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箱をあけよう  作者: ひろりん
西大陸砂の国編
225/240

ノーラの告白

あれは、風の強い日だった。重い鉢植えが風でころころと庭先を転がっていた。

窓の向こうで、街を渡る風がビュオゥゥと吹き荒れていた。

珍しい色ガラスをはめ込んだ木枠の窓が、風の勢いでキシキシと軋んだ音を立てていた。


「ねえ、おかあさん、今日はお父さん、ちゃんとノーラのプレゼント買ってきてくれるかな」


父親が何時も座る椅子の上で膝を抱え、正面の椅子に座って裁縫をしていた母に尋ねた。

母が縫っているのは、ノーラの部屋の新しい枕カバーだ。

ノーラの同級生の部屋に有る様な花の模様が可愛い寝具を、

誕生日のプレゼントに母に強請っていた。

母の手元を見る限り、花の数も可憐なデザインもノーラの母が作った方が上だ。

それをみて、少しだけ気分が良くなるが、段々と沈みゆく太陽に不安を感じていた。


まだだろうか。


ちらちらと窓の外を覗きながら、立ったり座ったりを繰り返すノーラに、

母のラーラはチクチクと針を丁寧に動かしながらも、くすくすと笑った。


「大丈夫よ~今日はノーラの7歳の誕生日ですものね~」


落ち着いた母の口調に、自分の心配は的外れだと言われた気がして、

ノーラは口を尖らせた。


「そんなこと解らないよ。お父さん、目の前の事で頭が一杯になったら、

 すぐに私の事なんか忘れちゃうんだから。

 去年の誕生日だって、お父さん、忘れてたじゃない」


ぷぅっと頬を膨らませる愛娘に、母親であるラーラは針を持つ手を止めて、

ノーラの感情を宥めるように小さな頭をゆっくり撫でた。


「それはまぁ、そうだったわね~ 

 でも、忘れてたお詫びにって、去年は二つもプレゼントを買ってもらったでしょう。

 ノーラも大喜びして、来年も忘れていいよなんて、軽く言ってたじゃないの~」


母親の言葉に、ちょっとだけノーラは口を濁した。


「そ、それはそうだけど、あれはもういいの!もう忘れたの!

 お母さんも忘れていいの!」


「はいはい」


その口癖は父親とよく似ていると思うのは、母親である自分だけでは無いだろうと、

母親の口は知らず知らずに微笑んでいた。


「でも、ここのところ毎日のように『ノーラは誕生日に何が欲しいって聞いてるか?』

 ってお父さんが言ってたのよ~あれなら絶対に忘れないわよ」


「そうかなぁ」


膝を抱えて椅子の上で不安そうに瞳を揺らしている愛娘を安心させたくて、

母親はついこっそり教えた。


「実はね、ラマエメさんに今日は絶対に早く家に帰してくれる様に事前に頼んであるの」


「ラマエメ先生に?」


「そう、あの人は、後輩のラマエメさんの言う事だけは、なぜか素直に聞くのよね~

 だから、今日は絶対に大丈夫よ。ほら、これで一安心でしょう~」


「うん!」


ノーラの顔が、ぱぁっと光りが灯ったように笑顔になる。

それを見て、母親は微笑ましい気持ちになる。


「『もう嫌だ! お父さんなんか大嫌い。もう二度とお父さんと話なんかしたくない』

 って言ったのは10日前だったかな~

 あの時のお父さん、ものす~ごくへこんでたのよ。

 最愛の娘に嫌われた~って布団の中で丸くなって、ずっと泣いてたし~」


暑苦しいと思う程に大柄で熱血漢で、太陽が背景に似合いそうな笑顔の父が、

布団に丸まり泣いている姿を思い浮かべて、ノーラはぷっと笑った。


「お父さん、泣いてたの?」


「そうよ~布団は湿気るし、いつになく鬱陶しかったわね~」


のんびりな母親の口調に少しだけ棘が混ざるが、本気ではないと解る。

口では鬱陶しくて面倒くさい男と言いながらも、

父の事を話す時は、母の瞳は常時愛情で溢れている。

お互いに思い合っている両親にほっとしながら、ノーラは自らの膝をゆっくり抱えた。


ノーラの父親は教育熱心な王立学問所の先生で、

父が受け持つ生徒の大半が貧乏で苦学生だったり、

面倒な家族の事情を抱えている者ばかりだ。


勉強したくても仕事先に煙たがられて勉強できない。

文字や言葉や計算を覚えたくても、仕事が忙しくて勉強する暇がない。

毎日の生活に必死で、勉強する楽しみを知らない。


そんな子供たちを守り、正しく導くのが、教師としての勤めであり義務である。

強い信念を持ち、教職であることに生き甲斐と使命感を持って日々研鑽を積み、

生徒の苦しみや悲しみを分かち合い、明るい未来を一緒に切り開く。

ノーラの父親はいつもその理念を体現してきた。


「俺に任せとけ!」


その口癖と共に、父はいつも自分から生徒達の盾となっていた。

生徒達は、そんな父を第二の父と慕い、結果、かなりの頻度で依存した。


父の仕事は確かに立派な仕事だと思うし、

誰かに父の事を褒められたら、ノーラだって正直、誇らしく嬉しいとは思う。


だが、そのせいで、父のもっとも傍にあるはずの家族は割と蔑ろにされていると、

ノーラは思っていた。

生徒の我儘にも似た依存に、父が振り回されていると思った事すら少なくない。


だから、たまに会う父親が、ああしろこうしろと口幅ったく言うのは、

ノーラにとっては、どうにも反抗心がうずいてきて仕方なかったのだ。


だからこそあのような物言いに発展してしまったのだが、

まぁ、売り言葉に買い言葉という感じでつい言ってしまったので、

ノーラもその事には、酷く反省をしていた。

まぁ、まだ7歳のノーラにしてはという程度であったが。

とりあえず、父が凹んでいたと聞いて、気分が上昇してきた。


「えへへへ、久しぶりに今日は早く帰ってくるんだね。

 うん、やっぱり本当は誕生日に、

 ちゃんとお父さんにも、おめでとうって言ってほしいもんね」


「あら、今日はいつになく素直ね~反抗期が終わったのかしら

 でもまあ、貴方からお父さんに歩み寄ってくれるのなら、

 お母さんもほっとしたわ~今日で仲直り出来るわね~

 仲直りしてくれないといつまでたっても布団が乾かないし、本当によかったわ~」


「反抗期って...」


「うふふ~ノーラもラマエメさんの言う事だけは、素直に聞くのよね~

 これも、血筋のなせる業かしらね~

 あ、今日の素直なノーラも、実はラマエメさんの助言だったりするのかしら?」


からかうような母親の言葉に図星を指され、ノーラは俯いて指遊びを始めた。


「...うん」


「あらあらあら、流石ラマエメさんよね~」


母親の視線を避けるように、ノーラは椅子の端を指で何度もなぞっていた。

そんな時、家の扉が乱暴に叩かれた。


「大変だ! ラーラさん、ノーラちゃん。強風で壁が崩れて、先生が下敷きに!」


ノーラと母親の笑みが、一瞬で凍りついた瞬間だった。



******



父親は、ノーラの誕生日プレゼントを持って先を急いでいたらしい。

父の懐に大事に抱えていたのは、ノーラが欲しがっていた綺麗なリボンとハンカチ。

遺体と共にやってきたそれは、父の血で赤黒く変色していた。


偶々、風にあおられた店先のテントが道一杯に広がり視界がふさがったところで、

店先に積んであった荷がガラガラと崩れ、壁に激突した。

古くなった壁の補修工事をしていた足場と壁が崩れ、真下に居た父親の上に振ってきた。


父親は即死だった。痛みで苦しむ間もなかっただろうと医者が言ったらしい。

其れだけが唯一の救いだと、あちこち傷だらけの遺体を見て、

母のラーラは涙ながらに笑っていた。


嘗て父に言ってしまった暴言を、もはや取り消すことが永遠に出来なくなった。

そのことに茫然としながらも、ノーラは滔々と涙を流した。


父がノーラ達の前から居なくなった。

父が帰ってこない二人だけの家は、寒く冷たく、いつになく寂しかった。


父が死んでからノーラ達の生活は激変した。

正直に言えば、悲しみに浸っている暇すらなかった。


まず、住んでいた国の支給家を追い出された。

父の死に僅かばかりの恩賞と見舞金が国から支給されたが、微々たるものだった。

偉い人達に、せめてもう少しだけでも家に居させてくれと頼んでみたが、

決まりだから仕方ないと力なく項垂れるだけだった。


父が生きている時は、困った時は必ず力になるからと言っていた生徒達は、

父が死んでから疎遠になった。

親身になってくれたのは、実際には父の後輩であるラマエメ先生だけだった。


あれだけ父に助けられ、時には金を融通させ、

満面の笑顔で感謝の言葉を述べておきながらも、

誰一人ノーラ達の助けとなってくれなかった。

皆、生活が忙しいのだから仕方ないと母は笑っていたが、

ノーラは、嘘の笑顔で調子のいいことをいう人間は信用ならないと知った。


ラマエメ先生の伝手で、働いたことのない母が職に就いた。

服飾工房の下請けを請け負っている工房の見習いだ。

ラマエメ先生の口利きで、本当なら見習いが入れない服飾工房の共同アパートを借り受けることが出来た。


日当たりはいいが、小さな小さなアパートだ。

寝室が一つと小さな物置、扉を開けてすぐにある小さな水場と竈があるだけの部屋。

今までに住んでいた家に比べると、庭もなく、天上も低く、格段に小さく狭い。

だが、母親であるラーラに言わせると、これでもよい部屋なのだとか。


本来なら、見習いのラーラの収入で暮らせるアパートは、大部屋しかない。

大勢が一つ部屋で犇めき合い、硬い床に薄い毛布を敷いて寝る。

食事も出ないし衛生管理も悪く、よく病人が出るらしい。

子供と一緒に暮らせる場所ではない上に、ラーラの体が弱い事を考慮して、

ラマエメ先生が保証人になり、このアパートを借りうけてくれたのだそうだ。


母のラーラは、父が亡くなってから、めっきり痩せた。

元々が体の弱い人であったのだが、父の分まで働かなくてはと頑張った挙句に、

季節の変わり目に調子を崩し、それでもと無理をした挙句に長患いになった。


母の収入が格段に減り、治療費も馬鹿にならず、ノーラは学校を止めて働こうとした。

だが、まだ7つにしかならない小さなノーラに出来る職はなく、

どうしようと悩んでいたら、またもやラマエメ先生が手を差し伸べてくれた。


自分は、未だ独身で両親が住む家に一緒に住んでいるのだから心配するなと、

其れこそ給料の大半をラーラの治療費やノーラ達の生活の為に費やしてくれた。


そこまでさせては申し訳ないと援助を断ろうとするノーラ達に、

死んだ父の分まで母親の傍に居てやってくれと優しく諭された。

奨学金をノーラの為に申請してくれ、王立学問所に通わせてくれた。

母を町医者に定期的に診せ、ノーラ達をいつも気遣ってくれた。


「ラーラさん、僕は先輩には返し切れない恩義があるんです。

 どうか僕の援助を拒まないでください。ここでラーラさん達を助けられなかったら、

 僕はあの世で先輩になんて言い訳をしたらいいんですか。

 僕に申し訳ないと思うのなら、早く元気になって下さい。

 死んでも尚暑苦しく元気な先輩の熱血説教は、僕は絶対に嫌ですからね」


ラマエメ先生は病床の母を笑わせ安心させて、更にノーラの手を握った。


「ノーラ、子供にはね、沢山の可能性があるんだ。

 いつか天才的な職人になるかもしれない。

 いつか勇敢な戦士になるかもしれない。

 いつか国の礎となるようなマサラティ老師様の様な立派な人になるかもしれない。

 君には、無限の可能性がある。真摯に学べば、もっとそれは広がる。

 僕はね、先輩の忘れ形見である優秀な君の可能性を潰したくないんだ」


父への恩義だと言っていたが、母もノーラも本当にラマエメに感謝していた。

ラマエメが助けてくれなければ、ノーラ達親子は路頭に迷い、

おそらく生きてはいなかっただろう。


そうして母の病気も癒え、ゆっくりだが仕事にも復帰した。

お金を少しでも返そうと、ラーラがお金を差し出すと、

何があるのか解らないのだから、お金は出来るだけ溜めて置いた方がいいとか、

ノーラの結婚資金もいずれ必要になるのだから急いで返金しなくていいと言われ、

ラマエメはお金を受け取ろうとしなかった。


そんなラマエメ先生に報いたくて、ノーラは必死で勉強した。 


ラマエメ先生はいつも優しく笑っていて、ノーラ達に楽しい話をしてくれた。

可笑しな話や嬉しい話、哀しい話や見たこともない外国や大きな海の話、

昔々の神様の話、などなど、とにかくいろんな話をノーラに語ってくれた。


勉強すれば、いろいろな事を知ることが出来ると教えてくれたのはラマエメ先生だ。

ノーラの世界が、勉強を通じて、どんどん広がっていく。

やってくる未来に高揚し、新しい知識がどんどん増えていき、毎日が楽しかった。


ラマエメ先生は、ノーラに助言をくれたり励ましてくれる兄の様な人。

父が亡くなってからは、父替わりとなる人だった。

でも、父親と同じ教職に有り、同じように崇高な使命に燃えながらも、

そのありようはまったく違う。


生徒の問題をすべて先生が背負う。

やや猪突猛進気味な暑苦しいこの熱血理念が父の道ならば、

ラマエメの場合は、生徒一人一人に自分の道を決めさせ、自立を促すやり方だった。

どうしても困ったときは、出来るだけ手伝いや助言はするが、

決して生徒の問題を代わりに背負うようなことはしなかった。


生徒はラマエメに依存することもなく、自分の足でまっすぐに人生を歩いていく。

希望に満ちた目で巣立っていく生徒達を見て、自分もいつかはと思った時、

ノーラは、自分もラマエメ先生のように教師になりたいと思う様になっていた。


想像の翼を広げることで、勉強することが机上の論理でなく、

自分が生きている世界に繋がってくると教えてくれたラマエメ先生を、

ノーラは誰よりも尊敬し敬愛し、いつしかラマエメ先生に好意を抱いていた。


恋を自覚したのは、ノーラが13になった時だった。


ラマエメ先生にいいよる服飾屋の女が切欠だった。

ノーラと同じ、王立学問所の生徒の年の離れた姉。

丁度いい結婚相手を探していた彼女は、ラマエメと年も近く、

公僕扱いの教職員で一定収入があり、性格も温厚で評判もいいラマエメは、

結婚相手として恰好の相手だったのだろう。


その女は、忙しいラマエメの仕事の合間に、美味しい差し入れや、

食事の誘いなどを頻繁に向け、いろいろとラマエメの気を引いた。

女に学はないが、胸も腰も大きくて色気があり、女性の魅力にあふれていた。


その女は社交的で賑やかで、しっかり家庭を守ってラマエメを支えてくれる。

そんな未来の絵が垣間見える相手だった。


だが、ノーラはその女の全てが気に入らなかった。

女の持ってくる差し入れは全て他の先生達に分けた。


弟の相談という名目でラマエメを誘い出した食事は、

ノーラがその場に大人数を引き連れていき邪魔をした。


色気作戦に出た女の口に、ラマエメの目を盗みながら、

ノーラはどぼどぼと酒を突っ込み、

偶々隣に座っていた鍛冶屋の男に泥酔した女を丸投げした。


結果、その女は鍛冶屋の男に嫁いだらしい。


ほっとしていたら、王立学問所の年老いた教頭先生が、

知り合いの娘をラマエメの妻にどうだと言ってきた。

どうやら学園の教師をしている娘で、教頭先生が昔からよく知る娘だとか。


その話には教頭先生が特に乗り気で、職員同士の懇親会と称して見合いさせ、

奥手なラマエメ先生とその女を何度も食事に連れだした。


頭がよさそうで、真面目で硬い印象が強いが、優しそうな女性だった。

ラマエメ先生よりちょっと背は高いが、折れるのではないかと疑う程細い体躯。

嫋やかな出で立ちと困ったような笑顔が、男性的には庇護欲をそそられるらしい。

ラマエメ先生は、明らかに彼女に惹かれていた。


いつもかっちりとした首まである服を着ていて、同じ教師として理知的な会話が出来る人。

共通の話題で盛り上がっている二人に嫉妬して、

ノーラは質問いう名の突撃を何度もかけて二人の邪魔をした。


彼女と仲良くなり、ぜひ女同士で買い物に行きましょうと誘い出して、

細見の女性がタイプで、賢い嫁を探している警備隊の男を紹介した。

ラマエメよりも背が高いことを密かに気にしていた女は、

筋骨隆々で逞しく、自分より背が高く野性的な魅力にあふれた男に惹かれ、彼女は結婚した。


女の結婚が決まった時は、ラマエメはかなり落ち込んでいたが、

ノーラの将来への展望は確定した。

彼女の様になれば、きっとノーラがラマエメに選ばれるはず。

ノーラは王立学問所の教師になる為に、必死で勉強した。


ノーラが教師になる前に、誰かがラマエメに告白するかもしれないと思い、

母にも、ラマエメの家族にも根回しをし、好意をせっせと示し続けてきた。

そして、ラマエメが自宅に手土産を持ってきた時に初めて告白をした。


「好きです」


返される言葉は、


「うん、僕もこのジャム好きだよ。美味しいよね」


まったく通じてなかった。


言葉が足りなかったし、状況が悪いのかもしれないと、

母の職場の手練手管に長けた女性と評判の同僚に相談し助言を求め、

場所と状況を変えて二度目の告白した。


ノーラが教員試験で無事合格を勝ち取ったお祝いをした時、

酒の勢いも借りるつもりで、大人っぽい店でワインを飲みながら、

上目使いで告白した。


「ラマエメ先生、...好きです」


助言通りに息を止め、顔を赤くしてワイングラスを握りしめ、必死で告白した。

返された言葉は、


「う~ん、僕はワインに詳しくないからね。

 正直、酒の良しあしは解らないよ。これがノーラの好みのワインなのかい?

 あれ?ノーラ、酔っちゃった? 顔が赤いよ、大丈夫かい?」


心配したラマエメの手が額に当てられ、息をひゅうっと吸い込んだ拍子に、

脳がぷしゅうっと湯気を立てた。あっという間に酔いが回ってきた様だった。

その上、ラマエメの背で揺られて帰り、不可抗力でその背中にゲロった。

ノーラに酒はまだ早かったかと、母と助言をくれた女性は悔しそうに打ち震えて、

朝になり正気に戻ったノーラは、泣きながら禁酒を打ち立てた。


同じ王立学問所の教師になれて、一緒の職場で同じ目線で話をするようになれた。

そこはかとない色気が男を陥落すると、ラマエメ先生のお姉さんに言われ、

胸元の開いた服を着て胸に詰め物をし、息が苦しくなるほど布で巻いて寄せ上げた。

口には色気を助長するらしい、赤い紅をしっかりべったりと塗った。


生徒達の学業計画を立てる為、教えを乞う意味での教室。

今度は二人っきりで、誰にも何にも邪魔されない場所で、誤解されない言葉で、

三度目の告白した。


「ラマエメ先生が好きです。私をお嫁さんにしてください」


震えながらの必死な告白に返された言葉はなく、

ラマエメの目線はノーラの腹部に集中していた。


「え~と、ノーラ、お腹からパンが落ちてるみたいだけど」


胸に詰めていたパンの三重上げ底が、お腹と足元に落ちていた。

慌ててパンを押えつつ拾い上げると、手が口紅を翳めたらしい。


「あれ? ノーラ、さっきは気が付かなかったけど、唇が切れているよ。

 最近、乾燥しているし寒くなったからだね。

 僕の母も今朝、口から流血してたんだ。そのせいで朝から煩くてね。

 あ、早く薬を塗った方がいいよ。痛そうだ」


何の事だかわからなくて慌てて鏡を見たら、紅がずれて口裂け女の様になっていた。

余りの惨状に心の中で悲鳴をあげ、

なかなか落ちない口紅相手に水場で顔を洗いながら、ぐすぐすと泣いた。


「ノーラ、そんなに薄着だと風邪をひくよ。ああ、そんなに服を濡らして。

 全く、ノーラはいつまでも子供みたいだね。ほら、泣かないでいいから。

 あ、僕のコートを貸してあげるから、今日は着てお帰り」


ノーラは、残念な結果に落ち込みながら、ラマエメの暖かなコートに包まれ、

とぼとぼと家に帰った。

どうだった?とわくわくした顔で家で待っていた母とラマエメの姉に、

結果を素直に話すと爆笑されて、ノーラはかつての父のように布団に丸まって泣いた。

もう二度と、詰め物にパンは使わないと決めた。


こうやって、いつもノーラの告白は空回りし続けた。

だが、ノーラは負けなかった。


父親譲りの熱血ぶり、いや、猪突猛進な負けん気を、頼もしいとすら思っていた。

今度は、質より数とばかりに、所構わず告白を繰り返した。


「先生が好きです」


真面目にしろと本の角で額を叩かれた。


「ノーラ、今は仕事中だから仕事の話をしようね」


にっこり笑って、手の上に大量の書類の山を乗せられた。


「でも、そろそろ私と結婚しませんか?」


「寝言は仕事を終えてから聞くよ。提出期限は明日の昼だからね」


新しい教頭が来てから、私達の仕事が山積みになった。

特に古参のラマエメ先生には教頭先生のあたりが強く、

数少ない休みさえも仕事で呼び出される日々が続いていた。


それでも、ノーラはラマエメ先生に告白を続けた。

いつしか、またかと笑ってノーラの告白を真面目に取られることが無くなった。

ノーラは頭を抱えた。


もう、どうしたらいいのか解らない。


教師であったラマエメが嘗て好きだった女性とは、

楽しそうに仕事の話で盛り上がっていたはずなのに。


心も額も痛かった。涙目になったのは痛みのせいだけではない。

まだまだ、ラマエメ先生の求める女性基準にはノーラは届かないのだと、

遠まわしに言われたような気がした。


ノーラは周りの人間が、『いやいや、正直引くよ』と言うくらいに、

ラマエメの周りの縁談話を悉く潰してつつ、

ずっとラマエメに可愛い告白をしてきたのだ。


母のラーラが実はラマエメ先生の初恋の人だったと誰かから聞いて、

意図的に母の真似もした。まぁ、本当は違ったのだが、

気が付いたら口癖が定着していたのは、仕方ないだろうし後悔してはいない。


最近になって、母や友人のジュディスがラマエメに何か言ってくれたのか、

ようやくノーラの告白が本気なのだと信じてくれたが、


「僕は君に相応しくないよ。君にはもっとお似合いの素晴らしい人が居る」


そういって、今度は真面目にノーラの告白を否定した。

ノーラにとっての素晴らしい人はラマエメ先生なのだといい、

他の人は嫌だと泣いてすがるが、ラマエメ先生は困った顔で笑うだけ。

拒絶らしい拒絶はしないが、やんわりと断られる日々が続いた。


もしやラマエメ先生が親友のジュディスに好意を抱いているのではと感じ、

ジュディスには前もってきっちりと宣言しておいた。

ラマエメ先生は私のだから、絶対に獲らないでと。獲ったら呪うからと。

ジュディスは、顔をひきつらせながらも、大丈夫と笑って了承してくれた。


待てど暮らせど、どう手を尽くしても、こちらを見てくれない。

凝り固まった頑ななラマエメ先生の心が遠すぎる。

そろそろ諦めたらと、呆れた様に周囲が言い始めた。

それでもノーラは諦めない。どうしても諦めきれない。


だって、ラマエメ先生の目はいつも優しかった。

ノーラの頭を撫でてくれる手はとても暖かくて、その温もりに安堵した。

ノーラはやっぱりラマエメ先生がいいのだと、いつも再確認し、納得した。


いつかきっと、ずっと想っていれば、

ラマエメ先生はノーラの想いを受け取ってくれるはず。

熱血論者の父は良く言っていた。諦めたら負けだと。


新たなる試行錯誤を求めて、恋愛指南が評判の新入生、マールに相談した。

料理は苦手だけど、美味しい手作りのお菓子がアプローチに有効だと言われた。


先生は甘い物が大好きだし、マール曰く、甘いお菓子は頑固な心を溶かし、

美味しいものを食べた人間は、作った人間に圧倒的に好意を抱く傾向にあるらしい。

その『男は胃袋を掴め作戦』に納得して、ジュディスと挑戦した。


まぁ、二人とも普段から実家暮らしで料理すらしたことが無かったので、

初めてのお菓子つくりで残念な物体が出来上がった。

これは、マールに直接、お菓子つくりの教えを乞うべきだと考えて、

とりあえず、もっと詳しく書いてあるお菓子の本を探しに書架市場に行った。


美味しそうなお菓子の本を見つけて、ホクホクで書架市場を出たら、

普段とは違う虚ろな目をしたラマエメ先生を見つけた。


道で転んで尻もちを付きながら慌てているラマエメが何時もと違うと思いながら、

潰され、遂には白目を剥いて気絶していたのを見た瞬間、疑問は吹き飛んだ。


ラマエメに慌てて駆け寄って抱きよせ、容態を確めるべく膝に乗せ、

どこか怪我をしているのでは心配をしつつ、介抱すべく手を伸ばした。


「大丈夫ですか~どこか怪我を~」


バシンッ


ノーラの手が、今までにないくらいに激しく手を振り払われた。


「大丈夫だって言ってるだろう!僕に触らないでくれ!

 いいから、頼むから、僕のことは気にしないでくれ!」


ビックリするような大声で、ラマエメはノーラに背を向けた。

こんなに激しく拒否されたのは初めてだった。


ノーラは、伸ばしかけた手をぎゅっと胸の前で握りしめて、

衝撃で壊れそうになるくらいにバクバクと心臓が音を叩き、泣きそうな顔で俯いた。


「…は、はい。ごめんなさい、先生」


小さな小さな声が、ノーラの口から毀れた。

それをみて、ラマエメも顔を歪めて泣きそうな顔になった。

その顔には、こんな風にするはずじゃなかったのにと描いてある。

そして、そんな顔をさせたのは自分だという事実が、ノーラを打ちのめしていた。


ラマエメ先生は何か言いかけたが、一瞬迷った後、呟くように謝ってくれた。


「すまない、ノーラ先生。今のは、……僕の、八つ当たりです」


ラマエメが、今更のように大きくため息をついた。

八つ当たりしたくなるくらいに自分の存在が、鬱陶しくて邪魔なんだと言われた気がした。

だから、ラマエメ先生に見捨てられたくなくて、必死で涙を堪えた。


「い、いぃえ、謝らないでくださいぃ。

勝手に触れようとしたぁ私が悪いのですからぁ」


私が悪いのなんて解ってる。ラマエメ先生の気持ちを無視しているのは私。

ラマエメ先生が幸せになるのをずっと邪魔していたのは私だもの。


でも、私の事を見捨てないで。先生先生先生。

お願いだから、なんでもするから、私を拒否しないで。

縋るように見つめ謝罪を続けたが、ラマエメはくしゃりと顔を歪めた。


ああ、今度こそ駄目なのかもしれない。

私は、とうとう先生に呆れられたのかもしれない。

絶望が心をビシリビシリと割り広げていく。


リリリンとステラッドの登場を教える鈴の鳴る音がした。


「……ごめん。今日は、どうもおかしいんだ。先程の言動は、忘れてください。

というより、あまり気にしないでくれると助かります。

それより、ノーラ先生はもうすぐ授業だろう。

ほら、東行きの青のステラッドが来る。あれに乗って学問所に早く帰りなさい。

さあ、気を付けて行くんだよ」


ラマエメはノーラに目を合わさない様にして、その背中をとんと軽く押した。

もう、ノーラと目も合わしたくないということだろうか。

自分の傍に寄るな、自分に関わってくれるなとの意志を感じる。

明らかな拒絶に、ノーラの心のひび割れがどんどん大きくなっていった。


それでも嫌われたくなくて、ラマエメの言いつけに従い、ステラッドに乗るべく待っていたら、

ラマエメ先生はお尻の大きな色っぽい女性に手を引かれて、歩いて行った


ノーラの手は振り払ったのに、あの女性の手は振り払われなかった。

それどころか、かなりの密着具合だった気がする。

痛みに震えていた胸とは相反して、頭が嫉妬で焼き切れそうになった。

気遣ってハンカチを貸してくれたマールを振り切って家に帰った。


どうしてどうしてどうして。

私は駄目で、なぜその女の人はいいの。

決め手は何? 胸の大きさ?お尻の重さ?色気?


先生の馬鹿、アホ、おたんこなす、鈍感、でも好き。


もしかして、本来のラマエメ先生の好みは清楚系でなくて肉厚系?

私の勘違いだったの?もしかして先生隠れ野獣?

あら、そんな先生も素敵かも。うん、好き。


自分の胸に手を当て、お尻にもあてて、大きさを図る。

あの人みたいにお尻も胸も大きくないけど、昔よりは多分あるはず?

もしかして、これならぎりぎりいけるだろうか?


ぐるぐると思考がループする。

一晩中泣きながら考え、朝日が昇るころに、

支離滅裂になる思考の中で、ポンッといつもの思考が戻ってきた。


ノーラはラマエメ先生のことが、誰よりも好きだと自信を持って言える。

なら、その女の人は私よりも先生の事が好きなの?

私が諦めた方が、先生は幸せになれるのかもしれない。

でも、それでいいと言えるほど、ノーラは達観していない。


ラマエメ先生を幸せにするのはいつでも自分でありたいし、

それで自分も幸せになりたい。


何度も自問自答して、答えが出た。

真っ暗な怒りの心が、いつしか悲しみや嫉妬心を凌駕し、真っ白に染めた。


ノーラは決めた。ラマエメに最後の告白をしようと。


これで本当に、今度こそ最後の告白。

ラマエメに迷惑に思われようが困らせようが、ずっと好きでいる覚悟は出来ていた。

でも、好きな相手に嫌われてまで想いを突き通すつもりはなかった。


涙の痕を布で拭って、ぐいっと決意を新たに机の上の水を飲んだ。

ああ、水が美味しい。


よし、マールに頼んで、最高に美味しいお菓子を渡して、

ラマエメ先生に好意を持ってもらうのだ。

その上でどうどうと告白して、運が良ければ押し倒して迫ろうと決めた。

もう、遠慮はしない。欲しい物は手に入れる。


でも、不毛な関係や無理矢理はノーラとて望まない。

ラマエメに本気で拒否されて、絶対に嫌だと本格的に拒絶されたなら、

すっぱりと諦めようと決めた。


ここが私、ノーラの人生の節目よ。

さぁ、恋愛の神様、見てらっしゃい!

私は必ず白黒決着つけてみせるわ。

登る朝日に、ノーラはにっこりと笑った。


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