩いていた。

あの時、くしゃみが止まらない様子のマールに駆け寄って、

大丈夫かと背中を撫でたら、舞い上がる埃で目を傷めたのか、

潤んだ黒い瞳で大丈夫だと小さく微笑み、カナンを見上げていた。


あの時のマールは実に可愛らしかったなと、

その光景を思い出しカナンの頬が緩んだのを、ルカは楽しそうにからかう。


「あ、カナンってば、このむっつりスケベ。なに想像してにやけてんのさ」


カナンの柔らかくなった表情を見て、ルカがカナンの肩をつつく。


「可笑しなことを言うな。誰がむっつりスケベだ!」

「ほら、赤くなった。むっつりスケベの証拠だよねぇ マールに言いつけちゃおうかな~」

「こ、これは、別に、マールに関係は。ああもう、うるさい!」


言い返しながら、ついクッションをボフボフと叩いてしまった。

メイの苦労のお蔭で埃は立たないが、当然ながら食事に煩い輩から忠告が入る。


「小僧ども、いい加減にしろ!

 有難い食事を前に暴れるでないわ。そこな窓から外に放り投げられたいかぇ?」


ノルバの厳しい睨みと脅し文句に、二人は当然のごとくに口を噤んで姿勢を正した。

この場合の窓から外の言葉は比喩でも何でもなく事実その通りとなるであろうからだ。

ノルバがやると言ったら必ず実行するのを二人は知っていた。


ひやりとした空気が一瞬流れ、微妙な沈黙が流れる。

ちょっとした味見程度のつまみ食いはあったが、誰も食事にまだ手を付けない。

皿に取り分けられ、何時でも食べられる状態でありながらだ。


全員が全員、只一つの空いた席に座る予定の人物に、わかりやすい視線を向けた。


解りやすい食欲という熱い視線を感じたのか、

マサラティ老師は漸く長椅子から体を起こし、大人しく本を机に置いた。

そして、老師はゆっくりとした動作でこちらに向かい、クッションの上に胡坐をかいて座った。


「これで全員そろったようじゃな。これから楽しい食事と言いたいとこじゃが、

 名も知らない相手を前に食べるのは礼儀知らずと言うもんじゃ。

 食事をしながらでええ。自己紹介から始めるかの」


全員が打ち揃ったところで、ヤトが隣のマラドフに向かって合図をした。

マラドフはしっかりとその意図を組んで頷き、全員の顔を見据える様に正面を向いて、

胡坐を組んだままで両膝を勢いよくパンッと叩いた。


「まずは俺からだ。上品な方々を前に丁重な挨拶をと言いたいところだが、

 生憎生まれも育ちも悪いんで、ご丁寧な言葉使いは柄じゃねえから最初に言っとく。

 俺の名はマラドフ。貧民層の奴隷腹生まれの元船乗りで、今は一介の商人に成り上がりだ。

 伝手があって、ファイルーシャとサマルカンドで、ちょっとした小商いをやってる。

 この見た目からも解るように荒事もそれなりだし、こう見えてもあちこちで顔が利く。

 今回も、それなりに役に立つつもりだ」


マラドフの粗野な挨拶に、手前に取った前菜を薄焼きパンで丁寧に巻きながら、

ノルバがあからさまに顔を歪めた。


「お主のような目立って癖のある商人をこちらに引き入れるのは、

 あの方の判断がなければ迷うところだがの」


だが、横に座っていたサーリアは、サモサと呼ばれる揚げパイ包みを手に取り、

ふふふと楽しそうに笑った。


「あら、片腕のクマは、サマルカンドの主と取引がそれなりにあるらしいわよ」


サーリアはいつもの様にカーラーンに手を差しだす。

手に付いた油をささっと拭いたカーラーンは、その手に一つの報告書を乗せた。

サーリアは、その報告書をさらりと読み、その目をすうっと細めた。


「へぇ、これなら武器の業者にも顔が効くわね。

 あら、あれとも関わってるの。へぇ、あちらとの繋がりもそれなりね」


面白そうに笑うサーリアに、流暢に食事を勧めながらも疑いの目を緩めないノルバ。

そんな両者を前に、マラドフは、なんでもないように肩をすくめた。

彼の皿には、もう豆のペーストは無い。

よって、今度こそと伸ばした先の二番目に大きい肉を手に入れることに成功した。


「どこまで調べてるんだかしらねぇが、俺は誰ぞに顔向けできねぇ商売はしてねぇ。

 だが、今のサマーン王国で商売するなら、無骨物か艶物しか売るものがないのさ。

 俺は片腕な上にこの容姿だから、艶物は聊か荷が重いだけだ。

 お蔭で金には正直困らねぇが、俺的には真っ当に商売に励んで今があると思っている。

 だからって取引相手に特に思い入れを持ったつもりも持つつもりもないがな」


骨付きの肉をガブリを齧り付き、豪快に咀嚼する。

口元に付いた肉汁をベロリと舌でなめとるその態度は、疾しさなど感じない。

じつに堂々としたものだ。

更にヤト爺がマラドフを援護するように言葉を添える。


「かっかっかっ、婆よ、だからこその人材よ。

 ファイルーシャはともかく、サマルカンドの伝手はやや心許ないよっての。

 打てる手は多くあった方が心強いというもんじゃ」


ヤト爺の皿には、骨だけになった残骸がすでに3つ。

さらに箸休めとばかりに、今度はノルバの正面にあった揚げ物の皿を指差す。


ノルバは、ギロっと睨み付けながらも、揚げ物が乗った皿をヤトにまわしつつ反論した。


「だが今回は、ここにいる全員の首が掛かっているのだぞ。

 もはや裏切られても引き返す事は決して出来ぬのだ」


だがヤトは、器用にヒョイヒョイと揚げ物を人差し指と親指で3つ4つと取りながら、

ノルバの睨みにも負けず、にやりといつもの様に笑う。


「安心せぇ、ワシは大きな賭けは得意じゃよ。決して負けはせぬ」


ヤト爺は、マラドフの皿の上にも、揚げ物をヒョイヒョイと乗せる。

マラドフは芋の押しつぶしたパテになったようなものを、

互いの皿に取っていく。


「まぁなぁ、ここぞって時の爺の手は、いつも負けねえもんなぁ」


はははと楽しそうに肩を叩き合って笑いつつ、

どんどんと目の前の皿が空になっていく。

特に、肉料理の減りが圧倒的に早い。

ヤト爺とマラドフが競争するように食べているからだ。


能天気な二人に、何が賭けだ!とノルバは吠えたくなるが、

そこへサーリアが話に加わってくる。

干し肉をその指でつうっと二つに裂きながら、にっこりと笑う。


「あら、私もその賭け乗ろうかしら。獣の調教には強い鞭が必要でしょう」


サーリアは腰付近に巻きつけてある鞭を服の上から嬉しそうに摩った。

それを見て、当然ながらマラドフは嫌そうに顔を歪めた。


「おいおい、俺は獣じゃねえ、人間様だってぇの。

 お前に尻を振って喜ぶ犬どもと一緒にするな。

 どこからどう見ても男らしく、カッコよく、且つスマートな人間様だろうが!」


バン!と胸板を叩いて鼻息荒く言い放つマラドフに、ノルバとサーリアの視線は冷たい。

彼らはもともと大食漢と言うわけではない。

食事が始まってさほど時間は立っていないが、すでに干し杏や棗をその手に取っていた。


「婆よ、こやつをクマと一緒にするのは気の毒じゃて。

 クマよりも気が荒く手を焼くでな」

「そういわれるのもどうかと思うが、否定できねぇとこがナンなんだよな~」


何とも言えないマラドフの返答に、ヤトはくくくっと笑うだけ。

彼らは、皿の上の料理を最後まで堪能している。

ザザザッと取り皿の上に、残りの料理を全て乗せて、クマの様にガツガツ食べる。

この様子を見て、熊と一緒にするなと、よく言ったものだ。


ノルバが、冗談はそこまでと、軽く布巾で手を拭き、

パンッと手を叩き場を引き締める。


「ふん、どっちが気の毒だと言うたのやら。では、ヤトよ、その根拠を出せ」


ヤトは、マラドフへちらりと目線を動かし、マラドフ共々、

手元の皿を床に置いた。


口の中の料理をゴクリと飲み込んで後、

マラドフは失った片腕をそっと擦りながら語り始めた。


「俺のこの片腕は、信頼していた弟分の裏切りで海賊に囲まれ全身を切り刻まれ、

 海に落ちた時に失ったものだ。

 あの時に、俺は長年一緒にやってきた唯一の相棒と信頼する仲間、大事な船を失った。

 そして、ラドーラの岸壁に流れ着いた瀕死の俺を、偶然にもヤトとあの方が見つけてくれた。

 命の恩人と言ってもいいが、それだけじゃない。

 あの方は、俺の命を救ってくれただけでなく、俺の復讐を果たす手助けをしてくれた。

 俺は、あの方には一生かけても返しきれない恩がある。

 そして、誰も信じられなくなっていた俺に、あの方は信頼を与えてくれた。

 俺の残った手を握り、死んだ奴らの分まで幸せになれと言ってくれた唯一の人だ。

 この信頼に応えなければ、俺に生きている価値はねぇ。

 いいか婆さん、俺は、あの方を決して裏切らない。

 恩人を裏切れば、俺は俺を裏切った奴らと同じになる。

 あの方を裏切るくらいなら、この首切り落として、

 サメのエサにくれてやるさ」


無造作に口元を親指でなぞり、その指で自らの首を掻ききる様に横に線を描く。

マラドフの何時にない真剣な表情に、

サーリアは報告書をノルバに渡しならがら、にっこりとほほ笑んだ。


カーラーンがノルバとサーリアの前にヨーグルトと蜂蜜を混ぜた物を置く。

それを持ち上げ匙で掬いつつ、サーリアはちらりと流し目をノルバに送った。

 

「そうね、あの方の目は確か。ノルバ様もわかっているでしょう。

 体の衰えや老いは、あの方を決して曇らせはしない。

 用心は必要だと思うけど、疑い過ぎると動くに動けない。そうよね?」


ノルバは、少し躊躇いを見せたが、サーリアと同じくヨーグルトの入った器を抱え、

ゆっくりと匙を口元に何度も運ぶ。

そして、渋々だが納得したように頷いた。


「解った。お前に関しては信じるとしよう。

 だが、こちらの部外者までも引き入れた理由はなんだ?

 あのお方は、この異国の客人達にどこまで話したのだ?」


ヤトは、にやっと笑った後、豆のペーストを乗せたパンを頬ばりつつ首を振った。

ちなみに、黙ったまま黙々と食べ続けている客人達も、なかなかの健啖家だ。

彼らの前にあった香辛料たっぷりの野菜と肉と豆の煮つけや、

香ばしく炒った燻製肉のアラカルトは、すでに空である。


「いんや、ワシは知らんよ。その場にいなかったのでな。

 じゃが、この二人に関しては、クマよりもっと問題なかろうて。

 それどころか、あの方がどこまで話したとしても仕方ないとワシは踏んどる。

 なにしろリモーネ様という前提がある関わりじゃからの」


ヤトの言葉に、食後の果汁水で喉を潤しているノルバは数回瞬きを繰り返した。

そして改めてじろじろとレヴィウス達を上から下まで見据えたうえで、ふっと笑った。


いきなり警戒が解けた態度のノルバに、レヴィウス達は食べていたその手を止めて、

指を布で拭いた。


「そうか、なるほど。まさかリモーネ様を盾に出されては疑う術がない。

 わかった。お客人、不躾な真似をしてすまなんだ。

 改めて名をお聞かせ願えんか。ワシの名はノルバ。

 ヤト爺とは幼馴染の間柄で、

 ラドーラに来られたリモーネ様の教育係だったこともあるしがない婆よ」


ゆっくりと立ち上がったノルバは、一歩後ろに下がり、

両手をお腹の上で揃えて上体を緩やかに倒し、片膝を緩く曲げ、

客人を前に見事なイルベリー国の正式な礼をした。


頭の角度とピタリと止まった体の角度は、上流階級に仕える者の礼を示す。


「なんだよそりゃ。婆さん、俺と態度が余りに違うじゃねぇか」


マラドフの口元に串を咥えつつも呆れを含んだ抗議は無視して、

レヴィウスはヤトにちらりと目線をやった。


ヤトが面白そうに頷いたのを確認してノルバに向き直り、

レヴィウスとカースも立ち上がり、イルベリー国の正式な礼を返す。


とわいえ、左胸に右手を載せ左手は腰の上、頭は軽く下げるだけといった、

男性の上流階級に属する者の礼ではあるが。


そして、レヴィウスの意を受け、カースが挨拶を始めた。


「書架市場総括総長ノルバ様、こ丁寧な挨拶いたみいります。

 私の名はカース・レイナルド。

 イルベリー国ハリルトン商会所属の副船長をしております。

 こちらは船長のレヴィウス・コーダー。 どうか両者共にお見知りおき下さい。

 このレヴィウスの母ヴィアンカとリモーネ様は親友の間柄でした。

 その繋がりで、私達は幼き頃からリモーネ様のご家族とは昵懇にしていただいております」


ノルバは、レヴィウスをじっと見つめ、目を嬉しそうに輝やかせた。


「おお、おお、ヴィアンカ様の。

 そういわれてみれば、雰囲気は大分違うが、

 レヴィウス様は若き頃のゼノ様に生き写しですの。

 ほっほっほっほっ、なんとまぁ、嬉しい出会いよ。よきかなよきかな。

 老いた婆の目からしても、ご二方は実に見目麗しい。

 あの男が口を開かず大人しく座っておったならさぞかしと、

 殿がリモーネ様に楽しそうに話しておったのを覚えておるよ。

 そうかそうか、若がヴィアンカ様のご子息を尊敬しておったのは知っておるし、

 その傍らには常に利発な黒髪の幼馴染がいることも幾度となく話に聞いておった。

 こんなところで会えるとは、まさに行幸よ。

 若と殿のご推薦のお二方じゃ。そういうことならワシに異論はないわ」


ノルバの上機嫌には、サーリアはカーラーンから再度渡される書類を一読して、

肩を竦めただけに留めた。


「そうね。私にも異論はないわね。

 彼らは確かに信頼に値するだけの実績と名を持っている。

 本物かどうかが論点だったけど、総長が確認した今は問題はないわね」


あからさまに疑われた自分と違って、すんなりと二人を受け入れた様子に、

マラドフは床の絨毯の模様を指でなぞりつつ、ぶちぶちと文句を言っていた。


「なんだよ。結局は顔かよ。けっ、女ってやつはこれだから性質が悪いんだよ」

「かっかっかっ、僻むな、マラドフ坊。

 なに、あと30年もしたら、お前のクマ顔も愛嬌ある顔になるだろうよ」

「30年? そんなに?

 いや、それって爺になったら皺で顔の良し悪しがどうでもよくなるってことだろ」

「いやいや、ワシは未だに若い子から可愛いと言ってもらえる爺故、

 お前の苦悩は解らんが、虚しい努力も年を重ねると無駄にはならんとの名言があっての」

「そんな名言は聞きたくねぇよ」


二人に漫才にも似たやり取りに、黙って聞いていた老師がはぁっとため息をついた。

老師達の食事も終わったようだ。

ルカとカナンが、カーラーンと共に、空いた料理の皿を片付けるのを横目で見つつ、

口元を布でぐいっと拭いた。


「お前たち、いい加減にしろ。話が進まん。

 無駄話は止めて、さっさとその浮ついた意識を切り替えろ。 

 自己紹介をさっさと済ませて、計画を綿密に煮詰める作業にかかれ。

 いつも言っているが、時は有限だ。もはや大祭まで日はない。

 移動時間や距離を考えても、見直すことは出来ぬのだ。真剣に取り掛かれ。

 今回は、それが出来ねば失敗すると心得たほうがよいだろう」


老師の言葉で、緩んでいた全員の気が引き締まり、

サーリアが肩をすくめて、にっこりと笑った。

食事が粗方無くなった皿が、彼らの前からどんどん下げられていき、

中央にはドライフルーツとナッツの皿、ヨーグルトや蜂蜜漬け、

ワゴンに用意した伝統的な甘味の数々が振舞われる。

そして、果汁水の入ったピッチャーのみが残される。


「そうね。では私を含め他の紹介は簡潔に済ませましょうか。

 折角の甘味も手を付けないでは可哀想ですしね。

 では、初めまして、麗しいお二方。 私はノルバ総括総長の弟子で、サーリア。

 書架市場で司書長をしているわ。こちらは私の忠実なる秘書のカーラーン。

 そして、老師の弟子であるルカ、同じく老師の弟子でグレン若様の幼馴染であるカナン。

 最後に、そこで難しい顔をしているのがマッカラ王国の誇る天才、マサラティ老師。

 で、ヤトとクマで一周ね」


ゲフッと空気を口から漏らしながら、マラドフは歯の間に挟まった何かを、

爪でこそいでいた。お腹いっぱい食べたのだろう。

居の部分を満足そうに摩っている。


「おい、クマっていうな。俺は人間だって言ってんだろ!」


吠えるマラドフに果汁水が渡される。

何かを言いたい誰かが居るかもしれないが、ヤトが話題を元に戻す。


「簡単な自己紹介が終わったところで、計画の説明を聞いてもらおうかの。

 まずは、祭りの概要についてじゃ。カーラーン、頼めるかの?」


カーラーンは鞄から一枚の紙を取り出した。

そして、全員が理解できるように、一枚の書類を隣にまわすよう渡した。


「はい。では僭越ながら私が祭りの概要についてお話します。

 この度、サマーン王国の北の大神殿がある街レナーテで、

 月の女神を讃える大祭があります。

 これは10年に一度の大祭で、日照りに苦しむサマーン王国にとって、

 雨呼びの巫女姫が行う最も大きな雨呼びの儀式でもあります。

 それに次いで、今回はサマーン王国の王の選出が行われると発表がありました。

 よって、レナーテの大神殿には、雨を願う神殿関係者や信者の他に、

 王の候補者たちとその取り巻きが一同に打ち揃うことになります」


ここまではよいですかとカーラーンが見渡すと、全員が頷いた。


「事前に公表された王の候補者は4人。

 ファイルーシャに居を構えるカルマン第二王子。

 サマルカンドの出城を居とするムハンマド第一王子。

 レナーテ神殿推薦でラドーラ領主跡取りのグレン様。

 そして、先王の遺児と言われるサイラス第三王子。

 この4人です。

 4人の中で最も神殿の票が大きいのは、ラドーラの次期領主として、

 すでにその統治手腕が認められているグレン様です。

 ですがグレン様はサマーン王位は望まず、

 ラドーラ領主としての古来からの自治権の主張と

 次期領主の就任承認の為にこの度の祭りには参加されるとの事です。

 ですが、清廉潔白で実力もあり、砂の一族の後ろ盾も確かだと知られるグレン様の事を、

 第一第二王子共に疎ましく思っておいでです。

 何しろグレン様には、間違いなく王家の血が受け継がれていることは間違いないと、

 はっきりした証拠が先王によって認められているのですから」


「証拠? ああ、噂で聞いたな。

 ちょっと変わった大きな黒子のようなものだと聞いたが」


マラドフが大き目なレーズンを持ち上げて訝しげな顔で尋ねると、

カーラーンは首をはっきりと振った。


「いいえ、それは黒子などとは、とても言えない代物です。

 だからこその証拠となるのです」


カーラーンは、話をしながらも果汁水のピッチャーを右から回す。


「王の選出で重要なカギの一つが、女神の血を引くその痣の有無です。

 第一王子、第二王子共に、その痣はないのではないかと言われてます。

 なにしろ、先王は彼らの母である王妃達を傍に寄せ付けなかった事は有名ですからね。

 ですが、先先代の王の血を引くラドーラ領主様とグレン様には、確かにあります。

 そうですね、カナン様」


全員の視線を受けて、手にしっかりと干し棗を持ったままカナンは頷いた。


「確かに、グレンには、あれがそうかと言える変わった痣がある。

 その昔リモーネ様が、その痣は旦那様とお揃いなのと、

 嬉しそうに言ってたのを覚えている」


甘い干し棗は当然のように、カナンの口に入る。

もごもごと口を膨らませるカナンに頷いて、カーラーンは言葉を進める。


「そして、第三王子サイラス様にもそれと同じと思われる痣が確かにあります。

 それはノルバ総長、サーリア様、そして、私も確認済みです」


マラドフが口の廻りをべろりと舌でなめながら、うん?と疑問に首を捻った。

その手には、まだ半分だけ肉が付いた骨が握られている。

自分の皿に残った最後の肉を食べているようだ。

先程の満腹そうな仕草はなんだったのだろうと問いたい。


「なら、話は簡単じゃねぇか。

 第一第二王子は不合格でグレン様は棄権。

 最終的に第三王子一択だろう」


肉を全て食べ終えて空になった皿をカーラーンに手渡すと、

カーラーンは小さく首を振って苦笑した。


「本来ならそうなるはずですが、神殿の半数は彼らの陣営に組する者なのです。

 女神の血の印とされる痣もどういった物なのか、神殿の者から知らされていて、

 彼らが黙って手を拱いているはずがありません。

 おそらく、王妃辺りが王子に痣の細工をしたとしても不思議はありません。

 現に、彼らは痣の判定に関して異論を唱えませんでした」


カーラーンの言葉に、ルカが食べている蜂蜜漬けを薄目で確認して後、

ノルバとルカの両者が同時に苦々しげに唸った。


「何時の時代も権力の蜜に群がる欲深き輩はおるものよのう。

 もはやどうにもならないところまで来ておるというに。

 傀儡遊びも大概にせねば、己の首を絞めるだけと何故わからぬのか」

 

ノルバの同情にも似た発言に、ヤトが蜂蜜とナッツのパイを持ち上げ、

中をさくっと割って、ふんっと鼻で笑った。


「目に見えておっても割るまで中は知らぬふりをするのが、奴らの得意技よ。

 じゃが、滑稽にも人形は人形なりに王であろうとする。

 知っておろう。彼らの所業を」


ヤトは、サクサクとパイを食べ散らかして汚れた手を荒い羅紗の布で拭い、

いつの間にか一周していた祭りの日時や概要が書かれた書類を乱暴に丸めて、

ごみ箱に向かって放る。


「愚かな傀儡と共に、彼らには速やかに退場してもらわねばならん。

 華やかな祭りの音色と共にな」


ガコンと勢いよくごみ箱に落ちた鮮やかな音に、

全員がゆっくりと頷いた。


「次に儀式についてですが、

 儀式は月の女神の力が最も強いとされる満月の日に行われます」


カーラーンの言葉に、反論する者はいない。

先程の書類で確認したのもあるが、女神の儀式は満月の夜。

これは古来からの常識である。


「満月の3日前に雨呼びの儀式が始まり、王の選出は、その後となります。

 よって神殿には3日前までに到着しなくてはなりません。

 神殿に逗留できるのは、王とその巫女、そして側近5名までとなっております」


カーラーンの言葉に、カナンが首を傾げた。


「巫女? 側近は解るが巫女とは?」


カーラーンは、おもむろに一通の手紙と古い羊皮紙の本を取り出した。

そして全員が確認できる様に、これもまた隣にまわす。


「大神殿からの知らせには、

 儀式で女神の力を王が得るための清き器として巫女が必要だとしか。

 おそらく儀式のための女神降臨を象る様式美ではとの推測がありますが、

 詳しくはわかりません。 

 こちらの協力者となってくれている一部の神殿関係者に問いましたが、

 これ以上は儀式の秘儀を伝承されている神官長と大巫女しか知らぬ事らしく、

 詳しくは解りませんでした」


神殿長の印璽がある王の選定に際し必要な事柄を書かれた事務的な手紙。

それは、何の疑問を挟む余地もない程に簡潔だ。

一般的に儀式の巫女と言えば、想像するのは神に仕える年若き乙女を連想する。


そして、古い古文書を集めた羊皮紙の本には、王の儀式の絵があった。

嘗ての神官長が描いたとされる古く拙い朴訥な絵。

それには天から降る女神の力とされる天の滴を胸に受け、

光る瞳を持つ巫女服の女性と、

月の女神の力を受けて王冠を被る王の姿があった。

古代の壁画の写しかと思われるような、感情を全く含まない表情に、

朴訥とした構図と文字を必要としない絵柄。

そこから読み取れる情報は微々たるものだ。


老師は本をちらりとみて、ヤトに問うた。


「お伽噺では推測に足りぬな。大神殿の巫女姫はなんと?」


ヤトは腰の皮袋から目の前のカップに水を入れ、チャプンと軽く揺らし、

ぐいっと水を飲み干した。

ふわりと酒精の香りがするのが、さほど強いものではない。


「無駄じゃ。あ奴に聞いたが、けんもほろろよ。

 大巫女とはいえ、雨呼びの巫女は王の巫女ではないから知らぬとな。

 それとのう聞いてみたが、神官長は話せないの1点張りだそうじゃ。

 儀式については、当日になってから神官長が話すのを待つしかないらしい。

 それに、今は大巫女とまったくといっていいほど連絡が取れん。

 レナーテの地下神殿の湖がとうとう枯れたそうじゃ。

 お蔭で、大巫女は神殿の奥御殿から出られぬのじゃよ。

 レナーテでわずかとはいえ雨が降っておったのは、大巫女の力じゃからの。

 儀式の為に必要な水の確保に、大巫女とそのお付きの巫女達は昼夜問わず祈っておる。

 が、今もその成果は芳しくないの」


ヤトの言葉に老師が眉を潜める。


「この地に大雨を齎した雨雲は、やはりレナーテには届かなかったのか?」


ヤトは苦々しげに首を振った。


「雲は届くには届いた。じゃが、それは思うておったより少ない物であったそうな」


マッカラ王国から北に位置するサマーン王国の街、レナーテ。

マッカラ王国の背に位置する切り立った山脈を抜けた場所にあるため、

こちらで雨が降るとレナーテでも雨が降ることが度々あった。


ノルバは、それを知っているがゆえに、ふっと笑った。


「それについては問題ない。

 レナーテの大神殿に第三王子から贈り物として水100樽がいく予定だ。

 先日の大雨で期せずして水が手に入った故、神殿に対してのちょっとした付け届けじゃの」


マッカラ王国とは言わず、第三王子から。

カナンが、そんなことをして大丈夫かとノルバを見上げるが、

サーリアが、シャララと腕に付いた装飾品を揺らしながら、

長い髪を掻き上げて言った。


「もともと谷底の隠し洞窟に樽を用意していたのは、私達。

 あの大雨の中、私の忠実な部下たちが必死で空き樽に水を受けてくれたの。

 だったらそれらは私の物で、マッカラ王国とは全く関わりがないわ。

 誰とは言わないけど、執政官のサインもいただいてるわ。

 酔わした席でサインしようが、それはそれですし」


ピラリと見せる1枚の書類には、最近物騒な事件が立て続けに起こって、

寝る間もなく働いていると噂の女性執政官のサインがあった。


カナンは、口元を引き攣らせながらではあるが、素直に頷いた。

つまりは、マッカラ王国は関与しないと明言する予定だということだ。

神殿関係者に100樽の水。

水不足で悩むサマーン王国ないし神殿関係者なら、大変効き目のある賄賂だろう。


老師が揚げた芋をフォークに差して、カーラーンに視線を向けた。


「それについてはいいだろう。

 神殿に逗留する巫女と5人の側近についてはどうなっている」


カーラーンが頷いて、クルミを飴で絡めた甘味の皿を老師達に回した。

老師やカナン達は、何故か眉を潜めてその皿には手を付けず、

さっさとヤトの方にまわした。


「巫女は、ここにいるサーリア様が務めます。

 側近は、マラドフ様、レヴィウス様、カース様、カナン様、そして私の5人です」


それに対し、果汁水を飲んでいたカナンの喉がぐっと詰まる。


「ぐっ、なっ、ごぼっ、や、ヤト爺じゃなくて俺?」


ルカがごほごほとむせるカナンの背をさすりながらも、

その目の前で頑張れと指を立てた。


「第三王子に対し砂の一族は一応中立という立場にある。

 ワシは若に付いて行くでな。一緒には行動できん」


「で、でも、例えば暴漢に襲われても、本当に何もできないんだけど」


ドライフルーツやナッツには興味がないと早々に甘味を諦めたマラドフは、

爪楊枝で歯と歯の間を擦りながらも面白くないように鼻を鳴らした。


「力仕事をする分には俺たち3人が居れば問題ない。

 カーラーンとお前はそれ以外で役に立ってくれればいい。

 俺が思うに、お前さんに求められている役割は、

 多分そこの老師の第一助手としての立場だ。

 第三王子の密かな後ろ盾というか、ちょっとした牽制の意味合いだな。

 敵陣営にとっても、神殿側にとっても、また諸外国にとっても、

 そこな爺さん老師の存在は、とんでもなく大きい。

 だが、ヤト爺、ノルバ婆さん、俺はここで、

 ひとつだけ気に入らねえことがある」


マラドフの言葉に、面白そうにヤトが笑う。


「ほう、マラドフ坊、言うてみよ」


マラドフは歯の間を尖った楊枝の先をヤトにピッと向けた。


「俺たちが守るべき肝心要の第三王子はどこにいるんだ?

 ヤト爺ともあろうものが、側近に顔も見せねえ相手を守れっていうのか?」


マラドフの殺気にも似た怒気が、ジワリと周りを圧倒する。

カナンが思わずゴクリと唾を飲み込んだとき、白い包帯に包まれた手が軽く挙げられた。


「はーい、はいはい。ここに居ます。

 クマさんってば、何言ってんの?

 さっきから僕はここにいるでしょ」


さっきから不味いといいつつ食べていた無花果の蜂蜜漬けを頬張りながら、

ルカは色眼鏡を鼻からずらした。

余りにも軽い返事に、思わずカナンと老師、ノルバが眉を寄せ、

マラドフは虚を突かれて目を見開いた。


「はぁ? お、お前が優秀で将来を嘱望される第三王子? 

 ば、馬鹿も休み休み言いやがれ。

 このがりがりのちびっこのどこに王の気品とか威厳とかがあるんだよ。

 はっきり言って、欠片もねぇだろうが!」


口の廻りの蜂蜜を指で拭い取りながら、ルカが笑った。


「今はただの一介の助手である僕に、そんなものあるわけないでしょう。

 多分、王になったら出てくるんだよ。自然に?

 いや、女神の力で変身って感じで! こう、どわっと?」


余りの軽さに、さすがのマラドフも顔が引きつる。


「出てくるか!そんなに簡単で出てくるなら、女神も苦労せんだろうが!」


引き攣り顔のマラドフをよそに、ルカは楽しそうに指に付いた蜂蜜をなめている。


「何言ってんだよ。王子様なんてのは、大きく内訳すれば只の職業だろ。

 神殿では、それなりに見えるよう張りぼてをくっつけるから大丈夫だよ」


どう見ても王子に見えないルカに対して、マラドフの追撃は止まらない。


「お前に張りぼてつけても、どうみても大丈夫にはみえねぇがな」


ルカはへらへらと笑って、色眼鏡をくいっと上にあげる。


「本当に大丈夫だって。

 油まみれの豚や、鎧だらけの牛が王子やってんだよ。

 それに比べれば、僕が王子様ってきらきら笑顔で立ってりゃ、

 それだけで神殿側も納得するって」


そういわれてみて、サマルカンドの王子を思い出した。

確かに、重そうな鎧を着た牛と言われればそうとも見える?

かもしれない。


「へ、へぇ、そういうものなのか。それでいいのか?いいのかよ」


マラドフは、無意識に上がった疑問を確認するために、思わずヤトに聞いていた。

ヤトはにやにやと笑いながら、カーラーンに茶をねだった。


「カーラーン、茶を入れてくれんか。濃いめにの。

 マラドフ、こう見えてコヤツは本当に努力家で優秀なのじゃぞ。

 エピの扱いも一流、腕も口も立つし、あの砂漠も一人で移動できる強者よ」


更に、それに口添えするようにノルバが言う。


「勉学の面でも、いくつもの論文が認められ、国内外共に仕官の誘いが多くある。

 まぁ、人を食ったようなこの口の悪さは若さゆえと考えれば我慢も納得も出来よう。

 内心ではヤトもこ奴の優秀さにも舌を巻いておるのよ」


ヤトとノルバの思いもかけない褒め言葉に、

ルカ自身がぼろっと目から鱗が落ちたように、目を見開いて止まった。


「え? 嘘! 本当に? まじで? 冗談ではなく?

 ヤト爺、今のもう一回言って! ノルバ様も、ほら、もう一回!

 いやぁ、まいったなぁ、優秀だって。聞いた?クマ。

 ヤト爺とノルバ婆様曰く、僕は王様に相応しいらしいよ」


動揺が収まると、ルカは途端に嬉しそうに笑って、

ぷぷぷっと噴き出しながらマラドフの背中をつついた。


「畜生、世も末だ。やっぱ俺、将来、他の国に引っ越そうかな」


カーラーンが、マールが用意していたワゴンの中から、

全員のカップを紅茶のセットと取りだし、慣れた手つきで紅茶に湯を注いだ。


そしてカナンが、全員にいきわたる様にカップが載った盆を順繰りに手渡した。

カーラーンは、まずはと毒見にと紅茶を一口飲んで頷くと、

話を戻すべく口を開いた。

  

「そういうことですので、この顔合わせなのですよ。

 マラドフ様、皆様、ご納得いただけましたでしょうか」


だが、仕方なくうなずくマラドフを横目に、

今まで静かに黙ったままであったレヴィウスが、

指をすっと挙げ、ヤトやノルバをその緑の瞳でまっすぐに見つめた。


「ラドーラで、第三王子の為人を尋ねた折に、可笑しな事を言われた」


淡々とだが感情が全く揺れない、人に聞かせ、従わせる声。

反論や横入りが一切できないと感じさせるような、

絶対的な力をもった話し方。


ヤトが、ほうっとばかりに、レヴィウスを見返した。


「殿は、なんといったのじゃ?」


僅かに威圧を込めてレヴィウスを見返したが、

レヴィウスの目は、全く揺らがない。

煌めく宝石のように鮮やかな緑に吸い込まれるような、

それでいて、全てを見透かされているような奇妙な感覚をヤトは覚えていた。


「自分で見て判断してくれと」


背中に一筋の汗が伝うのを感じながらも、ヤトはなんとか笑った。

長く生きてきてそれなりに修羅場をくぐり、

野生にも似た勘を身に着けていると自負している。

その勘が言うのだ。

この瞳の前で嘘はつけない、ついてはいけないと。


「そうか、では、レヴィ坊からみて、どうじゃ?」


マラドフやノルバですら、体が硬直しているが、威圧をさらに強めた。

だが、レヴィウスは変わらない。

それどころか、こちらの威圧を撥ねつけ、更には押しつぶす様に、

その瞳に力がこもっていく。

威厳すら感じさせる絶対的な力、歴戦の勇者ですら怯む緑の鋭い煌めき。

どんな修羅場を潜り抜けてきたとしても、只人が身に付けられない妙なる輝き。


「まやかしだ」


レヴィウスの言葉に、カース以外の全員の周囲の空気が固まる。


「ほう」


ヤトが威圧を緩めると、レヴィウスの瞳の力もふっと緩む。


「おもしろいのぅ、ああ、面白い。くくく」


ノルバとサーリアは、レヴィウスの思いもよらない力の片鱗を見たことで、

何か思うことがあったのが、互いに顔を見合わせて眉を潜めていた。

ヤトは面白いと笑いながらも、顎をくいっと持ち上げて続きの言葉を促した。


それを受けて、レヴィウスはさらなる言葉を放った。


「そこにいるルカは、第三王子ではないだろう」


マラドフは、レヴィウスの事をよく知っている。

大事な時に冗談や世迷言をいう奴ではない。

そして、彼の洞察力や観察力が、

常人を遥かに超えてずば抜けていることも知っていた。


マラドフの眼が、かっと開かれる。


「なんだと!どういうことだ。俺を騙したのかヤト爺」


吠えるマラドフの口に、今は邪魔するなと、

徐に掴んだ干し果物を放り込み、ヤト爺は薄く笑った。


「ほう?では、誰と?」


ヤトは、レヴィウスの鋭い視線と言葉に、

かつてない程に必死で脳内で言葉を選ぶ。


「それは解らない。

 だが、俺達はラドーラ領主への義理を果たす為に依頼を受けた。

 肝心要に嘘をつかれては仕事を全うできない」


カナンも幼少時をレヴィウス達を一緒に過ごしたので、

レヴィウス達の気質は知っている。

嘘や曲がった真実は、彼には一切通用しないということを。

だが、ここで彼らが計画から脱退してしまうと、カナンどころか、

この場にいる人間すべての命が危ない。


「待ってください、それは!」


レヴィウスを止めようと口を開きかけたカナンを手で制し、ヤトは苦笑いした。


「レヴィ坊、いや、レヴィウス、そなたは大した者になったのう。

 このワシが、二の句を告げられなくなるとはのう。

 いやはや、まいったまいった」


レヴィウスの言葉を肯定したヤト爺に、マラドフは激高しパンと床を叩いた。


「おい、ヤト爺、どういうことだ。

 お前たちは、皆で俺達を騙そうとしていたということか!」


マラドフが床を叩いた衝撃で床においたカップが転げて、

ぬるくなった紅茶がこぼれた。


カーラーンが慌てて絨毯の上に布巾を押し当てて、シミをふき取る。


「マラドフ、落ち着いてください。

 これは、ヤト爺が仕掛けた試金石なのかもしれません」


カースの言葉で唸り声を止めたマラドフだったが、

続くヤトのため息交じりの言葉で、ぎりっと歯をかち合わせた。


「そうさのぅ、結果的にはそうなったが、

 古来から敵を騙すにはまず味方からというじゃろうが。

 確かに、ルカはレヴィウスの言う通り、身代わりじゃよ。

 昔からサイラスの身代わりとなるべく育てた砂の一族の者よ」


のんびりとしたヤトの口調と、

それを今言うのかと言わんばかりのノルバやルカの驚きように、

未だにクマの様に唸っているマラドフを、

レヴィウスがポンとその膝を叩いて宥めた。


「私達を騙したとて、

 神殿で王の名乗りを上げるのは本物でなくてはならないでしょう。

 護衛や事後の事を考えると、少々浅はかな考えとしか思えませんが」


カースの言葉に、今度はノルバが、はぁっと大きくため息をついた。


「すまぬの。ルカやヤトを責めてくれるな。

 全ての元はワシにある」


「いいや、あの時、面白いと言って認めたワシにも責はあろう。すまぬな」


老人二人の謝罪に、マラドフの怒りが行き所を失ったように萎んだ。


「・・・まぁ、それはそれで、これでいいことにしてやるよ。

 年寄いじめても楽しいもんじゃねぇしな。

 しかし、レヴィウスはさすがだな」


話を変える様に、マラドフはレヴィウスに話題を振った。

それにいち早く乗ったのは、以外にもノルバだった。 


「レヴィウス殿はさすがに、あのゼノ殿の息子だけあるということか。

 じゃが、どうしてわかった。ルカの素振りは確かに王子らしくはないが、

 疑われるほどではなかったはずじゃぞ」


ノルバの質問にレヴィウスは少し首を傾げながら答えた。


「大前提が間違っているからだ。 ルカは、女性だ。

 そして、巫女となるはずのサーリアは男性。そうだろう」


レヴィウスの言葉に、マラドフは再度仰天し目を見開いた。


「はぁ? 待て待て待て待て! ちょーっと待て、レヴィウス。

 このルカはちびだし細いし、

 口の悪ははさて置き100歩譲って女と認めてもいい。

 だが、サーリアが男? この美女が? レヴィウス、

 その目曇ってんじゃねえか?」


マラドフの後ろ頭を、カースが、スパンと勢いよく叩いた。


「レヴィウスの目はどんな真実をも見抜く。

 貴方は知っているはずでしょう、マラドフ。

 まさか、レヴィウスを疑うのですか?」


カースの言葉に、サーリアがくくっくくと楽しそうに笑い始めた。

そして、口元についていた紅を指の腹でぐいっと拭き取った。


「ヤト、ノルバ、ルカ、私達は観念した方がよさそうだよ」

 

シャラリと音を立てて首元の装飾品を外したサーリアの喉元には、

男性特有の特徴である喉仏があった。 



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